4-22『崩れていく日常』
「明日のパーティが楽しみだね、織姫。十五歳というにはまだまだ子供っぽいかな、君は」
道脇に雪の壁が作られた歩道を織衣と里緒は歩いていた。明日は十二月二十五日、聖なるクリスマスだ。勿論多くの人にとってもめでたい一日だが、織衣にとってはもっと特別な一日だ。学校から家へ帰る足取りも不思議と軽くなる。
「子どもっぽいは余計」
織衣の隣でベージュのダッフルコートを着て歩いている里緒はフフッと悪戯な笑みを浮かべていた。
「明日、学校終わりに来る?」
「いや、一旦家に帰ってから行くとするよ。制服のままじゃなんだからね」
明日はクリスマスでもあり、織衣の十五回目の誕生日でもあった。そんな盛大なパーティを催す訳では無いが、こんな偏屈者っぽいキャラの割には里緒はサンタの格好をノリノリでするぐらいには浮かれた気分でやってくる。何せ里緒の家は、クリスマスでも家族が揃いにくいからだ。
「今度のプレゼントはどんな本なの? 今度はちゃんと日本語訳がついてる奴をお願いね?」
去年の誕生日、織衣は里緒から外国人作家の分厚い小説をプレゼントされていたが、英文でしか書かれていないため英語の勉強をしながら読む羽目になっていた。
「フフ、日本語だけでは伝わらないことだってあるよ。現地の文化は現地の言葉でしか伝わらないからね」
「里緒はちゃんと読める?」
「うーん読めないだろうね」
里緒は小学生の時から毎年織衣に本をプレゼントしている。そこら辺の書店では手にはいらないような、そこまでメジャーではない海外の作家が書いた小説だ。中国文学だったりインド文学だったり、あまり織衣が手に取らないような分野の本もあったが、その度織衣の見識は広がっていった。
「来年も、私達はこのままなのかな」
交差点で二人は足を止めた。雪は病んでいたが道脇には雪の壁が作られていた。
「そんなに受験が心配かい?」
「そりゃ里緒は大丈夫だろうけど、私は理科とか社会が不安なんだもん」
「問題ないさ。私だって国語はいつも成績が最低だからね」
里緒はいつも本を読んでいる割には国語の成績が極端に低い。他の教科のテストは満点近い点数を取るのに、国語は平均よりも下だ。里緒がまともに解くのは漢字の問題ぐらいで、後は教師が好まないような答えばかり書いていくのだ。だから国語教師に嫌われている。
信号が青になり、二人は横断歩道を渡り始める。織衣の家の近くにある公園が見え始めた。
「想像がつかないね。高校に行って、勉強して……進路もどうしようか決めてもいないのに。里緒が大人になった姿とか想像つかないもん」
「このままだろうね。ずっと本を読んでいるだけだよ」
「作家とかにはならないの?」
「私は本を読むのが好きなだけさ。織姫だって映画は好きだけど、自分で作りたいとは思わないだろう?」
「確かに、それもそうだったね」
織衣は将来の目標がぼんやりとしたまま志望校を決めた。本当は絃成が通い父が教師として働いている高校へは進学したくなかったが、里緒がそこを第一志望にしていたため、織衣は葛藤しながら選んだ。どうせ受験生の絃成も今年でいなくなる、しかし織衣の学力ではギリギリ狙えるという範囲だったため、里緒の指導の元根気よく受験勉強を続けていた。
「大丈夫さ、織姫。私達は来年の今頃も、こうしてこの道を歩いているはずだよ」
「どんな話をしてると思う?」
「新作の本か映画の愚痴か、先生に対する愚痴かなぁ」
「ハハ、今と大して変わらないじゃない」
二人は織衣の家の前に到着した。申し訳程度の小さな庭が付いたガレージ付きで二階建ての一戸建てで、織衣の部屋は日当たりがいい場所にある。そのため絃成の部屋の日当たりは犠牲になった。
里緒の家はこの道をさらに進んで小高い山へ続く坂道を登った途中にある──織衣の家の前からも見える、赤い屋根の大きな洋館だ。
「じゃあまた明日。楽しみにしているよ」
「うん、私も。プレゼント忘れないでね?」
「わかっているとも」
織衣は里緒に手を振って別れを告げた。織衣は合鍵で鍵を開け、家の中に入った。
織衣が放課後に時間を潰していても、まだこの時間帯には家に誰もいない。父は一番帰りが遅いし、母はまだパートの時間だ。絃成は塾に……いや、織衣の記憶では塾の日ではなかった。まぁどこか図書館で勉強でもしているか、友人達と時間を潰しているのだろうと思って、織衣は二階へ上がって自分の部屋に行こうとした。
すると、自分の部屋のドアの前に小包が置かれている事に織衣は気がついた。誕生日もクリスマスも明日なのに何だろうと思って近づいてみると、赤いリボンが巻かれた小包の上には白い封筒が置かれていた。織衣は鞄を置いて白い封筒を手に取り、中を開ける。すると、中には一枚の手紙が入っていた。
『一日早くなってしまってすまない。母さんに預けても良かったんだが、母さんはドジなところがあるし父さんはそういう洒落たことをするのが下手だ。俺から直接渡せないことを申し訳なく思う。きっと、これは織衣に似合う物だと思う。
俺は少しの間、家に帰れない。理由は言えない。どこにいるかも、いつ帰れるのかも今は言えない。だが心配しないで欲しい。決して悪事に手を染めようとしているわけじゃない。俺は信頼出来る仲間達と一緒にいる。
急にこんな置き手紙があっても織衣は困ってしまうかもしれない。だが仕方のないことだった。ただ俺の行いは、これからの未来のためだと思ってほしい。
一日早いが、誕生日おめでとう、織衣。俺は無愛想な兄だったかもしれないが、この家族の一員として育ってきたことを嬉しく思う。
絃成』
織衣はすぐに鞄から携帯を取り出して、絃成に電話をかけた。だが何度電話をかけても絃成の携帯に電源は入っていないようで、メールだけ送ると階段を駆け降りて玄関まで走った。が、靴を履く前に思い留まって、まずは家の電話まで向かった。母親の職場に電話をかけようと思って連絡帳を見ようとすると、その上に一枚のメモ書きが置かれていた。
『きっと織衣は、すぐに母さんや父さん達に電話をかけて俺のことを探そうとするだろう。
だけど、それは無駄なことなんだ』
織衣は母親の職場に電話をかけた。丁度母親が職場から配送で離れていたため直接伝えられなかったが、長男が置き手紙を残して消えてしまったという旨だけ伝えて、今度は父が勤める高校に電話をかけた。姫野の長女だと伝えるとすぐに父に代わり、同じような旨を伝えた。
電話を切ると自分の足で外を探し回ろうとした織衣だったが、まだ電話出来るところがあったと気づいて引き続き電話をかけ続ける。絃成の一部の友人の連絡先を織衣は知っていたし、他の友人宅の連絡先も連絡帳に残されていた。しかし殆どの家に電話が繋がらず、電話に出てくれた家も絃成の友人は出かけているとのことで情報を得ることが出来なかった。絃成が通っている塾にも電話を入れたが、どうしてか電話が繋がらなかった。
織衣は何の荷物も持たずに家を飛び出し、僅かに雪が残る道を走りながら絃成が行きそうな場所を考えていた。しかし絃成が行くような場所と言えば高校か塾、友人宅ぐらいしか思い浮かばなかった。高校はもう父が探しているはずだ、塾と友人宅にはもう電話をかけた。後思い浮かんだ場所といえば、昔絃成とよく遊んだ公園ぐらいだった。
家の近所にある公園の前まで辿り着いた織衣だったが、入ろうとした瞬間に入口で凍った路面に足を滑らせてしまい、思いっきり雪の中にすっ転んでしまった。
「いったぁ……」
幸い手に軽い擦り傷が出来たぐらいで済んだが、着ていた制服やコートがビシャビシャに濡れてしまっていた。
「おねーさん、大丈夫?」
すると織衣に手が差し伸べられた。見上げると、織衣の前に幼気な少女が、その無垢な瞳を織衣に向けていた。彼女は……今朝、この公園でブランコに一人座っていた少女だった。その黒装束は、俗にゴスロリとか黒ロリとか言うらしい。
少女に助けられた織衣は立ち上がって今一度彼女のことを見る。朝からずっとこの公園にいたというわけではないだろう。まだ小学生ぐらいの小さな女の子だ。側に保護者や友人の姿はなく、近所で見かけたこともない。その少女が妙に異様な雰囲気を醸し出しているのは、その黒装束のせいだけだろうか。
「ねぇ、おねーさん」
「ど、どうしたの?」
少女は織衣を見上げながら言う。
「おねーさんのおにーさん、良い人?」
「……え? 私の兄のことを言ってるの?」
「うん。おねーさんはおにーさんのこと、好き?」
「好き……?」
好きか嫌いか。好きになった時も嫌いになった時もある。だが今は嫌いだ、勝手にいなくなるなんてあり得ない。
「おねーさんのおにーさん、悪い人」
織衣が答えを出す前に少女は無表情で言い放った。
「わ、私の兄が?」
「うん。とっても悪い人。だから気をつけてね」
そう言って少女は織衣の前を通り過ぎて公園から立ち去ろうとしていた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! それってどういう意味──」
織衣が少女の腕を掴もうとすると、織衣は少女に突き飛ばされて地面に尻もちをついてしまった。いや、織衣は突き飛ばされたわけではない。少女は織衣に何もしていないのに、織衣が彼女の体に触れただけで織衣は何かに弾かれて、バランスを崩してこけてしまったのだった。
尻もちをついたまま呆然とする織衣は、少女が立ち去っていくのを見ることしか出来なかった。
夢だったのか。
一人、住宅街の中を走りながら織衣は悩んでいた。あの少女が言っていたことを真に受けて良いものか。何者かわからない、得体のしれない人間が言うことを信じて良いものか。普段の織衣だったら不思議な子だなぁぐらいに一日も経たずに彼女の存在なんて忘れてしまっていただろうが、状況が状況だけに嫌に織衣の頭に残っていた。
上り坂の凍った路面で何度も転びながらも、織衣はその度起き上がって無我夢中で走っていた。すっかりずぶ濡れになってしまった服に不快感を感じながら、織衣は辿り着いた邸宅のインターホンを鳴らした。相手の声を聞く余裕もなく、織衣は何度もインターホンを鳴らしていた。
「お、織姫!?」
門の向こうにある洋館から織衣が慌てた様子で出てきた。門を開けて織衣の姿を確認すると、雪でずぶ濡れになっているのを見てさらに驚いているようだった。
「な、何があったんだい?」
織衣は用件を伝えようとしたが、先程の件もあって頭の整理が追いつかず、何か言おうとしても息もたえたえで言葉を発せなかった。ただ里緒の姿を見た織衣は、精神的、肉体的疲労がドッと押し寄せてきて、そのまま織衣は里緒の体に倒れ込むように気を失ってしまっていた。
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目を開いてすぐに、この場所が里緒の家だと織衣は気づいた。クラシックな木目調の部屋には大量の本が並ぶ本棚と、万年筆が置かれた執務用の机と、織衣が寝ていたふかふかなベッドが置かれていた。織衣は制服から白い寝間着に着替えさせられていて、家で使っているものとは肌心地も匂いも違った。
「具合はどう?」
ベッドの脇には部屋着姿の里緒が座っていた。手元には分厚い本がある。
「……今、何時?」
「夜の十一時ぐらいだね」
織衣はキョロキョロと部屋の中を見回した。この部屋は里緒の家の、客人用の部屋だ。何度か織衣も泊めてもらったことがある。とても庶民が使うにはもったいないようなベッドは相当眠り心地が良かったのだろう。織衣はすぐに気を失う前の記憶を思い出していた。
「そ、そうだ里緒! け、絃兄が」
「うん、知ってるよ。織姫のご両親から聞いた」
すると里緒は織衣が気を失った後の出来事について話してくれた。里緒はとりあえず織衣をこの部屋に寝かせて、すぐに織衣の父親から連絡が来たため状況を把握したらしい。織衣が里緒の家にいることを伝え、織衣の両親は警察の手を借りて今も絃成を探し回っているとのことだ。
「置き手紙って、これのことだろう?」
里緒は一枚の手紙を織衣に見せた。それは織衣が小包の上で見つけたものだ。そういえばコートのポケットに突っ込んだままだった。
「これは確かに、絃成さんの字なんだよね?」
「うん。絃兄の字は角ばってるから」
「絃成さんがこんな悪ふざけをするとは思えないからね……」
織衣は里緒が話していた噂を思い出す。絃成が通っている塾では最近、あまり良くないことが起きているらしい。同じ塾に通う学生達が犯罪を犯し続けている……それがこの事態と無関係とは思えなくなった。
「ねぇ里緒。里緒が話してた噂、もしかしたら──」
「織姫。今はそんなことを考える必要はないよ」
里緒は織衣の言葉を遮って力強く織衣の手を握りしめながら言った。
「もう夜も遅い。ご両親には連絡を入れてあるから、今日は泊まっていくといいよ。家に帰っても……良い思いは出来ないと思うからね」
「うん……」
「大丈夫さ。中々寝付けないようなら私が側にいるから。何なら、一緒にこの本を解読しようじゃないか」
里緒が膝の上に置いていたのは、学校で見せてくれた小泉悠遠著の『キロク』だった。
「暗号ばかりのこの本だけど、実は前書きだけは読めるようになっているんだ。普通の文で書かれているからね」
すると里緒は、その本の前書きのページを開いた。真っ白なページのど真ん中に一文だけ、こう書かれていた。
『奇跡は起こる、君が望めば』




