4-28『誰もが蜘蛛を愛してる』
オスカルを撃退した織衣は、それはそれはまるで英雄が帰還したかのようにチヤホヤともてはやされた。織衣と穂高が何か事件に巻き込まれたことは副メイド達も把握していたが、相手が十字会幹部のオスカル・ヴェントゥーラでさらに穂高が一度死んだことは知らなかったらしい、というか織衣が全然オペレーターに伝えなかったのが原因だ。
緋彗や和歌に心配され体をベタベタと触られたが、織衣は大して怪我をしていなかったし能力を解除すると同時に角や花の紋章も引っ込んでいたため、何も異常がないと知ると胴上げでもしそうな勢いで織衣を褒め倒した。昴や斬治郎は何度死んでも生き返る(生き返させられる)穂高を相変わらず不気味がっていたが、すげーと言いながら緋彗達に混じっていた。普段はあまり褒め言葉を言わない副メイドも織衣を褒めたし、任務のため本部に不在だった千代からも「よくやった」と連絡が来た。
穂高は本部に到着する前に割と早く目を覚ましたが、彼は「また試合を録画するの忘れてた!」と言って飛び起きていた。織衣が一部始終を穂高に説明すると「どうやって追っ払ったの!? どんな技使ったの!?」と無邪気な子どものように目を輝かせながら織衣に聞いてきたが、織衣本人はよく覚えていないとテキトーに返答していた。
こんな風にチヤホヤされるのも悪くない、と織衣は思ったが能力の使い過ぎからか酷く疲れていたため早めに眠ることにした。
オスカルが手強い相手だったことは間違いないだろう。彼の『感覚』の能力は非常に厄介な能力だし、穂高でさえ一度負けた。しかし織衣はとどめこそ刺せなかったもののオスカルを撃退することに成功した。
そう、それは彼らにとって奇跡のような出来事だったに違いない。彼らは、穂高が負けた相手に織衣が勝てるわけがないと、そう思っているのである。
織衣は考える時間が欲しかった。入浴後、ベッドに寝転んで天井を見上げながら、自分の額に触れた。
角が生えていた場所に何も違和感はない。だがオスカルと戦った時──あの不思議な感覚を味わった時に突然生えてしまったのだ。それは織衣にとって二度目の出来事だ。織衣が初めて能力を発現した時も、織衣には角が生えた。しかしそれは前に渡瀬が説明していたように、能力者が暴走した時に生えるものだ。穂高が暴走した時もそうだった。
しかし、オスカルと戦った時の織衣は、自分でも驚くほど冷静だったのだ。
織衣はあの場所で、あの場所にいるはずのない海風汀と出会った。そしてあの日──忌々しい去年のクリスマスの出来事を思い出した。
織衣はあの出来事を受け入れなかった。逃げるように北海道から離れてツクヨミに加入した。最初は能力者である自分を受け入れられなかったが、この組織にいる能力者達と付き合っていく内に、自分も戦ってみようと、そう思えただけ織衣は前に進めていた。四月デストラクションという未曾有の大規模テロの発生で、織衣は自分も戦わねばと決意して修行に励んだのだ。
そうして戦っていく内に織衣は能力者狩りと出会った。彼は織衣とは全く違うタイプの能力者だった。友人や家族を能力者に殺され、彼らを恨み復讐のために能力者狩りをしている。一方で織衣が恨む相手は自分自身だ。あの事件にどんな経緯があろうとも、織衣は醜くも自分の生を願った、その事実が今も織衣を縛り付けている。穂高のように、強い使命感を持って戦うことが出来ない。どうしても、あの日のことが頭をよぎってしまう。
あの日の出来事を知っているのは、織衣を助けた渡瀬やエリー、そして牡丹や華、副メイドぐらいだ。緋彗や和歌にすら織衣は教えたことがないし、しつこく聞かれたこともなかった。華は他人の秘密を知ることが好きなだけでそれを周囲にバラすようなことはしないし、牡丹もあれは事故だと織衣に言った。渡瀬はあの事件を未然に防げなかったことを織衣に謝ったし、エリーは織衣に妙に優しくしてくれる。
織衣は自分と向き合った。人間だった頃の自分と、まだ人間だと思っていた自分、そして能力者として目覚めた自分と。
織衣は天井に向けて右手を伸ばした。
「……“紋章共鳴”」
紋章共鳴、それは能力の暴走状態のように自分の限界以上に能力の出力を上げ、さらに自分の意識で制御すること。能力の暴走の経験とその感覚を引き出し、強大な出力の能力を制御する技量が求められる、能力者の最終奥義のようなものだ。使用者の一人である渡瀬は以前織衣に教えてくれたことがあり、少しだけ見せてくれた。
確か渡瀬は、何かの神を指す言葉を使っていた。穂高は自分の紋章共鳴を月光と名付けた。能力の技に名前をつけることは、能力の扱いに慣れていない内は発動を容易にし、自分の能力の方向性を定めるという効果があると織衣は渡瀬に教わっていた。そして、その技の方向性を決定づける。
「────“運命の色糸”」
織衣の右手から赤や青、緑や黄色、金や銀など様々な色の蜘蛛糸が放たれる。その中から赤色の蜘蛛糸を引っ張り、織衣はそれを小指に巻いてフフッと笑った。
穂高はつくづく問題を起こす人間だ。彼の側にいるだけで何かと死にかける。しかし、穂高は図らずとも織衣に成長の機会を与えてくれた。
まだ、あのガキンチョの側にいるのも悪くないと、織衣は思った。
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朝方、四時前に織衣は目覚めた。時計を見て二度寝しようかとも考えたが、下手に寝ると寝坊しそうだったため早めに着替えて部屋を出た。
高校生組は毎朝三十分から一時間程度ランニングをするのが習慣だ。いつもなら朝の五時からで、織衣は緋彗から起こされることが多い。和歌は前の日の夜からずっと起きているが、もう寝ぼけ始めている時間帯だ。ランニングを終えて朝食を済ませると寝始めてしまうため、織衣と緋彗が学校まで引っ張らなければならない。
前日に任務があればランニングは免除されるが、特に体に以上はなく眠気もなかったため織衣も向かおうとした。しかしまだ時間が早いため和歌の部屋で時間を潰そうかとも考えたが、織衣は食堂へと向かった。こんな時間には誰もいないと思っていたが、食堂には明かりが点いていた。
「早いね、織姫ちゃん」
てっきり華が朝食でも作っているのかと思っていたが、スーツ姿の渡瀬が胸に黒猫エリーを抱えながら椅子に座っていた。
「いつ帰ってきてたの?」
「ついさっきだよ。色々と野暮用があってね」
織衣は渡瀬の前の席に座った。心地よさそうに眠る黒猫エリーの寝息が聞こえる。渡瀬はいつもと変わらない笑顔を織衣に向けながら口を開いた。
「少しは、自分と向き合えるようになったみたいだね」
穂高に対してもそうだが、織衣は渡瀬に命を助けてもらったのにも関わらず、やはり彼のことを怖いと思っていた。こうして、人が話していないことを勝手に見透かしてしまうからだ。
「そう見えるの?」
「うん。憑き物が少しは取れたかなって感じだね。オスカル・ヴェントゥーラは強かった?」
「穂高君の首が飛ぶぐらい」
「彼も大概無茶をするね」
穂高はいつも勝手なことばかりするが、今回ばかりは織衣にも原因があった。わざわざ穂高を狙ったのを考えると、彼は裏社会でも相当有名な人間らしい。
「あの日、僕が織衣ちゃんに何をしたか覚えてる?」
一年前のクリスマス、小泉悠遠著の『キロク』を所有していた絃成について調査していた渡瀬は、織衣が能力を発現してから家を訪ねてきたらしい。そこで暴走状態にあった織衣を助けてくれた。しかし、実際に渡瀬がどんな能力を使って戦ったのか織衣は覚えていなかった。
「ううん、覚えてない」
あの日のことを思い出すと胸が痛みだす。だが以前と比べると、織衣は過去に向き合えるようになった。
「織姫ちゃんは、穂高君が暴走した時に立ち会っていたでしょ? どうやって穂高君の暴走は止まった?」
穂高の暴走が止まった時、織衣は海風汀と出会っていた。穂高の暴走を止めたのは汀だったのか、いや彼女が現れたのは穂高の暴走が止まった後だった。織衣は渡瀬に汀について話そうかとも考えたが、彼女に呪われそうだから秘密にしておこうと胸の内にしまった。
「私を、攻撃できなかったから?」
織衣にはそういう風にしか捉えることが出来なかった。あの時穂高は織衣に刃を向けようとしていたはずだ、しかし彼は手を止めて自壊しようとしたのだ。
「まぁ、そんなところなんじゃないかな。あれは穂高君が誤作動を起こしたんだよ」
「誤作動?」
「そう。いくら能力が暴走したと言ってもね、まだ宿主の中には能力者本人の意思は残っているんだ。能力が暴走すると大体は見えるもの全部破壊しようとしちゃうんだけど、だからといって大事な人や物を破壊するのは宿主本人が許せないことかもしれない。
能力は全てを破壊しようとする。でも宿主には壊したくないものがある。そのお互いの力が背反してしまった時、お互いに誤作動を起こして暴走が止まるんだよ。いわば強制終了みたいなものだけどね」
「……それは、穂高君にとって私が大切な存在っていう前提じゃないと成り立たないんじゃ」
「じゃあ、穂高君は織姫ちゃんをそんなぞんざいに扱ってる?」
織衣は今までの穂高の行動を思い返してみる。彼は織衣をおちょくるのが大好きなクソガキだが、事あるごとに彼は織衣を助けてきた。だがそれは、織衣が特別だからというわけじゃなく偶然織衣がそこにいたからなのではないかと織衣は考えていた。織衣は穂高と行動を共にしているため危険な目に遭遇させられることも多い。昨日公園でリーナから織衣を助けたのは、リーナの思い通りに事が運ばれることが気に食わなかったからだろう。ツバキに操られた織衣を洗脳から解くために自らの命を差し出したのも、同じくツバキの思い通りになるのが気に食わなかったからだろう。
いや、どうだ? 穂高の今までの行動が、織衣のことが大切だからと思っていての行動だと仮定したら? いつから? 織衣と最初に出会った時から?
長く考え込もうとし始めた織衣に、渡瀬はフフッと笑って口を開いた。
「実際に穂高君の暴走がどうやって止まったかは知ることが出来ないからね。それは穂高君自身にもわからないだろうから。
能力の暴走ってのは難しいものだよ。ブレーキが壊れた列車を、シミュレータも触ったことのない素人に駅のホームにピッタリと停車させろと言うぐらいにはね。僕だって能力者の暴走に何度も立ち会ってるわけじゃないから手を焼くよ」
「じゃあ、どうやって私の暴走は止まったの?」
「今、織姫ちゃんが首に巻いているものだよ」
織衣は首に巻いていた白いマフラーに触れた。このマフラーは、絃成が最後にくれた誕生日プレゼントだった。
「それが、織姫ちゃんの部屋に置かれていたのかな。小包を見て織姫ちゃんの暴走が止まって、マフラーを握ると気絶したように倒れてたよ。
織姫ちゃんはそれを見て、自分のお兄さんのことを思い出したんじゃないかな。織姫ちゃんにとって、お兄さんは大切な人だった?」
「……わからない。でも、いなくなった時はすごく怖くなった」
「うん、そんなものだと思うよ。でも織姫ちゃんは、もしかしたらお兄さんが自分のことを恨んでいるかもしれないと思っているでしょ?」
織衣は不可抗力とはいえ自分の手で兄を殺めてしまった。それを後悔している、とは織衣自身も考えていなかった。自分を守るためだった、自分が助かるためだったのだ。だがそれを、仕方がなかったという言葉で片付けられるわけがない。本当にそれが奇跡なら、もっと幸せな結末もあったはずなのに。
「織姫ちゃんが北海道に帰らないのは、それが理由なのかい?」
「……遠いし」
「飛行機で一時間半から二時間ぐらいでしょ? 福岡とそう変わらないよ」
ツクヨミのメンバーは特に決まった休みはないが、お盆や年末年始は実家や故郷に帰るという人も多い。しかし高校生組は今年の夏に誰も帰省していなかった。もう殆どが帰るべき場所を失っているからである。
「そうだ、織姫ちゃんは年末年始どうする予定なんだい? 僕やエリー、千代達も多分いないと思うけど」
「ダラダラしてるだけだと思う」
「ならせっかくだから、一度札幌に帰ってみないかい? きっと、今の織姫ちゃんなら得られるものがあると思うよ」
織衣にとって札幌が帰りにくい場所であることは確かだ。織衣の実家はツクヨミが管理してくれているが、あの家に入りたいとも思えない。そして何よりも、織衣が会いたいと思っているようで会いたくないと思っている人間もいるのだった。
黒猫エリーが大きな欠伸をした。目は覚めたようだがまだ寝ぼけているようだ。もうそろそろ緋彗達も起きてきて、朝のランニングに出かける頃合いだろう。渡瀬は黒猫エリーの頭を撫でながら言った。
「辛いことは思い出したくないものだよ。勿論、それを思い出す必要はないんだ。どれだけ逃げたっていい。でも、それと向き合ってこそ前に進めることもあるんだ。
穂高君は……前を見ようとしているんだよ。無茶苦茶なことをしているように見えるけど、不器用ながらも藻掻いて苦しみながら、前に進もうとしているんだ、彼なりに」
他のツクヨミのメンバーと穂高との決定的な違いは、革新協会という凶悪なテロ組織に明確な復讐心を持っていることだ。勿論他のツクヨミのメンバーにも特定の誰かを恨んでいたり、人並みに革新協会や十字会を悪だと思って正義感を持って戦ったりもする。しかしああやって能力者狩りとして戦っていた例はない。
「きっと彼も怖かっただろうね……妹ちゃんがいなくなった時は」
穂高は妹が行方不明になった時、織衣と同じように走り回ったのだろうか。知り合いに聞き回って思い当たる場所を走り、出来る限りのことをしたはずだ。同じ運命を辿った身として、やはり彼のことを考えると胸が痛む。兄弟に殺されかけて逆に殺してしまうか、誰かに殺されてしまうか、どちらの方が幸せだっただろう。
穂高もきっと奇跡を願ったはずだ。願った末にあんな結果では、あまりにも残酷だ。
「ねぇ、渡瀬さん」
織衣は、自分の運命を大きく変えた言葉を思い出した。
「奇跡は、本当に願えば叶うものなの?」
いや、と渡瀬は首を横に振った。
「願うだけで叶うなら、もっと多くの奇跡が起きてて良いはずだよ。奇跡は、極稀に起きるから奇跡と呼ばれるんだ。
でも、願わないと叶わないものだよ。どんな夢でもね」
外の方が騒がしくなってきた。きっと緋彗達が起きてきて、部屋から消えた織衣を探しているのだろう。織衣は渡瀬に別れを告げて緋彗達の元へ向かい、朝のランニングのため外に出ていた。
織衣達と別方向へ向かう男子組の中に穂高はいた。昨日死にかけた、というか一度死んだはずなのにランニングへ向かう元気があるようだ。呑気そうに欠伸をする穂高を見て、織衣はホッとしていた。




