5-1『遠い地の、知らないはずの記憶』
穂高と織衣がオスカルの襲撃を受けた現場の被害は甚大なものだった。幸いにも民間人に死者は出なかったものの、家を失った人が大勢いるのだ。ツクヨミはその度に国に対して賠償として億単位で資金を動かす羽目になる。穂高も建物を破壊するのは控えようかとも思ったが、副メイドは「人の命と比べるものじゃない」と穂高を擁護してくれていた。だが、「被害総額は考えて欲しい」と釘は刺された。
西武池袋線の復旧には時間がかかることだろう。既に車両の撤去が始まり、一部の線路も補修が始まっている。半壊している周囲の住宅の屋根にはブルーシートがかけられていた。もうすっかり外は暗くなったが、周辺の住宅に明かりは見えない。
昨日、穂高はこの場所で夢を見た。それは遠い異国のような土地だ。その場所で穂高は彼女の姿を見たのだ。
『奇跡は起こる、君が望めば』
不思議とその言葉が穂高の頭に残っていた。織衣がオスカルをどうやって撃退したのか、穂高はまだ信じられずにいた。
「放火魔は現場に戻ると言うね」
ツクヨミの黒いコートを羽織ってひっそりと一軒家の屋根に座っていた穂高の耳に、そんな声が入った。
「自分の行いで、どれだけの人が慌てふためいているかを楽しむためにね」
屋根の上に立っていたのは、黒猫エリーを胸に抱えた黒スーツ姿の鶴咲渡瀬だった。冷え込む十一月の夜には、少し寒そうな格好だった。
「何か御用ですか?」
「どうして、わざわざ現場を眺めてるのかなぁと思って」
渡瀬は穂高の隣に移動し、瓦礫だらけの一帯を眺めていた。
「そんなに、織姫ちゃんがオスカル・ヴェントゥーラを撃退したことが信じられない?」
「まぁ、多少は」
あの現場に渡瀬や千代が駆けつけてきたのなら話はスッと理解できる。だが織衣は穂高と違って好戦的ではない。技量に劣ると言えば失礼だが、織衣の能力の特性上あまり攻撃には向いていないと穂高は思っていた。
しかし穂高はそんなことを気にしているわけではない。穂高が気になっていたのは、自分が死んだ時に見た夢のことだった。
「僕は、夢を見たんです」
遠くの方で自然音に混ざり救急車のサイレンが鳴っているのが聞こえた。
「知らない場所で、知らない人達だらけで……いや、渡瀬さんもいました。出灰の制服を着ていて……渡瀬さんの周りには、頭に赤いバンダナを巻いた人とか、サングラスをかけた同級生っぽい人もいました」
渡瀬はウンウンと頷きながら穂高の話を聞いていた。穂高が見た夢の記憶は断片的にしか残っていないが、それら全てを繋ぎ合わせて、穂高は結論を出した。
「姫野さんが能力を発現した時、渡瀬さんが助けたんですよね?」
穂高がそう言うと、渡瀬はフフッと笑っていた。そして胸に抱えた黒猫エリーの頭を撫でながら言う。
「僕からは詳しい話は出来ないよ。でも、穂高君が見たものは本当にあった出来事かもしれないね」
「……じゃあ、姫野さんは」
穂高は織衣達の過去なんて知らなかった。もし自分と同じような経験をしているのなら、それについて触れない方がお互いのためだと考えいていたからだ。斬治郎は自分から教えてくれたし昴の件は知っている。だが織衣達女子三人組に加え、渡瀬や千代、牡丹や詠一郎達がどうやって能力者となったのか、穂高はそれが気にならないことはないが直接聞くのは恐れ多くもあったのだった。
「どう? 穂高君の身に起きた出来事と比べると取るに足らないんじゃない?」
「そんなの、比べるものじゃないですよ」
「うん、そう考えるのが一番だよ。もし気になるんだったら、本人に直接聞いてみたら?」
「嫌ですよ」
「どうして?」
「僕だって、聞かれたくないことの一つや二つぐらいありますから」
穂高は答えを何となくはぐらかすことがある。和光事件や四月デストラクションだってそうだ。勿論言いづらいというのもあるが、思い出そうとしても思い出せない部分があったのだ。
「じゃあ、こうして自分の知らない場所で勝手に自分の情報が交わされていたらそう思う?」
「噂は勝手に広がっていくじゃないですか。和光事件のことも、四月のことも、福岡のことも……」
福岡から東京へ引っ越して転校した時もそうだ。あのタイミングで福岡から引っ越してきたのなら、彼の身に何が起きたのかは自明の理だ。今だってそれは変わらない、福岡出身で五年前に東京へ引っ越してきたと説明すれば反応は変わらない。だから穂高は福岡の話を避けるようにしていた。
だが今、穂高の側にいる鶴咲渡瀬も、穂高と同じ体験をした人間なのだ。
「福岡って、今はどんな感じになってるんですか?」
穂高は今も福岡のニュースを時たまチェックしていた。東京へ来てから一度も福岡へ帰ったことがないのだ、どれだけ新聞やテレビの向こうで福岡を見ても雰囲気はわからない。
「千早とか香椎の周りは区画整理されて、すごくおしゃれな街になってるよ。ビルの高さ制限も緩和されて、天神は再開発ラッシュだね」
「天神の方にも飛行機が落ちたんじゃないんですか?」
「そこまで大きな被害が出たわけじゃないよ。いや、それも大きな事件だけど、福岡事変と比べるとね」
「アイランドシティは?」
「港は再開しているけど、殆ど更地のままだね。テーマパークとかリゾート施設を誘致しようって話もあるけど、話がまとまりそうにないね」
五年前、戦場の中心となった福岡市東区の千早や香椎、アイランドシティ周辺は大規模な火災で殆どの建物が焼け落ちた。今は再開発により新しい街が整備されて人も戻ってきているが、アイランドシティは巨大な空き地のままだった。穂高が住んでいたマンションも、今は別のマンションに建て替えられている。
「僕はあの時、色んな人に会いました」
「五年前?」
「はい。あまり覚えてないんですけど……色んな人に出会ったはずなんです。でも、顔も性別すら、もう思い出せないんです」
時折、穂高の夢は様々な出来事を追体験させる。福岡事変のこと、四月デストラクションのこと、和光事件のこと、自分が殺めてきた能力者達のこと、リーナのこと、海風汀のこと……それが果たして実際に見た記憶なのか、夢の中で作られた幻想なのか、もう区別がつかなくなっていた。
「穂高君は、年末年始に福岡に帰る予定はある?」
「いや、ないですけど。渡瀬さんは帰るんですか?」
「帰るも何も、一応僕は福岡に住んでるからね。今は福岡の大学に通っているんだし」
そういえば渡瀬は大学生だった。たまに忘れてしまう。夏の間は夏休みなのだろうと考えっていたが、もう年末が近い。ツクヨミの任務で忙しいのは確かだが、まともに大学に通っているようには見えなかった。
「そういえば、穂高君に頼みたいことがあるんだ」
「何ですか?」
すると渡瀬は、胸に抱えていた黒猫エリーを穂高に渡した。黒猫エリーはスヤスヤと眠っている。
「実はちょっとした用があってね、しかも僕一人で行かないといけないんだ。エリーを誰かに預けたいんだけど、千代とかも忙しいみたいだから穂高君に預けたいんだ」
「……え、預ける? エリーを僕にですか?」
「エリーは凄い怖がりでね。一緒に誰か寝てくれないと中々寝付けないんだ。本部の寮にある僕の部屋の鍵を渡しておくから、そこで寝ていいよ。最低限のものは残っているはずだから」
つまり渡瀬はいつもエリーと一緒に寝ているということらしい。任務上のパートナーとはいえいつもエリーを引き連れている渡瀬のことを千代がロリコンという蔑称で呼ぶことがあるのはそんな経緯があったからか。いや、穂高には全くやましい気持ちはないが、異性と同じ空間で寝るのは流石に抵抗があるというか倫理的にどうかと思っていた。
「それ、姫野さんとかじゃダメなんですか?」
「織姫ちゃんには悪いと思ってね」
「僕には悪いと思わないんですね」
同じくエリー保護者会の一員である織衣もいるはずだ。穂高よりもエリーとの付き合いが長く、一緒に寝るだけなら織衣だって問題は無いはずだった。
しかしこうも頼まれては断るのも悪かったため、穂高は黒猫エリーを抱えて渡瀬と別れ、本部へと帰っていた。




