将を射んと欲すれば先ず馬を射よ
俺は今、壁を乗り越えられずにいる。最初の壁、接客はパスした。厳しい戦いだったが、何とかなった。一歩踏み出す勇気。足りなかったのは、ほんの少しだけの勇気だった。
新たに立ちはだかる試練。第二の壁の攻略法方がまるでわからない。……何故だ! 何故なんだっ! 働き始めて三ヶ月は過ぎた。今では接客も問題ない。掃除など最初から完璧だ。コーヒーのお代わりを注ぐことも出来るようになった。……いったい何が足りないというんだっ!
「何が足りないんだ?」
「わからん」
「可愛さは十分だ」
「知ってる」
「当たり前のことを言うな」
ふっ、可愛さだと? そんなもの、思いつきもしなかった。当たり前過ぎてだ。
しかし、おっさん達にもわからないとは……、完全にお手上げではないか。誰か、わかる者はいないか。何故かマリアさんは助けてくれない。あの顔は答えを知っている。だが笑って誤魔化される。……そんなあなたも素敵です。
「ふっふっふっ、お困りのようっすね?」
「その声は!」
「いやまさか!」
「そんな事が!」
「何かの間違いだ!」
「奴に遅れを取るなど!」
「先輩方は盲目に過ぎるっす。距離が近すぎるが故にっす」
貴様は、ピエール! 貴様にはわかると言うのか!?
「勿論わかるっす」
な、何だと? 教えてくれ! おれには何が足りないんだ!?
「条件があるっす。その条件を飲めるならば、教えるっす」
「なっ! 貴様っ!」
「恥を知れっ!」
「この姿を見てそんなことが言えるとはっ!」
「お前という奴はっ!」
「血も涙も無いのかっ!」
「戦力外は黙っていて欲しいっす」
……。いいだろう。話しを聞こう。
「いいのか、嬢ちゃん」
「考え直せ」
「そうだ」
「あんな野郎に下手に出るなど」
「何なら所長に直接」
いや、相手の隙に漬け込むのは交渉の常道。このタイミングで話しを持ちかけるということは、正解の答えを知っているということだ。
「話しが早くて助かるっす。条件とは、マリアさんを食事に誘うのに協力して欲しいっす」
なっ、貴様っ! この俺にマリアさんを奪おうと言うのか!!
「この条件を飲めないならば、話しは無しっす」
「ぐっ、卑劣な!」
「嬢ちゃんにマリアを!」
「そんなこと!」
「だがしかし!」
「くそっ!」
……まあ慌てるな、おっさん達。こんなこと最初から答えは決まりきっている。……否だっ!! 貴様にマリアさんは釣り合わんっ!!
「なっ!? ……後悔するっすよ?」
貴様に渡すぐらいならば、安い後悔だ!!
「なら、次は僕と交渉してくれませんか? 条件は彼と同じです」
む、貴様は、教官だった兄ちゃんではないか。
「お前はマルク!」
「お前もマリアを狙っていたのか!」
「まあ、知ってたけど」
「まだ告ってなかったのか」
「ヘタレめ」
「慎重だと言ってください。で、どうでしょうか?」
貴様もこの俺からマリアさんを奪おうと言うのか!!
「実はスイーツバイキングの無料券が、ここに三枚あります」
むむ? ……な、中々に魅力的な話しだ。
「足りませんか……。ではこれを」
なっ!? こ、これは!!
「劇団トロアのチケットです」
しかもマリアさんが見たいと言っていた奴ではないか!
「準備万端じゃねぇか」
「何でまだ誘ってねぇんだ?」
「察してやれよ」
「情けない野郎だ」
「腰抜けめ」
……貴様の意気込みはよくわかった。だが、一押し足りなかったようだ。無料券を置いて、出直してきたまえ。
「それは残念です。……こちらも用意していたのですが」
そ、それは! この喫茶店で最も高額な商品、マスター特製デラックスパフェではないかっ!!
……。……ここまでされては一肌脱がない訳にはいかないな。よかろう、マリアさんには俺からも口添えしてやろう。だが勘違いするな? 最初の一回だけだ。俺の助けが欲しければその都度、わかっているな?
「ありがとうございます。では、最初の条件を。……あなたに足りないものは、笑顔です」
笑顔だと? バカを言うな。笑顔など数回ほどおっさん達にくれてやったこともある。何より、俺は接客の際には、にこやかに対応しているはずだ。
「バカな! 笑顔だと!?」
「嬢ちゃんの笑顔なら毎日見ているぞ!」
「何を言っているんだ」
「目がおかしくなっているんじゃないか?」
「教会で治してもらって来い」
「酷い言われようですね……。彼女が笑顔なのはマリアさんとあなた方の前だけですよ。……ここに鏡があります」
お前……、鏡なんて持ち歩いているのか。
「鏡なら俺も持ってるぜ」
「ああ、必需品だな」
「外で仕事をしてる奴はみんな持ってるぞ」
「もちろん俺も持ってる」
「いろいろ使えるぞ?」
そうなのか……。すまない。
「いえ、誤解が解けて何よりです」
まあいい、笑って見せろということだな? ……あ、あれ、上手く笑えないな。
「あなたは接客中、酷く緊張しているようです。なので表情も硬く、笑顔もひきつり気味です」
そ、そうなのか? 全然気がつかなかった……。
「察するに、あなたは今まで長い期間を、人と接することなく過ごしてきたのではないですか?」
な、何故それを!
「人は会話をする際に相手の表情から感情を読み解きます。そのため、相手に感情を伝えるためには表情を作る必要があります。人と接する機会が少ない人、避けている人は表情を作る必要が無くなります」
確かに俺の活動拠点は自分の部屋だった。人との接触も極力避けていた。
「マリアさんやシモンさん達がいない時のあなたは、人に警戒している小動物のようです。なのであなたはもっと色んなところに行き、色んな人と接するべきなのです。要は慣れです」
なるほど、こちらの世界に来た最初の頃は、テンションだけで乗りきっていた感がある。見知らぬ土地に、異なる世界に緊張していたのか? マリアさんやおっさん達とは普通に接している、はず。この土地に、この世界に、そして人にいい加減慣れろと?
「手始めに観劇などどうでしょうか? ここにチケットが三枚あります。な、なので、マリアさんを誘う際に口添えをお願いできませんか?」
……まあ、いいだろう。貴様の口車に乗ってやる。ついて来い。だが最初はスイーツバイキングだ。
「緊張している、か……」
「言われて見れば、そうだな……」
「いつも見守っていたのに……」
「それなのに気づいてやれなかったとは……」
「情けないな……」
「……どうやら俺の出る幕は無いようっすね」
「まだいたのかピエール」
「お前はいいのか?」
「今なら間に合うぞ?」
「どうするんだ?」
「諦めるのか?」
「俺は甘かったっす。ここは潔く退くっす」
「確かにな」
「ああ、同感だ」
「あの姿を見るとな」
「頑張れよ、マルク」
「骨は拾ってやるぞ」
マリア「あら、クロエちゃん。どうしたの?」
クロエ「貰った」
マリア「スイーツバイキングの無料券……」
マルク「たまたま手に入れたのですが……、よろしければ一緒に」
マリア「え?」
マルク「あ、いえ、迷惑ですよねっ! 二人でーー」
クロエ (ちっ、下がっていろ)
クロエ「一緒に行こ?」
マリア「……そうね、せっかくだし」
マルク (姉さん!)