5-3『風変わりな観光客』
──エリーを穂高に預けた渡瀬は、一人で深夜の神田明神を訪れていた。周辺にはオフィス街や大学が立ち並ぶ都心の一等地に鎮座する金や朱色で彩られた立派な神社は、その歴史は奈良時代創建と長いもので、都内でも有数の観光スポットである。
普段は深夜も参拝客に解放されているが、今日は設備の保守作業という理由で夜間は関係者以外立ち入り禁止となっていた。しかし敷地内には作業員どころか神社の職員の姿すらない。
そんな人気のない中でも綺羅びやかに照らされる参道を渡瀬は一人歩いていた。もうそろそろ冬も本番という時期だが、渡瀬は防寒着も着ずにスーツのみという格好だった。こんな幻想的な景趣を独り占めするのも悪くないと思いながら、渡瀬は本殿の中に足を踏み入れた。
本殿の中心には、白い布が敷かれた台の上に一つの黒い木箱が置かれていた。大きさは二十センチ四方ほどで、それは渡瀬の訪問に合わせて関係者が用意したものだ。しかし彼らは渡瀬が何者かを知らないし、どういった目的で来ているのかも、黒い木箱の中に何が入っているのかも知らない。しかしそれが数百年前からの慣例という理由だけで、今もツクヨミとの関係が続いている。この儀式を怠ると災いが訪れると信じられているからだ。
渡瀬はサファイアの装飾が施された黒い手袋、ジュエリーを右手に装着して木箱の蓋に触れた。この黒い木箱の蓋は能力者だけが開けられるように細工が施されている。この木箱の中身を知ってしまった良からぬ者の手に渡らないように、何かの事故で中身が露出しないように。
その蓋を持つと、ただの蓋がずっしりととても重く感じられた。素材はただの桐の木だし、分厚い鉄板が仕込まれているわけでもない。ただ、この中に入れられているものを少しばかり吸収してしまっているだけだ。
箱の中には、黒ずんだ布に覆われた物体が入っていた。それを覆っている布は元々白かったはずだが、前回この場所を訪れてから半年ほどでここまで腐食してしまったらしい。ボロボロになった布に軽く触れるだけで、布はパラパラと落ちてしまった。
渡瀬は布に包まれていたものを掴んだ。それは、手の平サイズの木製の人形だった。その人形の胸には、黒ずんだ五寸釘が打ち付けられていた。
もしこの人形が藁人形なら、誰かを呪うために用意された呪物程度のものだっただろう。いや、この人形も最早呪われていることに変わりはないが、それら民間信仰として知れ渡るような物品の程度は知れている。
こういった人形は全国の著名な寺社に保管されているが、彼らは保管を担当しているだけで、その処理は能力者かそれと同等の者のみが行える。これは、力を持たない人間が扱える代物ではない。
「何だか面白そーなことやってるじゃん」
渡瀬が後ろを振り返ると、短い金髪で黒スーツの上におしゃれな赤いジャケットとマフラーを身に着けた、ヨーロッパ系の男が笑いながら参道に立っていた。
「貴方は……」
「おう、俺はオスカル・リヴィオ・ヴェントゥーラ! シチリア生まれの二十二歳! 好きなものはDesiderio(欲望)! 嫌いなものはPazienza(我慢)!
今日はジャンから面白い話を聞いたから来てやったぜ!」
人差し指を渡瀬に向け、ビシッと決めポーズを取りながらオスカルは言った。どうやらただ観光が目的で神田明神を訪れた外国人観光客というわけではなさそうだ。彼の目的は、今渡瀬が手に持っているものだろう。
「日本語がお上手ですね」
「ジャンに無理矢理習わされたからな。日本語で話せば日本人も少しは信頼してくれるってな」
「フフ、そんな見た目じゃ無駄ですね」
ジャンの日本語も、まだところどころにイタリア語が抜けきらないが発音自体は大分聞き取りやすいと穂高は言っていた。だがオスカルはまだ訛りが抜けきらないようだ。しかし日常会話に支障がない程まで学ぶくらいには、彼らは随分と前から日本へ来る予定を組んでいたらしい。
「それで、お前さんの名前は?」
「じゃあGru(鶴)で」
「Gru?」
「はい。出身は福岡、十九歳です。好きなものは現実、嫌いなものは理想というところですかね」
「フクオカ……あぁ、カレーが上手いところだな!」
「多分違うところと勘違いされてると思いますよ」
オスカルが最初に自分の身の上を高々と口上するのは、今でも日本人は戦いの前に武士のように口上するものだと勘違いしているからか。しかし渡瀬の知り合いにいるスケバン気取りの女も戦いの前に口上する癖があるため、案外間違っていないのかもしれないと渡瀬は考えることにした。
「僕に何か? いや……貴方が探しているのはこれですね?」
渡瀬は手に持っていた、五寸釘が刺さった木製の人形をオスカルに見せた。
「あー多分それだな。それ何だ? Guignol(人形劇)の人形?」
「持ってみればわかりますよ」
すると渡瀬は人形をオスカルに投げ渡した。
「ワオ、そんな簡単にくれるのか!?」
オスカルは人形を片手でパシッと掴んだ。オスカルはある程度日本について勉強したようだが、日本の文化を嗜んでいるわけではないはずだ。五寸釘がぶっ刺さった人形、大抵の日本人なら見た目だけで絶対に触れてはいけないと考えるであろう代物を、オスカルは何の躊躇いもなく掴んだのだ。
オスカルは人形を掴んだ瞬間、地面に崩れ落ちた。オスカルも何が何だか理解できていないようで、手を震わせて人形を地面に落とし、目やら鼻やら口やら、体の穴という穴からドバドバと流れ出す鮮血を、必死に手で押さえて堪らえようとしていた。
「Oh mio dio……何だこれ、Radioattività(放射能)でも入ってんのか? 何でお前さんはこれを持ってて平気なんだ? これは何なんだ?」
オスカルの目は真っ赤に充血し、肌は段々と青白くなっていった。
「貴方はカトリックですか?」
「あぁ、そうだ」
「なら、貴方も父なるキリストに祈ったことぐらいあるでしょう。世界のどこへ行っても、信ずる神は違っても、神のような高位の存在に願いを捧げる人はいるんですよ」
渡瀬はオスカルの前まで近づき、参道に落ちた人形を拾った。
「これは、そのいくつもの願いの塊です。Amore(恋愛)、Compiti(学業)、Vendetta(復讐)、Miracolo(奇跡)……神に届くはずのないそれらの願いを、この人形は一手に受け止めるんです。多くの人達が願いを捧げる場所、こういう宗教施設にこれは置いてあるんですよ。僕達のために」
それは神道や仏教、キリスト教等関係なく、人が多く祈りを捧げるような場所ならひっそりと隠されている。人々の様々な願いをこの人形に集め、叶わなかった願いを供養する。奇跡の力と成りえなかった、呪いにも似た強大な力をツクヨミは処分する役目を持っている。
「じゃ、じゃあ日本中にこんなやべーものが置かれてるってことか?」
人形を手放したことで出血が収まり、オスカルは何とか立ち上がって渡瀬に言った。
「いや、貴方が知らないだけでイタリアにもたくさんあると思いますよ。主に教会とかに。多分こんな釘が刺さった人形ではなくて槍とかじゃないですかね。ほら、ロンギヌスの槍とかあるでしょう」
この釘が刺された人形も、この場所ではこういう風に封じられているだけで日本国内でも地方によって若干の差異がある。
「どうしますか? 僕からこれを奪い取って見ますか? 今日はもうお帰りになった方が良いかと僕は思いますよ」
するとオスカルは首に着けたルビーのチョーカーに触れた。その瞬間赤い光が放たれ、彼の右目に赤い光が灯る。どうやらまだ懲りていないらしい。
「この前は不完全燃焼だったからな。今日はお前さんを倒してその人形を貰っていく!」
あんな目に遭いながらもオスカルはこの人形を持って帰るつもりのようだ。彼らは能力者が持つジュエリーの意味は知っているようだが、この人形の役割については知らないらしい。彼ら十字会には革新協会の長である鷲花蒼雪が色々と教えているものかと渡瀬は考えていたが、そこまで協力関係にあるわけではないと思われた。
「そういえば、貴方の能力は『感覚』らしいですね」
渡瀬は『感覚』の能力を持つ能力者と戦うのはオスカルが初めてだが、その能力の存在自体は知っている。
「視覚とか聴覚とか触覚とか、戦いに絶対に必要になるものを操ってしまうとか、凄い能力ですね」
オスカルは渡瀬の目の前にいる。何も武器は持っていない。何か暗器を隠し持っているわけでもなさそうだ。しかし、渡瀬の目に見えているオスカルは偽物だ。渡瀬はそれを知っていた。
「ですが、僕には貴方が見える」
渡瀬は右方から伸びてきたオスカルの右腕を掴んだ。目をやると、オスカルは驚いたような表情で渡瀬を見ていた。
「僕は貴方に触れることが出来る」
そのまま渡瀬は、オスカルの右腕を力強く握りしめた。するとそれは人体の一部とは思えないほど簡単に押し潰されてしまう。
「Davvero!?」
オスカルの右腕は枯れ草のようにボロボロと欠けていき、渡瀬が掴んでいたのは腕の骨のみとなった。
「僕はこうして、貴方の真似事をして貴方を驚かせることも出来るんです」
が、渡瀬がオスカルの右腕をパッと離すと彼の右腕はスーツの袖まで元通りになっていた。
「そう、事実は簡単に書き換えられるようにね」
オスカルは一歩、また一歩と渡瀬から離れていく。その姿は偽りではない。渡瀬にはオスカルがどこにいるのか見えているし、どんな表情をしているのかも見えている。
「な、何だそれ……何の能力なんだ? 俺はあの能力者狩りも倒せたのに────」
オスカルは自分の手で穂高を倒せたことで自信を持っていたらしい。だがしかし彼は勘違いをしていた。渡瀬はオスカルに一気に近づくと、そのまま彼の首を掴んだ。オスカルは身構えたが間に合わず、渡瀬は参道の石畳に思いっきりオスカルの体を打ちつけた。
「能力者狩りに勝ったぐらいで図に乗るんじゃないよ、英雄気取りが」
オスカルは額に汗をかき、引きつった笑みを浮かべながら渡瀬の様子を伺っているようだった。
「今すぐ僕が貴方も、貴方の親友も始末しに行っても良いんですよ」
渡瀬はオスカルの首から手を離して解放した。オスカルは首を押さえながら立ち上がり、口を開いた。
「じゃあ、何でお前さんは俺を今ここで殺さない? 俺達は敵同士だろ?」
渡瀬は持っていた人形から五寸釘を引き抜いた。すると人形は炭のように一瞬で真っ黒になり、燃えカスのようにパラパラと地面に散っていった。
「僕は、貴方が思っているほど便利な能力を持っているわけじゃないですよ。それに僕は、貴方達を簡単に殺すつもりはありません」
渡瀬は人形から引き抜いた五寸釘を、何を思ったか自分の胸に突き刺した。すると五寸釘は渡瀬の体の中へ溶けていくように消えていき、渡瀬の体には一瞬で花の紋章が咲き乱れていた。
「こう見えても僕は、嫌いなものは徹底的に嫌うので」
渡瀬はそう言い残すと神社を後にした。背中を向けても、オスカルは渡瀬に攻撃してくることはなかった。
今、ツクヨミはジャンの行方を見失っている。穂高と戦ってからはあまりツクヨミの前に姿を表していない。先日、熱海にあるホテルでパーティを開いて革新協会の幹部と接触したようだが、その後の動向は不明だ。副メイドが変身してパーティに単身で乗り込むと言い出した時は流石に渡瀬達も止めた。
一方でオスカルは、こうして盛んにツクヨミの前に現れる。オスカルの能力はかなり強力だ、おそらく上位数パーセント内に入るぐらいには。だがまだオスカル自身が自分の才に溺れて能力をうまく扱えていないため、渡瀬や詠一郎、牡丹にとっては脅威ではない。千代でも上手く渡り合える。が、穂高を含めた高校生組が相手をするには厳しい相手だ。彼ら六人がかりでも全滅しかねない。さらに、オスカルが自分の能力を使いこなしてしまった場合は渡瀬達でも対処が難しくなる可能性があった。
そこで副メイドは、オスカルを抹殺するためのプランを作成していた。オスカルは十字会の幹部のはずだがフットワークが軽い。そのため、いつどこで事件を引き起こすかわからないし、穂高を付け狙う連中がこれ以上増えるのは渡瀬達にとっても面倒だった。丁度オスカルには、彼を惹きつけるための良い餌を簡単に用意できる。その一連の作戦には穂高達も参加することになるだろうが、オスカルを殺すのは穂高の仕事ではない。
穂高には、まだまだ学んでもらわなければならないことがある。それを、渡瀬達は彼に見せなければならなかった。
そう、これは彼のためのお膳立てに過ぎないのだ。




