素手の相手にも油断大敵
解説が長くて申しわけないですが、戦闘シーンは一瞬です。
先に言っておく。
俺は負ける気なんてなかった。
例え、ハンデをつけてくれたオレンジに勝てたとしても、俺は後で頼みごとをちゃんと話してもらうつもりだった。
油断してたわけでもない。
何せ目の前にいるのはある意味『世界最強』の存在だったのだから、油断する権利なんてないのは解りきったことだった。
だが、甘かった。
闘技場に上がった俺とオレンジが試合の設定(片方のHP全損にて決着、時間制限なし、場外に出たら負け、掛け金及びアイテムドロップ無し)を設定しているわずかな時間に、円盤の周囲はギャラリーでいっぱいになった。
何せオレンジはこのゲームで一番の有名人。しかも身長190以上の女性という見間違えようもないような目立つ容姿なのだから試合をするだけで人だかりができるのは当然だ。
「俺、すごい場違いな気がするんですけど……」
「ふふふ、人の目を気にして本気が出せないようじゃ大物にはなれないわよ?」
「別に大物になりたいわけじゃないんですけど」
人だかりに当惑する俺とは対極に、オレンジは人の視線を楽しんでいるようにも見えた。
明らかに住む世界が違う。
「まあ、目立つのが苦手な君のためにこれ以上人が集まる前に終わらせちゃおうか」
「終わらせる……? 始めるんじゃなくて?」
「もし≪炎帝≫を使ってもいいなら『始める』でいいだろうけど、そうじゃないから『終わらせる』になっちゃうんだよ」
意味がよくわからなかった。
オレンジが普段使う≪炎帝カグツチ≫という能力は、このゲームに設定されている能力の中でも最もマニアックな部類だ。
能力の内容を言ってしまえば『回避不能、防御不可、致死確実の超威力攻撃』ということになる。
簡単に言えば一撃必殺。
ただし、誰もがその能力を手に入れれば勝てるというわけではない。簡単には使えないからこそのチート技だ。
発動条件が厳しすぎるのだ。
発動には『儀式』という名の長い『溜め』を要する。ゲームの技において『溜め』が必要なのは珍しくはない。
ただし、≪炎帝カグツチ≫の場合はその『儀式』にかかる時間が299秒……つまり約五分かかる。
たかが五分と思うかもしれないが、戦闘中の五分は非常に長い。
しかも、発動までの間『一度もクリティカルを受けてはいけない』というルールがある。儀式中一度でも敵の攻撃が直撃したら『儀式失敗』としてふりだしに戻る。
そして何より対人戦、特に公式大会で≪炎帝カグツチ≫が使いにくい理由は、公式戦では試合時間が『300秒』だということ。
つまり、試合開始直後から儀式を始めても超ギリギリ。むしろ試合時間の設定のほうが『使えるものなら使ってみろ』という運営の意図を感じさせるのだ。
そして、オレンジはほぼすべての試合に≪炎帝カグツチ≫で勝利している。
つまり、オレンジはほぼすべての試合をほぼ無傷で勝ち続けている。
回避力においては群を抜いている。
防御力の補正がほとんどない和服装備がその自信を裏付けている。
「……油断してると怪我しますよ」
戦法を変えるはずなのに全く装備を変える様子もない。
俺は戦闘を開始するために革の防具をつけて槍をストレージから出したのに、オレンジは全くそんな準備をする気配がない。
武器なしはと言ってたので武器を装備しないのは当然だが、防具をつけないのはおかしい。もしかしたらオレンジの中では防具も武器の一部なのかもしれない。(そうだとしたら普段から一部武器なしで試合をしているということになるので少し信じられないが……)
全く考えが読めない。
「ふふふ、いい感じに戸惑ってるわね」
「!!」
「別に私は駆け引きがしたいわけじゃないの。だから早く終わらせましょう……いえ、一応こう言っておこうか……始めましょう」
互いに目の前に表示された『試合開始!!』の文字を手でたたき開始までのカウントが始まる。
カウントは30秒
槍を握る手に力を込める。緊張で手が汗ばむことはないが何故か湿っているように錯覚する。
残り20秒
じりじりと足場の踏ん張りを確認する。緊張感に押しつぶされそうだ。
だが、オレンジは腕を完全に脱力していて、足から重心のつかめない。無駄な力入れず、先ほどまでと何も変わらず立っている。
残り10秒
ギャラリーも完全に静まり返る。
残り5秒
駄目だ。まったくオレンジがどう出てくるかわからない。
自然体過ぎて、前に出てくるのか、横に跳ぶのか、後ろに下がるのか、全く分からない。
普段から、自然体から完成されている。
常に戦いの中に生きているかのように芯が通っている。
残り3秒
どうする……ここは最初は下がって様子を見るか……
今の距離は6mほど。両方から接近すれば数秒で衝突するが片方が後ろへ飛べば簡単に膠着する。
……弱気になってどうする!!
相手は武器もないのになんでこんなに弱気になるんだ、俺は逃げるために戦っているわけじゃない
残り1秒
俺はカウントがゼロになった直後に槍の突きの先端がオレンジに届くように踏み出した。
結果から言えば、オレンジはあくまで『いつも通り』に『一撃必殺』で勝利した。
だが、それはハンデのルールを破って≪炎帝カグツチ≫を使ったわけではなかった。
俺の認識力のギリギリの速度の世界での出来事だった。
オレンジは俺の半ばフライングのような槍での攻撃を躱した。
そして、攻撃が外れた後も仮想世界にプログラムされた慣性の法則で前進する俺の槍の内側の間合いに入り込み、右腕を振り上げて拳を握った。
このあと、俺は殴られるかと思った。
だが違った、『拳』は俺の頭の左側を抜けていき『腕』が俺の首をとらえた。
そのあとのことはよくわからない。
何故なら次の瞬間、『俺のアバターの首』は『俺のアバターの胴体』から分断されたからだ。
試合が終わり予め決めていたルールによって互いのダメージ(と言っても俺しかダメージを受けていない)が回復したとき、倒れていた俺を見下ろしながら勝者オレンジは言った。
「ほら、終わったでしょ?」
返す言葉もなかった。
俺はゆっくりと身を起こす。
このゲームは長くやっているが首を刃物で『はねられたこと』はあっても、今回のように『吹っ飛ばされた』ことはなかった。
今でも首に衝撃の残響のようなものが残っている。
「いまのは……ラリアットですか?」
「ふふふ、私の得意技の一つ『一期一会』よ」
聞いたことがない。ついでに言えばどこの神様とも関係なさそうな名前だ。
「聞いたことないんですけどそれ、未発見の特殊能力ですか?」
「未発見? 私が勝手に自前の技に名前を付けてるだけだから未発見も何もないけど?」
バトルマンガの主人公みたいに勝手に自分の技に名前を付けていた。
……ってゆうか、自前ってことは……
「もしかして、今のってシステムの補正とかアシストなしでやったんですか?」
確か噂によればオレンジはポテンシャルの大部分を回避のためにスピードにつぎ込んでいるらしい。強力なパワーステータスのせいでもないはずだ。
「驚いた? スピード、回転力、向き合った相手との相対速度、地面からの弾性力その他もろもろを結集すれば理論上はここまでの威力が出るのよ」
ありえない……
改めて思った。目の前にいるのは住む世界が違う存在なのだと文字通り痛感した。
勝てるかもしれないと思ったのが間違いだった。
「さて、じゃあ約束通りお願い事をしてもいい?」
もし、俺がここで『嫌だ』と言ってみたらどうなるだろう。
この一点の翳りもない笑顔を……俺と違って自分の価値を確信していられる笑顔に一矢報いることができるだろうか
いや、そんな卑屈な態度をとっても意味はない。
きっと、そんなことをしてもこの人は『そう、じゃあほかの人にでも頼むわ』とでも言って去ってしまうのだろう。
俺がこんなことを考えてしまうのはきっとこの人が眩しすぎるからだ。
いや、この人だけじゃない。
あの小さい妹……友も俺にとっては眩しすぎるんだ。
俺に豆電球ほどの輝きがあったとしても、近くに太陽がいれば簡単に圧倒されてしまう。
逃げ出したくなってしまう。
だからこの人は……オレンジは俺が逃げられないように、俺から逃げ道を奪うためにこんな茶番を仕掛けたんだ。
この大勢の前で結果のわかりきった勝負をして、誤審の疑いの全くない完全勝利をして、困難から逃げやすい俺を捕まえた。
『いつまでも逃げ続けられると思わないで下さいよ?』
ああ、全くもってその通りだった。
友の忠告はまさにこの状況を予知したかのようだった。
「いいですよ。なんでもします」
俺の答えを聞いたオレンジの表情はそれまでの笑みとは少し違った気がする。
自分自身へ向かう自身がこぼれ落ちたような笑みではなく、しっかりと俺に向けられた賞賛の笑みだったように見えた。
俺の都合のいい見方だったかもしれないが、なんだかうれしくなってしまった。やっと他人の目を通した自分の価値をわずかながら見つけられた気がした。
オレンジは俺から目を離すとギャラリーの中の誰にか向かって大きく叫んだ。
「おいで!!」
どうやらギャラリーに紛れていた誰かを呼んだらしい。
数十秒して、人混みをかき分けて一人のプレイヤーが頼りない足取りで闘技場に上がってきた。
そのプレイヤーは女性、もっと限定すればおそらく俺とそう齢も変わらない女の子だった。
状況からするとオレンジの知人らしいのだが、どうにも『それらしく』ない。
そこそこ美形に分類されるであろう陶器のような色白の顔、ふわふわとした髪は緑色でかなりこってデザインしたアバターだと思われる。(奇抜な色の髪と顔つきを自然な感じで組み合わせるのは意外と難しい)
だが、装備が完全に初期装備だ。
それに、オレンジのような『自信』が全く感じられずむしろオドオドしている。
呼び出されたプレイヤーはオドオドしたままで口を開いた。
「は……」
「は?」
なかなか言葉をはっきり発さないその女の子に業を煮やしたのか、オレンジがいきなり女の子の背中を叩いた。
「大丈夫だから早く言いなさい!!」
「はいっ!! はじめました!!……あ」
……噛んだな
顔真っ赤になってるし、恥ずかしかったんだな。
ここはスルーしておこう。
「はじめました」
あ、しまった……引っ張られて噛んじまった。
うわー……最初に噛んだのをいじられたと思われてるー。目が少し恨みがましそうだ。
「うん、よく言えました」
オレンジさん、フォローが痛いです。よく言えてません。
「じゃあ、『はじめました』の挨拶も済んだところで紹介します」
これ以上いじらないでください。その子、泣きそうです。
「この子はオリーブ。見ての通りガッツリ生粋の初心者なの」
「はい、それは何となくわかりますが……」
『最強のプレイヤー』のオレンジと『上位と言えなくはないプレイヤー』の俺と『生粋の初心者の女の子』オリーブ。どんな接点があってどんなお願いが来るのだろうか?
オレンジの口から飛び出した『お願い』は俺の全く予期していない内容だった。
「この子、実は妹なんだけどさ……ちょっとこの子の兄貴分になってくれない?」
ようやく本題に入れました。