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事件




マーサというのは、乳母候補の事らしい。


王妃様の御出産が近くなり城に呼ばれた彼女は、待合室に一人でいる時いきなり刃物で刺され虫の息の状態で倒れているところを発見された。


話を聞いてただでさえ白い顔色が青くなった王子を心配して付き添った結果執務室に国王一家と共に騎士数人に守られるようにしてソファに座っているが、いる面子の豪華さと輝ける美貌に目が潰れそうだ。




後夫婦のいちゃつき具合がひどい。


「大丈夫だ、ジュビア。しかし危険だから出来るだけ側にいろ。お腹の子にも障るだろう」


「ありがとうございます陛下。でも(わたくし)、少しも怖くありませんのよ?だって貴方がいますもの」


けれど手を繋いで戴いていいですか?と首を傾げながら問われ、断れる男がこの世のどこにいるのか。


優しい笑みと共に繋がれた手にその場の空気が初々しさと甘さが混ざったものになるが、その空気に夫婦以外溶け込んで消え去りそうだ。


王子に如何にかしてくれと視線を送ると、「いつもだ」と真顔で返される。心なしがさっきまでより人形っぽい顔つきになっている。無理だと。


辺りの騎士たちも軒並み目を逸らしているか死んだ目だ。自分に向けられてではないにせよ美女の殺し文句に頰も赤らめないあたり今までの心労が想像できる。


ちなみに頼りのジャグリーンはいない。

先程王妃に付いて部屋を出ていた彼女はここにいるのかと思ったのだが、事件の情報収集に行ってしまったらしい。


この砂糖を煮詰めたような空間に勝てるのは彼女のブリザードを引き起こしそうな視線だけだと思われたのだが、ハイスペックメイドは忙しいのだ。


一つの事件でも、城で乳母候補に被害があったというだけで事態は十倍は複雑になる。

マーサは高貴という程ではないけれどれっきとした貴族の女性だ。

侵入方法を調べ賊を捕まえ後ろ盾がないか調べマーサの容態について気を配りつつ彼女の実家と賠償の折り合いをつけ新しい乳母を探す必要があるのだ。


現在マーサは一命は取り留めたとはいえ予断ならない状況で、生死の境を彷徨っている。

賊は刃物を彼女の背中に突き刺したらしく、意識を取り戻したとしても犯人の顔を見ていない可能性があるとの事だ。

ちなみにこの事を自分が知っているのは立ち代わり報告に訪れる部下達のお陰であり、彼らも甘い空気に飲まれて死にそうだった事をここに追記しておこう。

病気と怪我と寿命と他人のいちゃつきが人に死をもたらす事は、貴賎問わず平等なのだ。


憐れミュート・アクスバリ砂糖の過剰摂取で死亡かと思われたが、神は自分を見捨てなかったらしい。

扉が開いて、一人の女性を連れたジャグリーンが現れた。余りにも真っ直ぐなその背中。氷より冷たいその目線。いっそ清々しいまでに辺りの空気を無視してくれた彼女は、夫妻の繋がれた手に気を払う事なく話を切り出した。


「ご報告を。賊の目撃者が居ました」


部屋の全員の視線を受け、ジャグリーンの隣にいた使用人らしい女性が身を竦ませる。


青くなりつつ、震えながら彼女が口を開いた。


「も、申し上げます……。待合室近くの階段の下で黒い服を着た男とすれ違いました。背は低め、茶色の目と髪をして右耳に耳飾りを付けていました。細い目と厚い唇をしておりました」


ついに緊張に耐えきれなくなったのか、涙目になる。


「庭の一部に穴が開けられており、外へと通じる抜け道となっていました。足跡もありそこから侵入、外へ出たものかと思われます」


ジャグリーンが続けると、その場の空気が少し和らぐ。賊がもう外に出た事を受けて、護衛を緩めていいと考えたからだろう。


「御苦労。城外まで手を回せ。今言った特徴のものを探し出すのだ。他に抜け道が無いかも確認しておけ」


やっと手を離した陛下が周囲に命じると、一斉に敬礼をした騎士が動き出したりそのまま護衛を続けたりする。その中の一人が自分に声をかけてきた。アクスバリ家に帰るのに護衛をしてくれるらしい。


お言葉に甘えて帰ろうと思っていると、王妃から声をかけられる。


「せっかく来てもらったのにごめんなさいね?けれどもし良ければまたいらっしゃい。リュコスも待ってるわ」


それ絶対に来いって意味ですよねと思いつつリュコスという名が誰のものか分からずきょとんとしていると、殿下がじっとこっちを見ていることに気づく。目を合わせると、ゆっくりと口を開いた。


「逃げるな」


「はい?」


「次は勝つ」




…………そうか。

多分、殿下の名前はリュコスだ。


一応言っておくが、自分の記憶力は優秀だ。アクスバリ家の庭の植物の名前も使用人の名前も3日前の夕食のメニューもカメリアがドレスを隠したクローゼットの鍵の位置も覚えている。唯興味のない事を頭に入れられないタイプなのだ。

じっと目の前の少年を見る。


「……覚えておきます」


無表情ながら満足気に頷いた王子に対して思う。

うん、黙っていよう。


王妃の名前が分からず焦った時から学習していないのではない。殿下とは初めて会話をしたのだ。関わって相手を知った後で名前を知るというのは至極自然な事だ。つまり相手に会う前に名前も顔も知っている方が可笑しいのだ。自分は悪くない。


……自己完結している間に送りの馬車が家の前まで着いていた。これでも昔から結婚しろ王家に取り入れと言われていたにも関わらず王子の名前を把握していなかった事がショックだったのかもしれない。意識が飛んでいた。


家で放心状態でいると弟から城で何かあったのかと気を遣われた上にカメリアからはついに何かやらかしたのかと泣かれた。非常に遺憾だ。何かをやったというよりむしろやってない。

取り敢えずまだ城通いは続ける事だけ伝えてその場を辞したが、城内の事件が知れ渡ると自分が関わっていると言う説がまことしやかに囁かれるようになった。曰く、「お嬢様が関わっていないと見る方が無理です」実際は何もやっていないのに酷い冤罪である。





使用人に腹をたてていても日は過ぎるし王妃様の腹の児は育つ。ついでに言うなら乳母の代わりは見つかったしマーサの容態は安定したが意識は戻らないままだし賊も捕まっていない。城の優秀な家臣達はしばらく徹夜だろう。何回かのチェスの試合を通して王妃には会っていたが、じきにそれも出来なくなった。


いよいよ産気づいて、離れに移ることになったからだ。

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