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叫べ、叫べ。この苦しいのがなくなるまで――  作者: 秋良 要
第一章「潮中町と、薫さん」
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 パンツ一丁だった。


「わあぁ!?」


 約半年振りとなる祖母の家――ほのかに胸躍らせながら引き戸を開け、目に飛び込んできたのは見知らぬお兄さんの締まった半裸姿だった。反射的に、柄にもなく悲鳴のような大声を上げてしまった私は、靴底が根を張ったようにその場から動けなくなる。


 とりあえず、落ち着こう。

 

 シャワー上がりらしく、髪が中途半端に濡れているお兄さんは、露出している細身の身体を隠そうともせず、私のことをじーっと無言で見つめている。身が竦み上がっている私との対面している構図は、さながら蛙を睨みつける蛇のようだ。とは言え、よく見るとその目つきはそう鋭くはない。向こうは向こうで突然の来訪者に意表を突かれたみたいで、ぱちくりと見開かれた瞳が分かりやすく瞬きしている。

 

 固まっていないで通報するべきだろうかとも考えたけれど、どうにも不審者だとか侵入者だとか、そういった敵性の、脅威となる人種とは感じられない。


 となると考えられるのは、まさか、おばあちゃんの……。


 ……いや、ないでしょ。


「あー、今日だったか」


 首にかけていたフェイスタオルでこめかみから流れてきた水滴を拭きながら、お兄さんが口にする。まるで私が来ることを知っていたかのようだ。


 というか知っていただろう、これは。


「悪い、忘れてたわ」


「……はあ」


 それで、結局誰なんだろう。疑問を抱いていると、お兄さんの後ろの廊下から足音が聞こえてきた。


「何話してるの、薫。……って、玄関でなんて格好してるんだい!」


「あ、ばあちゃん」


 薫と呼ばれたお兄さんの背後から小柄な老婦が現れる――私のおばあちゃんだった。ようやく現れた身内に緊張が解けて、引き攣っていた顔も自然な状態へと戻っていく。


 見兼ねてか、近付いてきたおばあちゃんは、優しく私の肩に手を置いた。


「ごめんね、ともちゃん。びっくりしたでしょう」


 頷きつつ、思考が回るようになってきた頭でお兄さんの正体について探っていると、あっという間に答えに辿り着く。おばあちゃんが出てきて、ようやく現れた身内なんて言ったけど、もうとっくに現れていたのか。


「その人が、薫さん?」


「ええ。初対面だったから混乱したでしょう」


 肯定するおばあちゃん――そうか、この人が、か。


 引っ越すにあたり、あらかじめおばあちゃんから、親戚のお兄さんが居候していると聞いていた。確か今朝、実家を出る段階ではまだ頭の中にあったはずだけど、電車に揺られながらやってくる途中にすっかり抜け落ちてしまっていたらしい。結構どうでもいいことだったからだと思う。


「いやー、まさかシャワー上がりで横切ったところで入ってくるとは。タイミング悪かったなあ」


 悪びれて後ろ頭を掻いている薫さんだけれど、態度は軽薄で、言葉も笑い声混じりだ。別に謝罪を求めているわけじゃないからいいんだけど、謝意は全く感じられない。


 そんな薫さんに呆れたように、おばあちゃんの溜息が漏れる。


「いいから、あんたは服を着てきなさい。いつまで下着姿で玄関にいる気だい?」


「はいよ」


 後ろ手をひらつかせながら薫さんは玄関を離れ、廊下に面した階段を登って二回に姿を消した。薫さんがいなくなった玄関は静寂が流れ、本来の落ち着きを取り戻したみたいだった。


 ※


「全く……」


 相変わらず呆れたような態度でいるおばあちゃんは、しかし私の方に顔を向けると表情を和らげ、優しく出迎えるような雰囲気を醸す。


「それはそうと、よく来たわね、ともちゃん。ささ、中に入りなさいな」


 ここにきて、やっと家の中に足を踏み入れる。築年数を感じさせる和づくりの玄関で靴を脱ぎ、廊下の軋む音を聞きながら開け放たれた襖の向こう、居間である和室に入ると、おばあちゃんの家に来たのだという実感が急速に沸いてきて、無意識に安堵したような息が漏れた。


「今、お茶淹れるからね」


 おばあちゃんがその準備をしている間に私は仏壇の前に座り、りん棒で鈴を鳴らしておじいちゃんへの挨拶を済ます。毎年夏、帰省で来たときには絶対いの一番にしていることだ。今回に限っては春だけれど、季節は関係ない。


 それからおばあちゃんと机を挟んで向かい合って座り、淹れたての熱いお茶を啜った。


「まずは遠路遥々、女の子が一人でお疲れ様。無事に着いてよかったよ」


「大袈裟だよ。電車でたった一時間半程度だよ?」


「ふふ、そうね。まあ、ともちゃんはしっかり者だし、何事もないとは思ってたけど、うん、よかったよかった。あ、荷物は上の、昔お父さんが使ってた部屋に全部置いてあるからあとで確認しておいてね」


「うん」


「……にしても、ともちゃん、心なしか顔が嬉しそう」


「うん?」


 持っていた湯呑みを置いて、顔面をぺたぺたと触る。外から見て分かるくらいニヤついているのか、私の顔。言われてみれば、口元が笑んでいるような気がしない、でもない。


「やっぱり、嬉しい?」


 上機嫌そうに、ニコニコと問いかけられると、なんだか子供扱いを受けているみたいで照れ臭くなってくる。けれど、こうしてここに来れたことが嬉しいのは――これから始まる、ここでの生活が楽しみなのは事実だ。


「子供の頃から、ずっとこの町に住みたいと思ってたから。改めてありがとうおばあちゃん、住まわせてくれることを許してくれて」


「いいのよ、そんな硬い挨拶しないで。私の方こそ、可愛い孫と話す機会が増えて感謝してるんだから。高校はいつからだっけ?」


「七日。明後日だよ」


「そう。入学式ね、おばあちゃんも行くからね」


 言いながら、おばあちゃんは張り切っているように拳を握る。私よりその日を楽しみにしてそうだ。


「ばあちゃん、俺そろそろ出るけど」


 不意に襖が開き、薫さんが現れる。服は上下共に着ていた。黒いシャツにジーンズというラフな格好だ。流石にここで着てこなかったら私への嫌がらせか、裸族の可能性を疑ったところだ。


「ん?」


 見ていると、目が合って薫さんが首を傾げる。不意に目が合ったとき特有の一瞬の沈黙の後、「すみません、なんでもないです」と告げてから、きちんとした挨拶がまだだったことを思い出す。おばあちゃんから聞いているかもしれないけど、ここは礼儀としてすべきだろう。


「あの、改めまして、はじめまして。今日からお世話になる三緒知恵みお・ともえです。ご迷惑をお掛けするかもしれませんが、よろしくお願いします」


「はは、しっかりしてんねー。今年で高一だったっけ? 俺と五個差かー」


 感心している薫さんは、私と五個差ということはつまり今年で二十一歳ということか。見た目相応だと思った。薫さんの容姿は極端に若くもないし老けてもいない。街中を歩いている普遍的な大学生といった感じだ。けど、実際はそうじゃないんだったっけ。


「薫さんって言ってるあたり聞いてるんだと思うけど、一応。山海薫さんかい・かおる。知恵ちゃんのお父さんの妹の息子。だから、お父さんのいとこの子ってことだな。まあそれはどうでもいいか。よろしくー」


 最初、玄関で遭遇したときから思っていたことではあるけど、薫さんは軽い。チャラいとはまた違う、なんというか、よく言えば飄々とした雰囲気が薫さんにはある。ちなみに言葉を選ばず思ったままを直接的に口にすると、「適当」になる。


「それじゃ、ばあちゃん」


「早いね。まだ昼だけど、早番かい?」


「んーや、ちょっと本屋寄ってく。じゃー」


 襖を閉め、薫さんが立ち去る。おばあちゃんとの会話から推測するに、バイトにでも行くのだろうか。


「薫はね、郵便局でアルバイトしてるんだよ」


 二人になって、おばあちゃんが説明してくれる。


「大体、夕方から夜まで。区分けの仕事をしてるんだったかしら。あと夕刊配達のバイトも、毎日じゃないけどね」


「へぇ。薫さん、フリーターだったよね」


「ええ。……あ、ともちゃん、あとで部屋に上がると思うんだけど」


 おばあちゃんが言いかけたそのタイミングで急に襖が開いて、出かけていったはずの薫さんが居間に戻ってくる。


 おばあちゃんの、「どうしたの?」と尋ねるような視線に、薫さんは苦笑いを浮かべながら固定電話の横にあった財布を手に取ってみせた。


「忘れ物かい」


「危ない、危ない」


 そのまま行くのかと思いきや、薫さんは私の前まで来て立ち止まる。


「入るとき、ばあちゃんが言いかけてたの聞こえたんだけど、知恵ちゃんに一つ言っておきたいことがあって。今後生活していく中で、俺の部屋には入らないようにして欲しいんだ。まー男臭い部屋に、知恵ちゃんの方から進んではいるようなことはないと思うけどさ、一応お願いしておくわ」


 それだけ言って、薫さんは今度こそ出かけていった。玄関の引き戸が開閉する音が聞こえてきたので確実だ。また忘れ物をした場合は別として。


「さっき言おうとしたことは、全部薫本人が言っちまったね。そういうことだ、部屋には入らないでやっておくれ」


「分かった」


 受け入れるのに、何の問題もない要求だ。他人に部屋に入られたくないのは人として当然だと思うから。……わざわざ言ってきたことには随分念入りだと感じたけれど、まあ、鶴の恩返しみたいな事情があるわけじゃないだろうし、ここは追及しないでおこう。


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