ガチムチマッチョマン
トイレのふりをして廊下に出た。
教室とは一変して、冷たい空気が誠を包む。心臓の高鳴りを感じた。授業中に廊下をうろついている以上、誰かに目撃されればタダでは済まない。
余計な音を立てないよう、忍び足で先に進む。目的地は職員室だ。そこくらいしか、横松先生の行きそうな場所を知らない。
先生のさっきの停止っぷりは何なのか。あのとき先生の身に何が起こったのか。知りたい。突き止めたい。ひょっとして実は彼氏がいて、妊娠していたとか――先生にはなんらかの持病があるとか――妄想は止まらない。
だから誠は、何物かが背後に近寄っていることにも気づけなかった。
「ねえ」
肩をツンツン突つかれた。
「おわっ!!」
思わず背を張った。
咄嗟に振り返る。
目をキョトンとさせた白鳥れいなの姿が、すぐ目の前にあった。
れいなは数秒目をしばたたかせてから、抑えた声で言った。
「そんなにびっくりすることなくない?」
「び、びっくりしてねーし!」
「しかも声でかいし」
人差し指を唇に当てるれいな。それを見て誠はすこしばかり平常心を取り戻した。同じく抑えた声で言う。
「なにしに来たんだよ」
「……誠くんこそ、なんで教室から出たの?」
「先生の尾行」
「あっ、やっぱりそうだったんだ」
「俺の質問は無視かよ」
ツッコミを入れると、れいなはふふっと笑った。
「私はね、誠くんの尾行」
「……は?」
「だって急に教室から出るんだもん。気になって当たり前だよ」
れいなはその場でふわっと一回転し、言った。
「そういうわけで、私は誠くんを尾行する。だから誠くんも先生を尾行して」
要するに二人ともストーカーである。
誠は「へいへい」と投げやりに返事をすると、忍び足を再開した。別についてこられたって害はない。ついてきたいなら勝手についてこればよい。
数秒後には、誰に見つかるでもなく職員室に着いた。二人でこっそり扉を開ける。だがそこに横松先生の姿はなかった。数人の先生たちが、机の前でパソコンを操作しているだけである。超がっかりである。
扉を閉め、誠とれいなは顔を見合わせた。職員室以外に横松先生の行きそうなところはどこだろう。いかんせん入学して間もないのだ、校舎の構造さえ完璧には把握しきれていない。――これは、諦めるしかないか。
「おい」
ドスの効いた声が響いたのはそのときだった。誠は思わず瞳孔を開いた。この威圧感あふれる声。まずいぞ……ヤバいタイプの先生だ――
おそるおそる振り返る。誠の頭上で、四角い顔が牙を剥いていた。竹刀が似合いそうな、超ガチムチの先生である。
「おまえら、そこで何してる」
獰猛な獣の声に、誠は返事をすることができなかった。呼吸するだけで精一杯だった。
「答えろォ!!」
ガチムチ先生は大量のツバを撒き散らしながら吼えた。れいながドン引きしたように「汚っ」と数歩後退する。
「おまえら一年生だな? なら教わったばかりだろ? いまは授業の時間だ」
「先生ツバ汚い」
「言うてみいやゴラ。おまえら何年何組だ」
「先生、だからツバ汚い」
「はん、最近のガキは信じられんな。入学していきなりこんな非行をしでかすとは」
「あの、先生!!」
れいなが面倒くさそうに先生をにらんだ。反論されるのが予想外だったのか、先生が一瞬たじろぐ。その隙を、れいなは見逃さなかった。
「私たち、横松先生を探してるんです」
「んあ? 横松……」
「いまは授業の時間。それはわかってます。でも横松先生がまだ教室に来ないから、授業が始まらないんです。だからいま探してる。なにか変ですか?」
「むむ……」
すっかり空気に呑まれたのか、ガチムチ先生は数秒口をもごもごさせる。
「それなら、堂々と職員室に入ればよかったん……」
「私たち、はやく授業受けたいんですけど。邪魔するんですか」
「んむ。ぐぐぐ……」
ガチムチ先生は苛立たしそうに歯ぎしりをする。だが口では勝てないと悟ったのか、ぷいと顔をそむけた。
「そういうことはな、先に言え」
「先生が言わせてくれなかったんですけどね」