5-6『めだかのトラウマ』
横浜にある山下公園は、平日でも多くの家族連れやカップル等が多く訪れる憩いの場で、観光船で東京湾の景色を楽しんだり、犬の散歩をしていたりギターを弾いていたりと、人々の楽しみ方は様々だ。
「日米和親条約では、元々神奈川駅の方にあった神奈川湊を開港するはずだったんだよ。神奈川宿は東海道五十三次の一つで当時から栄えていた町だったからね」
近くのカフェで買ってきたコーヒーを片手に、淡い水色のジャケットを羽織ったブレザーの制服姿の、青い髪のツインテールの少女……副メイド(メイド)はベンチに座って語る。
「でも開港と同時に建設される外国人居留地が町の近くに出来てしまうと、日本人と外国人の間にトラブルが起きちゃう可能性があったんだ。だから幕府は対岸にあった横浜を開港地として指定したの。それが横浜の始まりで、運上所、今でいう税関だね。その役所を境に外国人居留地と日本人居住地が分けられて、その境に関所が作られた。その関所から外国人居留地側を関内って呼んだの。それがハマスタの近くにある関内駅の辺りだね」
「へぇ~」
副メイド(メイド)の話を左隣で聞いているのは変装した織衣だ。黒髪のウィッグで銀髪を隠し、いつもとは違うベージュのマフラーを巻き、副メイド(メイド)と同じ学校に通っているという設定で架空の制服を着ていた。
「開国は日本史において重要なイベントだからね。それまでの百年とそこからの百年とじゃ濃度が違うよ。今の時代だとたった十年とか五年っていう短い期間で技術が多く進歩しちゃうからね。まだアングラだった時代のネットで生きてきた私はもうおばあちゃんみたいな気分だよ」
副メイド(メイド)が特に高校生組とのジェネレーションギャップを感じるのは彼らの家庭教師として勉強を教えている時らしい。副メイドはまだ大学共通テストではなくセンター試験を受けていた世代だ、高校で履修していた科目の名称も違う。
「おーいめだかちゃん?」
副メイド(メイド)はベンチの右隣に座っている、目元までかかる長い黒髪で、コートのフードを深く被った制服姿の少女……いや、女装させられた穂高(めだか)に声をかけていた。
「……なんですか」
「何かこの世の全てを失ったような雰囲気だけどどしたの?」
「そんな気分ですよ今は」
放課後、副メイドに横浜まで呼び出された穂高と織衣は、変装用の衣装に着替えさせられた。織衣はウィッグを着けてマフラーの色を変えるだけで十分別人のようになったが、どうして自分はわざわざ女装させれたのかと穂高は思っていた。副メイド(メイド)から渡された衣装が女子高生の制服だった時は、初めて副メイドに対して殺意を覚えた。
「十分似合ってると思うけど、ほだ……めだか君」
「ちゃん、ね。白雪ちゃん」
「めだかちゃん」
変装と同時に穂高はめだか、織衣は白雪という名前を与えられた。ちなみにメイドモードの副メイドはアカリという名前だ。
「僕……いや、私は子どもの頃から女の子扱いされて、少しは男らしくなろうと思ってサッカーを始めたのに、試合でも相手チームから女子だと間違われていたり、初対面の人はほぼほぼ私のことを女子だと勘違いしていたり……成長期が来て背が伸びて声変わりしたからいけると思ったのに……」
「そんなところにトラウマある?」
「タッパあっても細身だとモデル体型みたいになるからね」
昴でさえ椛が穂高のことをお兄ちゃんと呼ぶまで彼を女子だと勘違いしていたのだ。幼少の頃の穂高が華奢で髪も伸ばしていたからというのが原因でもあるが、中学の頃からは背も伸びたため流石に言われなくはなった。だが出灰に転校した時に演劇部の生徒から「女装に興味はない?」と誘われたことはある。勿論丁重にお断りした。
さらに穂高の心の奥底に眠っていたトラウマに追い打ちをかけたのは、この女装が思いの外似合ってしまっていることだ。そんな彼の背中を、副メイド(メイド)はポンポンと叩いて言う。
「わかるよ、私も子どもの頃から九州男児らしくあれって教え込まれた人間だからね。でもこれからの時代は男らしさも女らしさも関係なくなって、そんな言葉が消えていくようになるんだよ」
「私は女の子になりたいわけじゃありません……」
「いい感じに幸薄そうな雰囲気が出てるのがまた面白い」
ただ一人、織衣はこの状況を楽しんでいるようだった。副メイドが穂高を女装させたのは、元々穂高の髪が長めで大きく印象を変えるのが難しく、わざわざ髪型をセットするのが面倒くさかったのと、織衣より穂高は十字会の人間に顔を知られているため、いっそのこと性別を変えてしまおうという事情があったからだろう。決して副メイドの趣味ではないということを信じたかった。
「うーん、花子さんはまだ動かないみたいだねぇ」
コーヒーを飲みながら、副メイド(メイド)は噴水の向こうにあるベンチに座っている長い茶髪の若い女性、エヴァ・ガブリエラ・ストルキオを観察していた。今日の任務の目的はエヴァの行動範囲と、護衛の人数の把握だ。便宜上穂高達はエヴァを花子さんと呼んでいる。
「待ち合わせしてるのかも」
エヴァはベンチに座って本を読みながら、しきりに腕時計を見て時間を気にしている素振りを見せていた。エヴァが住んでいるマンションは山下公園の近くで、今日の午前中は大学の授業に出て一旦帰宅した後、この公園にいるらしい。
「まさか太郎君が?」
「可能性はあるね」
太郎君、もといエヴァの恋人であるオスカル・ヴェントゥーラが来るという可能性もないことはない。だがオスカルもエヴァも十字会の要人だ、警察にも他の組織にも狙われる立場にある人間が、こんな多くの人が集まるような場所に呑気に現れるとは思えなかった。
「それで、今のところどれぐらい見える、めだかちゃん」
副メイド(メイド)が穂高に小さな声で呟いた。
「……向こうのバラ園で談笑しているカップル、桟橋近くの自販機前でたむろしている三人組の男、さっき自転車で通り過ぎていったメガネのおじさん、あとさっきから周りをぐるぐるとシェパードを散歩させている女、少なくとも七人以上はいます」
「流石だね、私もそう思う」
「……何の話?」
「番犬達だよ」
予想通り、エヴァの周囲には常に護衛が待機している。横浜は外国人観光客も訪れるが、勿論日本に住んでいる人間も多く、そのため外国人を見かけるのも珍しいことではない。穂高が気づいたエヴァの護衛には勿論イタリア人のような人間もいたが、日本人も紛れている。
「でも、私達と一緒じゃありません」
穂高にはエヴァの護衛の中に能力者がいるようには見えなかった。ただ武器を持っているか武術に長けた用心棒らしい。
「あ、誰か来た」
するとベンチに座っていたエヴァが急に立ち上がり、彼女に近づいてきた三人組に声をかけていた。彼女らはどうやらエヴァの友人のようで、少し言葉を交わした後公園の外へ向かって歩き出していた。護衛達も何人かエヴァに追随していき、穂高達も極力自然体を装ってエヴァの後をつけた。
エヴァ達は近くにあるイタリアンレストランの中に入って食事を取っていた。穂高達は中に入らずに、向かい側の道路、レストランの位置が見える位置に停められた副メイドの車の中から様子をうかがっていた。
「お友達とご飯食べてるだけみたいだね」
副メイドによると、エヴァと共にイタリアンを食べている女性三人は十字会と関係のない日本人で、ただ一緒に夕食を食べているだけのようだ。彼女らがいるイタリアンレストランは高級店で完全予約制だ、あの友人達も大層恵まれた身分にあるのだろう。予約を取っていない穂高達は入ることが出来ない。
「あのパスタ美味しそう」
「お腹減ってるの?」
「ついでだし、二人はご飯食べてきなよ。お金渡しておくから」
副メイドは助手席に置かれていた鞄からゴソゴソと財布を取り出し、穂高と織衣に二千円ずつ渡した。
「そこのビルの二階にファミレスがあるからさ、多分窓際の席なら見えるはずだよ」
穂高と織衣が車を降りると、副メイドが乗る車は走り出していた。どうやら一旦車を変えてからもう一度ここへ来るらしい。穂高と織衣は近くのテナントビルに入居しているファミレスに向かうため歩道を歩いていた。
「ちなみに白雪さんにはわかる?」
「……はい?」
「いや、君のことを呼んだんだけど」
「あぁ、そうね。それで何?」
「何人ぐらいいるかわかる?」
織衣は携帯を触る振りをしながら、顔を動かさずに目だけで周りを観察していた。
「……向こうのカフェにいるビジネスマンっぽい二人組?」
レストランの側にあるチェーン店のカフェ、その外に設けられた席でビジネスマン風の日本人二人が談笑しているのが見えた。
「それと、レストランの中にいる青いスーツを着たおじさん、向こうの通りを歩いている作業員っぽい人、あとさっきからこの通りを品川ナンバーのベンツがグルグル回ってるね」
道路沿いに停めたバイクにまたがって携帯をいじっているフルフェイスヘルメットのバイカーも怪しかった。穂高がエヴァの護衛だと気づいたのはそれだけで、まだ他にもいるかもしれない。
「……どうしてそんなに見つけられるの?」
「昔よくやってたからね」
「そんな暇だったの?」
「今よりはもっと忙しかったよ」
穂高は能力者狩りの頃、よく革新協会や十字会の人間を自力で尾行して拠点を発見し襲撃していた。副メイドからある程度指南されたことで人相での判別も少しばかりは得意になっていた。
通りを往く人は多く、穂高と織衣は人混みの中をかき分けながら歩道を進んだ。が、ファミレスに到着する直前、穂高の後ろに何かがぶつかった。
「うぉっとぉ!?」
「キャッ!?」
思いの外硬いものがぶつかったため穂高は驚いたが、後ろを振り向くと穂高にぶつかった少女は楽器ケースのようなものを持っていたため、それが当たったのだと穂高は理解した。少女は淡い黄色の可愛らしいコートを着たブロンドヘアの外国人のようで、帽子を深く被っていたため顔はよく見えなかった。彼女の隣には、同じく帽子を深く被ってグレーのコートを着た白髪の少年が立っていた。二人共中学生ぐらいの年代ぐらいのようで、少年の方が口を開いた。
「あ、ごめんなさいお姉さん」
「い、いえ、こちらこそ急に止まっちゃってごめんなさい」
お互いに謝ると、少年は「では」と別れを告げて少女と共に去っていった。少年は日本語を話していたが、外国の訛りが入っていた。
穂高は立ち去っていく二人の後ろ姿を眺めていた。やがて人混みの中に埋もれていき、その姿が見えなくなる。
「どうかしたの?」
織衣は立ち尽くす穂高を見て不思議そうにしていた。
「今の二人、能力者かもしれない」
「え?」
穂高は確信を持っていたわけではないが、能力者狩りとして培われてきた勘がそう告げていた。あの二人はただの人間ではないと。
穂高は歩道から外れて細い路地に入り、副メイドの携帯に電話をかけていた。
『何かあったー?』
どうやら副メイドはまだメイドモードのようだ。電話の向こうからは車の走行音が聞こえる。
「アカリさん。私の勘なんですけど、エヴァの近くに能力者がいました。そっちを追いかけていいですか?」
『クローチェの人間?』
「イタリアかはわかりませんけど見た目はヨーロッパ系で、訛った日本語を話す子どもの男女二人です」
穂高は能力者狩りとして革新協会や十字会と戦ってきたが、あんなに幼さそうな能力者を見かけたことはない。勿論十字会が雇った可能性がある殺し屋の中にも当てはまるものはなかった。
『わかった。花子さんは私が見ておくから、めだかちゃんは白雪ちゃんを連れてそっちを追って』
「わかりました」
電話を切った穂高は通りに出て、あの二人が向かった方へ歩き出す。織衣は穂高の隣を歩いた。
「さっきの二人を追うの?」
「うん」
「あんな子どもが?」
「わからない」
穂高も半信半疑ではあったが、あの二人と出会った時に妙な違和感を感じたのだった。とても人を殺せるような人間には到底見えないが、あの二人は殺気を隠しきれていなかった。
穂高と織衣は通りを早足で歩いて二人を追った。交差点に出てキョロキョロと見回すと、楽器ケースを持った少女と白髪の少年が赤レンガ倉庫の方へ歩いて行くのが見えた。穂高と織衣は二人にバレないように慎重に後をつけていた。
「す、スカートがひらひらする……」
穂高と織衣がゆっくりと移動していたのは、勿論尾行している二人にバレないようにするためでもあったが、穂高の足がガクガクと震えていたからでもあった。人生で初めてスカートを履いた穂高はそよ風が吹く度に体を震わせてスカートを押さえていた。
「タイツ履いてるのに怖いの?」
「逆に聞くけど怖くないものなの?」
「私は別に。でもビビってるめだかを見てるのは面白い」
慣れない格好でビクビクしながら移動する穂高に対し、織衣はそんな穂高の姿を見て面白がっているようだった。




