拘束
瞼を開くと、目の前は真っ暗だった。
痛む頭を抑える為に指先を動かそうとして、椅子に縛りつけられている事が分かる。
暗闇の中身体を動かそうと力を込めても縄がきつく食い込んだ手首は痺れてピクリとも動かないし、身動きしても座らされた椅子がギイギイと音を立てるだけだ。
猿轡はされて無いが、状況が分からないのに声を出すのは憚られる。
特に物音は聞こえないが、湿って黴た臭いの不気味さに鳥肌が立った。
しくじったなと反省しかけて思い直す。まだ命が有るだけ幸運か。
あとは賭けだ。もうどうにでもなーれ。
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殿下を連れ出した誕生日パーティは、素晴らしく大盛況だった。
フィーバス少年の周りにいた人々が殿下の後ろをついて歩く大盛況ぶりだった。
身長逆のハーメルンと狼狽える殿下を見る事が出来、翌日筋肉痛で死ぬ程腹筋と表情筋を酷使した。
勿論大口を開けて笑うなんて貴族にあるまじき事はしていない。殿下の隣で微笑みながら小刻みに震え続けただけだ。
死んだ目でふらふら彷徨っているだけで天使の降臨や神の子と崇められた殿下は哀れの一言に尽きたが、完全に主役を奪われたフィーバス少年の方が可哀想だろう。
顔も将来性も有り利発そうな少年だが、卒人間の美貌の相手ではないらしい。彼も付いて歩かなかっただけ優秀か。
ついでに何故殿下が催し事に出ていないのかよく分かった。彼は人を集める特殊能力が備えているらしい。特に若い少女数人が殿下に異常に執着していたが、彼がフェロモンを出しているのだと納得する。
厄介な体質だが彼に罪は無い。それ含めて利用する自分が言えたことでは無いが、対人の盾位にはなろう。
大盛況だが大成功と言い難いパーティでも率先して殿下の話し相手を務め、お開きまで予想通り大量の嫉妬を頂戴した。伝手など作る暇もなかった。
ある程度注目される事が目当てだったが、次の日から更に人が来るようになった。姫君生誕会リターンズ。
折角客人が減っていたのに大変遺憾だ。
勿論誠心誠意込めず対応したが、最近家の使用人達に疲れが見え始めている。胃薬と育毛剤を振る舞う事を頭のメモに書き付けた。
唯でさえギリギリ逝っていた胃がガリガリと音を立てるが、収穫もあった。よく家に来る商人の一人が、面白い噂を語ったのだ。
あっという間に国一番のゴシップ好きと呼ばれ、実際面白い噂を持って来る相手を良く呼び寄せた。
生憎子供の道楽なら作り話でいいと思われたのか、多くは根も葉もないデマだった。来世辺りで使うかもしれない恋愛のおまじないや、明らかに矛盾する話etc。
勿論矛盾はしつこく指摘して赤っ恥をかかせた。
次期王妃に相応しからぬ振る舞いだと自分の悪評を時折耳にする。それでも婚約者を変更されないのは、自分の他に雨天生まれの相応しい娘がいないからだ。何処ぞの高貴な女性が雨の日に女の赤子を産まない限りは自分は婚約者のままだろう。独走状態遺憾の意。
商人も最初は作り話だったが、可笑しな所を指摘し続けるうちに面白い情報を持って来る様になった。
母の「殿方は良い人を探すのではないの、良い人に育てるのよ?」という言葉は矢張り至言だったという事だろう。
そんな優秀な情報源曰く、
「ある貴族が死体を集めているらしい」
鳥肌が立った。
ついでに言うならオカルト好きの血も沸いた。
如何やら自分はこの一ヶ月で思った以上にそういう趣味を芽吹かせたらしい。
仕方ない。だって自分はまだ子供。
子供は外界の影響を受けやすいから、二ヶ月オカルトを調べ続ければ脳内オカルト一色になる事は仕方ない。殿下を一目見た少女達の頭の中が殿下だらけになるのと同じ理屈だ。寧ろ二月も彼を知り続けたのだ。黒魔術を考えただけで動悸が激しくなって都市伝説で息が荒くなりホラースポットに顔が赤くなるのは当然だ。最近のお気に入りは貴族の学園の七不思議だ。早く学園に入って動き出す彫像や一人でに鳴り出すピアノと戯れたい。
閑話休題。
勿論情報源が嘘を吐いている可能性もあるが詳しく考えないことにした。嘘から出る誠という事もある。取り敢えず詳しく話を聞こう、うん。
鼻息荒く聞き返すと、情報源は戸惑いながらも詳しく教えてくれた。
ある領地で、死体が無くなるらしいのだ。
この国の国民は亡くなると七日以内に最寄りの教会に遺体が移され、それから三日以内に教会から墓地に送られ埋葬される。
夏なら遺体は腐る前に速やかに遺族と別れを告げるし、貴族や裕福な者だったらもっと面倒な順序で行われる。
自分も喪服を持つし、ろくに憶えていないが袖を通した事もある。
だがその領地では教会に入る遺体と出て来る遺体の数が合わないらしい。
遺体は教会に送られたら棺に納められ遺族と顔を会わせる事はない。可能かと言われたら可能だろうが何故。
詳しく聞きたかったがその後は口を噤まれる。小さな町でも教会がある位にはこの国の国教のフロロー教は権力を持つので、教会絡みと考えるなら子供への噂でも公言は憚られるのだろう。
仕方がないので駄々をこねてごねてごねて問い詰めると、渋々ながらも名前を教えてくれた。
何処かで聞いた名前を口の中で転がすと、記憶の片隅に引っかかる。
プレゼント、カード、紅茶……ああ、髭か。
二ヶ月以上前に家に乗り込んできた二人を思い出す。
娘ばかり印象に残っていたが、家名はそんな感じだったか。しつこく送られた手紙でぎりぎり名前を覚えていた。
そう言えば面倒で放置していた手紙にはお世辞だろうが、髭の領地に来て欲しいという内容も書かれていた。
行かねば。
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そして、今に至る。
具体的に言うと
遊びに行く→トイレに立つふりをして席を立つ
→迷ったふりで執務室に忍び込む→机を漁る
→背後の人影に気付く→後頭部に衝撃→気絶
→簀巻きwith椅子→イマココ‼︎
………我ながらやっている事が酷いと思うが、あちらも子供に対して酷くないか。
人が直ぐ気絶する衝撃というのは案外強い力を掛けるのだ。絶対たんこぶ出来てる。遺体云々が無くとも後ろ暗い所がありそうだったし、王家に了解を得て来たというのになんたる無様な。
明らかに不正の書類と差出人が教会のもっとやばそうな手紙を見付ける迄は上手く行ったのに、この状態では報告どころか動く事すらままならない。そもそもどこだここ。
目隠しはされていない。という事は光源が無いだけか。
この前読んだ本の内容を思い出す。
地下室に連れてこられた主人公は身動きが取れない状態で手術台に縛り付けられる。其処は人体実験も含む研究施設だっだ。抵抗するも薬を打たれ意識が朦朧とし、目の前に刃物が迫る!
その後はアッーー!な感じからグチャグチャにゴリゴリされて[検閲により削除されました]したり[削除されました]されたりするのだ。
………………思い出すんじゃなかった。
思わず身震いすると、物音と共に少しだけ明るくなった。
自分の瞳孔が細まり、目に僅かに痛みを感じる。
狭い部屋だ。隅のランプに火が灯されたらしく、ぼんやりと辺りの状況が分かる。
乱雑に物が散らばっていて、自宅の屋根裏か地下室に似ていなくもない。
その隅、ランプの隣に、髭面の男が立っていた。
…………凄い既視感だ。
姫君暗殺騒動の時に似ている。縛られているのと姫様の有無が違うが。
「怯えて声も出せない様だなあ?小娘が。」
下卑た声で話しかけてくるのはやっぱり髭だった。
どうしたものかと考える。逃げれないし大声は悪手。無言も良いが恐らく髭は短気だ。
お嬢様モードか敬語スイッチか素で行くか。
怯えていると思うならお嬢様だな。
「な、何をしますの⁉︎わたくしにこんな無礼、許されると思っていますの!此処は何処なの⁉︎」
「お前が悪いんだ。何のつもりでこの家に来たんだ?いや、どうでも良い。この事を知られたからには死んでもらわないとなあ?」
「何を言っていますの⁉︎わたくしは何も知りませんわ!そんな事したら、お父様が黙っていなくてよ!」
実際(殆ど)何も知らない。知ろうとしているだけだ。
「お前が帰ったという知らせは既に早馬を走らせた。帰り道に事故にあったとでも思われるだろうさ。何も知らない?そんな訳がないだろう、あんな所にいて」
あ、あかんこれ死亡フラグや。
やっぱり生かして返す気は無いらしい。ちょっと机を漁っただけなのに誘拐監禁脅迫のフルコンボだドン‼︎とはなんて塩対応か。
「お父様だけでは無いわ!交友のある方だって、王家だってわたくしを探すに決まっていますわ!そうよ、わたくしは次期王妃なのよ⁉︎殿下が放って置く訳ないじゃない!」
「そうやって調子に乗って探偵ごっこか?殿下にお前は似つかわしくない。もっと相応しい、メアリーが殿下の妻となるだろう。そして私は王の祖父となるのだ。婚約者を亡くして悲しむ殿下をメアリーが慰めれば、子供の事だ、直ぐにでも心変わりするだろうさ!」
メアリーとは髭娘の名前だろう。そしてやっぱり折れない死亡フラグ。とは言え然程怖くないのは二度目だからかこの後の予想が付くからか。
「殿下はわたくし以外を選びませんわ!わたくしが雨の日に生まれた時から、わたくしだけが殿下の婚約者なのです!」
叫んだ言葉に睨まれ、考えていた以上の地雷を踏んだと分かった。
そうだなあ、と返された声に狂気が滲む。
「お前がいると、お前がいるだけでメアリーはあの方に近付けない。あの方にも感謝して頂きたい所だな?お前を排除し、あんなに可愛いメアリーを妻に差し出すのだから。
そうだ、最初からこうしておけばよかったなあ?」
髭が近づいてくる。
座っている自分より数倍大きい体躯が、殺意を持って歩いてくる。
首を掴まれ、一気に力を込められた。
縄越しのかさついた指が首を絞め上げ、思わず口を大きく開き酸素を取り込む。
いたい。くるしい。
体が揺れる錯覚に陥る。心臓と繋がった首の血管が、やけに大きく脈を打つ。
目の前の影が大きく見える。
揺れて、くちをゆがめて、ゆれて、わらっている。
咳が出る。体が動かない。
目の前が白と黒に染まって、貧血みたいにぼやける。
意識が闇に沈もうとした瞬間、音が聞こえた。
指が離され、一気に咳き込む。
こんこん、と扉からノックが聞こえた。確かに、繰り返し扉が叩かれている。
髭の舌打ちが聞こえた。
「何だ、私は忙しいんだ」と扉へ歩くのを見ていた。額に張り付いた髪が鬱陶しい。
外から争う声が聞こえる。
扉を開けた瞬間、髭が吹き飛んだ。
素晴らしい飛び方だった。メキョッ!やドグァン!などの擬音が似合う壁への打ち付けっぷりだ。
瞬きすると、金色の少年が飛び込んでくる。
恐ろしく整った顔と目が合うと、金色が零れ落ちんばかりに見開かれた。
駆け寄ってくる彼に声を掛けようとするが、掠れた喉では言葉を作れない。彼も何か言おうとして失敗したのか、唇を噛んで椅子の縄を解き始めた。
扉から兵士がぞろぞろと入ってくる。こんな辺境の屋敷には不釣り合いだが、殿下の護衛としてなら妥当だろう。
ぼんやりと見ている自分の縄が解かれるのに反比例して、髭がぐるぐる巻きにされる。外の言い争う声が大きくなるが、構わず兵士達によって何処かに連れて行かれた。
やっと自分の体を縛る縄が解かれ、体の自由が戻る。かなりきつく縛られて指先は真っ白だし感覚もないが、直に戻るだろう。顔を上げるとたった今縄を解かせてしまった殿下が目の前にいた。
お互い目を合わせたまま言葉を探して押し黙る。
何を言えというのだろう。感謝?謝罪?説明?質問?
何となくだが彼も同じことを考えている気がする。意思疎通が下手なのは彼だけではなかったらしい。
兵士に歩けますかと声を掛けられてやっと口が開く。
大丈夫と返して立ち上がるが、死ぬ程足の感覚が無かった。意地と根性で歩き、やっと感謝の言葉を伝える。
帰るぞ、とだけ言われて背を向けられた。
先程話し掛けてきた兵士が心配そうに自分の首筋を見るので無意識に首を手を当てると、じくりと痛んだ。
痣が出来ただろうかと身震いする。家族になんて言い訳しよう。
先程連れ込まれていたのは地下室だったらしい。階段を登り玄関までの通路を歩く最中、多くの兵士とすれ違った中に髭娘を見つけた。
殿下を見つけて笑顔を、その隣の自分を見て憤怒の表情を浮かべた彼女は、殿下に駆け寄ろうとして兵士に止められる。それでも助けて下さいと言い募っていたが、殿下の「誰だ?」と言う呟きで完全に固まった。
特に接点も無いし当然ではあるが、自分を慕う乙女に対してその言い方は如何なものか。そのまま歩き去ろうとした殿下に呆然とした彼女だったが、自分と目が合うと大声で許さないと叫ぶ。
あなたのせいで、と。
リュコス様が好きなだけなのに、いつも貴女が邪魔するの。
貴女なんて大嫌い。
彼女の大きく開かれた目に怒りと悲しみの色が宿る。
自分は今、どんな顔をしているだろうか?
近付きはしない。諌めようとした兵士を止め、許さなくていいよ、とだけ呟いて背を向けた。
これから先は兵士達の、王家の仕事だ。
…………当然ながら帰りの足は王家由来のものだけだ。
何処かの馬か荷台の上にでも括り付けていただければ十分ですと遠慮したのだが、容赦なく殿下の乗る馬車に放り込まれた。
護衛もいるものの、殿下と正面に座る。
会話が無いし沈黙が気不味い。チェス盤越しなら何時間でも大丈夫なのに如何して持ってきてくれなかったのだろうか。
此処は自分が用意すべきだったか、でも首絞められて直ぐチェスしたがるとか真面じゃないな、まで思考が飛んだが声が聞こえて我に帰った。
「………満足か」
呆れた、それでいて押し殺した不思議な声だった。
「必要な事でしたから。……殿下にお越し頂くとは、正直驚きました。」
「良い。…………それでもか」
痣が有るだろう首を見られる。
殿下は、少しばかり優しすぎるのではと思う。
「誘拐が一番手早く、調べる事が出来る手段だと思ったので」
実際首少しで貴族一つなら破格の買い物だろう。
小さく笑うと、深く深くため息をつかれた。




