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願い

グロ、微ホラー表現があります。

15歳以下の方、苦手な方は避難お願いします。



だだの勘違いであれば良いと思っていた。


マーサが襲われたのは偶々で、乳母はちゃんとした人で普通に赤子の世話をすると。

考えすぎだと、妄想癖だと誰かに笑われるとしても。

誰も居ない授乳室を見てもまだ信じていたのだ。

扉の向こうを見るまでは。





暗殺ではなく殺害か、と思う暇すらなかった。

女の影に隠れて見えにくい塊が産まれたばかりの赤子だと理解した瞬間、身体が勝手に動いていた。

切らしていた息を無理やり詰めて、一気に駆け出す。

泣き止まない赤子の声を止めたくなかった。



ナイフが届いてシーツを赤く染める一瞬前、その腕に飛びついた。


掌に痛みを感じたが、そんな事はどうでも良い。

ナイフとそれを持つ腕は赤子から逸れ、すぐ隣のシーツに深々と突き刺さっていた。

驚いた女の息を飲む音が耳元でしたが、構わず目の前の赤子をひったくるようにして抱き上げた。


よかった生きてる。

暖かい体も産声も、何一つ失われてはいない。





ーー死ぬほど安心して顔を上げると、女と至近距離で目が合った。

虚ろな目だ。暗い部屋もあって顔はよく分からなかったが、それでも闇のような目に心の底から恐怖を感じる。

ゆっくりと赤子から視線を移した女はじっくりと自分の顔を見る。





そして、口角を引きつらせて、目を細めて。

にっっったりと、笑った。






理解できないものに対する恐怖が、胃の腑から湧き上がる。

身体が固まって動かない。目の前が真っ暗になる。

怖い。怖くてたまらない。


女がシーツからナイフを引き抜く。


震えが止まらない。視線を下に向けると、抱きしめていた赤子がいた。

泣き止まないその子は、皺くちゃの顔で叫んでいた。


可愛くない。けど、この子を愛している人達を知っている。

産声が、固まっていた体を動かした。




乗り上げていたベッドから飛び降り、扉へ走り出す。

真後ろでナイフが振るわれた事が分かったが、構わず赤子の首を支えるように抱え直す。


廊下から階段へは直線だ。心臓の動きが早すぎて痛い。

階段の下で振り返ると、女は笑いながら此方を見下ろしていた。

猫が鼠で遊ぶように、甚振るように逃げ切れない距離を保って追いかけてくる。

入り口の兵士か、せめてジャグリーンの所に行けたら良いがまず無理だろう。


ほら、もうこんなに近くにいる。





あと3歩ほどの距離に近づかれ、咄嗟に一番近くの部屋に飛び込む。


狭くて暗い、何も無い部屋だ。まさに袋の小鼠二匹。


赤子を部屋の隅に置く。せめて首が座るようにくるまっていた布を調節しておいた。多分大丈夫だろう。


鍵は無い。五月蝿い産声の中で、がちゃり、と絶望の音が聞こえた。


廊下の光を逆光にして、扉の向こうから女が見える。

ナイフを持った手から肩、顔とゆっくりその姿を晒す。

美人とも醜女とも取れないその顔は、まだ貼り付けたような笑みを浮かべていた。



不味い。いや最初から不味かったがそろそろ死ぬ。

扉と部屋の隅は10歩もあれば届いてしまう。

その記念すべき10歩目を、女が踏み出した。


死が、形を持ってやって来る。


「この子が、姫だから殺すのか?」


返事はない。9、8歩と詰められる。


「代わりの乳母が怪しい事は信用できる人に伝えてある。殺したら、貴女の後ろ盾ごと貴女は処刑だ」


7、6。


何でもいい。女の動きが止まるような事を言わなくては。

人は死にかけた時一気に頭の回転が速くなる事があると何処かで聞いた事がある。

マーサも貴女が刺したのか、と言い掛けて口が止まった。

もしかしたら。


「マーサを刺したのは、メイドか?」


5歩目を踏み出していた足が、止まる。

気色悪い笑みに、初めて驚きの色が浮かんだ。


思考が勝手に動き出す。ぱちぱちと、チェスの駒を進めるように答えを弾き出す音が聞こえる。


「メイドは言っていた。賊とすれ違ったと。でもその前提が可笑しい。城の騎士達に見つからず待合室まで行ける賊が、ただのメイドに見られるような失態を犯すはずがない。メイド服に血が付いていたとも言っていた。あり得ない。マーサの背中には刃物が突き刺さったままだった。ぶつかった程度で付くような出血量じゃない。彼女自身がマーサを刺した、返り血だったんだ。それを誰かに見咎められて、咄嗟に架空の犯人を仕立て上げた。城の兵士達が血眼になって探してもいない訳だ。最初から存在しないのだから。庭の抜け穴も彼女が作ったのだろう。何より、彼女はこう言っていた。待合室近くの階段の下で黒い服を着た男とすれ違いました。背は低め、茶色の目と髪をして右耳に耳飾りを付けていました。細い目と厚い唇をしておりました、と。ただすれ違っただけの人間の特徴を、こんなに細かく覚えていられる訳がない。犯人を作る時に自分とかけ離れた人間を想像したんだろう」


掌の汗がやけに多い。違うこれ血だ。

やはりさっき切っていたらしい。

痛みが失神しそうな意識を留まらせる。

必死に睨むと、女が初めて口を開いた。


「素晴らしいですわねぇ〜流石雨の巫女さまぁ?」


べたつくような、嫌な声だった。生理的嫌悪感がすごい。


「そぉですよぉ?あの子はぁあたしと一緒。あの御方の神命を受けてぇ〜ちゃあんと貢献した偉い子なんですぅ。あたしも頑張らないとぉ?」


撤回。こいつの声嫌悪感どころじゃない。

鳥肌が止まらない。あとさりげなく5歩目歩きやがった。


「あ、でもでもぉ、あの子よりぃあたしの方がずぅっと大事なお役目なんですよねぇ?だってぇ〜そぉ思いません?」


ただの乳母と、お姫様なんてぇ。



にたにたにたにたにたにた。4歩目。


なんで姫さまを。

心の中で言ったつもりだったが、声に出ていたらしい。

いよいよ体を制御出来なくなっている。


「と〜ぜんじゃぁないですかぁ?あんな女の子供を殺す事のぉ何が悪いんですぅ?」


「汚い外国から来た女の血なんてぇこの神国に入れていい訳ないじゃないですかぁ。王子は〜陛下に似ていますしぃまぁ許してあげてもいっかな、てなりますけどぉ。その娘は駄目ですねぇ?」


晴れに産まれた姫なんてぇ、要らないじゃないですかぁ。


笑った顔は、傷つける事に酔った、興奮し切った顔だった。


「怖いですかぁ?じゃあこうしましょうよぉ。後ろの娘をあたしに渡してください。そしたらぁ、巫女さまはぁ見逃してあげますよぉ?」


3歩。


なんで、と唇を動かした。


「なんでってぇ〜巫女さまは巫女さまじゃぁないですかぁ。巫女さまはあの女に代わって女神となられるでしょぉ?まだ他にいい子も居ませんしぃ、殺したらあの御方に怒られちゃ〜う。また外国の女なんてありえないしぃ。びっくりしたんですよぉ?いきなり邪魔されてぇ誰かと思ったら巫女さまなんですも〜ん」


でもぉ、と続ける。


「巫女さまならぁ分かって下さりますよねぇ?誰が父親かも分からない、あんな売女の子供なんてぇ、庇う価値、無いですもんねぇ?」


2。


すっかり至近距離に来ている顔を呆然と見上げる。

自分の言っている事を、何一つ疑って居ない顔だ。

この女はきっと、何も考えていない。自分が処刑されることも、今赤子を殺そうとしていることも。

伽藍堂の、虚ろな中身。今まで見たことがない。




……理解できないものは、怖い。

けれど、この女は空っぽなのだと分かってしまった。

それが分かるならば、理解できないものじゃない。

大丈夫だ。大丈夫だから。

背中のこの子を庇えるのは自分だけだと、理解してるから。


開いた口が震える事は、もうない。


巫山戯るな、と呟いた。

女の顔が固まる。構わず言葉を続ける。

自分が死んでも構わないと、心から思った。


「この子は間違いなく陛下と王妃の子だし、必要な人だ。人が生きていていいかを、お前が決めるな。王家の血とお前の主人とこの国の事を全部含めても、この子が死ぬ理由にはならない」


良し。

言ってやった。

ああでも不味い妖怪にたにたが真顔になってる。




ナイフが震える。


「残念ですぅでもぉこのまま生きていたってぇあの方の邪魔になるだけですよねぇあ〜あ本当に邪魔ですねぇ邪魔邪魔邪魔邪魔邪魔。この異教徒が」



いつも笑っている奴の真顔のノンブレスはなんでこんなに怖いのか。怯えないと怖くないはイコールで繋がってないというのに。


いち、


振り上げられたナイフが、迷わずに自分の首を狙って降りてくる。


あ、これ死んだ。


最後によぎったのは、ベットの上で笑う彼女の姿だった。




ごめんね。

貴女の為に、私は何もできなかったよ。







ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



目を閉じてその時を受け入れた。受け入れたつもりだった。


くじゃり、とやたら立体的な音がした。


ああ自分の頭が切り離されたのだ、と思った。

けれど可笑しい。痛みがない。

足元に、重たい物が落ちる音がした。


…………?


目を瞑ったまま動けずにいた。さっきから生暖かいものが顔にかかっている音がする。後なんか鉄臭い。

あれ?まだ私の顔があるのか?


産声も聞こえる。

そういえばずっとこの子は泣いていた。後半気にする余裕がなかっただけで。


恐る恐る目を開けようとすると、肩のあたりに固くて生温い大きな物がぶつかって来て思わず見開く。


目の前に首のない胴体があって、今度こそ腰が抜けた。


生まれて来て最大級の驚きを更新した。

訳がわからない。いや城に来てからさっきまでも大概だったが、今もやばい。


とりあえずこれは、さっきの女のものだろう。敢えて足元は見ない。絶対にだ。


しかも今も寄りかかられてる。やだ情熱的。

赤い?鉄臭い?やだなあ気のせいですよ。


取り敢えず女の体を地面に降ろすと、やっと目の前に人がいる事に気付く。

さっきまで気づかなかった。目の前にいたのに。

一瞬で女の首を刈り飛ばしたのだろう彼女に、声を掛ける。




「……ねえ、ジャグリーン」


「はい」


「君は、姫様の味方か?」


彼女の無表情以外の顔は、初めて見た。


「…………私は、ジュビア様のメイドです」


何処までも真っ直ぐな彼女が、とても羨ましかった。


「姫君をお願い。ちょっと今腰が無理だから、先にいって」


「分かりました」


意外な事に、ジャグリーンは赤子の抱き方も上手だった。

全身血を浴びている令嬢を置いていく冷酷さよ。

ジャグリーンが赤子を連れて現われたら、誰でも彼女が守ったのだと思うだろう。実際そうだし。

精々功績を押し付けてやる、と笑って目を閉じた。


あの子が生まれてくるのに1人が怪我して、1人が死んだ。姫君を傷つけるなど許されない。これから処刑台が忙しくなる事だろう。

けれど、それはあの子のせいではないから。

どうか幸せに、どうか幸い満ちる人生であれ。


血なまぐさい狭い部屋の片隅で、そんな事を願った。





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