虎の尾を踏んだな?
「遂にこの日がやって来たな! この俺を虚仮にしたことを後悔するがいい!」
「……」
うん、後悔してるよ。こんな面倒なことになるってわかってたら、ガン無視していたのに。後悔先に立たずとは、このことだろうか。
「メイド風情が随分と立派な装備を身に着けているではないか」
「……」
今日はマリアさんも休みだったから、一緒にゆっくりとする予定だったんだ。それなのに、こんな自己満足のためだけに付き合わされるなんて、なんて日だ!
「ふん、だがちょうど良い」
「……」
しかもマリアさんはあまり気が進まない様子だったし。……まあ、わからなくはないけど。
「装備が整っていないから負けたなどと言われたら面倒だからな」
「……」
朝は余裕を持って起床し、トーストも二枚食べた。昼前には訓練場で体を動かして、昼も軽く済ませた。現在はウォーミングアップも終わり、何時でも行動を開始できる。
「アベルは彼女をどう見える?」
「ああ、自然体で隙が無い。しっかりと調整して来たのだろう」
「だよねぇ。若様は全然気がついてないし、この勝負は先が見えてるね」
「先程から一言も話さないが、今さら後悔でもしているのか?」
「……」
貴様は気づいていないようだな。俺の神経を二度も逆撫でにしていることを。一つは親の威を傘に態度がデカイこと。……もう一つは、俺の睡眠時間を奪ったことだ! 折角の休日に朝から起きなければならないだと? ふざけるなっ!
「どうした、何も言い返さないのか?」
「……」
はぁ、何を先程から囀ずっているのか知らないがさっさとかかって来いよ。それとも女子ども相手にビビって自分からは攻められないヘタレなのか?
「貴様ぁ! どこまでも俺を侮辱するかっ!」
「あぁ……」
「……見事に挑発に引っ掛かったな」
なんと浅はかな。この程度の挑発に引っ掛かるとは、もう少し己の至らぬところを受け入れたらどうなんだ? 心にゆとりを持てよ。だが慈悲は無い。
「やああああ!」
「……」
なんとも隙だらけだなぁ。
「フッ!」
「ぐっ!?」
軽く息を吸い、止める。よく目標を見定めてタイミングを測る。重心移動の際には頭の位置を極力動かさないようにし、踏み込みは足を地面の上で滑らせるかのように。一連の動きで発生した運動エネルギーを踏み込んだ方の脚、つまり右足で受け止める。しかし全てのエネルギーを受け止める必要は無い。横に薙ぐ木剣の加速に必要な量は逃がさなければならないからだ。力を込めるのはインパクトの瞬間だけ、あとは剣を手放さない程度の力で良い。……インパクトの瞬間に息が漏れた、その分だけ力が抜けたと言うことだ。それは百パーセントの剣撃を繰り出せなかったことを意味している。……ふぅーっ、やっぱり難しいな。たったの一振りでさえ、体現出来ないか。
刃の腹を叩いた木剣は、カランコロンと訓練場を転がる。若様は呆然と立ち尽くしているので、眉と眉の間に剣先を突きつけてやる。……ここって物を近づけられると謎の嫌悪感を感じるよな。どうやらそれで若様は正気に戻ったようだ。
「なっ!?」
おっと、隙だらけですねぇ。戦場で手放した得物を目で追うとは、死にたいのですかな? 仮にも今は決闘の最中、俺から目を離すとはなんとも愚か。最初から殺す気は無いけど、あまりにも無防備。ここは教育してやるとしよう。
「若っ!」
「っ!?」
「ちっ」
バキッと木剣が折れる。どうやら軟派な方の従者が、障壁を張ったようだ。……魔術師だったのか。まあ、明らかに剣を振り回して前線で戦うようには見えないけど。
「若は剣を手放し、継戦能力を失っていたが?」
「……剣を手放しただけ」
普通の決闘って殺し合いだろ? それに先生はこんなに温くなかったけどな。あんな姿を晒していたら、普通に殺された。いや、あの空間では死ねないんだけど。怪我を負っても「手負いの状態で戦える術を身につけなさい」とか言って、放置されてたし……。
「それに当てるつもりは無かった」
「なに?」
「いや、彼女の言って言っていることはたぶん本当だよ」
ほう、自分の使った魔術から情報を読み取れるとは、高位の魔術師という訳か。仕組みはよくわからん。
「ま、まあ若様のかなり目の前ギリギリだったけど」
「そ、そうか」
いやー、流石にそんな酷いことはしませんよ。ただ腹立たしいのには変わり無いので、かなりギリギリを狙ったけどね!
「彼女は怒らせたらヤバい子だよ」
「ああ、それは何となく俺にもわかった」
そこのお二人さん? こそこそと話しているけど、聞こえてますよ? さっさと若様を連れて、帰ってくれます?
「俺は、負けたのか?」
完膚なきまでに負かしましたよ? 剣術の先生に、しっかりと剣は握れと教わらなかったのかな?
「これは何かの間違いだ! まだ負けてはいない! 木剣を手放しただけだ!」
「若っ!」
……。
「ガハッ!」
え? 受け身をとれないの? 殴りかかって来たからつい投げちゃった。受け身とれないとかなり痛いからなぁ。
「うぐぁ、ゲホッゲホッ」
ほお、立ち上がるのか。なかなかやるではないか。
「アベル、新しい木剣を、用意しろ」
まだやるの? 結果はわかりきっていると思うけど。
「若、もう止めておいた方が……」
「いいから、用意しろ」
「はぁ、わかりました。程々にお願いします」
あれ、俺の意思確認は?
「若の気が済むまで相手をお願いする。……ああなるとしつこいのだ」
……従者も大変だな。これも鍛練だと諦めるか。
「次は、先程の様には、いかないぞ」
どうでもいいから、とりあえず息を整えろよ。
「はあ、はあ、はあ、……ふう。では行くぞっ!」
その意気は良し、だが打ち込みが甘いなぁ!
「やああああ!」
カランコロン。
「せええええ!」
カランコロン。
「でやああああ!」
カランコロン。
「とおおおお!」
カランコロン。
「くそっ!」
……何回カランコロン言わせるのさ。少しは打ち込み方を変えろよ……。
「もう一回だ……」
まだやるの? 俺もそろそろ疲れてきたんだけど……。
「行くぞっ」
はあ、俺も打ち込みを変えるか。
「せいっ!」
疲れのせいか太刀筋に余計な力が抜けてきているな。始めの頃と比べると今の方が良い振りだ。だが、まだまだ未熟で見切るのは容易い。そして今回はあえて振りきらせる。
「なんっ!?」
始めての空振りに体勢が崩れているな! 今回も木剣を弾き飛ばされると思ったか? 残念! 今回は打ち据える!
「ぐへっ」
「若様っ!」
「心配するな、軽く打ち据えられただけだ」
その立派な革鎧も役目を果たさせてやらなければ可哀想だからな。驚きのあまり変な声が出ているぞ? 軽く撫でてやっただけではないか。刃の腹で叩いてやったのだ、そんなに痛くないだろ?
「くそっ! くそっ!」
ふはははははっ、羞恥のあまり顔が真っ赤ではないか! どんな気持ち? ねえどんな気持ち? 空振った上にぺしっと叩かれるのって、どんな気持ち?
「もう一回だ!」
……本当に飽きないね。はあ、よろしい、何度でもかかって来るが良い!
「やあっ!」
ぺしっ。
「とうっ!」
ぺしっ。
「おりゃっ!」
ぺしっ。
「せやぁっ!」
ぺしっ。
「くそっ! くそっ! くそっ!」
今度は何回ぺしって言わせるのさ。進歩がないね。
「ええい! もう一回だっ!!」
まだやるのかよ。もう本気で鬱陶しいわ。
「はあっ!」
「おっ! 今日一番の踏み込みじゃないか?」
「ああ、そうだが……」
「どうしたんだ?」
「いや、彼女が本気で終わらせようとしている気がする」
「えっ、不味くないか……?」
「もちろん加減はするだろうがーー」
左足を前に右足は後ろ、木剣は下に向け少し引き気味に構える。所謂下段の構えだ。俺が狙うのは後の先。一撃でもって相手の継戦能力を奪う。
若様は相も変わらず右踏み込みからの袈裟懸けだ。最も力の乗る振り下ろしの一刀だが、隙も大きい。タイミングを外す訳でもなく、体勢を崩している訳でもない袈裟懸けなど脅威ではない。
「フッ!」
人が最も無防備な瞬間とは何時か、それは攻撃の体勢に入った瞬間だ。若様は俺めがけて木剣を振り下ろしている、俺はそれに合わせて振り上げる。狙うのは右手首付近、悪いがしばらく右手は痺れて使い物にならないだろう。
「ぐぅっ!」
「勝負の続行は厳しいだろう」
「なっ、え?」
「素晴らしい一撃だ」
「えっ、大丈夫なのか!?」
「大丈夫だ、あそこを叩かれると手が痺れるのだ」
木剣がカランコロンと転がる。……ふぅ、さてと勝負は終わらせなくてはならない。右手を押さえる若様に近づき眉と眉の間に木剣を突きつける。
「まだやる?」
「俺の、敗けだっ」
はぁぁ、やっと終わった。
「クロエちゃんって本当に強いのね」
「いや、確かに嬢ちゃんは強いが……」
「今回の相手じゃなぁ」
「嬢ちゃんに得るものはなかったし」
「でもまあしかし」
「最後の一撃は見事だった」
あっ! マリアさんだ! 俺の癒し! 荒んだ心を慰めてぇ!
「きゃっ、どうしたの? 今日は随分と甘えん坊さんね」
何と言われようが構わん! 我に癒しを、我に癒しを!
「そんなに引っ付かれたら動きにくいわ」
嫌だ! 離れてやるものか! かつて無い衝動が体を駆け巡る!
「困った子ね」
うおおおおお! この衝動を人は何と言うのだろうか!
「相当ストレスが貯まったんだろうな」
「こんな嬢ちゃんは始めてだ」
「年相応で可愛いじゃないか」
「まったくもってその通りだな」
「ああ」
おっさん達、いたのか。……だがすまない! 今だけはこの感触を堪能させてくれぇ!
「おい、お前! そのままでいいから良く聞け! 俺は諦めないぞ! また勝負しろ!」
……はあ? また?
「死にたい奴から前に出ろ」
殺す。俺から休日を奪う奴は誰だろうと殺す。貴族だろうと殺す。神だろうと殺す。
「い、いや、ちょっと待ってくれ! 言葉が足りなかっただけなんだ! だからそのナイフを仕舞ってくれないか? あとその手も下ろしてほしい、尋常じゃない魔力が集まってるから!」
今回だけだと相手をしてやったが、まただと?
「ク、クロエちゃん落ち着いて? 大丈夫だから、ね?」
「あ、ありがとう、出来ればナイフも仕舞って欲しいんだが……。あ、いえ大丈夫です」
「若! 無闇に刺激しないでくださいっ!」
「す、すまない」
「仕事として依頼します。月に一回で良いので若様の相手をお願いします」
ふんっ。
「痛っ、クロエちゃんそんなに強く抱きつかれたら胸当てが当たって痛いわ!」
「あ、え? よろしいのでしょうか?」
「え、ええ、窓口で指名依頼としてお話しください」
「あ、はい、わかりました」
クロエ「殺す」
ロイク「待って! 言葉が足りなかったんだ!」
若様 (死ぬかと思ったか……)