5-2『彼女の兄』
本部へ戻ると、織衣達は自室に戻っているようで静かだった。ツクヨミの本部は夜の十一時に消灯時間を迎えるが、就寝時間は決まっているわけではない。和歌のように平気で朝まで起きている人間もいる。
まだ消灯前だったが、それでも誰も見かけないというのも不気味なものだった。穂高は誰とも会わないまま、男子寮にある渡瀬の部屋へと向かった。
本部の敷地内にある寮は男子寮と女子寮に分かれており、それぞれが十階建ての立派なマンションのような建物だが、それはあくまでカモフラージュで、その殆どは物置か空室となっている。男子寮にある穂高や斬治郎、昴の部屋は二階に固まっているが、渡瀬の部屋は上の三階にあった。三階の周りの部屋は他に誰も使っていないようで、静かな廊下を進み渡瀬の部屋の鍵を開けた。
穂高が想像していたよりも渡瀬の部屋は無機質、というかおそらく穂高が初めてこの寮に入った時と変わらない設備のままだ。確かに渡瀬は東京に戻ってきてもホテル住まいらしいため荷物は福岡に移してしまっているのだろう。何の雑貨も私物も置かれていないが、ただ一つ穂高達の部屋と違うところは、ベッドが二台置かれているという点だ。成程、と穂高は思って黒猫エリーをベッドの上に寝かせると、ボンッとエリーは人間の姿に戻っていた。
「あ、もう寝る?」
するとエリーは、テーブルの下に置かれていた木箱を持ってきて中を開いた。そこには将棋やオセロ等のボードゲームや、トランプやU○O等のカードゲームがギュウギュウに詰められていた。
「勝負しよ」
エリーは慣れた手付きでテーブルの上に将棋盤を置いて駒を並べ始めた。
確かに寝るにはまだ早い時間帯だった。それまでエリーは暇潰しをしたいらしい。穂高も一通りのボードゲームやカードゲームのルールは知っており、何なら強い方だと自負していた。
「王手」
かれこれ五回目の王手だ。穂高の自陣の王将は、味方だったはずの飛車や角に裏切られ、とうとう身動きが取れなくなっていた。完全に詰みだ。
「ま、参りました……」
「わーいこれで七勝目だね」
これで穂高は七戦七敗となった。全敗だ、なんて無惨な結果だろう。決して穂高はエリーに手加減をしているわけではない。最初はお遊び感覚で付き合っていたが、途中からエリーのレベルが高いことを悟った穂高は本気で戦ったものの、エリーの計略には敵わなかったのだった。
「じゃあ、次はオセロね」
「つ、次は勝つから!」
およそ八割の石が黒(エリー側)で染められた。
「次はチェスね」
「つ、次こそは!」
キングは死んだ、もういない。
「次は五目並べ」
「が、頑張るぞ!」
ダメだった。
他にも穂高はエリーと様々なゲームを遊んだが、結局穂高はエリーに一回も勝てなかった。こんな屈辱は初めてだ。一体エリーと渡瀬はどんなハイレベルな戦いをしているのだろうかと興味を持つ程だ。こうなると穂高がエリーに勝てそうなゲームと言えばサッカーゲームぐらいしかないが、エリーはあまりサッカーに興味がなさそうだ、無理矢理やらせても仕方がない。
「もう寝よー」
大分時間を潰して、丁度良いぐらいに眠気も襲ってきたためエリーが情けをかけてくれた。エリーは左側のベッドに、穂高は右側、窓に近いベッドに寝ることとなった。
「僕は五時に起きるけど、エリーはどうする?」
「ランニングに連れてってくれれば良いよー」
おそらくエリーもランニングをするのではなく、黒猫に変身してそれを抱えながら走れと言う。
明かりが点いていると眠れないとエリーが言うので、穂高は部屋の電気を消してベッドに横になった。
いつもと違う枕だから穂高は中々寝付けなかった。どれだけ体勢を変えてもしっくりくる姿勢がない。
いや、それよりも誰かと同じ空間で寝るというのも久々だ。最後は中学の時の修学旅行、相手が異性という条件に限ると妹の椛と一緒に寝ていたのはおよそ十年前のことだ。最早穂高にとって椛は可愛い妹のような存在になりつつあるが、妙に気分が落ち着かなかった。
ふと、穂高は天井を見て考えた。渡瀬が一人で行かなければならない任務とは何だろう? 渡瀬はエリーを引き連れていることが多い。エリーはまだ幼いかもしれないが(とはいってももう中学二年生だが)、エリーの能力はとても便利で、特に自己防衛能力が高い。ジャンやオスカルを相手にしても、勝てるかはわからないが負けはしないはずだ。
斬治郎や織衣達の話を聞く限り、やはりこのツクヨミの中では牡丹や詠一郎、渡瀬の三人の強さはトップクラスらしい。だからこそ彼らは多くの秘密を持っているように感じた。牡丹は穂高達の前に滅多に姿を現さないし、何をしているのかもよくわからない。それは渡瀬や詠一郎も同様だ。未だに穂高は渡瀬の能力が何なのか掴めていない。穂高に雷の能力を見せたこともあるが、あれはほんの一部分に過ぎないだろう。織衣の過去の記憶を見た時に渡瀬が能力を使っているのを見たが、彼の能力は穂高や織衣と違って見た目でわかりにくいのだ。
だからこそ不気味であったが、穂高にとっては渡瀬は不思議と頼れる存在だった。やはり同じ福岡の出身で福岡事変を体験しているという共通点もあり、渡瀬は穂高の知らないことを、知りたいことをよく知っていた。
穂高は夜中に目を覚ました。まだ外は暗く、何時なのか確認しようと時計を見ると、時計の針が曲がっていた。
長針と短針がぐにゃぐにゃに曲がっている。一体何が起きているのかと思って穂高が時計を掴むと、今度は針が独りでにグルグルと回り始めた。その光景に穂高は一瞬恐怖を感じたが、電波時計が時間を調節しているのだろうと、目の前の光景に辻褄を合わせようとした。
「ねぇ」
何かが穂高の右肩に触れた。肩に重くのしかかる何かに穂高は悪寒を感じた。
「お兄ちゃん?」
穂高は恐る恐る後ろを振り向いた。穂高の後ろにいたのは、真っ黒な……靄ようにぼやけた物体だった。真っ暗な部屋の中で黒く蠢くその物体は、少なくとも人の形をしていなかった。
「お兄ちゃんなの?」
だがその声がエリーの声だと穂高は気づいた。隣のベッドにエリーの姿はない。この黒い靄のような物体がエリーなのだ、と穂高は受け入れた。
「お兄ちゃんはどこ?」
その黒い靄は穂高の腕を呑み込むように掴んでいた。それはひんやりと冷たく、そしてずっしりと重みを感じた。
「ここには、いないよ」
エリーがお兄ちゃんと呼ぶ存在は、少なくとも穂高ではない。渡瀬のことを言っているのかと思ったが、エリーの言うお兄ちゃんが年上の男という意味なのか、血縁の兄という意味なのか判断しかねた。渡瀬とエリーが兄妹だという話は聞いたことがないし、だとすれば二人の関係は歪に思えた。
「じゃあ、お兄さんは良い人?」
エリーの問いに、穂高は答えを慎重に考えた。今、エリーの問いに間違って答えるとただでは済まないと、能力者としての勘が穂高に訴えていた。
「僕は、良い人じゃない」
穂高は自分自身を善人だとは言えなかった。そう答えると穂高の鼻が天井に突き刺さるほど伸び出したことだろう。
「でも、君にとって悪い人じゃないはずだ」
それは半ば弁明のような物言いに聞こえたかもしれない。しかし、穂高はこのエリーのような何かに対して敵意を持っていないことを示さなければならない。
エリーの能力は『反転』だ。エリーに敵意を向けただけで何が起きるかわからない、すぐにエリーの能力が作用してしまう。そのため穂高は自分から行動を起こすのを躊躇った。自分の頬に黒い靄が触れようとしてきても、それが怖くて怖くて仕方がなくても穂高は抵抗しなかった。
「じゃあ、私が裁いてあげる」
穂高の体に触れた黒い靄が、一気に穂高の体の中へ入り込んだ。だが穂高は必死に抵抗しないように踏ん張って彼女を受け入れた。大丈夫だ、エリーは自分を殺しはしない。殺されても大丈夫だ、例え翌朝穂高が冷たくなって発見されても問題ない。
だが、これは一体どういうことなのか。渡瀬はこうなることを知っていて穂高にエリーを預けたのか。これが故意だとしたら、一体どういう意図があってのことか────。
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「おはよう、穂高君」
気づくと、穂高が眠るベッドの隣に渡瀬が立っていた。彼は爽やかな笑顔で穂高のことを見ている。時計を見ると針は曲がっておらず、朝の五時前だった。
「……おはようございます」
布団は寝汗でびっしょりと濡れていた。起き上がって隣のベッドを見てみると、エリーは黒猫の姿でスヤスヤと眠っていた。
「どう? 良い夢が見れたかい?」
穂高にはわかる。渡瀬は昨夜の出来事を知っていて、穂高にそんな質問をしたのだと。
「はい、とても良い夢でしたね」
まぁ、四月デストラクションや和光事件の夢と比べると何百倍もマシだったのは確かだ。だが今夜安心して眠れる気がしない。
「あれは夢なんですか?」
「さあね。でも良く生きて帰れたね」
「……死ぬ可能性があったのを知ってて、僕に預けたんですか?」
「僕も知らないよ。間違ったことが無いからね」
やはり渡瀬もあのエリーを見たことがあるのだ。穂高と同じように何かしら質問を投げかけられ、そして答えを出した。もしかしたら渡瀬は、あのエリーの相手をするために彼女と一緒に寝ているのかもしれない。
「……用事は終わったんですか?」
渡瀬は知っていたのだ。エリーと一緒の部屋で寝るとホラーな展開になることを。穂高を試すつもりだったのなら、もしかしたら用事があるというのも嘘かもしれなかった。
「うん、お陰様でね。いつか穂高君にも見せてあげるよ」
「もう怖いのはやめてくださいね」
穂高は渡瀬達と別れて部屋を出た。そして廊下を歩きながら考える。
渡瀬とエリーは一体どういう関係なのか。渡瀬が福岡出身だということは穂高も知っている。ならエリーは何者だ?
千代と北斗のように同級生でコンビを組んでいるのならまだ納得がいく。しかし穂高が持っている限りの情報では、渡瀬とエリーを繋ぐものは見当たらなかった。兄妹という可能性もあったが、穂高は渡瀬達と初めて出会った時、エリーは妹なのか聞かれて違うと答えていた。もしかしたら穂高に嘘をついたのか、ならどうして嘘をつく必要があったのか。考えだしたらきりがなかった。
機会があればそれとなく聞いてみようと穂高は思いながら、食堂付近で斬治郎達を見かけ、朝のランニングへと向かっていた。




