大会までの過ごし方
自分と向き合う期間。
先生は相変わらず渋い顔をしているけれども。
だって、私はたくさんの時間を画に割いた。
自己理解の時間も
表現の時間もずっと私の表現には鉛筆があり、絵の具があった。
鉛筆だけならば自己理解の時間に当てた。
絵の具は自分の表現の時間になっていった。
同じような作業をするのにも原動力は全然違う。
モチベーションも。
鉛筆はわたしの事故の危うさをよく表現してくれる。
濃さと薄さを自分の理解し得るものへと昇華させてくれる。
時には自分の知らない一面が現れる。
(こんな自分知らない)
自分は常識がある方だと思っていた。絵に関わらず、私生活でも学校内の行動でも。
でも違った。
ただ決められていたから従っていただけ。
不満を押し殺して感じていないようにしていただけ。
――なぜあの子だけ許されるのか――
私は同じようにふるまったとて、怒られてしまうのか。
物わかりの良いいい子のふりをしていた。
だってその方が先生と家族と友達に求められる自分像だから。
紙面の上ならばいい子ぶる必要も、
迷惑をかけるかもしれないと考える必要もない。
自分の表現でいい。
自分のしたいことを誰にも咎められることなく表現できる。
デッサンの基礎とか応用とかそんなものだってどうだっていい。
先生に評価はされるのかもしれないけれど。
怒られることはない。
☆☆☆
彼女はどんどんのめりこんでいった。
下校時間を気にすることもなくなった。
そして、デッサンの基本を書いたもの、応用を書いたもの、そして芸術へと著しく早く昇華していった。
彼女の先生は頭を抱えた。
(ああ、だからやだったんだ。彼女は芸術の原石だとおもった)
順位をつけることで開花してしまう。
きっと彼女にはいい影響しか与えない大会となるだろう。
しかし、そこには凡人だって存在する。
努力で勝ちぬくことしかできないものにとって彼女の創作の仕方は暴力に値する。
天才は気が付かない。
自分が素晴らしい才能を有していることを。
そして、凡人たちに見せつけるのだ。
自分たちはどうやっても追いつけない域にいることを。
(嫉妬につぶされなければいいが)
懸念しているのはただそれだけ。
格の違いを見せられた凡人たちは大人しくその歴然たる差を認めるだろうか。
それは凡夫の人間性にゆだねられる。
その大会では各々出品者が感想をいう時間がある。
彼女に凡人たちの感想を耐えきれるものだろうか。
その部分だけを気にしている。
(タバコがうまいな)
気にしてやれるのはここまで。
あとは彼女が向き合う問題だ。
自分の生徒だけはメンタルケアをしっかりしようと思ったのだった。