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それから


*グロい

*最終話一歩手前これで良いのかと思う位グロい

*十五歳以下の方、残酷描写が苦手な方は避けて下さい。










「きっとあの子は、裏切っても恨まないでしょうね」



母国の表紙が掠れた本を膝の上に置いて、彼女は呟いた。



(わたくし)達が理不尽にあの子を裏切って最悪殺したとしても、恨み言一つ吐かず笑って逝くのよ。あの子は、怒り方を知らないの」


そう思わない?



弦月の如き曲線を描く睫毛が伏せられ、美しい蒼玉が瞼に隠れる。憂いを帯びた容貌とは裏腹、淡々と言葉は紡がれる。


そしてきっと、と歌うように彼女は続けた。


「裏切った方が、あの子の言う通り見殺しにした方が、国の為になるのよ」


凛とした声だった。

埃臭い古書が堆く積まれた資料庫で、唯一美しい彼女は言った。






* * *








だす、と。

気が抜けた音と共に頭が落ちた。

ぎゃあぎゃあと鳴く獣たちが一瞬静まり、すぐまた五月蝿くなる。奇声悲鳴怒号の阿鼻叫喚、汚く醜い光景が繰り広げられる。


また一匹、顔中から汚い液を垂らす獣が断頭台の前に連れて来られた。鷲頭の兵士が暴れる蝦蟇蛙の首を抑え、ギロチンの窪みに押し当てる。四方が壁で兵士と受刑者しか居ない空間に助けは無く、不可避の死に怯える喚き声が響く。


刃から垂れた先刻の首の血が蝦蟇蛙を伝い、地に染み込む。文字通り「跳んだ」首は両手足の指の数を超え、これから更に増えるだろう。地面や刃、木材まで赤黒く染められ、落ちた顔が判別し難いと如何でも良い事を考えた。

酸化して赤黒く染まった周辺が赤に上塗りされる。長期間風呂に入っていない体臭や吐瀉物の悪臭も混ざった地獄絵図に、彼女が此処に居なくて良かったと安堵する。








王太子の卒業の祝宴で起こった婚約破棄や教会の悪行の暴露から、三ヶ月が経っていた。

逮捕された害獣共の処理は予定より順調に進み、滞り無く地位に置かれていた首は挿げ替えられ、国民の混乱を最小限に教会は王家の支配下で再稼働し始めている。


そして本日漸く、元貴族や教会関係者の処刑日が来た。

あの時城にいた数十の獣達は残らず牢に繋がれていたが、反対する者達やどさくさに紛れ利を掠めようとする諸外国を黙らせ終わったと云う事でもある。

公開処刑にならなかったのは慈悲か、多くを民に知らせない為か。屹度両方だ。



傀儡の王家とまで言われていたのに、この十年で随分と権力を手に入れたものだ。それを彼女が気に入るなら、これ以上の事は無い。

この手から差し出した物では無い事は遺憾だが、彼女の幸福に比べれば瑣末事。

実際の功労者である鼠頭の人間を思い出しながら、湿った壁に背をもたれる。

最初は全く信用していなかった。何時裏切るか使えなくなるか、その時どう対処するのが一番彼女の意に添えるかばかり考えていた。真逆壊れず最後までやり遂げるとは、正直予想外だった。




はなしてやめなさいなにがのぞみなのかねならやるわやるからとっととはなしなさいふけいよきたないてでさわらないでげがらわしい、こんなことをしてただですむとおもっているのいまならゆるしてあげるわどうしてわたくしがこんなめに



耳が壊れる程の雑音が響く中、微かな足音が聞こえた。立ち入りが制限されたこの空間に入れる者は限られている。聞き覚えのない足音に僅かに身体を強張らせた数秒後、唯一の入り口から現れたのは先程思考を占めた黒鼠だった。


視界に広がる死体の山を食い入るように見たそれは、此方に気付いて口角を上げる。

小柄でこそ無いが薄い身体に黒い鼠の頭を乗せた生物は、僅かに首を傾げて言葉を発した。



曰く、「久し振り、ジャグリーン」と。







* * *





笑う鼠にどうやって此処に来たのか問えば、「入り口は沢山ある」と飄々と返された。



此の世の全てを呪う、甲高い断末魔。

刃が落ち、首が跳ねる音。


役目を終えた刃が上げられ、頭が転がる。赤と白と黄色の断面が一瞬露わになって直ぐ、湧き出る鮮血に見えなくなった。愚かな獣の絶叫は止まり、血走っていた目は白く淀む。開いた口から未だ空気が漏れているように見えるのは、目の錯覚か。

確か何処ぞの貴族の妻だった。ならば先程叫んだのは十六番目に首を落とされた夫か、愛人の名だろうか。如何でも良い。


「三日は肉が食べられなくなりそうだ」ーー笑みを零し、けれど落ちた首から決して視線を逸らずに、隣の鼠が言った。

口元は弧を描くが目は笑っていない。笑いどころか何の感情も含めず淡々と、たった今終わらせた命を観察していた。


ミュート・アクスバリ。

誰よりも繋がれた害獣共から迷惑を被り、あれらを此処に招いた、隣の女の名前だ。


婚約破棄騒動の後城から忽然と(己が手引きした所為で)姿を消したこれは、夜明け頃森の中で発見された。高熱を出し死に掛けていたが意識は有り、一秒でも早く働きたい鼠と一月はベッドに縛り付けておきたい周囲で地獄絵図が繰り広げられた。

森の中で何があったか態々問いかけるつもりは無いし、聞いたところで答えるとも思えない。

予想はつくが、掘り返す理由もない。今生きて此処にいるなら、それが全てだ。


けれど周囲にとってはそうでは無いらしく、真実を知って青褪める者、熱で唸りながら資料を纏めようとする震える手を止める事に本気を出す者、歩けるようになったからと城に抜け出されて発狂する者まで出たが、瑣末事だろう。一度青筋を立てた彼女の望みで家まで強制送還し裏切り者と叫ばれた事も有るが、彼女の意に添えたので非常に満足だ。


幸か不幸か他では分からない書類や案件が多いのも事実で、たった九十日で処刑日を迎えたのにも一枚噛んでいる。これ位じゃ死なないから大丈夫が口癖になったとぼやくが、その言葉を口に出す度に洒落にならないと嘆く周囲には気が回らなかったらしい。


人として可笑しい所が多いが歴とした人間だし、人間以外になったことも無い。この目が彼女以外の人間の首を獣に見せていなければ、此処には黒い髪を垂らした少女の姿が有ったのだろう。

生まれついての欠陥だ。残念とも、今更変化したいとも思わない。何より彼女以外の人間が醜ければ醜い程、彼女が美しくなる。


首の無い身体が引き摺られ、地面を転がった所為で汚れた首は放られる。

「王妃様に会ったよ」と鼠が言った。血生臭いこの場所とは不釣り合いに明るく、彼女が話題に上った。

目線で続きを促せば、察した口が動く。



「今後の事を話して許可を頂いてきた。次の季節が来る頃、留学生として隣国に行く」



迷いのない声だった。鋭い覚悟を瞳に乗せていた。

「行くのは王妃様と君の母国だ、折角この国でこんな事ばっかりしていたし他国でも暴れてくる。自分で言うのもあれだが、屹度使えるよ。腐らせとくのは勿体無い」そんな内容の言葉を、鼠は吐いた。


「陛下にも許可を頂いたんだ、すっごい渋られたけれど」と言葉が続く。優しい人達だよねと目を細め、一瞬だけ本心からの笑みを浮かべる。



特に驚きはなかった。予想外だが想定内だ。



あの騒動から三ヶ月経った今でも、この女について話題が尽きる事は無い。このまま槍玉に上げられ続けるよりは外国に避難した方がいいと判断したか、単に王太子の妻になるのが嫌だったのだろう。


よく許されたものだと考えていたら読まれたのか、「褒美なんだ」と嬉しげな声。


「これまでの労に報いて何でもしてやろうと言われたから、外国を見たいって答えた。心残りが無い訳じゃないが、この国にいても妃競争が面倒だし」


軽く鼠は語る。知らぬ間に息を吐き出していた。

この鼠が退いた事で空いた妃の席に誰が着くか、未だ決まっていない。またこれが返り咲くか、それとも最近婚約破棄したばかりの何処ぞの貴族の娘か。隣の顔を見る限り、王太子には何の執着もしていないらしい。

それならこれの思い通り、王太子は他の女と婚姻を結ぶのだろう。



楽しみだ、とうっそりと笑う横顔。視線の先に目を向ければ次の処刑者が首を刎ねる為に引き摺られていた。泥と血に汚れた桃色の獣の首が、何かを喘ぎ叫ぶ。

誰かの名を叫んだ獣の首が跳ねる様を、瞳を細めて女は見ていた。

指の先端から髪の一筋に至るまで微動だにする事なく、食い入るように、それでいて興味の無い観劇を見るように。静かに自分が殺した命を眺めていた。


目の前で人が死んでいるのに平然と眺めるなんて、真面じゃない。「普通」の人間ならそう言うだろう。全くだ。殺した人間の顔も名前も、明日には忘れているに違いない。



狂気そのものだと思っていた。

これについて良く知っている。この世界の何処を探したって己以上にこれを理解出来る存在は無いと、断言出来る程に。


献身、心酔、狂信。

己と隣の生物が飲み干したのは、言葉では足りない程煮詰めた狂気だった。己とこの生物だけは、足が焼け爛れても地獄の釜の縁で踊り続けなければいけない呪いが心臓を動かしているのだと、そう思っていた。


けれど、随分とーーーー死体を見て満足そうにする、その演技をしなくなるなんて、人間らしくなったものだ。


少なくとも三ヶ月前だったら、この光景を見て喜ぶ振りをしただろう。実際は何も感じていなくとも、そちらの方が悪役らしいからと云う理由だけで、地に膝を付け笑い転げて見せただろう。



それが今や、有りの侭の姿を晒している。戯けもせず、笑いもせず。

些細だが明確な、紛れも無い変化。



変えたのは紛れも無く、あの男だろう。

みっともなく震えていた癖に烈しい目をする男だったと、漠然と思い出した。



「ベルナールに会ってたんだって?」



問いかけより独り言に近い声音で、光の無い黒目が此方を見た。ぐるりと回った首は気持ち悪いが、声は何処か楽しげだった。

あの男はベルナールと言ったのか。興味が無いので知ろうと思った事も無かったが、ここで話題に出るならあれの事だろう。


「全く気付かなかった。そこまで監視する程、私を怪しいと思ったの?」


彼、普通を絵に描いたような人間だろう。

続く言葉にも咎める響きは無い。楽しんでいるのだろう顔は笑っていて、単純に答えを知りたいのだとわかった。


「いいえ。………あれが核なのかと思ったことは、否定しませんが」



墨より濃い瞳が見開かれる。

知ってたんだ、と零れ落ちた声に、当然だろうと返事はせずに唯考えた。



この生物の狂気を垣間見た時から、唯一の神がいると確信していた。この狂気については何より良く理解出来るから、己にとっての彼女がいると分かった。

それを知って如何と云う事は無い。他者が不用意に触れる事を絶対に許さないのは身に覚えがあり過ぎる。唯、神が何なのかだけは把握しておきたかった。万が一にも逆鱗に触れ、その結果彼女が害を被る事の無いように。


家族には情はあるが距離もあり、王太子に対しては好意より遥かに多くの打算と遠慮を態度に出した。身近な人物に居ないから更に手を伸ばそうとした時に知ったのが丘の上の家と、そこに住む男だった。

これの正体を何も知らない、それどころか普通の人間だと言い張る男に求める影を見た。愚直で甘く、愚かだが誠実な人間を好く傾向にあるのは知っていた。

笑える事に、地獄を見ながらもこの生物は、人間そのものに情を向けている。そんな人間ならば、そんな人間だからこそ、男とは相性が良いだろう。


これの精神が過度のストレスで壊れそうになっている事は薄々気づいていた。それの軽減に男が役に立つ事も。

男は無力で王家に、彼女に害を為す事は無い。ならばこの鼠の核が男で有ろうと無かろうと、下手に手を出す必要は無かった。


適当に泳がせて、鼠を長生きさせれば良い。早く壊れるならそれまでだが、長く持つならそれに越した事は無い。これを可愛がっている彼女も、それを望むだろう。


こっわ、と呟く声が目の前から。心を読まれたのかと思ったがそんな事はなく、やっぱ敵わないなあと笑っていた。横を向けば死刑囚に名指しで呪詛を吐かれているのに、歯牙にも掛けず笑う様は狂気の沙汰。



「けど流石に、数回会っただけの相手に大金渡すってどうなの?」


「中身は見てないけどかなり重かったよあれ、幾ら入れたの」

そこまで言われてやっと、三ヶ月と少し前にあの男に渡した金を思い出した。

重いと言われてもたかが自分の貯蓄全てで、見慣れた額だろうに。それを言えば「思い切りがいいな!」と頬を引きつらせながら叫ばれ、「要らないって言ったから部屋に置いといたよ」と不法侵入を自供された。

此処に立入れるのだから自室に侵入するなど児戯に等しいだろう。見られて困る物もなし、返すと言うならいつか彼女の為になるよう、取って置くだけだ。




彼女の為、渡した金なのだから。


瞳を閉じる。熱が下がってから入城した姿を見て、彼女は確かに安堵し笑った。その笑みが全てだ。








* * *









「裏切った方が、あの子の言う通り見殺しにした方が、国の為になるのよ」


凛とした声だった。

埃臭い古書が堆く積まれた資料庫で、唯一美しい彼女は言った。


けれど、と言葉が続く。


「いくら国の為になったとしても、それであの子が喜んだとしても、そうやって得た力や宝石の何処に価値が有るの?」


そんな物要らないわと、美しい唇が動く。

絶対後悔するじゃない。嫌よ、あの子は今生きてるのに。


「権力が有るから私達が在るのでは無いの。権力を使う為に、そうして何かを産み、生かす為に私達は存在するの」


そう思ったから私は、どんな犠牲を払っても進むと決めたの。



一日として、一瞬たりとも彼女の美しさを疑ったことは無い。

凛と伸びた背筋も、光によって色を変える瞳も。

何時の日か時間が彼女から美貌を奪い、立ち上がる力すら失われても。その美しさは決して変わらないと三十年も昔、互いが少女の頃から知っていた。

彼女はこの目を人の本質を見る目だと言った。彼女が美しいのは、貴女の心から爪先に至るまで、全てが美しいからだろう。


ねえ、ジャグリーン。


彼女がまた、この名を呼ぶ。彼女が与えた、彼女の為だけの命の名を。


「あの子を生かしなさい。どんな形になったとしても、あの子に生きていて欲しいと願わせて。……今更助けてあげてなんて、言うのも烏滸がましいけれど」



貴女なら、叶えてくれるでしょう?



向けられた視線に頷いた。彼女が望むのだから否は無い。暴力で果たせる命令では無いが、当てならあった。

丘の上の家とそこに住む男。あれの意思を変えられる人間がいるとするなら他にない。

詰められた予定の中から算段をつける。

あの生き物は途轍もなく頑固だ。幾ら他人が言葉を尽くした所で響かず、縛り付けたとしても隙を見て逃げ出すだろう。その意思すら変える手札を切る必要があった。駆け落ちまがいの発想は陳腐で、しかし悪く無かった。

男の所に行くよう背を押した。嫌がるなら首輪を付けて引き摺る予定だったが、着替える時間すら惜しいと駆け出した姿を見る限り問題無いだろう。



どちらに転んでも彼女の意に添える賭けだった。


男があれを立ち直らせるなら一番良いが、二人が心中したなら死体を処理し、彼女には駆け落ちしたと言えば良い。あれにはずっと好いている男が居たので、二人で遠くへ行きましたと。聡い人だから此の世に居ない事は悟るだろうが、態々蓋を開けてまで憐れな末路を知ろうとはしない。


あれだけが自殺した時でも、男を国から追い出すか処分した後同じ報告をすれば良い。

立派な墓も死後の栄誉も与える事は出来ないが、そもそも必要無い。


死人には口も、望みも無いのだから。








* * *




結果として二人共生きていたし、恐らくは最善の形に収まった。義娘にしたかったのにと彼女は悔しそうだが、王太子はあしらう癖にあの男には態々会いにいくのだから、勝ち目は無い。


今だって男の事を思い出しているらしく、その口元は緩んでいる。



長居はできなかったけどね、と笑う声。

また心を読まれた。本当はサトリだったのか、捕まえて差し出せば彼女は屹度喜ぶ。

しかし連れて行く途中で逃げられそうで、手脚の腱を切ったものを差し出す訳にもいかない。残念だ。


不穏な思考は気付かなかったらしく、こないだ少しだけ会えたんだ、と潜めた声。嬉しさを隠しもせず、唯の人間の顔を見せる。此処が血生臭い処刑場だと忘れた、純粋な人間の顔だ。


間違いなく数年は会えないから。最後の挨拶位しか出来なかったけど、それでも。独りごちる声は、好きだと語っているような物だった。

今まで一度として見た事が無い、穏やかな顔だった。鼠頭の癖に。



その顔を。

限り無く人らしい表情を見て、矢張り違う生き物なのだと確信した。


彼女は己とこれを似ていると言うが、それは違う。

信じるものは等しく、その為に喜んで命を差し出せる事も変わらない。

けれど矢張り、如何しようもなく違うのだ。


己には彼女がいた。

彼女に手を引かれ手を伸ばす事を、その強さ、無二の美しさと共に在る事を許された。

この世で唯一、最大の幸福を此の身は許された。


それを、絶対の希望を奪われたのが、この娘だった。

唯一を奪われるのは、想像も出来ない絶望だったろう。考えるだけで恐ろしい。唯一の灯火を目の前で吹き消され、永い時間を暗闇で耐えるようなものだ。けれど裸の胸にナイフを突き立て心臓を剥がされる痛苦を負いながら、それでも立ち続けた。


己には出来ない。

彼女を喪った時は間違いなく、彼女を死なせた全てを此の手で八つ裂きにする。敵も味方も、彼女が望むかどうかも関係無い。欠片も許さず千切り、嚙み潰し、焼き殺し、それから後を追うだろう。



思考が嫌な方向に飛ぶ。恐怖は何時も鏡と闇の向こうで手ぐすねを引いて、己を飲み込もうとしている。



熱した鉄さえ飲み込めるのに、愛するだけ恐ろしくなるのは如何してか。

彼女の喪失。

何度も回避した、一番に恐れる、何時かの未来だ。





如何すれば。

どれ程愛し愛されていれば、別れが辛くなくなるのだろう。


いつか必ず、別れは来る。

どれ程愛していても、離れたくないと咽び泣こうが、物語は終わりを迎える。

永遠などまやかしだ。ハッピーエンドなんて存在しない。

道中に涙が溢れる幸福が有っても、一生の願いでたった一人の幸いを願っても、最期に道は分かたれる。生とは果てが行き止まりと知るレールの上を歩くのと何も変わらない。長いか短いかの違いだけだ。この道は後、どれ程続くだろうか。


昔より速く動けなくなった。視界がぼやけ、読書に眼鏡を使うようにも。

彼女の為と捧げた身が使えない物になっている。

彼女の側に使えない人間は要らない。其れが己なら、尚更許しはしない。



彼女と後何年、共にいれるだろうか。


全てを賭けて守ると誓った。

神を信じていないから、己とこの世の全てに叫んだ。

彼女が死ぬ時が「ジャグリーン」が死ぬ時だと、必要と言われる限りどこまでも付いて行くと。

彼女は要らないとは言わないだろう。優しく美しい人だから、屹度側に置いてくれる。

けれどその所為で、己を手放さなかった所為で彼女が損なわれたら?何かあってからでは遅い。劣化品を側に置くリスクを彼女に負わせる事を、決して許しはしない。

彼女が己では無い道具と方法で道を歩む事に、嫉妬を覚えない訳では無い。けれどあの時、誓ったから。

生きる意味を、希望を貰った。誰にも愛されなくても、彼女から愛されなくても。貰った分全てを返そうと。


世界が彼女の敵になったなら、世界を燃やす。

彼女が世界を嫌うなら、全てから庇ってみせる。

彼女以外愛せない。世界を愛する彼女と同じ目線で、美しい物を語る日は永遠に来ない。それで良い。

愛は彼女の物だ。世界の美しい物全てが、彼女に降り注げば良い。

色とりどりの花が舞い散る光の中を、夕焼けに染まる虹の麓を、鼈甲の月と宝石を散らした満天の星空の下を歩けたから。青を橙に染め上げる鮮やかな朝日を、柔らかく色付いた飛沫を上げる海を共に見れたから。



誰よりも愛されてあれと、願ったから。

そこに私が、いなくても。




思い出すのは、海より空より眩しい蒼玉。

唯一無二の命の色に、見据えられた。

刹那の幻覚に眼を見張るより速く、目の前の口が動いた。




「けれど絶対に、また会いに行く」


「何があっても生きるよ。どんなに無様でも生きてみせる。終わらせなどするものか。彼が待ってる」


「あそこの国で何が有るか知らないけれど、必ずもう一度会うんだ」



共に歩めなくても同じ道を進む為に、私は行く。




その、澄んだ瞳を見て。

きっとミュート・アクスバリは帰ってこないのだと思った。

彼女はそれを悲しむだろうか。悔しがるかもしれない。けれど仕方ない。

こんな眼をされては、誰にも止められない。


溜息をつけば、空気を綻ばせて女が笑う。

ずっと君が羨ましかったと、柔らかい声。



愛して、愛してもらえてて。それは二度と得られない物だったから。

けれどありがとう、ジャグリーン。貴女に何度も助けられた。貴女は私の、綺麗な夢だった。

心から愛した人が笑ってて、しかもその人に愛されるなんて奇跡が有ると、信じさせてくれてありがとう。

嘘みたいに羨ましくて悔しかったけど、同じ位嬉しかったんだよ。


だからどうか、貴女も。




続きの言葉は無かった。


これと己は違う。見目も中身も生き方も。

もしこれの姉が生きていたなら。

世界は少しだけ、違ったのかもしれない。

仮定に意味は無い、今が全てだ。立ち去る薄紫のワンピースを見ながら目を伏せる。

けれどもし、早くに死んだ少女が今もいたのなら、その娘は、人の姿を取っていたのかもしれない。




そう考えれば少しだけ、残念と思えた。







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