④ミツキ
一日の授業が終わり、帰宅の準備をしていると、前の席に座っている由宇が話しかけてきた。
「ねぇ、みっちゃんは選択授業どれにするか決めた?」
先ほど配られた冊子をつまんで、ぺらぺらと揺らしてみせる。
「夏授業のこと?」
「そうそう」
この学校には、夏休みがない。
申し訳程度に、数日間の休日がお盆の頃ににあるだけだ。
他校生が言うところの「夏休み」の間、一年生には通常の授業が、二、三年生には受験対策の選択授業が行われる。
終業式(何も終わってはいないのだが、この学校でも一応それは行われる)の翌日から、何事もなかったかのように授業があった去年に比べれば、多少の制限はあるものの、上級生たちに交じって自分で選んだ授業が受けられるのは、少し楽しみかもしれない、などと思ってしまうのは、この進学校の空気に洗脳されているからだろう。
しかし、一応は夏休み期間だ。
何かこの退屈な日常が壊れるようなことが起きてほしい、とついつい願ってしまう。
由宇と二人で冊子を眺めていると、窓側の席でスマートフォンを操作していた恭の舌打ちが聞こえた。教師の前では穏やかな仮面を被っている彼だが、本日の優等生の営業は終了したらしい。
「由宇、少し残るぞ」
「どうしたの?」
「明後日、クラス委員のミーティングがあるそうだ」
恭はスマートフォンの画面を見せる。
「ふーん。急だね」
「そのことで今のうちから調べておくことがある」
「分かった。私も手伝える?」
「ああ」
この兄妹(ではないが)には、別々に帰るという発想はないようだ。
メールの返信でも作成しているのかそれきり黙ってしまった恭と、どれにしようかな~と再び冊子を読みだした由宇を、実月は微笑ましい気持ちで見つめる。
「選択授業、真宮くんとは相談しなくていいの?」
「どうして?」
授業紹介のページから顔を上げて、由宇がきょとんとした。
「二人は同じ授業を取ると思ってたから」
由宇がちらっと恭の方を見た。
「うーん。二年生が取れる授業はそんなに種類多くないし、GかJに居ないと取れないものもあるから、結局は同じになっちゃうと思うけど、相談して決めたりなんてしないよ~」
妹姫の方は意外と独立心があるようだ。
「恭は勉強のことに関してはマジメモードになるからなぁ」
ジュースを買いに行っていた幸樹が、紙パックを片手にニヤニヤと笑いながら立っていた。
「アイツの成績なら理系組対象の授業への参加も認められるだろうし、案外、夏の間は別々の時間割になるかもね」
「え?」
由宇は驚いた顔になる。
椅子を鳴らして立ち上がると、迷子になった子どものようにオロオロしだす。その様子を見た幸樹が、口に含んだジュースを吹き出しそうになるのを堪えて震えている。
オヒメサマが一人立ちするのは、まだまだ先のことになりそうだ。
「ところで、ミーティングの内容って何?」
なんとか危機を乗り越えた幸樹が、目に浮かんだ涙を拭いながら尋ねた。
生徒の自治の精神を重んじるこの学校では、クラス委員の存在は大きい。各クラス一名すつ、計十八名の生徒が、校内を取り纏めている。
「何かトラブル?」
由宇が不安そうな顔をした。
「いや、そういう類のことじゃない。だから余計面倒なんだが」
恭は小さくため息をついた。
「例の落書きの件だ」