逃げることも戦術
本当は次のと合わせて一話にするつもりだったのですが、戦闘シーンと解説で長くなってしまいました。悪しからず。
彼について、俺はそこまで詳しい事情を知らない。
直接戦うのはもちろん初めてだし、正直自分から関わりたくない相手なので積極的に情報を集めようとはしなかった。
ただ、彼は有名なので嫌でも噂は入ってきた。
このゲームに現れたのは俺が受験に落ちる少し前の二月頃。
当時、彼はまだPKとして有名なわけではなかった。
当時付いていた二つ名は『神風』。
今より格好いい二つ名だったとも思うが、意味的には誉められているわけでもないのだから羨ましいとは思わない。
『神風』とは第二次大戦での特攻隊が由来となっている。
人を乗せたままの航空機で戦艦に突っ込む狂気の策だ。
当時、彼の噂の内容は
『好き好んで玉砕しにくる狂った奴がいる』
という内容だった。
たった一人でほかのプレイヤー••••••しかも人数が多いパーティーだけを狙う死にたがり。
しかし、その後噂は時間とともに変わっていった。
最初はただ、平均的に見て少し強いくらいで数で押せば味方から死者は出さずに対処できたらしい。
レベルのないこのゲームでは、それぞれのプレイヤーの間にそれほど大きな実力差は生まれにくいから当然の結果だった。
しかし、しばらくすると噂の中に苦情が混じり始めた。
『クエストの途中で人数を減らされて失敗した』と言うプレイヤーが現れた。
そして、苦情は数と被害を増していき、最後には『全滅報告』が彼の噂の主流となった。
そしてある日、有名になりつつあった彼を一気に有名にする事件が起きた。
不定期開催の大規模クエスト『ツチノコ狩り』。
名前のイメージ通り見つけるのが非常に困難な上、名前のイメージに反して戦闘能力の非常に高い≪魔獣ツチノコ≫は不定期に発生するクエストで毎回一体だけ出現し、誰か一人が倒すとその時しか手に入らない限定アイテムを残して消える。
そのモンスターをしとめるためにローラー作戦をかけるべく30人を超えるプレイヤーがレイドを組み、ツチノコの出る森に向かった。
しかし、森には行った彼らを出迎えたのはツチノコではなく真っ黒なプレイヤーだった。
詳しい戦況はわからない。
しかし、結果から言えばレイドは全滅し、ツチノコ狩りのクエストは終了し、そのすぐ後からジャックは新しい武器を使うようになった。
30人以上のプレイヤーとボスを単独撃破した神出鬼没の殺人鬼。
そんなのは、噂に尾ひれが付いただけだと思っていた。
しかし、俺はまた自分の読みの甘さを知った。
「!!」
真っ黒なPKが現れたのは俺たちのど真ん中だった。
パーティーメンバーそれぞれの位置から一メートルも離れていない。
俺は咄嗟に距離を取るべく飛び退いた。
それは、俺が『槍使い』だったからこそできる動きだった。
槍は間合いが広く相手の接近を妨げながら一方的に攻撃できる攻守に優れた武器だ。
だが、その弱点として間合いの内側……半径約一メートルに入られるとまともな反撃ができなくなる。
だから、俺には『攻撃する』という選択肢はなく、選択の間すらなく距離を取った。
ただし、相手に背を向けるという愚行を犯すわけにもいかず……飛び退きながらも俺は陣形の変化をしっかりと見ていた。
前衛の盾持ち剣士二人は驚きながらも盾を掲げる。
後衛の攻撃担当の二人はそれに遅れて飛び退きながらも迎撃を準備する。一人は弓矢を構え、もう一人は詠唱しながら指でルーン文字を空中に刻む。
この時、後衛の攻撃担当の二人の行動が俺より遅れたのは攻撃手段を選択する間があったからだろう。遠距離攻撃はバリエーションが豊富なのも売りの一つだから当然と言えば当然だった。
そして、オリーブは突然の敵の出現に驚き尻餅をついている。これはオリーブの歩いていた進行方向のまさにすぐ目の前に黒ずくめのプレイヤーが現れたことに驚きを隠せないのだろう。
しかし、これはある意味当然のことだ。
何故なら、噂によるとマスクド・ジャックが契約し、加護を受けているのは≪外道聖者ディーバダッタ≫。
メジャーな大神とは呼べず、むしろ信仰の対象になりえるのか疑わしい存在だが、仏教の伝説上ではある意味キリスト教におけるユダ並みの『偉業』を成した人物だといえる。
弟子でありながら数回にわたり釈迦を暗殺しようとし、智謀をめぐらした。このゲーム上ではその属性は『暗殺者』として知られている。
その特殊効果は『索敵無効化』と『毒性付加』。
このゲーム中最高レベルに強力な索敵能力『千里眼』ですら無効化する能力は、更に厄介な付属効果を持っている。
『能力使用中、無音での行動中は視覚的にも察知されない』
つまり、理論上は無音で歩く移動法を習得していれば透明人間になれる。
もちろん、ただ立ってるだけなら無音は誰にもできるが、今の状況は確実に無音の〝まま″俺たちのパーティーのど真ん中に移動してきて能力を解除したとしか思えない。
オリーブ以外の俺を含めたパーティーメンバーはマスクド・ジャックの噂くらい知っていたようだから比較的早く対処できた。もう一人の回復役も安全確保のため前衛剣士の背後に避難した。
陣形はマスクド・ジャックの正面に前衛剣士二人とその背後に回復役が一人。
マスクド・ジャックの正面から見て三時の方向に俺。
五時の方向と七時の方向に跳んだ遠距離攻撃役の二人は、弓と詠唱で攻撃を準備している。
そして、マスクド・ジャックのすぐ後方。一メートルと離れていないところにオリーブが尻餅をついている。
先に動いたのは囲まれているマスクド・ジャックの方だった。
殺人鬼の名にふさわしい殺気を振りまきながら、次元の違う気配を放ちながら、俺達を全滅せんと動き出した。
殺人鬼は転んでいるオリーブには目もくれず、まず詠唱を続ける後衛を狙う。
詠唱のほうが弓を構えるより時間がかかり、まだ準備が整っていないから狙われたのだろう。
だが、弓はもう彼に向けられていて……
「フッ」
「うわっ!!」
詠唱が完了する前に殺人鬼の手が術者の顔を掴む。そして、それを動きの止まった敵を狙った矢が放たれた。
だが、殺人鬼はそれを避けようともせず、驚くべきことに掴んだ頭を振り回して後衛術者を盾にした。
防具が無い状態で頭部に矢が突き刺されば、この世界でも致命傷だ。
しかも、殺人鬼は貫通を待たずに致命傷を受けたアバターを振り捨てて、次の矢が来る前に弓兵に向かっていく。
「はっ!!」
「チッ!!」
そこに俺が文字通りの横槍を入れた。
この殺人鬼の武器……この際言い換えれば凶器は短刀。近距離専用の武器だ。
遠距離から一方的に攻撃できる仲間を先に潰されるのは不利だ。
「俺が止める、今のうちに陣形整えろ!!」
この中で一番戦闘能力があるのはおそらく俺だ。それはこれまでの流れでの反応速度で大体分かった。
だが、パーティーを組んでる今はチームプレイが大事だ。俺が戦ってる間に後衛が盾の後ろに下がって弓で狙い続ければ何とかできるかもしれない。
そう思った矢先、かすかにだが殺人鬼の苦笑を聞いた。
「ボクを止めれるかな?」
背筋が凍った。
住む世界が違う……あのオレンジと似た感覚。
俺とマスクド・ジャックはお互いを睨んだまま数秒静止した。
俺にはにらみ合いでも、この殺人鬼にとってはただ『視てる』だけかもしれないが……
「シッ」
マスクド・ジャックは一瞬で間合いを詰めてきた。
ギリギリで槍を横薙ぎに振って間合いの中に入り込むのを防ぐが、殺人鬼の攻撃は単発では終わらない。
手の届かない距離にいるはずのマスクド・ジャックの右手が高速で動いた瞬間、俺は直感的に首をそらしてその『視線』を避けた。
そして、今まで俺の顔があった場所を刃が通って行った。
「っ!!」
危ない……これは避けなければ致命傷だっ……
「ぎゃっ!!」
「!!」
何が起きた?
今、俺の背後で悲鳴が聞こえたぞ。
しかも長引かず、一瞬で絶命したような……
「おい、ボクを止めるんだろ? どんどん全滅してくぞ」
「くっ!!」
こいつ、俺と同時に俺の後ろにいた後衛を狙いやがった
俺の指示で前衛の後ろに回り込もうとしていた飛び道具を潰しやがった
あの睨み合いの時間はタイミングを合わせるためだったのか!!
だが、メインウェポンを一度きりの投擲で喪失してしまったこいつは丸腰に……
「んなわけないよな!!」
マスクド・ジャックは俺になおも接近して来る。そして、その手の全ての爪に紫の光が纏わりついている。
これが≪外道聖者ディーバダッタ≫の二つ目の特殊能力『毒性付加』だ。
爪に刃物のような斬撃効果と毒の効果を付加する能力。
普通のプレイヤーは≪外道聖者ディーバダッタ≫の『索敵無効化』を使ってもこの能力は使わない。
大体のプレイヤーが武器を使用して戦うのだから、徒手空拳で武器を持つ相手に爪を突き立てられる技術力が必要とされる。
しかし、剣道三倍段という言葉があるように、武器を持つ人間と武器を持たない人間が対等に戦うためには武器を持たない側には相当の実力が要求されるのだ。
「クッ、ギッ、ガッ、ウッ」
そして、マスクド・ジャックの攻撃は絶え間なく俺を追い詰める。
俺はもはや後退しながら、槍の構えを変えて柄の部分での防御を何とか繰り返している状態だ。
間合いの内側に入り込まれて全く反撃できない。
「……ボクを誘ってるね」
「え、どう、いう」
「本命は後ろだ」
そう言って、目出し帽でろくに周囲の見えないはずの殺人鬼は俺の方を向いたまま後ろ蹴りを放ち……
後ろに迫っていた盾持ち剣士の盾を弾き飛ばした。
「グハッ」
「なに!!」
「ボクを挟み撃ちにしたければ鎧は脱いで来るべきだ。ガシャガシャうるさい」
奇襲を仕掛けるはずが逆に奇襲された。
俺はあの二人が静かにマスクド・ジャックの後ろに回ろうとしているのに気がついて、戦法を防御を最優先にした戦い方に変えた。
だが、俺との戦闘をしながら周りも完璧に把握し続けていた。
いや、動揺している場合じゃない。察知はされたが挟み撃ちの陣形はほぼ完成している。
オリーブは腰が抜けたままらしいが、もう一人の回復役はもう回復の術を前衛剣士二人に対して発動している。
「たあっ!!」
「はっ!!」
「はあっ!!」
俺が槍の一振りで足を払う。
二人の盾持ち剣士はそれぞれ剣を斜めに振り下ろす。
これは避けられないはずだった。だが、殺人鬼の戦闘能力は俺たちの想像を超えた。
あろうことか、マスクド・ジャックは俺が足を払うために出した槍を踏み台に、牛若丸さながらに剣の軌道より高く跳んで二人の盾持ち剣士の盾より後ろに着地した。
そして、二人の頭を後ろから鷲掴みにして毒爪を頭に突き立てた。
「グァアアアア!!」
「ガァァァァアアアア!!」
さらに、素早く両手を放して同時に二人の首を掻っ切った。
いくら回復の術がかかっていても、毒と致命傷の同時攻撃では一人の回復では追いつかない。
そして……
「止められなかったね」
直後、二人に回復をかけていた回復役も喉を爪で貫かれて殺された。
これで残るは俺とオリーブのたった二人。
しかも、オリーブはマスクド・ジャックの向こう側にいる。
「ん? お姉さん、もしかして腰抜けちゃった?」
しかも、まだ腰が抜けているらしい。
マスクド・ジャックは引き起こすために手を差し伸べるような調子でオリーブの首に手を伸ばす。
あの毒爪で首を掴めば十分致命傷になるだろう。
このままでは、オリーブが殺される……
「やめろ!!」
俺は槍を投擲した。
俺の使う特殊能力は≪英雄クーフーリン≫。
通常時の追加効果は再生系の能力を封じる『回復封じ』。
だが、本領は投擲の時に発揮される。
投擲の時の追加効果は槍が三十本に分裂する『弾幕投擲』、槍が標的をホーミングする『必中投擲』、そして盾などを透過してダメージを与える『貫通投擲』の三つ。
ただし、一度の投擲で使えるのはこのうちの一つだけだ。
俺が今使ったのは『必中投擲』だ。目線でターゲットを決定して投擲する。
「チッ」
殺人鬼はこの技の効果を知っていたらしい。その場を飛び退き、さらに何回か跳んで槍を回避する。
その間に俺はオリーブに駆け寄った。
「おい、大丈夫か!?」
「あ、うん、でも腰が抜けちゃって……」
「この世界で腰って抜けるのか?」
手を差し伸べて引き起こすと少しは回復したようで何とか立つことはできた。
「いいか、俺があいつを止める。その間に逃げろ」
ほとんど考えずに言った。
自然と口から出た……助けたいと思った。
「でも、そんなことしたらクロードさんが……死んじゃう」
オリーブもわかってる。
次元の違う強さを持った殺人鬼に俺は勝てない。時間稼ぎもできるかわからない。
でも……
「これはゲームだ。死んだってまた復活したら会えるから、心配いらないよ」
「なら、私が殺されてる間にクロードさんが逃げてください」
「やめい!!」
でも、守りたい。
一度くらいは『お兄ちゃん』らしく『妹』を守ってみたい。
それがゲーム上の仮想上での関係でも、頼まれたからとかではなく自分の意志で守りたい。
向こうで ギィン!! という音がした。
音のした方向を見れば、ナイフを持った殺人鬼が槍を叩き落としたところだった。
これが『必中投擲』の弱点。掴まれて捕えられるか、金属装備で正面から強い力で弾かれるとホーミング効果は失われる。
ホーミングを躱しながら『死体アバター』のところまで移動し、先ほど投擲したナイフを回収して槍を迎撃したのだろう。
「逃げるの? 安心して、別にボクに追いつかれずに町まで逃げても、根に持って次のクエストで狙ったりしないから」
要約すれば、『逃げれるもんなら逃げてみろ』ってことか。
「だそうですよ? 早く逃げてください」
「だそうだぞ? 早く逃げろよ」
こいつ、逃げる気ないな。
お互いの主張が平行線な以上、こいつだけを逃がすのは無理っぽい。
全く、これじゃあ奇跡でも起きない限り生き残れないな……
「じゃあ、間を取って全滅で」
殺人鬼は待ってはくれない。
できることなど、もう一つしかなかった。
もう、覚悟を決めるしかなかった。
「オリーブ、二人であいつを倒すぞ」
次元の違う強さの殺人鬼を前に『無理ゲー』が始まった。
次はほぼ全編戦闘です。