第18話 葬送
冷たい雨が焼け焦げた屋根を叩く音は、弔いの鐘のように村中に響いていた。
私は崩れた井戸端に腰かけ、騎士団が運び込んだ松明の炎を呆然と見つめていた。
炎の中では、スタンピードで押し潰された少女の靴が徐々に灰になっていく。
「シリウスちゃん、温かいものでも飲みなさい」
マーサさんの声にふと現実に引き戻される。
差し出された木製のマグカップには、薄いスープが波紋を描いていた。湯気の向こうで、彼女の左手が不自然に震えている。
「……マーサさん、座ったら?」
「大丈夫よ。立っている方が、まだ役に立てるから」
マーサが笑みを浮かべながら、次の遺品を炎に投じる。焼ける革の匂いが雨粒に溶け、異様な甘酸っぱい香りになる。騎士団の若い兵士が斧で形を崩した家具の山が、次々と炎に飲まれていく。
スープを啜りながら、村の変貌を目に焼き付けていた。
二週間前の夜明けまで、この広場ではトーマスさんが野菜を並べ、子供たちが噴水の周りを駆け回っていた。今や噴水は瓦礫の山となり、水鏡に映るのは黒焦げの梁だけだ。
「東側の家屋修復は明日完了します」
銀鎧に身を包んだ騎士団長が近づき、羊皮紙の報告書を広げた。
地図上に赤い印が無数に打たれている。
「ただし、地脈の乱れは収まっていない。エルモン様の消息が依然として──」
「分かっています。」
シリウスが遮るように立ち上がる。騎士団長の胸当てに映る自分の顔が、いつの間にか大人びて見えた。
「今日は葬儀の日です。仕事の話は明日にして下さい」
騎士が去った後、マーサがそっと肩に毛布をかけてくれた。
「優しくなったわね」
絞り出すような笑みに、己の無力さを噛み締めた。
魔法で村を守れなかったこと、エルモンさんの行方を追えないこと、そして何より──
(この手で、マーサさんの命さえ救えない)
夕暮れ時、最後の遺品が焼却される。騎士たちが剣で地面を叩き、斉唱する追悼の詩が雨に消える。
誰とも目を合わせずに広場を離れ、半壊した宿屋の屋根に登った。
「見つけたわよ」
梯子を昇ってくるマーサさんの息遣いが荒い。
持ってる籠から、炭化したパンと干し肉を取り出す。
「今日は何も食べてないでしょ?」
「……騎士団の配給は村人優先だから」
「そういう時こそ、年寄りの特権を使うのよ」
マーサがくしゃっと笑い、ひび割れた壁に背を預ける。
「昔ね、リュカが戦いで食料不足になった時、私はね──」
突然、痙攣のような咳き込みが襲う。急いで駆け寄ると、彼女の掌に鮮血のしずくが光っていた。
「大丈夫、大丈夫……」
マーサが血を袖で拭い、変わらぬ笑みを浮かべる。
「ただの疲れよ。この歳になると、体のあちこちが漏れ出すのさ」
指先が少し震える。虚空魔法で瘴気を消去した時の感覚が蘇る。あの不可思議な結晶を生成する能力なら──
「だめよ」
まるで思考を読まれたように、マーサが手を握った。
「エルモンさんが言っていたでしょう? 魔法には必ず代償が伴うって」
月が雲間から顔を出し、焼け焦げた梁の影がマーサさんの皺を深く刻む。
「私の人生は、十分に輝いたわ。でもあなたは──」
遠吠えのような風の音が言葉を遮った。
私は黙って彼女の頭を膝に乗せ、櫛で白髪を梳かし始めた。
「マーサさんが教えてくれたカモミール茶、騎士団の兵士たちに好評よ。明日は私が──」
「シリウスちゃん」
震える手が櫛を止めた。
「私の箪笥の奥に、革の箱があるの。あれを、旅立つ時に持っていきなさい」
喉元で脈打つ予感に頷くしかなかった。
◆◇◆
葬儀から十日後、村に春の兆しが訪れた。
私は腐った床板を剥がしながら、窓の外を眺めた。子供たちが瓦礫の山で遊び、主を失った山羊が新しい柵の中を歩き回っている。
「シリウスさん! 西の畑の水路が──」
「今行きます」
日没までに七件の依頼を処理する。屋根の補修、種の選別、そして薬草配達。
夕暮れ時、マーサの寝室で革の箱を開ける。中には古びた手紙が入っている。『リュカへ』と書かれた封筒には、若き彼女の涙の跡が染み付いていた。
「読んでいいのよ」
枕元でマーサが咳き込みながら囁く。
「あの時、炎の中に消えた人への手紙……きっと、あなたに必要な答えが書いてあるわ」
震える指で封を切る。
『愛するリュカへ
私は今日、魔法の練習をあきらめた
あなたを傷つけた炎は
私の心も同じように焼いて……』
涙が羊皮紙を濡らす。
そっと頭を撫でられる。
「魔法を使う者の本当の強さはね、使わずにいられる勇気なのかもしれない。」
夜更け、私は屋根裏で革の箱を抱きしめていた。窓の外では、蘇った噴水の跡地で蛍が舞っている。
明日は梁の補強を──そう考えるうちに、ふと気付いた。
(いつの間にか、この村を自分の居場所だと思っていた)
階下でマーサさんの咳き込む音が響く。天井に浮かぶひび割れを数えながら、旅立つ日のことを想像した。革の箱を背負い、まだ見ぬ虚空の謎を追う自分。そしてこの部屋には、かつての無力さと優しい日々が残される。
月が雲に隠れる時、決意が固まった。
(全ての答えを探しに──)
風が焼け焦げたカーテンを揺らし、誰かの嘆息のように部屋を巡る。まだ言葉にならない覚悟が、星のない夜空へ吸い込まれていった。
第18話を読んでくださりありがとうございます<(_ _)>
いよいよ第一章が終わりますね。
次回も日常回になります。
誤字脱字&誤った表現があれば優しく教えていただければ幸いです。
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