出逢いー7
いまだに鳴り止まない拍手喝采が広場を包み込む。興行はもうずいぶんと前に終わっていたが、ロウェルもまた収まりのつかない興奮と熱気に拍手を送り続けていた。隣のルイナに至っては何とか感動を口にしたいと思うのか何度か口を開いてはパクパクと声にならない声を上げ続けていた。
エルニス一と称されるだけあって、『ソフィアの滴』の興行は面白かった。史実を実際に知るロウェルから見れば、大分と脚色がなされ、自身の功績も誇張されていると感じずにはいられなかったが、それを嘘くさいと思わせる事のない見事な演出と息をのむ迫力の演舞、その世界に引き込む吟遊詩人の語り口。何をとっても感動を誘う興行であった。
「二人ともそろそろ中に入りなさいな。うちも営業再開しなきゃなんだからなぁ。」
と部屋から声がするが、中から聞こえる音はお湯の沸く音や、茶器の軽い音で、お茶の準備をしているとしか考えられない音たちだった。
「営業する気はなさそうだなあ?」
と思ったまま返すロウェルに被せるように、喜びを隠しもしないルイナの声が響く。
「マークおじさん、もしかして、お茶をご馳走してくれるの?」
「当たり前さ。ルナちゃんの大好きなスッキリしてるのに甘〜いブレンドティーで淹れたげるよ。」
「やった!ウェル、おじさんのお茶は本当に美味しいのよ?私はここ以上に美味しいお茶は頂いたことないんだから。」
と言い残し、さっさと部屋に入っていく。今のは王に対しての侮辱とも言えなくはないのだが、全く気にする風でもない彼女に対し、逆にそんな小さな事で一々、癪に障ってしまう自分が馬鹿らしく思えてしまう。
「全く…調子が狂う。」
と呟いたロウェルは唐突に背筋が冷たくなる感覚を覚えた。人はこれを殺気と呼ぶのであろう。戦場を離れてから久しく感じた事のない感覚に視線が鋭くなる。向けられた殺気はやはり予想通りのマークからであった。
しかし、狼王と名高い自分がヒヤリとする殺気を放ちながらも、口調は穏やかなまま、ルイナへ声をかける。
「ルナちゃん、悪いんだが折角のお茶なのに茶菓子の準備がなくてね。広場を挟んだ向かいに甘味通りってのがあるんだが、そこは名前の通り色んなお菓子が揃う通りでね。そこに、リンゴの看板と店の両脇に山と積まれたリンゴの木箱が目印のアップルパイの専門店があるから、そこにちょいとお使いを頼まれてくれんかね?」
「わかったわ。3切れでいいかしら?」
「いいや、お土産に持ってくだろ?ホールで買ってくるといいよ。それにあそこはホールで買うとパイがリンゴの形に成形されてるから見た目も可愛いって巷じゃ有名だから、折角だ。見てみたいだろう?」
と柔らかく微笑みながら小さな皮袋を渡す。
「おじさん、大好き!行ってきまーす。」
「待て、ルナ!」
と呼び止めた時には既に扉から姿を消していた。
ルイナが何某かを画策していると考えての王都へのお忍びだったにも関わらず、対象を逃すなどあり得ない失態だ。
慌てて後を追おうと駈け出すロウェルの前にマークが立ちはだかる。一分の隙もなくマークの様子を伺っていたにも関わらず、前に立たれるまで気配がなかった。
「少し、ルイナを外して2人で話そうかね、ロウェル陛下?」
サッと後ろに飛び退き、懐剣の柄を掴む。
「貴様…、何者だ!」
「おやおや、話しをしようという相手に狼王は刃を向けて話すのかね?何もしないさ。おっちゃんは唯の薬問屋だからね。」
ロウェルの警戒を楽しむかのように、ゆったりと椅子に腰掛け、視線で席に着くよう促す様に、益々、ロウェルは警戒を強める。
「いつから気付いていた?」
「いつから…と聞かれれば最初からと答えるしかないなぁ。あの子が王宮の外にいるって事はまずあり得ない。警戒心の強い王様の事だからね、恐らく、いまだにあの子を味方と見るか否か、判断をつけかねているだろうからね。第一、北の現状を伝えた者をオルヴィスのギルヴェルトは見逃さないだろう?命の危険があるとわかっていながら、王宮を追い出す陛下じゃあない。そう考えれば、あの子の側にいるのは王宮の人間という事になる。だけど、あの子も色々ある子だからね。下手な人間を側には置かない。例えそれが王の信頼厚い近衛であろうともね。だが、狼王となれば話は別さ。盲信的にあの子は狼王を信じている。それこそ信仰に近いかな?それだけのピースが揃っていれば、いくら市井の人間だろうと、ウェルがロウェル陛下だという解答は容易く導けるものだよ。」
ロウェルのとけない警戒心に肩を竦めつつ、素直に答える。
「王宮への密告者がルイナだと何故知っている?王家の容姿を持っているとの情報は止められないにせよ、彼女だという確信は何処から導いた?」
「……。こんな初歩的な失態を犯すとは思わなんだ。それは気にせんといてくれ。それを話したらおっちゃんが嫌われてしまうからね、すまないが話せないよ。」
「大方知れるものだ。あの殺気。お前、フェリオール王家の密偵だな?王宮に忍んで何を探っている?」
「おやおや、おっちゃんはそんなに大層なもんじゃないさ。陛下に警戒心を抱かせてこちらの話しを真正面から聞いてもらおうと思ってね、ちょいと昔に習った事を思い出してやってみたまでさ。血塗られたあの時代、薬問屋は暗殺には必須でね。随分としつこく王宮に狙われたもんさ。で、知り合いの暗殺者君に頼んで護身術とか色々、教わったのさ。」
ふっと鼻で笑う様はまさに狼王の名に相応しいものだった。
「随分と見くびられたものだ。その程度の戯言を鵜呑みにすると?まぁいい。こちらも色々と聞きたいところだ。それ位は目を瞑ろう。随分とルイナを知っている様だな?」
「そりゃ、おっちゃんはあの子の養父だったんだからね。」
「従姉妹と暮らしていたと聞いたが?」
「おや、あの子は本当に陛下を信じているようだね。その話しをしたとはね。」
「詳しくは知らん。だが、貴族たる所作は従姉妹から教わったと聞いた。」
なるほど、と呟いたきり腕を組んだままマークは黙り込んだ。冷たい視線は消え、物思いに沈んだ顔はもう、ただの孫娘を心配する男のものであった。
「あの子の事、信じてやってくれんかね?陛下を騙し、惑わせ、傷めつける様なことはしない、本当に陛下を信じているんだ!」
「ふん、ここに足止めしてルイナを何処へ行かせた?」
「あの子に聞かせたくなかったからだよ。おっちゃんが陛下の正体に気がついてるとわかったら、迷惑かけない様に出て行ってしまうだろう?」
「なら、早く話しをするんだな。」
「話しはそれだけ。あの子を信じてやって欲しいって話しさ。あの子は本当に王家の人間じゃあない。何も企んでない。民のため、陛下のために命を懸けてここにいるんだ。その思いを猜疑心でなかった事にしないで欲しいんだ。」
言葉に熱が徐々に入る。演技だとすれば相当な役者だなと何処か他人事の様にマークの言葉を聞く。いつから自分はこんなにも人の意見に対して冷めた心で向き合う様になったのだろうな、と思いつつ常に何某かの表情でものを言うルイナを思い出した。素直にルイナを信じられれば良いのになと、心内で自嘲したせいか、自身の表情が冷たい微笑に変わる。
「おっちゃんの言葉はそんなに嘘くさいかね?」
苛立ちの混じった言葉に唇を引き結ぶ。
「いや。誰から聞いたにせよ、人を容易く信じられる程、己の猜疑心は易しくないと思わず笑えたからな。許せ。」
「それは、最早、病気だな。ギルヴェルトの事はどこまで知ってる?」
「野心家の狸という事は分かっているが、具体的にどういった手を打とうとしているかはまるで尻尾を出さない。こちらも苦労をしているところだ。」
「ふむ、それは本当の言葉のようだ。なら1つ、あの子のために情報を提供しようかね。奴は、オルヴィスの再興のために捨て駒に使える王族を探してる。あの子の周りの人間はそのために殺されてる。だから、フェリオール王家の事を憎んでいるし、王族を、権力者を、人を信じない。それはエルニスも含まれるがね。故レナ第二夫人の事件であの子は、王族全てが、いや…、王宮にいる者は憎むべき敵だという認識を持った…と言っても過言じゃあないんだろうね。だからこそ、それを打開した陛下は、憧れであり敬愛すべき唯一の王様なんだよ、あの子にとってはね?だから、信じてやって欲しいと思うんだよ、年寄りのお節介なんだろうけどなぁ。」
「待て、あの国は王族を選ばれた者として神格化していると言っても過言じゃないはずだろ?それを捨て駒とはどういう事だ?」
「北の民はそうだよ。あの瞳と髪は神からの賜り物だと信じて疑わない。あながち嘘だとは思えない逸話も色々あるんだよ、あそこにはね。だけど、ギルヴェルトは違うんだ。あの男は、自分の血筋以外は地に堕ちた卑しい血族と見なしている。要するに、地に堕ちた穢らわしい王族は自分達のために命を落として当然だと信じて疑わない。そういう男だ。だから、王宮を出て暮らしてきた王族の末裔は駒としか見ていないんだろうさ。消す事に躊躇いなんてない冷酷な奴さ。」
「エルニスに流れない情報を随分と持っているものだな。」
「そう警戒されてもなぁ。北の大国でおっちゃんの右に出る薬問屋はいないからね、自ずと知り合いもそういう類に詳しい人間になってくるのさ。おっちゃんにとっては、あの子は大切な我が子も同然だからね。あの子を守るためにあらゆる情報を集めたものさ。まぁもちろん、城に連れて行かれないように、自分の身を守るために集めていた癖もあるがね?それはそうと…」
「お店やってないんだって、マークおじさん!」
唐突に入り口の扉が開き、来訪を知らせるベルとルイナの声が2人の張り詰めた空気を割く。
「年寄りを驚かすものじゃないよ、ルナちゃん。ドアノックはして入るものだよ?」
「あら?したわよ。外がまだ騒ついてたから、聞き逃したんじゃないかしら?それよりも、ソフィアの滴の興行を見たくて、甘味通りは大方休みだって、広場で話しを聞いたのよ。もう、本当にショックだわ。アップルパイ、食べたかったのに…。」
子供のように頬を膨らませながら、ルイナは席に着く。互いに目配せをして、先程の話しなどなかったかのように、穏やかなお茶の時間となった。
ルイナがべた褒めするだけあって、疲れの取れるリラックス効果のあるという薬草ブレンドティーは中々の美味しさで、茶菓子がないのが残念だった。爽やかな香りは小さな薬問屋を満たし、少し薄暗い店内も落ち着いた古き良き時代を感じさせる趣き深い印象へと変わっていく。
昔話に花が咲き、いつも以上にコロコロと変わるルイナの表情を眺めつつ、しばらくお茶を楽しんだのだった。
「そういえば、マークおじさん、いつものちょうだい。人魚の涙と深淵の灯、それから月の雫と紅の灯火、今すぐに用意できる?」
ガチャリと派手な音を立ててカップがソーサーへと戻される。跳ねた茶が袖を汚した事にすら気付かない様子に只事ではない事が知れた。
「何を考えているんだ、ルナ?」
「もう在庫が無いから、お願いしたかったのよ。やっぱりおじさんの所のが1番良く効くのよ?今晩の分もないから、出来ればすぐに欲しいんだけど、難しいようなら帰りにまた寄るから返答ちょうだい。」
となんでもないように返す。
「なら質問を変えよう。何に使うつもりだ?」
「何にって…今も…寝られないだけよ…。あの日を思い出して、怖くて、悲しくて、心が壊れていくのよ…。だから!私は、薬がなきゃ眠れない!分かってるでしょう?」
「いつまで過去に縛られているつもりだ!!そうやって、前を見ないでそのまま身を委ねてたら楽だろうさ。でも、過去に縛られちゃあ、死んだ人に申し訳ないだろう?恨みを晴らしてほしいか、笑って生きて欲しいかって聞かれりゃ、歪んだ奴以外は後者っていうのが人間ってもんよ。それ位は、ルナちゃんだって、わかってるんだろう?」
ダンっと机が大きく揺れる。叩きつけた拳はそのまま指が白くなるほど強く握られ、微かに震えていた。
「でも…!姉様の事、私は忘れられないのよ。」
はらはらと紅潮した頬を涙が溢れていく。
「おいおい、ルナちゃん。おっちゃんだって忘れろなんて酷な事言わんよ。囚われないで前を向けってこった。こうやって王都に出て、イイ男見つけてってのが、前向けるようになったからってんならおっちゃんだって応援するってもんよ。だから、もう薬に頼らなくても良いんじゃないかって言いたかったんだよ。」
「分かってる。おじさんだって悪気があって言ってるわけじゃないって。でも、私はいつでも姉様を殺した奴らが同じ目にあって死んでしまえって思ってるし、その憎しみから逃れたいとも思わない。だから、夢を見続けてるんだと思う。」
茶の瞳に炎が宿る。いつも民のためにと言う穏やかで強い瞳ではなく、憎しみと怒りと恨みに満ちた、暗く激しい炎だ。復讐のために王宮へ忍び込んでくる暗殺者達と同じ瞳だ。
「未来を生きようとしてない人間ってのはモノの見方も狭くなるし、何より未来を信じてる奴らの気持ちがわからなくなっちまう。
ルナちゃん、あんたは今どころか過去のまんま生き続けてるんだ。気付いてるだろう?」
図星なのか、ルイナはその問いに沈黙を返す。
「これからやろうとする事が、もしも姉さんを悲しませる事ならおっちゃんは手を貸せない。それだけははっきり言っておく。それでも、おっちゃんの力を借りたいのか?」
互いの強い瞳が交差する。
「えぇ。どちらにしても姉様は悲しむことになるなら、少しでも未来がある方選びたいの。それでも力を貸してはもらえない?」
暫くの沈黙を破ったのはマークの方だった。はふっと詰めていた息を吐き、くしゃくしゃと髪を乱しながら席をたつ。
「わかったよ、ルナちゃん。おっちゃんの負けだ。ちょいと待ってな。今用意しくるから。」
「ありがとう、おじさん。」
「その代わり!いや、なんでもない。遺された人間の気持ちがわからないルナちゃんじゃあないもんな?」
零れ出た言葉にルイナが瞳を曇らせる。
「わかってるわ…、わかってる…。」
自分自身に言い聞かせるように何度か呟きを繰り返し、再び顔を上げた時にはいつものルイナの表情となっていた。
「ごめんなさい、ウェル。こんな喧嘩を見せるつもりじゃなかったんだけど…。」
「いい。それよりも、いつも使っている薬はそんなに強いものだったのか?侍医からはそのような話し、聞いていないが?」
「嫌だわ。強い薬で貴方を眠らせてどうこうと…って企んでいるとでも?常用すると依存してしまう上に、量が増えていってしまうから危ないって、おじさんに言われてるのよ。でも…ね、中々、抜けられなくて。それだけよ?」
嘘だとすぐに気が付けるほど、ルイナの瞳は哀しげで、言葉が虚ろであったが、それをあえて嘘だとロウェルは指摘しようとは思えなかった。哀しげで、過去を思い出したせいか辛そうで、今にも表情が崩れてしまいそうなほど、張り詰めたそれを壊す程、無情にはなりきれなかったのだった。しかもそれ以上に、強い薬と聞いて、自身への暗殺ではなくそんな危険な薬を常用していたのかと、心配してしまった自分自身の変化に驚いていた。
ーーーいつの間に信じてしまっていたのだろうな…?
この街歩きで王宮にいた以上におかしな点が浮かび上がったというのに、出掛ける前に胸の内に渦巻いていた疑念も何もかもがいつの間にか消えていた。
結局、すぐに準備は整えられないとの事で、クレープ屋の店主が勧めたエルニスの厨房で遅い昼食を取ることとなる。
やはり有名な店なのか、マークはその名を聞くとすぐに、それは良い店だと笑いながら広場からの行き方を教えてくれる。
マークの薬屋からまた人混みを縫いつつ、10分程歩くと一際賑わいをみせる一軒のお食事処へと辿り着く。
「ここよね…。看板は人が多すぎてよく見えないんですけど、これだけの賑わいが目印だっておじさん、言ってたましたものね。」
と、人の喧騒に負けないようにやや大きめの声で話すルイナの声が聞こえたのか、金色の髪を高く結いあげた女性店員が店先から手を挙げる。
「看板、小さくて悪かったね!2人だよね?中に席があるから、お入りよ!」
「……。私達のこと…ですよね?」
「ほうら、あんたら散った散った!食事が終わったら出て行くのがうちのルールさね。みんなに美味しいご飯食べてもらうために恨みっこなしだって言ったろう?お喋りは他所でおやり!お嬢ちゃん達は何をもたもたしているんだい?ほら入った入った!エルニスの厨房に来たかったんだろう? 」
「ニレイおばちゃん、そりゃ脅しだろう?客には店を選ぶ権利って…。」
「ニレイ姐さん、だろう?あんたら酔っ払っているのかい?姐さんが優しく戸惑うお客をご案内中さ。何か変な事があるのかい?」
いえっそんな事は!等と口々に言いながら、蜘蛛の子を散らす様に店の前はスッキリとする。
「なんだい、お嬢ちゃん達は客じゃないのかい?」
「いえっ、ちょっとぼおっとしてました!クレープ屋さんのおじさんが王都じゃここ以上の食事処はないって、勧めてくれたんですけど、こんなに賑わっているとは思ってなくて。」
「ははっ、お嬢ちゃん、素直なのはいいがそりゃ人によってはそんな人気店だって信じてなかったって思われかねないよ?」
「そんなっ!私はそんなつもりじゃ…。」
「わーかってるって!ほうら、入りな!ようこそ、エルニスの厨房へ。」
開け放たれた扉の中は簡素な長机が幾つか並び、木製の丸椅子が適当に置かれていた。幾つかのグループが適当に座り、食事を楽しんでいる様は、兵士達の食堂を思わせ、エルニスの厨房という名に納得がいく。
「おや?見ない顔だね。お二人さんここは初めてかい?」
ふわふわとした黒髪のショートヘアの女が、自分の隣の席を勧めながら声を掛ける。
「はい。ちょっと用があって王都へ出て来たので、王都自体、初めてなんです。」
「そうかい、そうかい。そしたらソフィアの滴は見て来たのかい?」
「えぇ、思っていた以上に素晴らしい興行で、特にあの剣舞にググッと引き込まれました!」
「よっぽど気に入った様だね〜。アタイはもう3回目になるんだけど、いやぁ、飽きないっていうか、見る度に好きになるんだよね。今日も、こっちの友達に興行の事聞いて、合わせて来たんだよ。」
「それだけの価値はありますよ!ご出身は?」
「西だよ。西の畑をやってるじい様達から野菜を預かって、こっちに代行で売ってるんだ。で、そのお金で向こうじゃ手に入らない肥料とか魚とか酒を仕入れて帰るのさ。昔は街道も盗賊が多くて危なかったけど、最近はだいぶ良くなったからね。専門の護衛を雇わなくても、アタイの旦那みたいに厳つい見た目なら寄ってこないんだよ。」
チラリと目線で向かいの絵に描いたような厳つい男を示すと、彼女の言葉に同意する様に頷く。
「それでもまだ、こいつだけで王都へは出せないがな。西の領主は良い男だから、他所が妬んでターゲットにする事も良くあるんだ。」
「まだまだ、役人の力量は揃わぬものだからな…。」
「ウェルっ!」
と横から小声で小突かれて、思わず王に戻っていた事に気がつく。
しかし、女商人はカラカラと笑いながら、
「あんたは辛口だねぇ。気に入ったよ!」
と益々、上機嫌になっていた。
「お二人さんはどこの出身だい?」
「私はオルヴィスの外れです。貧しい小さな村でしたけど、山間なので、あまり水に困らない事を活かして、農業で生計を立ててました。」
「水に困らないってのは羨ましいもんさね。でも、あそこは閉鎖的だって言うだろう?中々、他所と関わることはなかったんじゃないかい?」
「えぇ、だから、こっちに来てから、目新しいものばかりで、キョロキョロしちゃって、すっかり田舎者扱いされてしまったわ。」
「変な奴らに騙されて無一文になってないだけいいもんさ。あんた、この嬢ちゃんは可愛いから変な虫が付かないようにすんのは大変だったろう?うちのも、この通りあっちこっちに気軽に声を掛けて自由に渡り歩くもんだから気が気じゃなくてよ。」
「ちょっと、余計な事話すもんじゃないよ!すぐにこうやって、あたいを縛ろうとするのさ。あんたも男は手綱を握らせてくれる懐の深ーい奴を選ぶんだね。」
「こらっ!他所様の仲を引き裂くもんじゃないぞ!」
「あいあい、冗談ですって。」
そんな話しをしている横からすっかり話しに乗り遅れたロウェルヘニレイが声を掛ける。
「注文は?北の出身だから東の海の幸とか西の豆料理とかはあんまり見た事ないだろ?その辺にしとくかい?」
「そうだな。出来れば色んな地域のものを少しずつもらえるとルナは喜ぶと思うんだが、難しいか?」
「おやおや、旦那は嬢ちゃんにぞっこんなんだね〜。こっちまで恥ずかしくなっちゃうもんさ。いいよ、適当に盛り合わせて来てやるよ!」
一瞬、言葉の意味が分からずに固まっていたが、真っ赤な顔で睨みつけるルイナを見て漸く理解する。
「いいねぇ、アタイらにもそんな時代もあったんだけどね…いつの間にやら…。」
「い…いい事だと思いますよ!お互いに自然にお話しが出来るっていうのは!」
「何を慌ててるんだい?初々しいねぇ。」
「こら、他所様をあんまりからかうもんじゃない。」
あいあい、と本心では絶対に思っていないだろうと予想される軽い調子で返し、再び女性陣はソフィアの滴の話しに花を咲かせる。
そうなるとこちらは自然と王都の外、つまりは街道の治安について、少々、血生臭い話しを挟みつつ、話しを進めていく。この食堂はこうして色んな地域の人間が集まる分、情報交換には事欠かないのであろう。こちらも、王城で報告される内容で差し支えのないものを“噂話”として流し、用心棒を兼ねる男が持つ風の噂を拾い集める。帰ったら、緊急会議を開く必要があるなと考えつつ、1番上に立っていては聞こえてこない話しを頭の中にメモする。
話しもひと段落つく頃、ニレイが再び料理を持って現れる。スープ皿にはトマトベースの豆のシチューが入り、トウモロコシを使った平たいパンと共に2人の前に並べていく。真ん中に置かれた大皿には色とりどりの貝をワインで蒸したのかアルコールの香りが鼻腔をくすぐり、隣には小ぶりの魚がお酢や玉ねぎで漬けられたもの、さらに透き通った不思議な生地に野菜が詰め込まれたサラダ風のものが並んだ。2人で食べるには少々、量は多いが確かにこれはいろんな地域の料理が楽しめるものだった。
「どーだい?うちのシェフ達が色んな所のを食べさせたいって言ったらまずはこの辺りだろうって腕によりをかけた自信作さ!たぁんとお食べよ。」
向かいのルイナに目を向ければ、子供のように目を輝かせながら、ニレイに礼を言いつつ早速、パンへと手を伸ばし豆シチューにたっぷりと浸す。
「ん〜、なにこれ!素朴でトウモロコシの甘みがあるパンにトマト本来の優しい酸味が絶妙ですよ!こっちの貝は…食用だったんですね…。」
「そっちじゃ貝は食べないだろうね?まぁ食べてごらん。この貝は面白くてね、同じ種類なのにどういう訳か貝の色がバラバラなのさ。まっ味はもちろん同じだからよ。」
本当に初めて見るのか恐る恐る手を伸ばし、パクッと口に入れると、一気に目が輝く。
「お…美味しいです!こんなに美味しいの食べないで来たなんて…ショックですよ。」
「はっはっはっ。それは何よりさね!」
ふと、入り口が騒がしくなり、行商人風の男たちが慣れた様子で店内へと流れ込む。
「ニレイさん、久しぶりっす。いつもの豆のシチューって今日はあります?」
「おや久しぶりだね、今度はどこまで行ってきたんだい?」
「リリンですよ。あそこは精緻な造りの物が多いから、行商の魂を揺さぶるんっすよ。」
「そりゃご苦労様だね。みんな豆のシチューで良いのかい?大麦のパンも食べるだろう?」
「うわっ、やっぱ家に帰ってきたなぁって思うのはここだけっすよ。俺ら行商人は一所に留まらないから、この感覚、超貴重なんっすよ。」
「おや、久しぶりじゃないか、レヴィナの翼のみなさん。」
「えっと…、あっ!西のヴェスの旦那の奥方じゃないか!」
「アタイをそんな風に覚えないでって言ったろう?フィンリーだ!」
「そんな事言われてもなぁ、ヴェスの旦那があんまりにも有名だからよ。」
違いない、違いないと行商人達が笑う。
「えと、フィンリーさん?この方達は?」
「おや、かの有名なレヴィナの翼を知らんのか?」
本当驚いた様で厳つい男改めヴェスが問う。
行商人達は驚いたというよりショックを受けた様に彼女を囲う。
「うおっ、まだ俺らを知らない人がいるとはまだまだ修行が足りないなぁ!お嬢さん、どこの出身だい?」
「オルヴィスの外れです。」
「おかしいな…俺らはオルヴィスの方にも行くんだがな…。まぁいい!エルニス神話に出てくる神々とこの地に降り立った創世神を繋ぎ、後に生まれた人々に知恵を与え給うた黒き翼を持つ伝令、大鴉のレヴィナ。その神話に倣って、各地域を結びそこにないものを与え、新しいものを買い、また違う地域へと運んでいく行商人達が、俺らって事さ!長く暗い世が終わり、華の時代を迎えようってのにいまだに結びつきが弱いからね。俺らがやってやろうってんだ。俺たちはロウェル陛下の世に少しでも手助けが出来たらって思うんだ。」
「あぁ、あのお方は本当に素晴らしい。今まで各地域の領主達が内にうちにと力を貯めてたのを、城へと開かせ民の交流を勧め、国力を地盤から上げようとなさる。国が豊かになれば、今まで災害に弱かった場所にも目がいくようになって、そこの暮らしも良くなっていく。そうなれば国の結束が固くなり、隣国も易々とは手を出せなくなる。そうして、平和な世へと繋がっていくって訳さな。」
ガタンっと机にカップが叩きつけられた鈍い音が響く。彼らとは違う長机に座る男からだ。
「なぁにがロウェル陛下の素晴らしさだ。エルニスかぶれが!奴はお気楽主義者の血が入ってるんだ。いつか前王みたいな事になるさ。」
「はぁ?何言ってやがる!あの方に限ってそんな事はなんねぇ。」
「あぁ?何言ってやがる!現に奴の周りにリリン出身者がいるか?オルヴィスはしょうがないにしろ、堅実で手先の器用な奴らが入ってねぇのはおかしいだろ?王家御用達も旧エルニスの店ばかりだ。剣だってリリンの方がずーっと丈夫で質がいい事はみんなが知ってる事だ。だが使わねぇ…。それはハルヤ王以後に統合された奴らをあの方は信じておられないからだろ?民を見てるとか調子のいい事言いやがって実際面倒ごとの嫌いな臆病もんだろ?」
と嘲笑する。幾人かはなるほどと頷いているあたり、いまだに前王からの不信感を払拭出来ていないことをひしひしと感じさせた。
だが、周りの様子が目に入らないようで、レヴィナの商人の1人が男の胸倉に掴みかかる。
「てめぇ!なんて事言いやがんだ!ハルヤ王より前も後もあの方をおいて住みやすい国だった事があるか?ちゃんと民の目線でやってくださる…あの方以外の王があり得るとでも言うのか?」
「いいや…それにはアタイも同意しかねるねぇ。西の話しを知らないかい?」
フィンリーが唐突に話題に入り込む。先ほどまでソフィアの滴に華を咲かせていたとは思えない冷たい目だ。憎しみさえ感じる程の仄暗さだ。
「水路を作って下さったじゃないか。」
「そうさ。水路を作って黙らせたんだよ。西は山に大雪が降らなきゃ1年の水を確保出来ないってのは常識だろ?だがあの王様はそれを知らないのさ。山からの水で土は豊かさ。あそこの作物は何食べても美味い。だが、いつも水で引っかかる。だから、みんな飲み水はもちろんだけど、農業に使う水路が欲しいのさ。だが、水不足っていう上っ面だけ見て水路を作って、さぁ、民の目線でやってやったぞって事さ。それで立派な王様って言われたって、ふざけんなって話だろう?」
「みんなエルニスの民だって言うけど結局、溝ばっかりだしなぁ。確かに東の鉱山から出る鉄鉱石は上等さ。そこにリリンの技術が入れば文句はないはずだ。」
ーーーなるほど。オルヴィスは閉鎖的で関わることに諦めがあるようだが、エルニスの民は随分とリリン贔屓か。だが、独立を画策しているとはいえ、何もリリンが気に食わないと思った事はないのだがな…。ここは、一石投じるも一興か?
「ほう…中々面白い発想だが、王宮に剣を卸すなら大量に出さなければならんだろう。だが、リリンの技術屋はみな職人だ。1人が最高に極めた技術でもって弟子に継承する。それでは王宮向きではないだろう?」
と以前、王宮で問題になった点を挙げる。
「おや?お役人に厳しいあんたが王様の肩を持つのかい?確かに大量生産向きじゃないが、近衛とかにだけでも持たせてやれるだろ?第一、そういう問題じゃないんだよ。外の奴らを入れない体制が問題なんだ。大量生産向きじゃないならそれなりに技師を招いてエルニスの質を上げる事だって出来んだろ?」
「結局、頭が堅いんだよなぁ、ロウェル陛下はさ。真面目で実直なのは良いけどさ、周りの意見も随分と穿った見方するみたいだしさ。」
「おいおい。そりゃどっからの情報だい?」
「王宮に食材を卸してりゃそれなりの情報は入ってくるってもんだ。みんなが注目してる王様なら、色んな噂も飛び交うもんよ!」
「確かになぁ。それに比べてルキ伯爵殿下ときたら、あの軽さはどうにかなんないのかね?」
ここにきて初めて知らないリリンの貴族の名が出る。
「聞かぬ名前だな?」
「おや、知らないかい?リリンの重臣レグナート伯爵家の次期御当主様さ。それなのに身軽で、愛馬連れてあちこち飛び回るは、護衛よりも剣の腕がたつは、のやんちゃ坊ちゃんなんだよ。」
「あら?ケンカも女も手が早いで有名なご子息ではなかったかしら?」
と胡乱な響きが横から割り込む。
「あぁ…、女性陣はその手の話の方が有名か…?まぁ…あれだ、あれ。とにかく身軽で柔軟な男なんだよ。」
「ただの軟派な男にしか聞こえないわね。」
とルイナからも珍しく軽蔑の声が入る。
「でも、根は誠実な男だから憎めないのよね〜。あぁ…アタイも1度でいいから口説かれたいわ…。」
「おいっ!」
ヴェスから不満気な声があがると、冗談だよ〜と言いつつ、誤魔化すように席を立つ。ロウェル派と反ロウェル派の議論が白熱していくので、ルイナに目配せをし、彼らに続いて店を出る。
「また、会おうね、ルナ!今度はあたいと一緒に観に行こっ!」
「ええっ、是非とも一緒に観たいわ。また、お会いしましょう」
と小指を絡ませる。
「道中の無事を祈るぞ、ヴェス殿。」
「そちらも、お転婆なお嬢さんのお守り、頑張れよ、ウェル殿。」
こうして2人は颯爽と人の群れへと消えていった。