sect.9 孵化
終着駅ハーデルマークに着いた列車からは、様々な人々が降りてくる。
豪華な服装に身を包んだ貴婦人や、仕入れを終えて帰郷した商人、大きなリュックを抱えた旅人、そしてあからさまに“不審者チック”なシャンネラ一行も・・・。
道行く人々は何者だろうかと、変な目でシャンネラ達をチラチラ眺めている。
「シャンネラさん、もしかしてこれって目立ってません?」
ユマが不安げな表情で、隣を闊歩する太ったピエロに尋ねる。
「バカ言うんじゃないよ。しっぽりと馴染んでるよ!」
シャンネラはまるで気に留めていない。
シャンネラの作戦はこうだった。
商人の格好をして潜り込めば、荷物の検査だといって引き止められる。
旅人だといって潜り込めば、どこから来たかといって引き止められる。
貴族とその従者だといえば、身分を証明しろといって引き止められる。
一番安全なのは、芸をしながら路銀を稼いで各地を転々とする大道芸人に扮すれば、大して素性も調べられずにハーデルマークに潜入できるだろうという目論見だった。
たしかにこのハーデルマークに向かうヨークの駅では、奇抜な格好にも関わらず、誰に呼び止められることもなく他の乗客に紛れ込むことができた。
・・・どうやら何かの冗談ではなかったらしい。
「でも目的地には着いたけど、どこを探せばいいのか分からないね・・・」
ユマが心配そうに呟く。
「フン、心配には及ばないよ。あたしらが着くまでに、手下どもには情報を集めておくよう言ってあるからね」
「えっ、じゃあ・・・」
「今から現地の情報員と落ち合って、まずは情報の入手だ」
そう言いながらシャンネラは、ガハハハと高笑いする。
「オババ、目立っちゃうよ!」
慌ててニトがシャンネラをたしなめるが、当の本人はそんなこと知ったこっちゃないと言わんがばかりに平然としている。
(ここにエンゾが・・・)
うつむき何やら考え事をしているシュカヌに、ユマが尋ねる。
「大丈夫、シュカヌ?気分でも悪い?」
「いや、大丈夫。気にしないで・・・」
そう答えるシュカヌだったが、心ここにあらずという感じで、いつかの思いつめたような表情にユマは不安を覚えるのだった・・・。
いっぽうその頃・・・
研究所の一室にせわしなく作業を続けるリグアと研究員たち、そして一歩引いたところからそれを見つめるヴェルデの姿があった。
彼らの目の前にはコポコポと液体の中で泡を上げるヌシ神。その場にいる研究者たちは当たり前のように作業を行っているが、それは数々の段取りをこなしてきたリグアの手腕による功績が大きい。
正直リグアの疲労はピークにきていたが、念願の研究が進んでいるという興奮がそれを打ち消していた。
その場で何をするでもなく、腕を組んで作業を見守るだけのヴェルデ。
「うーむ・・・。ここに来ても何を研究しているのか、さっぱり分からんな」
せわしなく動き回るリグアが背後に近づいてきたのを確認しながらヴェルデがつぶやく。
「やめた方がいいですよ。まかりなりにも、あなたは責任者なんですから。そんな発言は現場を混乱させてしまいます」
「厳しいな。だが皆もわかっているだろう?俺がここに居たところで、研究には何の役にも立たないことなんて」
「そんな事はないですよ、あなたにはあなたにしか出来ない判断ができるし、その役割をあなたは演じることが出来る」
皮肉交じりのリグアの言葉にヴェルデはふっと苦笑いの表情を浮かべた。その時はすぐにその役割が彼に訪れるとは思いもしないで。
「何だこれは?」
二人の背後で一人の研究者がつぶやく。
「どうした?」
つぶやいた男に近寄り尋ねるリグア。
「先ほどの検査の途中から微弱な反応があったのですが、その周期に偏りが現れ始めました・・・」
「どういうことだ?」
「この同一条件での偏りは、本来であれば鉱物に対してありえない反応です」
「うーむ・・・」
・・・カタカタ
その時、室内を微弱な振動が包んだ。
「まただ・・・」
いつからだろうか、ここで研究が始まり五日になるが、時折地震のような振動が起こるようになっていた。
研究者達は互いに顔を見合わせ、わずかな動揺を覗かせる。
「大丈夫だ、続けろ」
浮き足立つ研究者たちにヴェルデは短く伝える。
怯えながらも自分の持ち場に戻った研究者たちは作業を再開する。
「どう思う?」
リグアに尋ねるヴェルデ。
「兆候としては悪くないですね」
「まだ“枯れてはいない”証拠ということか・・・」
「現時点では断言はできませんが」
カタカタカタ・・・
「だんだんヒドくなってくるな」
「そうですね・・・。問題はないと思われますが、調査してみる必要はあるかもしれませんね。今日のところは、これまでの検査結果をまとめるってことで・・・」
リグアがそう言いかけた時だった。
ガタガタタタ・・・!!
「デ、デカイぞ!」
想定を遥かに超える大きな振動に、その場にいた全員が体勢を崩して近くにあるものにしがみつく。そんな中、緊張が走る研究室でヴェルデがすっと立ち上がった。
「起動中の装置を直ちに停止!各員は自己の安全を最優先として、直ちに退避」
ヴェルデがそう言い終わるのと同時に、ガンと大きな音がして施設内の照明が落ちた。
水を打ったような静寂が辺りを包む・・・。
「待て!不用意に動くなよ」
暗闇の中でヴェルデの静かな声だけが響く。
彼らの視線の端で、時折ヌシ神の表面を走る青白い光が見える。
「収まったんですかね?」
リグアは半信半疑で確認するようにつぶやく。
遅れて薄暗い非常灯が辺りを照らす。彼らの目には何も変化はないように見えた。
ピシ・・・
「何の音だ?」
誰かが小さな声で尋ねた。
パリ・・・
「何だ?」
緊張が走る・・・。
ガシャーン!!
「うわぁ!?」
誰かが叫んだ方向に視線を移すと、先程までヌシ神を納めていた容器が割れてしまっており、そこにヌシ神の姿は無かった。
代わりにそこにいたのは、ヌシ神の外殻を背負った“異形のモノ”だった。
グルルルル・・・・
低い唸り声のような音を発している“異形のモノ”は、虫のような形をしていた。
黒い身体から生えた六本の長い足とその姿は、足長蜘蛛を連想させる。
その頭部と思われる箇所からは、緑の半球体が三つ露出していた。半球体はヒダで覆われており、その部分からは粘着性のある体液がしたたり落ちている。
「なんだこれは?ヌシ神が孵化したというのか!?」
ヴェルデが隣で立ち尽くすリグアに尋ねる。
「そういう事ではないかと・・・」
冷静さをかろうじて保ちながらリグアは答えた。
だがこの状況で冷静さを保つ事はヴェルデとリグアは別にして、常人には過酷過ぎた。
「なんだこりゃあ・・・、気持ち悪い・・・」
パニックを起こした研究員がヌシ神の足元から走り去ろうと身構えたその瞬間、ヌシ神が頭をもたげたかと思うと研究員をすくうように跳ね上げた。
研究員は中空に放り上げられ、間もなく嫌な音を立てて落下した。
カサカサカサ・・・
バリバリ・・・
落下した研究員にヌシ神が覆いかぶさるように移動したかと思うと、そこから嫌な音が響いてくる。
「うげぇ、喰ってやがる・・・」
一部の研究員は、極限に達した緊張感とその光景で嘔吐している。
「待て、皆動くな!ヤツを刺激するなよ」
張り詰めた空気のなかでヴェルデが学者達を牽制し、誰もが息を殺してヌシ神と対峙していたが、出口に一番近い場所にいた研究員がその沈黙を破った。
彼はうわぁと大きな叫び声をあげながら、扉を開けて外に出ようと走り出す。
「バカっ!やめろ」
ヴェルデが叫んで研究員を制止するが、その声は彼には届かず、ヌシ神もそれを見逃さなかった。
ガシャン!!
大きな音を立てて開いた扉に、頭から体当たりするヌシ神。
「ヤバイ、ヤツが外に出るぞ!」
「ダメだ逃がすな!外がパニックになるぞ!!」
誰かの言葉に、ヴェルデが叫びながら訴えた・・・。




