ファム・ファタール 運命のスカーレット
※差別、いじめなどの表現があります。
苦手な方はお気をつけください。
あの日は、季節外れに大雨が降っていた。
つまらない会食の帰り道、私は出会った。
裸足で雨に全身を包ませる ファム・ファタール《運命の女》に。
「今こそ君を助けに来たんだ!」
今日は王家主催の夜会。私も旦那様とともに出席していた。
まぁ、私達に挨拶される方々は限られているから終えた後はお酒を嗜み、旦那様と久しぶりにゆっくりして楽しんでおりました。
けれどそれを裏切る知らせを宴も中盤にさしかかった頃、旦那様の側近が持ってきてしまった。
「はぁ、どうやらこの老いぼれをまだ酷使したいらしい。 愛おしい人、すまないがしばし席を外す」
彼は、そう言うと私の手の甲へキスをした。
「あらまぁ、あんまり遅いと浮気してしまうかもしれないわ」
「それはそれは恐ろしい。けれど君が浮気してしまうような男なら興味があるかもしれないな。では、後ろ髪引かれるが少しの間失礼するよ」
旦那様は側近に案内されながら会場を出ていった。
一人になるとそれまで取り繕っていた輩がチラチラとこちらに目線を送ってくる。
顔には出さないが心でうっとうしいと悪態をついた。
まぁ、かつてのように声をかけてこない程度には分別があって良かったわ。
などと安心していたのに。何故か目の前でまるで王子かのように私に手を差し出す男。
言うに事欠いて助けに来たなどと。
やはり変わっていないわと扇子で口元を隠しつつ呆れる。
その姿に「戸惑わなくて良いんだ」などとまたしても的外れ。
「ご無沙汰しております、ノーディー卿」
「あ、ああ。・・・イアンとは呼んでくれないのかい?スカーレット」
決め台詞を無視し、カーテシーで挨拶をする。
訳の分からない言葉は私には関係ありませんもの。
ここで引き下がればいいものをこの男はさらに愚行を重ねる。
「・・・お言葉の意味が分かりませんわ」
「意味?そんな他人行儀やめてくれよ、スカーレット。僕らは幼馴染みじゃないか」
「サリバン公爵夫人」
「え?」
「私の事はそうお呼びください、ノーディー卿」
「君は昔はそんなじゃなかったじゃないか・・・。 やはり無理な結婚が君を歪めてしまったんだね。 けれど安心してくれ、僕が今度こそ助けるよ」
昔ねぇ。確かに変わったわ。けれど貴方が変わらなすぎるんでなくて?
夜会でこんな騒ぎを起こしたというのに周囲は遠巻きにこちらを伺うばかり。
なるほど。陛下と旦那様を初めとした高位貴族の当主が席を外しているのか。
目の前のこの男は腐っても侯爵嫡男。しかも面倒なことに母は降嫁した王女様。
つまり陛下の甥御にあたる。
だからこの非常識な行いも諫めれる立場の者が現在いない。
「お気遣いありがたいですが私は卿に助けていただくような事はございません」
「...っ!!そう言わされているんだろう!?安心してくれ、やっと僕は気付いたんだ。 もうかつてのように惑わされたりしない。 だから僕の手を取ってくれ!!」
・・・本当に話を聞かない男だこと。
悪意のないその瞳がキラキラとこちらを見つめてくる。
私が喜んでお前の胸に飛び込むと疑いのないその姿勢がなんと不愉快か。
「だそうですわよ、旦那様?」
「!!」
卿が振り向けば足音を殺し、いつのまにか彼の背後に立っていた旦那様。
「いやぁ、こんな公の場で我が妻に横恋慕とはノーディー卿はさすがの色男だなぁ」
「ち、ちがっ「舞台の一場面を思わせる熱烈な告白に嫉妬してしまいそうだ」
「ふふ、旦那様ったら。貴方が再演していただいてもよろしくてよ」
「いやいや、君への言葉に二番煎じはふさわしくない。待たせてすまない愛おしい人よ」
卿が否定を口にしようとしたが、それを無視して私の側へ歩み寄る。
そんな私達を信じられないものを見るような瞳で卿は固まっていた。
「さて、冗談はここまで。貴様は陛下に頼み、私や父親をこの場から遠ざけたな。そんな杜撰な計画は筒抜けだったが何が目的だ」
「あ、い、いや」
私の腰に手を回した旦那様は先程とは態度を変え、その冷ややかな視線と言葉に会場の空気が凍り付く。
卿も先程までの威勢の良さはどこへやら。
なるほど陛下も相変わらず甥に甘いこと。陛下はお子が産まれるのが遅かった。
そのせいか甥のイアン=ノーディーを可愛がり、甘やかした。
さらには金髪に碧眼という王妹殿下の色を色濃く受け継いだ見目の麗しさから周囲も彼を甘やかした。
「確かに貴様は妻の生家で幼少期関わりがあった、けれど幼馴染みは妹の方であったはずだ。 その後婚約もしたはずだろう」
「僕は騙されていたんだ!!」
「第二幕か?」
「ふふっ、喜劇かしら」
旦那様の耳打ちに私も同じく耳打ちする。
私達は卿の一人芝居の観客。望んでなんかいないけれどどうせなら楽しみたいわ。
気分良く卿が語っているのは私の過去。
旦那様と結婚する前の生活についてだ。
私の名はスカーレット=サリバン。旦那様ことベルアーノ=サリバン公爵の妻。
今でこそ旦那様のおかげで良い身なりをしているが生家のワーノック男爵家にいた頃はひどいものだった。
貧しかったわけではない。なんなら爵位にしては裕福な部類だった。
それでも私に渡されるドレスも靴も世話する使用人すら満足なものではなかった。
けれど周囲はそれが当然と納得していた。
私が娼婦との間に出来た『望まれない子供』で男爵夫妻の『恩情で引き取られた子供』だったから。
それでも妹が産まれるまではマシだった。
唯一の後継として最低限の世話は保証されていた。
けれど妹が産まれてからは完全に家族の輪から外された。
もう私の存在は完全に用済みとなったから。
妹のセレスティアは、父似の翡翠の瞳に母似のマリーゴールド色のふわふわの髪の毛。
それに対して私は黒髪に赤い瞳。父にすら似てもいない私より愛が偏るのは当然と子供ながらに納得・・・したかった。
母似なのだろうがその記憶すら無い。
そんな頃、我が家に特別なお客様が来た。
病弱で空気の綺麗なワーノック領に療養として預けられたイアン=ノーディー。
陛下が甥御を溺愛しているのは周知の事実であったし、彼自身も侯爵家の嫡男。
男爵の地位からすれば本来縁を繋げるのは厳しい家格差だった。
それが彼の療養という名目で奇跡的に起きた縁。
私とは同い年であったし、妹とも二歳差。
狙う目的は明確で。父は当初、私に彼の世話と看病を命じた。
本当なら妹を側につかせたかったのだろうがその頃の彼は本当に病弱で、たびたび罹る病を大事な妹に移させたく無かったのだと思う。
事実私も彼から軽くではあったが病が移った事はあったので心配は正解だったようだ。
彼への手厚い看護に対して熱を出した私は部屋として与えられていた離れの小屋に閉じ込められ、碌な食事すら与えられず、この時ばかりはさすがに死を覚悟したわ。
次第に彼の体調は回復していき、そうなれば私の出番は終わり。
ようやく普通の子供として生活できる彼の側に妹を置いた。
両親の思惑を理解していたのか本能からなのか彼女は早々にイアンに恋した。
「イアン様は私の王子様なの、だからあんたは近づかないでよ!」
なるほど確かに最初の頃からすれば血色の悪かった肌や荒れた髪などを知らず、現在の金髪碧眼に健康的な姿だけを見てれば王子様に見えるのも納得だった。
言われなくても近づく気はなかった。
夫妻から同じ事を言われたのもそうだがあれだけ看病したというのに彼は熱から記憶が曖昧でセレスティアの「私が一生懸命看病しましたの」という嘘と「お姉様は我儘で従者をいじめてしまいますの。それに身なりを整えませんの」という偽りをあっけなく信じてしまったから。
それだけならまだいいものを。
わざわざ私にくだらない正義感をかざしてきた。
片方の意見にしか耳を貸さない人間がヒーローなのかはわからないけど。
「スカーレット、何故令嬢としてちゃんとしないんだ。セレスがいつも君を心配しているというのに」
「・・・申し訳ありません」
「はぁ、いつもそれだな。同じ貴族なら誇りというものが「イアン様!何してますのぉ?」
「あぁ、セレス。君がいつも姉君を心配していたから少しね」
「そう、でしたのね、、、お姉様がごめんなさい。でもお姉様も悪気があるわけではっ、、、、」
「スカーレット!!妹が泣いても何とも思わないのか!!」
説教に割って入ったかと思えばうるうると涙を浮かべ、彼に寄りかかる。
今思えばあの子は天性の女優ね。自分の可愛さを最大限利用していたわ。
私にだけ見えるその口元はニヤリと笑っていたけど。
私が許されているのは謝罪だけ。
言い訳でもしようものならまた激しい体罰と食事抜きが彼の目に入らないように行われる。
だから何を言われても謝ることしか出来ない。
そんな時間を過ごし、すっかり健康になった彼は自身の家へと帰ることに。
当然セレスティアがそのまま見送るわけなどなかった。
彼が離れる直前妹は倒れてしまった。そしてベットに寝たきりになった彼女の側には彼がいた。
「セレス大丈夫かい?」
「は、、、い、、、。 心配かけてごめんなさい」
「いや、僕もこれまでたくさん世話になったんだから」
「う、うぅぅぅ」
「セ、セレス!?」
「ごめんなさいっ、、、困らせると分かっているの、、でもっ、、でもっ、、私はイアン様が好きなの!離れたくない!」
身体を壊すほどの健気な妹の願いに彼は籠絡され、結果セレスティアとの婚約が決まった。
家格差に侯爵夫妻は渋っていたがここでまた甥に甘い陛下からの援護をもらうことで決定した。
「一幕目はセレスティアが主演だったわ」
「はは、君が学園を中退するまでの主演か」
「えぇ、そして私が貴方と出会うまでのね」
「では妹御は私には恩人かもしれぬな」
「ふふ、安心してくださいませ、お礼は私がもういたしましたので」
セレスティアは彼と婚約して二年後、学園へと入学した。
先に入学していたイアンは生徒会に入る程の優秀者となっており、その婚約者が入学したとあっては注目は当然だった。
療養中の彼に寄り添った事がきっかけの婚約は美談として広まっていた。
心優しきセレスティア嬢。
その愛らしき見た目も相まって瞬く間に学園の中心になっていく。
もちろんそれを面白く思わない生徒もいたが次期侯爵の婚約者。
下手に手を出せば家を巻き込んだ大事になりかねない。
そんな彼らの不満はセレスティアの姉であるスカーレットへと向かった。
彼女もイアンと同年に入学していた。
そして彼とは違う意味で注目を集めていた。
「またあんな格好で」
ボサボサの髪に汚れた制服。
教師に身なりを正すように言われても謝るばかりで改善せず、今では呆れられ放置されるほど。
仮にも貴族というか人としての常識を疑うその奇行に誰しもが眉をしかめた。
しかし一方で授業は真面目で成績だけでいえばイアンにも劣らない。
奇行がその全てを台無しにしていたが。
妹が入学してもその奇行が治まることはなかった。
それどころか妹が気遣いを見せても無視してその場を離れる態度。
「お姉様とは異母姉妹なの。私は気にしないのだけれど平民のお母様の血が混じっているのをとても気にされているみたいで・・・だからみなさんもお姉様を嫌わないであげてください」
奇行を繰り返す姉をそれでも嫌わないでと涙を流すその姿は天使のようだった。
見とれる愛らしさ、清らかな心。
かつての同窓生のなかには彼女に対して信仰のようなものを感じたものが出るほどだった。
だからこそそんな彼女を悲しませる姉に憤怒。
そしてセレスティアへの不満と信仰からの憤怒がスカーレットへの悪意として発露した。
最初は小さな嫌がらせだったがスカーレットの反応がないことに徐々にエスカレートしていった。
奇行を止めないから、妹を泣かせるから。
自分たちの悪意に言い訳をして彼らの行いを正当化させていた。
集団心理に浸った彼らは気付かない。
何故、スカーレットが奇行をやめないのか。
何故、姉を想って涙した妹はいじめを見て見ぬふりをしているのか。
何故、誰もこの現状を不思議に思わないのか。
「正義って気持ちが良かったでしょう?」
「ちがっ、、、」
図星を突かれたのか彼は悔しそうな表情を浮かべていた。
知らないとは言えないわよね。
だって私を教育するという名目で虐げた人の先頭にいたのだから。
「私に『貴族として!』って叩いた貴方の顔を鏡で見せてあげたかったわ」
「違う、僕は、、だまされ」
「まるで結末の決まったコメディね。だって、普通の頭なら気付いたはずよ。裕福な男爵家でどうして私だけが痩せぎすで、身なりも整えず、制服すら汚していたのか。平民の子だから?変人だから?ふふ、貴方達って見たいものしか見えない色眼鏡をお掛けになっているみたいね」
「あ、あいつが君自身が拒否してるって」
「平民の血が混じろうと仮にも当主の娘の髪や服が汚れていれば整えるのが侍女の仕事よね。ええ、仕方ないわよね。そんな当然のことを享受してないなんて|イアン=ノーディ侯爵子息《甘やかされたくそ餓鬼》には想像すら出来なかったのよね。見たままを信じるなんてとっても素敵な頭ですこと。あの頃と変わったの何て身だしなみぐらいですのに貴方にとっては随分良く映ったのね」
「・・・・・」
「おやおや、自分が救うと手を差し出した王子様のつもりが麗しの姫君は悪の親玉と幸せになっていたなんてなぁ」
「あらまぁ旦那様ったら・・・貴方じゃなくて私が悪よ?だって私は貴方のファム・ファタールなのでしょう?」
「ははは!ああ、そうだな。我が愛しのファム・ファタール。どうか私を破滅へと導いておくれ」
もう目の前の男への興味など失って、旦那様は上機嫌で私の首筋にキスをした。
首へのキスの意味は、強い執着と独占欲。
「ふふ、喜んで旦那様」
あの日はついに家から追い出された日だった。
着の身着のままどころか靴さえ履かされぬまま雨降る街へと放逐された。
原因は学園を中退したから。
過激ないじめの末にありもしない罪を捏造され、ろくに調べもせずに退学が決められた。
おそらく罪を学園に報告した中に妹の婚約者がいたからだろう。
「罪を認めて反省しろ・・・か」
きっとあの男はまさかそれが原因で家から私が追い出されるなんて思いもしないだろう。
甘い、甘い、箱庭でぬくぬくと生きてきたのだろうから。
病に苦しんでいたあの時に見殺しにしてしまえばよかった。いや、そしたらその責任をとらされていただけか。
冷たい雨が身体の体温を奪い。
足の裏には砂利が食い込む。
苦しい。辛い。と思うはずなのに何故か私は笑っていた。
そんなボロボロの私の前に突然現れたのは身なりの良い一人の老人だった。
慈悲か?情けか?
けれどそのどちらでもなかった。
「何故笑っているんだ」
「私の両親が死んでいてくれたから」
そこで私の意識は途切れた。
私は娼婦の子だと言われ育ったがその実は彼らの兄夫妻の子だった。
家を追い出される時初めて真実を語られた。
私が産まれて間もなく兄夫妻が事故で亡くなり、弟夫婦が私を引き取ったそうだ。
弟夫婦には当時子供がいなかった為、後の後継者争いを警戒して私を養子にしたそうだ。
ただその後妹が産まれ、継承権の優位性を示すため私を娼婦との子だと偽った。
実母は没落貴族で身内がいなかった為その偽りもバレなかった。
男爵家の親族には兄夫婦の子は事故でともに亡くなったと伝えていたそうだ。
つまり私は彼らにとっての姪。
それがとても嬉しかった。
私と彼らを繋ぐものなんて初めからないも同然だったのだから。
貴族にこだわる気持ちなんて元々なかった。
彼らは平民と馬鹿にしていたが彼らの何がそんなに偉いというのだ。
正義感に酔って、真実は見ようともしない。
いっそ滑稽で哀れ。
「だから笑っていたのか」
「・・・」
どうやら老人の家にでも運ばれたらしい。
朦朧としながら私は喋っていたようだ。
冷静に老人を見れば私はその顔に見覚えがあった。
ベットから身体を起こし、彼に礼をとる。
「ご無礼をお許しください、ベルアーノ=サリバン公爵閣下」
「ほう、私を知っておるか」
「既に放逐された身ですが男爵家に名を連ねておりましたゆえ」
「いや、それでも隠居した元宰相を知る若者は少ない・・・スカーレット嬢」
「・・・挨拶が遅れました、ただのスカーレットです」
私の反応が気に召したのか彼はニヤリと笑った。
その後何故か彼の屋敷で使用人として雇われ、のちに結婚するなんてこの時の私は思いもしなかった。
最初は珍しい赤の瞳に興味がひかれた程度だった。
宰相を辞めてからも王族を含めこの国は私の傀儡。
若かりし頃は、それも楽しかったが既に六十を超えた私にとってこの世は既に退屈で仕方なかった。
そんなとき雨でびしょ濡れになりながら笑う女に出会った。
最初は瞳の色に目が引かれたがその所作は格好に見合わなかった。
保護して寝させている間に調べさせれば彼女の出生の秘密やその後の人生は簡単に手に入った。
そこから笑っていた理由が分かった気がした。
「だから笑っていたのか」
「・・・」
彼女が目を覚ましていた。どうやら寝言で語ったと勘違いしているようだ。
私が誰かと知って動揺するでもなく美しい礼をして、かと思えば名を知られた事にただのとつけて返す豪胆さ。
面白い。女など仕事での接待の付き合い程度でわざわざ関わりたいと思ったことなどなかったが私の琴線に何かが触れた。
後にベルアーノ=サリバンは語っている。
「彼女はまさしく私のファム・ファタールだ。運命の女であり私を破滅へと導く女。え?愛おしい人に使う言葉でない?だってそうだろう。老いらくの恋をこの私に与えるのだ破滅以外の言葉は生易しすぎる」
恍惚とした表情で語られたその言葉の真の意味は彼らにしか分からないだろう。
それが幸せなのかはたまた不幸なのか。
そして最後に一つだけ伝えておこう、彼は愛した女を害した人間を見逃したりはしない。
かつての家族も同級生たちも自分たちの過ちのツケを払わされる。
今、君が無事なのは遅いか早いかの違いだけ。
確か彼女のかつての家族は既に奴隷に落とされたはずだ。
間違いなく言えることはサリバン夫妻が出会ったのは君にとっての破滅なのだろう。




