古い記憶
私の覚えているのは画を書いていること。
先生にああでもないこうではないといわれ、構図を考えデッサンしていく。
「もうここにいて長いからもうそんな書き方はしないのだよ」
「はい」
私には見えたまま書いているのに。
先生は本当に汚い描き方をするように見えたようだ。
なるべく先生に気に入られるように描く。
「はぁー。今日のレッスンは終わりだな」
いつもそうだ。ため息をついてレッスンを終える。
私はこんな花瓶なんか書きたくもないのに。
外に出て、たくましく咲く花を書いてみたいのに。
わがままなことは言えない。
冷たい石膏の影を必死につけている。
先生に気に入られるために。
☆☆☆
周りの生徒たちはコソコソと話をしだす。
「先生、いつも典子に厳しいよね」
「やっぱりそうだよね」
「絶対にそうだって」
「え? そうかな」
「先生が典子を気にかけているのまるわかりだよ」
「将来有望だから気になるんでしょ?」
「どうだか」
典子は将来の希望よりも、今自分の関心あるものを表現したい。
「あほくさ。先生が私の人生に干渉してくるのは本当に迷惑なんだよね」
「あーあ。問題児みたいなことになっているんだぁ」
「典子も先生も熱意はあるのになんかから回っているよね」
「それが典子のいいとこジャン?」
「まぁ。真面目なんだよね。良くも悪くも」
「本人だけ気づいていないよね」
「不毛だわぁ。もっとやりようがあるのにねぇ」
クラスメイト達が言うように典子はまじめすぎるきらいがあるようだ。
ただまじめなだけならばこれからの人生でいくらでも変わることはできるだろう。
しかし「真面目過ぎる」のはいけない。
こうしなければならないと無意識で考えてしまう。
気が付いて指摘してくれる人がいればいい。
いなければ自分の命を粗末に扱いかねない。
この世は所詮弱肉強食であり、真面目であることは当たり前のことに過ぎない。
これを取り柄にしてしまうとどうにも苦しい人生になってしまう。
人生には遊びが大事だし余白にも意味がある。
それを気が付かない人は神様から罰を受ける。
真面目過ぎると人生を謳歌していないとみなされるようだ。
(つまらない人生の法則よね)
分かっている。しかし羽目を外すことも案外重要なことなのだ。
真面目過ぎる自分を抜け出すのにはとてもとても長い時間がかかる。
(バカみたい)
一度不良になる期間は人生のどこかで必要で社会人になってからでは、
どのように力を抜いていいものやら分からないのだ。
そういう楽さが現代社会には足りていない。
社会人になってから学びなおしの時間をとることは難しい。
器用な人ならともかくも
大体躓くのはまじめで不器用な人ばかり。
典子には自分もそうだと思えた。