5-9『歓喜の磔刑』
エヴァの誘拐、そしてオスカルを殺害するための作戦が実行される日曜。穂高は斬治郎、昴と共に池袋にあるラーメン屋で昼食を取っていた。日曜のお昼時というだけあって満席で、外には長い行列が出来ていた。
「ドキドキするよ」
麺をフーフーと息で冷ましながら昴が言う。
「今日はただの見学だよ、昴」
「そ、そうだけど……」
「大体は穂高がどうにかするんだよ」
前日、副メイドから作戦の決行を伝えられた時から昴はビクビクと怯えている様子だった。戦闘が必要になる任務に昴が同行するのは今日が初めてのことだ。まだ能力をまともに扱えない昴は見学として穂高達の戦いを見るだけの立場だが、それでもやはり血が流れるのを見るのが怖いらしい。昴は和歌や副メイドと共にエヴァを尾行する時もまるでジェットコースターに乗る前のようにビクビクしていたらしいが、いざ尾行を始めると「意外とこういうのってワクワクするね」とか言って副メイドを驚かせたらしい。
昴は怖がっている割には本番になると平気になるタイプらしい。確かに以前昴は穂高と織衣を尾行したこともあったように、よくわからない行動力を備えている。案外昴はやる時はやってくれるかもしれない。
「むしろ、二人はそんなに食べて大丈夫なの? 吐き出したりしないの?」
並盛りのとんこつラーメンだけを頼んだ昴に対し、斬治郎は大盛のとんこつラーメンと大盛チャーハンを、穂高は同じく大盛のとんこつラーメンと大盛天津飯を頼んでいた。
「実際やったらわかるけどな、すげぇ腹減るんだよ。終わった後も結構食うからな」
「そ、そうなんだ……大変だね」
「僕も昔は一日四千カロリーぐらい取らされてたよ」
「アスリートか何かなの?」
まだ成長期というのもあるが、やはり任務となると運動量が多い上に能力を使うのにも体力がいる。穂高も能力者狩りだった頃は何度か空腹で倒れかけたことがあった。そのため任務終わりだと本部での食事はいつもより量が多くなるし、そんな量を作るのは面倒であるため外食か出前を取ることもあった。
「にしてもここのラーメン美味しいね。僕はあまり家系とかが好きじゃないんだけど」
「渡瀬パイセンがオススメしてくれた店だからな。やっぱ福岡県人のお前らの舌にも合うのか」
「何より湯気通しを頼めるのが嬉しいね」
「それだけは正気じゃねぇよお前ら」
「この小麦感がたまらないんだよ」
斬治郎が頼んだ麺の硬さは普通だが、穂高と昴は湯気通し派だった。湯気通しは最早茹でずに湯気に通すだけという狂気の注文だが、穂高はバリカタ派だった父に影響されて段々と麺の好みが変わっていき、昴も普通の硬さでは満足できなくなっていたのだった。
結局穂高と斬治郎はさらに替え玉も頼んで全部平らげてから本部へと戻った。同じく外で昼食を食べていた女子組も本部へ戻ってきて、高校生組は食堂に集合し副メイドから最終ミーティングを受けていた。
「今日、午後からエヴァは画廊で絵を描いているはずだ。まず穂高と織衣が客を装って画廊へ入ってエヴァがいるか、そして護衛が何人いるか確認する。他の四人は外で待機して、外を警戒している護衛に当たりを付ける。エヴァが画廊から出てきたタイミングで、護衛達に対して一斉に攻撃を始め、現場が混乱している内に詠一郎と渡瀬がエヴァを秩父の山奥まで連れ去り、そこでオスカルと戦う」
ホワイトボードに画廊周辺の簡易的な地図を描き、高校生組が各々待機するポイントに印をつけながら言う。画廊は関内駅周辺の市街地の中にひっそりとあり、人通りはそこまで多くないものの民間人を戦闘に巻き込むわけにはいかないため、副メイドが支部の人間を使って事前に人払いを済ませておく。
「もしも護衛にバレてしまった場合は、その時点で攻撃を開始する。例え護衛に能力者がいても詠一郎と渡瀬はそっちの戦闘には参加しない。お前達で対処してもらう。
何か質問は?」
「エヴァがいなかった場合は?」
「また今度になる」
「オスカルがこっちに来た場合はー?」
「その時は詠一郎と渡瀬が戦うことになる。他には?
無いなら電車で関内まで行くぞ。あ、穂高と織衣には衣装が用意してあるから先に着替えておけ」
衣装と聞いて穂高は嫌な予感がした。織衣も穂高の方をチラッと見たが、彼女はすぐに顔を背けて笑うのを我慢しているようだった。織衣は事務所へ、穂高は食堂の隣にある空き部屋へ着替えに行くと、出灰とは違うデザインの、女子用の制服が机の上に置かれていた。納得がいかない穂高だったが、抗うのを諦めた。
「あー、ほー君は結構喉仏が出てるから隠した方が良いかもね」
緋彗が穂高の首にピンクとブラウンのチェック柄のマフラーを巻いた。
「もうちょっとアイブロウかけてふんわり系にしてみよっか」
さらに緋彗が穂高の眉毛をアイブロウで整えていく。
「もうちょっとピンクっぽいシャドウと……チークをもうちょっと盛るか……」
さらにアイシャドウとチークを加えていき、緋彗はその出来に満足しているようだった。
「もうちょっとストレート感のある髪型の方が似合うかもね。うん、美人っぽさが出る」
緋彗は穂高が着けていたボブ気味のウィッグを外し、ストレートロングのウィッグを代わりに着けた。
「うんうん、良い感じ良い感じ。あと足は内股でね」
穂高は足を内股に開いた。
「うん、バッチグー! ほー君、完璧な女の子になったね!」
「すごーいすごーい」
前回と同じ格好ではバレてしまう可能性があったため副メイドは別の衣装とウィッグを用意していた。そんな面倒なことをしなくてもと穂高は思ったが、敵地のど真ん中に突っ込ませられるのは穂高と織衣しかいない、と判断したらしい。
しかし女子組の中で一番化粧にうるさい緋彗による徹底的なサポートにより、穂高は鏡で自分の姿を見て驚いた。前回の幸が薄そうなしおれた少女ではなく、品行方正そうな美しい女子高生へと生まれ変わったのだ。
だが、やはり穂高は素直に喜べなかった。
「初めて見た時から良い素材だとは思ってたけど、まさかこんなに良いとは思わなかったね、うん」
副メイド(メイド)が穂高の肩をポンと叩いて言う。良いよなアンタは自分の趣味で好き勝手変装できてと穂高は思った。
「すげーな。何なら俺のタイプだな」
「ぶち殺すぞ」
「お前が言うと冗談に聞こえねぇんだよ」
良いよなお前はガタイが良くて男っぽいからと穂高は斬治郎に対してキレかけたが、斬治郎に罪はない。
「ま、まぁ女装が似合うことは悪いことじゃないと思うよ、うん……」
幼少期の穂高が女子扱いされるのを嫌っていたことを知っている昴は苦笑いを浮かべていた。
「何だか悔しくなる」
一方織衣は、今回はウィッグではなく銀髪を黒に戻して短く結び、マフラーは赤と緑のチェック柄のものを巻き、穂高が来ている制服と同じタイプのものを着ていた。
「いやいや~織姫ちゃんも負けてないよ? 美男美女……いや、美女美女カップル?」
「ビショビショみたいな語感だねー」
「コ・ン・ビ」
着替えも終わり、高校生組は電車で横浜まで向かい、そこで乗り換えて関内駅へ。副メイド(メイド)は高校生組と別れてオペレーターが待機している支部へと向かった。
関内駅で穂高と織衣は他の四人と別れて、時間を確認して画廊へと向かった。やはり日曜ということだけあって人通りが多かったが、穂高の変装はバレていないらしい。それだけに穂高は余計に悲しくなっていた。
「……私って、そんな女の子っぽいの?」
隣を歩く織衣に穂高は聞いた。
「私よりかは」
一時間をとって、そう答えた織衣を見て穂高は気づいた。どうやら今日の織衣はあまり虫の居所が良くないようだ。
「……怒ってる?」
「怒ってませんが?」
「……白雪さんはどんな格好でも似合うから」
「どんな格好をしても変わらないって?」
「すいませんでした……」
穂高は織衣に気圧されて負けてしまう。どうやら織衣は自分を女の子らしいとは思っていないようだ。穂高からすれば織衣は十分に一人の立派な少女だが、もしかしたら織衣自身は自覚していないのかもしれない。良くも悪くも、あんなに目立つ容姿を持っているのに。緋彗のように家事も出来て化粧品や服にこだわっている女子力強めの同級生がそばにいるのだから感覚が狂っているのだろうか。和歌のようにぐーたらしている奴もいるが。
「例えばさ、白雪さんが男装して似合うって言われたら嬉しい?」
「嬉しくない」
「それと一緒よ、私だって。可愛いって言われるよりかっこいいって言われた方が嬉しいもん」
緋彗は穂高のことをかっこいいと言ってくれるが、ツクヨミでは一番行動を共にしているはずの織衣から言われた記憶はない。
「私は、どちらかというとほだk……じゃなくて、めだかの変装が様になってるのが怖い。どうしてそんなにスッと女のフリが出来るの?」
「妹とか昔の友達とか、身近な異性を参考にしてるだけよ」
「その髪の毛をかき上げる仕草とかも意識してやってるの?」
「これは姫野さんを真似してるだけだけど」
「……怖っ」
「ひどくない?」
確かに穂高も能力者狩りという存在が十字会にも知れ渡っている可能性を鑑みて変装の必要があることは理解しているが、だとしても穂高を女装させるのは完全に副メイドの趣味だと疑っている。それにすれ違う一般人が実は穂高が女装している男だと気づいてしまったらと考えるとそっちの方が恥ずかしい。さらに知人の中だと、絶対に穂高の変装を見抜くであろうリーナは何をしでかすかわからないし、赤王善治は軽蔑なのか哀れみなのかわからない目で見てくるだろう。
ただ、このギリギリのスリルは中々味わえないものでもあった。
「緋彗はあんなに褒めてくれてたのに、まだ何か不満?」
「いや、女の子が言う可愛いって信用できないでしょ?」
「わかった。それ緋彗達に言っとく」
「それだけは本当にやめて」
二人が他愛もない話をしながら歩いていると、目的地である画廊の前に到着した。五階建てマンションの一階のテナント部分に居を構える小さな画廊にはそれを指し示す看板が存在せず、窓から中を覗いてようやく、中に絵が飾ってあることがわかる。隠れ家、というよりは存在感が本当にない店構えだ。中に客がいる気配もなかった。
二人は画廊の中に入り、展示された絵を鑑賞して回った。展示されている絵画はまるでルネサンス期に描かれたような宗教画のようなタッチで、見覚えのある構図であっても穂高が知っている有名な絵画とは描かれている人物の表情やポーズが異なっていた。色合いや人物の表情が極端に暗いものもあれば明るいものもあり、それが光と影を表しているようで不思議と穂高はその世界観に惹き込まれていった。
本来の任務は画廊にいるはずのエヴァを探すことだが、展示スペースにエヴァはいない。そのため穂高は絵画の鑑賞を楽しんでいたが、織衣は一枚の絵画の前で足を止め、その絵をじっくりと見ていた。
織衣が見ていたのは、『磔刑』というタイトルがつけられた絵だった。絵の隅にはエヴァ・ガブリエラ・ストルキオとサインが書かれていた。雲一つ無い素晴らしい晴れ空の下、十字架に磔にされた男が槍で刺されるのを見て、周囲の群衆が喜び沸き立つような様子が描かれていた。誰一人として、彼の処刑を悲しみ嘆くような人も、怒り狂う人も存在しない。
芸術に疎い穂高でも、その絵画がイエス・キリストの処刑を表していることはわかった。
「不思議な絵」
織衣がボソリと呟いた。
「ほだk……めだかは、ルーベンスの磔刑の絵を知ってる?」
「え? 全然わかんない」
「フランダースの犬に出てきた絵はわかる? ほら、疲れちゃったところに飾ってあった絵」
「あぁ、それならなんとなくわかるけど」
「あれは十字架への昇架と降架を描いた絵だけど、磔刑も描いたのも有名なの。色んな画家がキリストの磔刑を描いたけど、こんな絵はないと思う」
「そんなに珍しい?」
「うん。キリストの磔刑を描いた絵だけでも数え切れないぐらいあるけど、こんな明るいというか、お祭り騒ぎみたいになってる絵は見たことない。まるで風刺画みたい」
織衣が映画以外でこんなに熱く語ってるのを穂高は初めて見た。映画の原作や俳優、監督について熱く語る織衣の話は専門的過ぎてよくわからない内容だが、そっちよりかは頭に入ってくる分野だ。穂高がキリスト教に触れる機会なんて精々クリスマスぐらいだが、主要な宗教やそれに関連する文化は歴史でも習う範囲のことだ。しかし織衣が絵画も好きというのは穂高にとっては意外な趣味だった。
他にも画廊には聖書や神話の様々な場面を描いたような絵が展示されているが、織衣はその磔刑の絵に釘付けにされており、本来の任務を忘れているのではと穂高が心配する程だった。
すると織衣は鞄をゴソゴソと漁り始めて口を開いた。
「……ねぇ、ほだ……めだか」
「何?」
「もし、私がお金貸してって言ったらいくらまで貸してくれる?」
一体何があったのかと穂高は驚いたが、タイトルが書かれている札には絵の値段も書かれていて、そこには一万五千円と表記されていた。画廊やアートギャラリーは美術館と違って入場料はいらないが、それは画廊が絵をただ展示しているだけではなく買ってもらうためのお店という性格を持っているからだ。この画廊に展示されている絵も商品なのである。
穂高は鞄から自分の財布を取り出して中身を見た。最近銀行から引き出していないため現金があまりない。
「……手持ち三千円ぐらいしかないけど足りる?」
「うん、ありがとう。ギリギリ足りる。Su○caに帰りの電車代が残るぐらいね」
「私もよ。今度イタリアンでも奢ってよ」
「やだ。行くなら一人で行ってきて」
「え? おかしくない?」
穂高と織衣の所持金を集めて何とか購入代金が揃った。まだ十一月の中旬ぐらいで、次の華からの小遣いは来月まで待たなければならない。織衣も金欠なのか、お札を握りしめながら青ざめた表情をしていた。しかし、そこまでする価値があると織衣は思ったのだろう。
「その絵が欲しいの?」
突然、穂高と織衣の背後から女性の声が聞こえた。驚いて後ろを振り返ると、そこにはターゲットであるエヴァ・ストルキオが佇んでいた。




