4-30『ジャンの夢』
「Ciao(チャオ),I'm Juliette Leroux(私はジュリエット・ルルー)」
「Ako(赤王だ),piacere(お初にお目にかかる)」
「Piacere mio(こちらこそ初めまして)」
赤王はジュリエットという金髪の女性と握手を交わした。黒いシックなドレスに身を包んだ彼女はもう五十歳手前らしいが、赤王の目で見てもお世辞抜きに十歳二十歳は若く見える。赤王は握手を交わした時、ジュリエットの右手の人差し指にはめられたインデックスリングが気になったが、彼女は能力者ではないらしい。
「アー、I hear a lot of rumors about you(貴方の噂はよく聞いてるわ),Medman(赤狂い)」
「I don't know that(知らないな)」
「Seriously?(本当に?)」
ジュリエットに問い詰められても赤王は知らんぷりをしていた。その後、ジュリエットは笑顔で赤王に別れを告げて、他の客の元へと向かっていった。
「ハーイメッドマーン」
すると、今度は真っ赤なドレスを身に纏い頭に椿の花飾りを着け、その右目に着けたハート型の眼帯がよく目立っている女、ツバキが赤王を茶化すように笑いながら近づいてきた。その手にはどこからか持ってきた肉料理が山のように盛られていた。
「ハーイ、メッドマーン?」
しかしツバキに声をかけられても赤王は知らんぷりをしたまま手に持っていたグラスに口をつけた。あまり飲んだことのないワインの味に赤王は顔をしかめる。
そんな赤王に対し、ツバキは彼の口にフォークに刺したステーキを突っ込んだ。すると赤王はツバキを睨みつけながら、口に突っ込まれたステーキをモグモグと咀嚼していた。
「へいへーい赤王君、お味はどう?」
「血の風味がする肉が上手いと思うか」
「うーんやっぱり赤王君はお肉がダメみたいだねぇ」
ツバキは皿に盛られた肉料理をモグモグと頬張っていた。赤王は酒も飲まなければ肉も食べやしない。そのためこういったパーティの場で出される食事には殆ど口をつけることがなかった。
「そうだ、赤王君。せっかくのパーティなんだから一緒に踊らない?」
「一人で行って来い」
「連れないなぁ、こんな盛り上がってる会場でそんな感じじゃモテないよ?」
二人は今、熱海にあるホテルで催されているパーティに参加していた。招待されている客は国内外の政財界の大物や芸能人等で、海外のジャズアーティストが演奏を披露していたりマジシャンが豪快なマジックを披露していたりする中、赤王は会場の隅で壁にもたれかかって招待客達を観察し、ツバキは提供されている世界各国の料理をよそってモグモグと満足そうに食べていた。
「さっきさ、ジュリエッタに声かけられてたじゃん。ダンスに誘われたんじゃないの?」
「いや、軽く挨拶を交わしただけだ。だが奴は、昔の俺を知っているらしい」
「へぇ~」
あまり興味がなさそうにツバキは分厚いステーキをムシャムシャとがっついていた。
ジュリエット・ルルーはフランス生まれのイタリア人で、イタリア語読みでジュリエッタと呼ばれることもある。彼女の父親はヨーロッパでも著名な銀行家で、彼女自身も世界各地のリゾート施設を運営する実業家だ。恵まれない子ども達への寄付活動や多くの孤児院を開設するなど慈善活動家の一面も持っている。
「もしかして、赤王君を雇おうとしてるんじゃない?」
「俺は高くつくぞ」
「ハウマッチ?」
「ジュリエットなら一千万だな」
「ドル?」
「無論だ。ま、実際の相場は良くて三百万ぐらいだろう。プラスの七百は有名税だ」
ジュリエットは中国系の実業家と話しているところだった。彼女自身に黒い噂は無いが、父親はマフィアとの繋がりも噂されるような人間だ。そもそもこのパーティに参加している時点で白い人間ではない。
「しかしやはり護衛が多いな。軽く目につくだけで十人以上はいる」
「え? クローチェっぽい人はもっといない?」
「いや、ロッソケントゥリアの連中だ」
ロッソ・ケントゥリア、それは十字会が抱えている私兵部隊だ。主な任務は十字会要人の護衛と、敵対する人間の徹底的な抹殺だ。彼らは傭兵部隊ではなく殺し屋の集まりである。
「え? どこにいるの?」
「例えば……あのスーツ姿でメガネをかけた大男もそうだ」
赤王の視線の先には、料理が盛られているテーブルからいそいそとパスタをよそっている、二メートル程の身長がありそうな三十代ぐらいの男がいた。
「奴はその界隈では『ピエロ』と呼ばれているイタリア人の殺し屋だ。確か本名はステファノ……ドラーギだったかドラギーだ。昔一度だけ会ったことがある。奴はピエロの格好をして殺しをする変わり者だ」
「ピエロ恐怖症になっちゃうじゃん」
「実際、欧米では奴の存在が原因で頭を狂わせる人間もいるからな」
赤王はピエロの正体を知る数少ない人間の内の一人だ。この場所で数年ぶりに再会したが、赤王は彼に挨拶していなかった。向こうも赤王の存在に気づいているか怪しいものだ。
「あとあそこにいるのは夜燕……いや夜雀だったか。何だったかよく覚えてないが、奴も有名だな。
あとリカルド・カスティーリャにバックス、アルテミス……顔だけ知っている奴も何人かいる。他にもまだいるな」
「何でそんなにわかるの? ってか何で他の殺し屋のことまで知ってるの?」
「まぁ、良い情報網があったんだ。何度か殺し合うこともある」
「あと、そんなベラベラ喋っちゃって良いものなの?」
「俺はもう足を洗った人間だ。連中の礼儀もマナーも知ったこっちゃない」
とはいえそれを彼らが許すかは別問題である。このパーティ会場に赤王は刀を持ってきていない、能力を発動したとしても赤王の能力はあまり戦闘に役立たないのだ。今日はあくまでただの招待客として来ている。ツバキは一騒動起こしたくてウズウズしているようだが、料理に満足している内は大丈夫だろう。
赤王がツバキと談笑していると、二人の前を一人の少女が通りがかった。白いドレスを身に纏ったブロンドヘアの華奢な少女で、その手には楽器ケースのような黒い鞄を持っていた。
その少女は二人の前で、何もないところでつまずき盛大にずっこけてしまった。
「Ahi!?」
少女が持っていた楽器ケースがカーペットの上を転がり、中が開いてバイオリンが飛び出てきた。
「大丈夫か?」
赤王はコケた少女に手を貸してやったが、少女は赤王の顔を見ると不安そうな表情をしていた。
「Be……bene(だ、大丈夫です)。えっと、その……」
少女は起き上がりはしたものの、辺りをキョロキョロと不安そうに見回しており、赤王に怯えているようだ。
「ダメだよー赤王君は強面なんだからー。What happend?(どーかした?)」
しかしツバキが問いかけても少女は怯えたままだった。それもそうだ、ツバキだって右目にハート型の眼帯を着けているおかしな女なのだから。少女は慌てて床に転がったバイオリンを楽器ケースにしまいながら何かを言っていたが、イタリア語に疎い赤王には聞き取れなかった。
「何と言ってる?」
「うーん、私もよくわかんないなぁ。フィレンツェっぽいイタリア語だけど」
慣れない土地で見知らぬ異国の人間に声をかけられるのは子どもにとって怖いものだろう。このパーティに参加している客の子どもなのかと赤王が考えていると、少女の元に黒いスーツ姿の一人の白髪の少年が駆け寄ってきた。
「ルカ!」
少女が少年の存在に気づくと表情が明るくなり、彼の名前を呼んだ。
「Helen(ヘレン)! Dove sei stato?(どこに行ってたんだ?)」
「Scusa(ご、ごめん)」
白髪の少年は赤王の方を見ると、彼に握手を求めてきた。
「アー、ご迷惑をおかけしました。ありがとうございます。では!」
訛りの抜けきらない日本語で彼はそう言うと、赤王と握手を交わして立ち去っていった。
「……私は?」
握手を求められなかったツバキが不思議そうな表情で赤王に聞いたが、赤王は少年と握手を交わした自分の右手を凝視していた。
「どーかしたの?」
「奴は、袖に暗器を忍ばせていた」
「は?」
赤王は少年と握手を交わした時、彼の袖に刃物が潜んでいたことに気がついた。だが赤王を狙っていたわけではなさそうだ。
「あの子どもが殺し屋ってこと?」
「確かロッソケントゥリアには殺し屋の養成機関もあるはずだ。そこで英才教育でも受けていたのかもしれないな」
十字会は外部の殺し屋を雇うこともあればスカウトして引き入れることもあったし、自前の殺し屋を自分達で育成しようともしていた。赤王は多くの殺し屋の顔を知っているが、あの二人は初めて見たのだ。
「じゃあ、もしかしてあの兄妹も十字会の人間?」
「いや、あれは兄妹じゃない」
「どうしてわかるの?」
「血管を見れば同じ血が流れているかどうかわかる」
「えぇ? 何それこわっ」
「それに、あの二人……首にジュエリーを着けていた」
赤王は招待客の間を歩いて行く二人の後姿を見た。二人の首には、ルビーの宝石がついたチョーカーがある。それは能力者が持つジュエリーの一つだ。模造品というわけでもない。
「……へぇ、変わった能力っぽいね。ウチに引き込めないかな?」
「やめておけ、揉め事になりかねん」
「ちぇっ」
革新協会と十字会は協力関係にあるものの、協会は彼らに対してフラワー等を護衛として貸しているぐらいで能力者を交換したりはしていない。だが十字会には既にロッソケントゥリアを含めた構成員の中に複数の能力者が所属している。総帥もそうであるように。
「やぁ、アコーにツバキ」
招待客達が彼に道を譲って進路が開いた。今日のパーティの主催者であるジョバンニ・ロマーノ・クローチェだ。
「パーティは楽しんでいるかい?」
「そりゃあもうこの通り」
ツバキが皿に盛られた料理を平らげたのを見て、ジャンは苦笑いを浮かべていた。
「Piacere(初めまして)、アコー。君は有名な殺し屋だったらしいね」
赤王と握手を交わしながらジャンが言う。ジャンとの交渉は基本的にツバキの仕事で、赤王が彼と顔を合わせるのは今日が初めてだった。
「昔の話だ」
「確か……Medman(赤狂い)? 僕の部下達も君のことを怖がっていたよ。どう? 僕の下で働く気はないかい?」
「お前が俺より強いなら考える」
「へぇ……」
赤王の生意気な答えを聞いて、ジャンは赤王との距離を詰めた。身長は赤王より若干高いぐらいだが
威圧感がある。やはり十字会という巨大な組織を率いているだけのことはあるなと赤王は思う。
「やめておきなよ、二人共」
すると、長い黒髪の男が二人の間に割って入った。その手にはシャンパングラスが握られている。
「やぁアオ、遅かったじゃないか」
そこに現れたのは、革新協会統帥鷲花蒼雪だ。普段着ることのないスーツ姿を見るのは新鮮だ。だがツバキは訝しげな表情で小声で赤王に呟いた。
「ねぇ赤王君、ユキちゃんスーツ似合ってなくない?」
「お前だってドレス似合ってないぞ」
蒼雪は白シャツ姿でいることもあるが、基本的に着物を着ていることが多い。何でも和服の方が気分が落ち着くらしい。
「今日は素晴らしいパーティにお招きいただき感謝する。さて、その真意は何かな?」
ジャンは革新協会の総帥と副統帥という最高クラスの幹部をパーティに招待していた。それはビジネス的な社交辞令とも彼の気まぐれとも思えなかった。
「裏に部屋がある。そこで話そうか」
赤王達三人はジャンに連れられ、ガタイの良いスーツ姿の護衛が警備している奥の部屋へ入った。洋風のシックなテーブルと椅子が置かれていて、窓の外には熱海の夜景と駿河湾が見える。蒼雪がジャンの正面に座り、その両隣に赤王とツバキが座った。メイドがワイングラスを用意して部屋から出ていくと、ジャンは口を開いた。
「僕らの最終的な目標は、アオ達も知っていると思う」
ジャンが掲げるのは強者達が支配する統一された世界の実現だ。武力による世界政府の構想をマフィアのボスが考えているというのも夢物語のように思える。だがジャンは本気なのだ。長期的な計画を練った上で、彼はこの日本へ足を踏み入れた。
「そのために、僕らに協力してほしいことがある。勿論、これはビジネス的な取引だよ」
ジャンはニヤリと笑って言った。
「僕は、この日本を完全に支配したい」
赤王は蒼雪の方を見て様子を伺った。蒼雪はジャンの野望を聞いても動じず、何も答えないまま微笑んでいるだけだった。




