本格ファンタジーなんてジャンルは存在しない
よく本格ファンタジーの何たるかが議論される。
けど「本格ファンタジーとは何なのか」なんてね、誰にも定義できるわけがないのよね。
だって、そんなジャンル世界のどこにもないから。
あなたが本格ファンタジーと思っている古典的名作があったとする。だけどそれも、当時は下らない流行作品扱いされていたかもしれない。
実際、幻想文学自体が黎明期から下らないジャンル扱いされていたし。
だけど、ある作品に心打たれた人がいたとしよう。
大勢の熱心なファンが生まれた。影響で自分も書こうと志す人も大勢現れた。
その作品は何度も読み返され、後進の手本となった。
すると、その作品は数十年後に名作として「本格ファンタジー」と呼ばれるようになる。
本格ファンタジーとは、そうした人々から呼ばれる「称号」みたいなものなのだろうね。
いや違う。本格ファンタジーとはシリアスで世界設定があって……という意見もあるだろう。
だけど、そうした条件を満たしても、駄作で誰も読んでくれなければ「本格」になれるわけがない。
あと発想の源流となったのが本格ファンタジーだという意見ね。これも違う。
例えば、よく言われる『指輪物語』こそがファンタジーの源流だという説。あれ、そうでもない。
当たり前だが、当時にいくらでも似た作品があった。例えば人工言語を使うというアイデアも、もっと昔からあった。
じゃあ『指輪物語』の何が偉大だったか。そうしたアイデアをまとめ、洗練させ、面白い作品に仕上げたことだ。
だから「源流=本格」ではない。大勢のファンが語り継いだから、本格になれた。
また世界設定が重厚ならば本格だという意見に関しても違う。もともと幻想文学に「世界考証」という概念はなかった。
まず世界の文学にリアリズム文学というジャンルがあった。これは社会を描き出すのが主眼。社会背景を詳細に描き出すことで、自分たちと違う文化圏でも読める文学が生まれた。
それまでは同じ社会に属した、つまり身内でないと小説に何を書いているのか、あまり分からなかった。
この時に生まれたのが、社会背景を描き出す「考証」という技法。今では皆もよく知っているアレだ。
その一方で、現実にありそうなことを書くのが全てではない、と幻想文学が生まれた。
けど幻想文学はリアリズム文学から「あんな嘘八百」と卑下された。社会的にも一段劣ったジャンルと見なされていた。
そんな幻想文学だったが、実在しないものにリアリティを与えるために「考証」の技法を導入する。
なので幻想文学で「考証」つまり、世界設定の技法を取り入れたのは途中からの話。世界設定の有無は全てではないわけだ。
なんなら理不尽を理不尽のままに描き出した方が幻想である、という作品もあるだろうし。
なので「本格ファンタジー=世界設定」は間違い。
だけど、源流とか設定なんて関係なく面白いファンタジー作品があったとする。
面白い作品に対して、読者の解像度は高くなる。行間を読み、背景の世界を想像する。
ファンタジーの「世界設定」って、つまりはこうした面白さから来る、想像力の飛躍によるものじゃないだろうか。
駄作の世界設定とか、どうでもいいでしょ?
だから、時代により、人により、各々の本格ファンタジーがあるはず。
過去は過去の、今は今の本格ファンタジー。
本格ファンタジーとはそうした、感動の原点となった作品に与えられる「称号」だよ。他人が勝手に定義するもんじゃない。
だから「これが私の本格ファンタジー!」と語るのは良いよね。自分の感動の歴史を語るようなものだから。
自分の感動を、他人に否定されたり、決めつけられたりしたくない。一人一人の本格ファンタジーがあって、それが本当よ。
思想・情報統制されたディストピアじゃないんだから。
今は下らないとされる流行作も、十年後には古典的名作、本格ファンタジー。
だから各々が自由に「マイ本格ファンタジー」を語れば良い。
きっとその中から次代の本格ファンタジー作が選ばれるだろうから。




