酒は飲んでも飲まれるな
豊穣祭というものがある。今年の作物の実りを祝い、来年の実りを願う祭りだ。起源は古く古代帝国時代よりも前にも既に行われていた形跡がある。
本来は豊穣の神に感謝し、祈願するものだったが古代帝国時代の治水工事により、実りに多少の前後はあるものの安定した収穫が続いたことで徐々に形を変えてきた。
普段は節制した生活を余儀なくせざるを得ない我々庶民にも開催期間中は領主の名の下に酒が振る舞われ、全ての仕事が免除される。別に働いても問題はないが、一部の変態を除いてそんな奴らはいない。
変態ではないが、可哀想な奴らはいる。領主直属の文官達は祭り開催に伴うトラブルの対応など、武官は治安の悪化に乗じた犯罪の取締りなどに奮闘している。
人や物がよく動く祭りでは本当に問題がよく起こる。祭りの金銭の動きに紛れ込ませた不正な取引や贈賄、人混みに紛れたスリや人拐いなど。
一般市民も浮かれるが、犯罪者共も浮かれている。祭りの熱狂は善かれ悪かれ人を駆り立てるのだ。大人がこれなのだ。子どもはもっと簡単に浮かれる。
何を隠そう俺は今絶賛迷子中だ。人混みの嫌いな俺は町に出たくはなかったが、マリアさん達に無理矢理連れ出されて町に出た。
マリアさん達も祭りの熱狂に当てられたのかエマからうっかりと目を離してしまった。エマはエマでテンションが振り切ったのかダッシュ、大人しいが故に奇声を発さずに駆け出して行った。
周りのテンションが上がれば上がるほど下がっていった俺はエマを追跡する。五歳児のダッシュなどで見失う筈もなく、人混みに揉まれながらも後をついていく。
子どもが祭りで迷子になるなど定番中の定番である。そしてふと我に返った子どもが近くに知っている人がいなくて不安になって泣き出すのも定番である。
案の定エマもふと我に返ったのか立ち止まって周りをキョロキョロと見渡す。周りに見知った人がいないことを悟ったエマが泣きそうになったところで俺登場。今ここだ。
まあ、ここまでの流れは想定内なのだが、ここからどうしたら良いのかさっぱりわからん。俺の登場により泣くことはなかったが、やはり親が近くにいないのは不安なのか半泣きである。
日本なら迷子センターなり開催本部なりに行けばいいのだが、ここにそんなものがあるのかどうか不明である。小学生女児が半泣きの幼稚園児女児と手を繋ぎながら道の端に突っ立っている図はシュールだと思う。いや、祭りという非日常の中では普通なのか?
それはともかく現状の打破を考えよう。もっとも安直な考えとしてはマリアさん達を探すだ。だが俺にこんなに人がゴミのよういる中を人を探しながら突き進む気力など最初から持ち合わせていない。
突然手を強く握られる。思考の海へとダイブしていた俺は現実世界に引き上げられる。握られた手の方へと目を向けると、エマがこちらを不安そうに見詰めていた。
小さい子どもは周りの雰囲気を敏感に感じるという。なので家庭環境の悪い中で子育てすると、ダイレクトに子どもの成長に影響があるらしい。
この場でエマに影響を与えうる人物は俺しかいない。周りから見れば問題しかないが、そもそも俺が異常なので逆に問題ない。俺はこの状況に何も不安を感じていないし、むしろ想定範囲内の出来事だ。
だがエマの心境を好転させる程の影響力を俺はまだ有していない。なのでとりあえず手を強く握り返しておく。人は不安な時に人の熱を感じると安心すると見たか聞いたか読んだかした。幸いなことにエマから力が抜けたような気がする。
次に目的なき行動に人は不安を感じるらしい。なので屋台を目指して進むことにする。迷子になったり遭難したりした場合はその場を動かない方が良いらしいがここは俺のホームタウン、何も問題ない。
そして屋台を目指す理由だが、人は腹が膨れればとりあえず落ち着くらしい。なので腹を満たす。今のところはエマも大人しくついてくるので順調だ。
五歳児の顎の強さがどの程度なのかわからないので、何となくお好み焼きに似た物を買った。出来立てなのか湯気が凄かったので、ふーふーと冷ましてからエマに食べさせてやる。
「美味しい?」
「うん」
ふはははははっ! そうかそうか! 遠慮なく食べるが良い!
モグモグと咀嚼しているので本当に食べられないことはないみたいだ。エマに問題は無さそうなので俺も食べる。お好み焼きを連想して食べたので微妙だった。……うん、美味しくないことはないよ?
他にもタコせんみたいなやつとか、カルメ焼きっぽいやつを買っては食べた。食ったら眠くなったのかエマの動きが鈍くなる。仕方がないので抱き抱えて歩くが、結構デカイ。
重さ的には問題ない。強化術を行使すれば何てことはないが、前が見えづらい。足下も見えないので歩き難すぎる。……おんぶにすればよかった。
後悔するも既にエマは夢の世界へと旅立ってしまった。そろそろ帰るかと家に向かって歩いていると、聞き覚えのある声をかけられる。
「おーい嬢ちゃん」
「女の子なんて抱えてどうした」
「マリアは一緒じゃないのか?」
「ひょっとして迷子か?」
「まあとりあえず座れ」
おお! おっさん達ではないか! 祭りの夜に野郎だけか? 仕方がない、場に花を添えてやろう!
「で、どうしたんだ?」
「かくかく、しかじか」
「そうか、嬢ちゃんも大変だったな」
「こんなに人がいれば無理もない」
「しかしマリアも心配してるだろう」
「おいピエール、お前一走り探して来い」
「了解っす!」
ピエール、いたのか。おっさん達がデカ過ぎて見えなかった。だがすまねぇな、そんなに快く引き受けてくれると後ろ髪引かれずに住むぜ。
ピエールが走りマリアさん達を探してくれていたが、ピエールが見つけて来るよりも先にマリアさん達は俺達と合流を果たす。おっさん達がピエールを走らせたように、マリアさん達も助っ人を得ていたようだ。
「マリアさんっ、いました!」
むむ、貴様はマルク。お前も走らされていたのか。
「エマっ」
「クロエちゃんっ」
マルクに続き、マリアさん達も現れる。エマをマリアさんのお姉さんに手渡す。うへぇ、やっと解放された。エマも子ども体温だが、俺も子ども体温だから蒸れ蒸れなんだ。う~ん、涼しい!
「エマっ、無事で良かったっ……」
へへっ、感動の対面ってやつだね。現代日本よりも格段に治安の悪い世界だ。言葉の重みが違うね。そんなことを思いながら口元を拭き拭き。
「クロエちゃんも無事で良かったわ」
うわっぷ。マリアさん、マリアさん、いくら胸に柔らかいクッションを備えていようが、ボタンに当たったら痛いんですぜ? だがまあ良い、久し振りにこのふわふわを堪能するのだ!
いやっふぅ! 全身で堪能するんだっ! ああっ、くそっ! 座ったままじゃ上半身でしか堪能できねぇ! だがそんなの関係ねぇ! 現状の可能な範囲で全力を尽くすのみ!
「きゃっ、ちょっと、どうしたの?」
ふはははははっ! 俺を止められる者はいないぜっ!
「クロエさん、ちょっと落ち着いてください!」
貴様ぁ! マルクお前! この状況で落ち着けだと? 無理だ! さあ、理解したなら早く離せ!
「ちょっ、暴れないでくださいっ!」
くどい!
「周りの目! 人前です!」
なに? ……。すまない、正気を失っていたようだ。魅了とは、恐ろしい状態異常だな……。
「正気に戻って何よりです」
人は突然の奇行を目撃すると如何なる状況下に置かれていようが一瞬は正気に戻るらしい。あんなに騒がしかった店が静まり返っていやがる。さあ、何事も無かったかのように食事を再開しようか。
この店の客は実に素晴らしい。皆が空気を読んで食事を再開してくれた。ものの数秒で店の中に喧騒が戻って来る。お前達、最高だぜ! なっ、お前達、謀ったかの様にジョッキを持ち上げやがって! だが嫌いじゃない!
うぇ~い!
「なにこれ」
「う~ん、クロエちゃんは人の心を掴むのが上手なのよ」
おい! お前らよく見たら職斡所の関係者ばかりじゃねぇーか! そりゃあ息もぴったりだろうよ!
「さあ、今日はもう帰るわよ」
え!? 嫌だ! 俺はまだ帰らない! これからが楽しいんじゃないか!!
「もうっ、そんな駄々をこねないの!」
嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ、嫌だ! まだ帰らないっ!!
「何だか様子がおかしいわっ」
うへへへ、何にも可笑しくなんてねぇですよ! こんなに気分が良いのに帰るなんて、あり得ない!
「ん? 俺の酒がもうないぞ?」
「あれ、俺のもだ」
「いや、まさか、な?」
「いやいやいや」
「そんな訳……」
「酒なんか飲んれないれす」
こう見えてもね、俺は酒に強い方なんですよ。量はそんなに飲めないけど分解が早いからね、復活が早いの!
「大変! 早くお水を!」
「は、はい! すぐに!」
水? 飲み物ならここにいっぱいーー
「ああっ、クロエちゃん! それはお酒だから飲んじゃ駄目!」
あれ? 上手く掴めないな、倒しちゃった。へへっ、まあ良いや、他にもあるし。
「は、早くクロエさんからお酒を離してください!」
何するんだマルク、一度ならず二度までも邪魔しやがって。飲み物を取ろうとしてるだけだろ。
「あれ、何の騒ぎっすか?」
んん? ピエール、お前いつの間に分身の術を使えるようになったんだ?
「ぴえーるのくしぇにぶんしんしゅるにゃんてにゃみゃいきだ」
「ああもうっ、暴れるから酔いがますます酷くなってるじゃない!」
「うるしゃい!」
「うるさくありません!」
あれ? 世界が回ってるぞ?
「え? ちょっとクロエちゃん!? クロエちゃーー!? ーー!? ーー!?」
ピエールが走らされた後
おっさんA「何か食べるか?」
クロエ 「うん」
おっさんB「ほら、口開けな」
クロエ 「あーん」グビっ
おっさんC「こっちのも上手いぞ」
クロエ 「あーん」グビっ
おっさんD「いい食い振りだ」グビっ
クロエ 「もぐもぐ」グビっ
おっさんE「嬢ちゃんは少食だからな」グビっ
クロエ 「グビっ」