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叫べ、叫べ。この苦しいのがなくなるまで――  作者: 秋良 要
第一章「潮中町と、薫さん」
3/3

3

「行ってきます」


 おばあちゃんに見送られながら、学校に行くため家を出る。


 身に纏っている制服の肌触りはまだ硬くて、だけど毎朝袖を通す度に眠気が飛ぶくらい気分が明るくなる。中学の制服を身に纏ったときでも、ここまでじゃなかった。いつまでこの感覚が続いてくれるのかは分からないけれど、もう少しの間は続いて欲しいと思う。


 先日、入学式を終え、私の潮中での高校生活が本格スタートした。


 今後、三年後の三月まで通い続けることになる潮中町立潮中南高等学校までは徒歩で十五分程度。自転車で行けばすぐに着いて楽だけど、のんびり、ゆっくりと行きたいので徒歩通学することにしている。

 

 海の見える通学路が、個人的にとても気に行っている。なんて贅沢なのだろうと、それだけで潮中へ来てよかったと思えるくらいだ。朝から広大な海景色を眺めていると、自然と開放的な気持ちになってくる。気持ちが塞がるようなことがあったら、ここに来るのが良さそうだ。

 

 海辺に立つ小ぶりな校舎の学校に到着して教室に入り、自分の席へ近付いていくと、私のことを見つけた一人のクラスメイトが――ミニマムサイズな背丈と、あどけない顔立ちが特徴的な円歩が小さく手を振りながら笑顔を向けてくる。


「おはよー、とも」


「おはよ」


 歩とは当然ながら高校からの、つい二週間くらい前に構築されたばかりの関係。円と三緒。五十音順の席順で縦に並んでいたことから話すようになり、気も合って仲良くなった。


「今日も朝から気分良さそうな顔してるねー、可愛い可愛い」


 そう褒められるけれど、可愛いのは歩の方だ。主にマスコット的な意味で。


 ただ歩はそのことを気にしているらしくて、クラスメイトの女子から子供を扱うような声で可愛いとか言われると、「うー!」とか「や、やめてよお」とか、顔を赤くして反論している。だから私はあまりそのことに関しては言及しないようにしている。

 

 と、こんな風に仲の良い子もできて、学校の授業も今のところ問題はなく、私の高校生活は順調な滑り出しを見せていると言えた。


 ※


 帰りは、歩と一緒に帰るようになっていた。話を聞くところによれば、歩の家は同じ町内会にあるらしい。帰省したとき、すれ違っていたことがあるかもしれない。この辺り、子供はあまり多くはないし、確率は高いだろう。


「あれ?」


 などと考えていたら、向こう側から走ってきて止まったスクーターから薫さんがヘルメットを外しながら降り、声を掛けてきた。スクーターの籠には大量の新聞紙。なるほど、夕刊配達中か。


「偶然。友達?」


 丸めた新聞紙で歩を指す。「はい」と返しながら歩みを見ると、何故だが表情が硬くなっていて緊張しているようだった。あれ、人見知りじゃないよね?


「へー、入ってまだ全然だろうに、もう仲良い友達できたんだ?」


「は、はじめまして。円歩と言います」


 歩は伏し目がちに、容姿を整えるように前髪を直しながら名乗る。どうした。そして、なんで私の方をチラチラと窺ってくるんだ。


 と、そこまで考えて、そうだ言ってなかったんだ。わざわざ言う必要もないかなと思ってたから。突然見知らぬ男性に話し掛けられた私を見て穏やかでない歩の心中を察する。


「あ、どーも。山海薫です」


「えと、ともとは、どういう関係なんですか?」


「あ、言ってなかったんだ。親戚の同居人だよ。ね?」


「はい。ごめんね、なんか隠してたみたいで」


「いや、別に、大丈夫。怒ったりはしてないから……」


 いまいち感情の籠っていない返事。すっかり薫さんの方に興味が向いているらしい。……けど、なんで?


「じゃ、またあとで」


 夕刊を目の前の家のポストに投函すると、薫さんはスクーターに乗り込みスピーディーにこの場を去った――去っても尚、歩は頭から薫さんの存在が離れていないかのようにボーっとしていて、遠ざかっていくスクーターを眺めている。


「とも、あんな格好良い親戚いたの!?」


「え」


 開口するなり、まさかの言葉を言い放たれる。


「え、じゃなくて! すごいイケメンじゃん! しかも同居してるんでしょ? うわあ、羨ましい~!」


 えーと。……えーと?


「なに、どしたの。その言ってる意味が分かんないみたいな顔」


 ごめん、その通り。


「そんなに、格好良い?」


「格好良いよ、何言ってるの! そう思わないの?」


 急に理不尽な説教を受けているときのような気分になる。

 

 確かに、薫さんの見た目は良いか悪いかで言えば良い方だろう。


 癖のあるボサッとした髪に、顔立ちは若干中性的っぽくて整っているとは思う。輪郭も無駄な肉付きがなくてシュッとしている。


 身長もそれなりで、細身で、だけど貧弱さを感じさせない程度には引き締まっていて――と、こう考えたら、薫さんって容姿面では女の子を引きつける要素が多いんじゃないか。


 ……でも。


「格好良くないとは言わないけど、そこまでかな?」


「そこまでだよ、私は! ってかクラスの女子に顔写真見せたら、十人中九人は声上げて格好

良いって反応するよ!」


 じゃあ私、十人中一人のマイノリティか。いやいや。


「言い過ぎだと思うけどな」


「えー」


「好みの問題じゃない?」


「……いや、きっとともは近くにいすぎてそのイケメン具合に慣れちゃってるんだよ」


 って言われても、初めて会ったとき、特別格好良いとは思わなかったけどなあ。


 やっぱり好みの問題だと私は思うわけだけど、歩は譲らない。そうまで強情だと、薫さんってもしかして世間一般的に見て超がつくイケメンだったりするの? と、自分の価値観がズレている可能性を疑い始めてしまう。


「ねねっ、家でどんなこと話すの?」


 わあ、興味津々。女子高生っぽい。……なんて冷静に感想を抱いている自分が、酷く冷たい人間のように思えてきた。


「あんまり話さないよ。生活してる時間帯合わないから」


「え?」


「薫さん、夜型だから」


 午後、バイトに行く前に起床。郵便局での仕事から帰ってくるのが夜の十時過ぎ。それから夜通し起きて生活しているらしくて、朝は起きてこない。おばあちゃんに聞いたところ、私が来る以前から昼夜逆転した生活をしていたようだ、ということを歩に向けて話す。


「へ~、おばあちゃん注意しないの?」


「聞いてみたんだけどね、『もう大人なんだし、任せてる』だって」


「印象だけど、おばあちゃんっていう生き物はそういうのに厳しいと思うんだけど、とものところは違うんだね」


「意外にね」


 かと言って緩かったり、放任主義なわけでもない。ルールというか、家庭内の和は人並みに大切にしているように思う。薫さんに対して甘いと感じるときがたまにあるだけだ。


「もしかして薫さん、夜遊びとかするの?」


「家からは出てないみたい。ゲームでもしてるんじゃないかな」


「ふーん。……彼女と夜通しLINEしてたり?」


「どうだろ。彼女がいる気配はないなー」


 色ぼけてるようなところなんて見たことない。


 ……ないけど、薫さんって考えてることが読み取りにくいんだよな。表情は大体何も考えていないようなへらーっとした感じだけど、それはカモフラージュで、裏では思考巡らせまくってるということも否定し切れない雰囲気もある。


 ある日突然、彼女がいると告白されても案外驚かず受け入れる自分が容易に想像できた。


「分かんないよー、イケメンだし。いいなー、薫さん」


「余計なお世話じゃなかったら、今度話す機会作ろうか?」


「……んー」


 そこは迷うんだ。歩も、薫からそこはかとなく漂っている適当で軽そうな雰囲気を感じ取ったのだろうか。


「ちょっと、高嶺の花過ぎるかなあ。今日みたいに会ったときに少しお話しできればいいや」


 薫さんは学校のマドンナか何かか。男だけど。


「そっか」


「うん、それだけで幸せかなあ。なんとなくだけどね? 薫さんとは、恋って感じがしない」


 歩の中での薫さんの存在が、本格的に学園のマドンナ的な位置づけになりつつある。他の子から見たらそうなんだな。


「ともは、どう? 薫さんに恋してる自分、想像できる?」


 想像できやしないんだろうなとは考えながらも、即答は誠意に欠ける対応かとも思ったので一応考えてみる。


 薫さんに恋をしている自分、告白をする自分、そして彼氏彼女に――やっぱり無理だ、想像膨らまない。穴が開いている風船に息を吹き込んでいるみたいだった。


「難しかった」


「だよねー。まあともの場合は親戚っていうのもあると思うんだけどさ、これ、クラスの女子十人に聞いても九人は私達みたいな返事するよ、きっと」


 今度はマジョリティになった。歩ってその例え好きなのかな。


「そういえばさ、ともって中学のとき彼氏いた?」


「いや」


 これは即答してもいいだろう。懸賞の必要も何もない、ただ事実を述べるだけだから。


「何もなかったよ、三年間」


「へえ。……聞いといてなんだけどさ、なんか分かるかも。とも、そういうのに無縁そう」


 どういう意味だ。


「あ、誤解しないでね。モテなさそうとか、そういうので言ったんじゃないからね。っていうかとも普通に可愛いし、モテそうだし。でも、とも自身が恋愛に興味なさそうだなーって思ったの」


 歩は歩きながら前屈みになって、「どう?」と尋ねるように私の上目遣いを向けてくる。


 恋愛に興味なさそう、か。その推測はあながち間違っていない。


「まあ、興味がないっていうか、別に好きな人もいないからさ」


「中学のときは? 好きな人、いなかったの?」


「うん」


「三年間で、一度も?」


「うん」


「……まさかとは思うけど、小学生のときはどうだった?」


「覚えてる限りじゃ、いなかったかな」


 と、正直に答えたら、返ってきたのは私の神経を疑っているかのような愕然とした表情だった。


 折角言ったのに、と損した気分には、ならない。そこに関しては、歩の反応が一般的なものだと思うから。


 小・中の断片的な記憶の数々が脳裏を過る。


 例えば中学の修学旅行。夜中、同じ部屋の子同士で好きな人についての暴露大会と、その好みに対する批評会が行われている間、私は完全に蚊帳の外で、ひたすら聞き手に回っていた。番組観覧にでもやってきたような気分だった。


 例えば、バレンタインデー。小学校も中学校も、私は一度だって身内以外の異性にチョコレートを渡したことがない。友達同士家に集まってチョコレートを作ったこともあるけれど、好きな人がいなかった私は、渡す相手に関する話題で盛り上がっている輪から外れて、無心にチョコレートを作り続けていた。


 こういったイベント事以外でも、学校帰りの会話とかで恋愛絡みの話になったら、私は極端に口数が減り、ほぼ無言になる。


「……待ってね。まさか、まさか、まさかだけど、初恋は……」


 慌てる歩。慣れているから不快にならない。向こうでは、クラスが替わる度にこんな反応を

されていた。


「幼稚園のときに、一回くらいしてたんじゃないかな。覚えてないけど」


「……つまり、覚えてる範囲じゃ、恋をしたことはないの? 初恋、まだなの?」


 歩が核心を突く。そういうことだ。


「引いた?」


「ぜ、全然! ただ、そういう人もいるんだなあってびっくりした。……そっか、興味なさそうとは言ったけど、ここまでか……」


 驚いて上がった心拍数を下げるためか、咀嚼して理解していくように小刻みに頷く。

 

 十五年生きてきて初恋すらまだということに、何か深い事情が隠されているようなことは、誤解を招かぬよう念のため言っておくと、ない。ただ単に好きだと思う人との出会いがなかった。それに尽きる。


「んぅ、よっぽど理想が高いのかな?」


「はは、それ中学でも言われた。世の中、ジャニーズみたいな顔の子ばっかりじゃないんだよ

って諭された」


「すごく顔が良くないとーとか、相手のお家がお金持ちじゃないとーとかみたいな条件があるの?」


「ないない」


「……だよね。そんなにがめつくなさそうだもんね」


「多分、恋愛方面の感性が皆より鈍いんだよ」


 きっとそうに違いないと、いつからか私は自分の中でそう結論付けている。それに対する私自身のスタンスは、まあ別にいいか、といったところ。思春期真っ盛りの女子高生でも、恋しないと死んじゃう、なんて騒いでいるのは一部の盛んな層だけで、実際に死ぬようなことはない。


 恋をしていないで困ることは、さっき言ったようにそれ関連の話題になると多少の疎外感を味わうくらいで、それも私は一度も苦しく思ったことはないので、困り事は実質一つとして存在しない。


 ただ最近、私ってこのまま誰かを好きになることなく過ごしていくのだろうかとは、思う。


「クラスの男子格好良い人多かったし、ともも恋できるよ! 頑張ろう、三年間!」

 

 励ますように肩に手を置かれて、立てた親指を向けられる。……歩、良い子だな。そんな歩には彼氏がいたことはあるのだろうか。


「歩は彼氏、いたの?」


 と、尋ねると、歩の指の形がVサインに変わる。


「うそ、二人?」


「中二と、中三のときにね」


 わお。思っていた以上に進んでいた。


「へー、すごい。それぞれどれくらい付き合ってたの?」


「……えー、とね」


 途端に顔を曇らせ、言いにくそうに頬を掻く。はっきり、二人と言い放ったときとはえらく異なる。


 おかしいことは聞いていないはずだけど――待っていると、歩は重たげに唇を開いた。


「……片方が二週間で、もう片方が、三日」


 ……ああ。

 

 なるほど、と思いつつ、聞いてしまったことへの謝意を込めて頭を撫でておいた。


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