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ウォントビーアヒーロー  作者: 紐育静
第四章『誰もが蜘蛛を愛してる』

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4-20『目覚めの時』



 オスカル・リヴィオ・ヴェントゥーラ。彼は十字会総帥ジョバンニ・ロマーノ・クローチェの親友であり、彼によって幹部であるパトリキに昇格された。彼は親族に十字会関係者がいるわけでもなく、シチリアの農家出身という他に経歴は不明。だが、その若さで幹部となったのはジャンと同じように能力を持っているからだと推測されていた。


 「タカトゥーリ、お前はジャンの事が大っ嫌いなんだろ? 何でもsorella(妹)を殺されたんだって? そいつは残念だなぁ、俺でさえ同情するよ」

 「御託はいい」

 「実は俺もジャンの事が大っ嫌いなんだよ。あんな頭がイかれてる奴を好きになる奴なんて、アレ以上に頭がおかしい奴だな!」


 どうも彼はおしゃべりが好きでしょうがないらしい。織衣は穂高とオスカルが話している間に蜘蛛を展開させて周囲の状況を確認する。脱線した車両にはまだ生存者がいるようで、ひっそりと避難させていた。


 「じゃあ、どうして貴方はジャンの味方なんですか?」

 「アイツがやろうとしていることが面白そうだからだよ。

  だから、アイツのsogni(夢)に邪魔なお前さんを始末しに来たってわけ」


 オスカルはジャケットのポケットからナイフを取り出し、片手でクルクルと回した。そしてそれを織衣と穂高の方へ投擲する。たった一本のナイフがどんな攻撃か、仲間である和歌の『誘導』の能力を知っている以上、そのナイフが織衣か穂高を狙ってホーミングしてくる可能性もあった。

 オスカルが投げたナイフが接近してくると、それが次第に包丁ほどに、やがて日本刀ほどに、さらに大剣ほどに、そして先程織衣達が乗っていた電車を襲った巨大な刃に巨大化していくではないか。遠近感の問題か、いいやオスカルの手元にあったそれは確かに小型のナイフ程のサイズだった。斬治郎が似たような能力を使うが、それとは感覚が違う。

 しかし織衣はその巨大化した刃物を太刀で弾き返すという発想はなかった。その斬撃が巨大とはいえ十分に避けられるタイミングがあったからだ。それは穂高も同じはずたっが、彼は光剣を素早く振って光の刃を放ち、その巨大な斬撃を弾き返そうとした。

 刃と刃が衝突すると、それは織衣達の後方にあったマンションの壁に衝突し地面に落ちた。織衣には十メートル程のサイズに見えていた巨大な刃は、今はただのナイフとして転がっていた。


 「空振っちゃった」


 穂高の振りが遅かったわけでもなく、あのサイズなら確実に当たるコースだった。しかし穂高の光剣はあのナイフに当たらなかった。


 「次はこれだ!」


 オスカルは再びナイフを取り出して織衣達に向かって投擲していた。投げナイフにしてはスピードが早く、十数メートルは離れているはずなのにまったく勢いが減衰しないまま糸を引くように真っ直ぐ織衣と穂高に向かって放たれる。

 たった一本のナイフが、織衣と穂高両方に向かって飛んでくる?

 その違和感が織衣の判断を遅らせた。しかしそのナイフはただ直進するだけで巨大化もせずに、今度も躱すだけの余裕があったはずだった。

 織衣は目の前を通過していくナイフをその目で見た。ナイフがゆっくりと目の前を真っ直ぐ飛んでいくのが見える。再びナイフは後方のマンションに当たるかと思いきや、急に軌道を変えて織衣に刃先を向けていた。

 織衣は思わず自分の首元を押さえた。確実に、そのナイフが当たったと思ったからだ。しかし何も起きていない。首を触っても、首どころかマフラーにも切り傷はない。織衣が穂高の方を見ると、彼も同じように首を押さえて困惑しているようで、お互いに目を合わせてそれを確認していた。


 「おいおい、俺はまだなーんにもしてないぜ? 何ビビってんだ?」


 オスカルの手にはまだナイフが握られていた。

 今、ナイフは本当に投げられたのか。確かに首を斬られると織衣は感じたのだ。しかし、ナイフはそもそも飛んでいなかったのかもしれない。


 「姫野さん」


 オスカルの能力に混乱する織衣に穂高が言う。


 「目を閉じて戦える?」

 「そんな人いる?」

 「ツバキとはそう戦えって言ったでしょ? それの練習だよ。いや、ぶっつけ本番だねこれは。大丈夫だよ、姫野さんって本番に強そうなタイプだし」

 「それはどうも」


 穂高は目を閉じていた。どうやら彼は本気らしい、正気ではない。しかし穂高がそう言うのならその方が良いのだろうと織衣は目を閉じた。

 織衣は『蜘蛛』の能力で生み出した蜘蛛達の視界を共有することが出来る。その視界からしか情報を得られないと、まるで自分自身を俯瞰して見ているような不思議な感覚だ。織衣自身が感じ取れるのは、金属と金属が擦れた、焼き焦げたような臭いとオスカルの声だけだった。


 「戦ってる時に眠るとは大した奴だな!」


 オスカルは織衣の正面、横倒しになった車両の上に立っているはずだった。今も蜘蛛の目線からそう見える。しかしオスカルの声は真横、真後ろ、真上等様々な方向から反響するように聞こえた。しかしオスカルはその場から移動していないはずだ、センサー代わりに各所に仕掛けた蜘蛛の巣にも反応はない。

 おそらく穂高にも同じような現象が起きているはずだが、蜘蛛の視界から穂高がオスカルに光剣で斬りかかるのが見えた。しかし穂高の正面に、もうオスカルはいなかった。

 一瞬でオスカルは織衣の目の前に現れた。手に握るナイフで織衣を斬ろうとしている。それが見えていた織衣は、当然それを避けようと身を引いた。

 だが。

 オスカルはまだ織衣の目の前にいた。織衣は思わず目を開き、その姿を視認する。織衣は避けたはずだった、オスカルから離れたはずだった。しかしオスカルは全く同じフォームで織衣の目の前にいて、ナイフを振りかぶっていた。

 しかし織衣が太刀を構える前に、穂高が光剣でオスカルのナイフを弾いていた。


 「へぇ、どうして俺がここにいると思った?」


 オスカルの目はジャンと違う。リーナのようにその目から、その表情から戦いに対する楽しさが感じ取れる。


 「勘」

 「かん……intuizione(勘)? 流石は能力者狩りがだな!」


 織衣は自分の目を閉じても蜘蛛達と視界を共有できるが、穂高は能力を使ってもそんなことが出来ないはずだ。


 「じゃあ、こいつはどうだ!」


 オスカルはそう言ったものの一歩も動かなかった。穂高も動じずに光剣を構えたままだ。

 オスカルは確かに右手にナイフを握っている。先程穂高に弾かれたはずのナイフがある。

 ではオスカルの左手はどこにある? 彼の頭か? 胸か? 足か? 背中か? 一体どこに向かってどう伸びて何をしようとしている?

 織衣の視界には、数十本ものオスカルの左手が映っていた。それは実際にそこにあるものではなく、数十、いや数百もの彼の行動パターンが視界に映っているのだ。

 織衣は目を閉じた。蜘蛛の視界からもそう見えるため、蜘蛛達にもオスカルの能力が作用してしまっているようだ。だが、本当にそこにいてくれるのなら左手がどこにあろうとも構わない。


 「前!」


 織衣は穂高に叫んだ。蜘蛛糸を手繰り、オスカルの体に引っ掛ける。捕まえるにはそれだけで十分だ。一気にオスカルの体に蜘蛛糸が巻き付き、織衣と穂高の前から動けなくなる。


 「一応伏せといて」


 穂高がそう言ったため織衣は頭を押さえて地面に伏せた。攻撃は穂高の仕事である。蜘蛛の視界から俯瞰して見ると、穂高は黒剣を生み出してオスカルに向け、黒剣から放たれた黒い光線がオスカルの腹部に直撃した。それはオスカルの体を突き押して近くのコインランドリーの中まで吹き飛ばし、ガラスを突き破って洗濯機に激しく衝突した。穂高は次に光剣を、オスカル目掛けて投擲する。


 「──満ちよ、“望月(ぼうげつ)”」


 光剣はオスカルの体に着弾すると、そこから大爆発を起こしたかのように眩い光が放たれ、コインランドリーが入っていた建物まるごと光に包まれてしまった。

 だが、これで簡単に終わるとは思っていなかった。穂高もそうだっただろう。

 織衣は目を開ける。穂高が攻撃したコインランドリーは、建物丸ごと崩壊して瓦礫の山と化した。しかし──オスカルはまだ生きていた。


 「ヒュー、おっかないなぁお前さん達」


 オスカルは、まだ横倒しになった車両の上に両手をジャケットのポケットに突っ込んで佇んでいた。先程までと寸分狂わず同じ場所に立っている。


 「言っておくが、俺はまだここから一歩も動いていないぜ?」


 それはハッタリか、いやオスカルの体には傷一つ存在しない。しかし今までの出来事全てが幻覚とは思えない。


 「……どういうことだと思う、穂高君」

 「幻か何かじゃない?」


 割と曖昧な答えが穂高から帰ってくる。能力者狩りだった穂高でさえオスカルの能力が掴みきれないようだ。


 「姫野さん」

 「何?」


 穂高は再び目を閉じていた。穂高の体には、もう花の紋章が浮かび上がり始めていた。もう穂高は長く戦えない。


 「南の方に大学がある」


 穂高は織衣にだけ聞こえるようにそう呟いた。穂高はオスカルが幻影だろうが何だろうが関係なく突っ込んでいく。オスカルが穂高に気を取られている間に、織衣は南の方角に立っていたビルの屋上へ上がっていた。


 南の方角を見ると、パトカーや消防車等の赤いサイレンが激しく点滅している一帯に数棟の建物からなる大学の敷地が見えた。都心にある一部の大学を除けば、普通グラウンドがあるものだ。ある程度広い場所があれば少しぐらい暴れても周囲の建物への被害が少ない。線路沿いの密集した住宅地の中で戦うよりかは。

 しかし織衣は大学の側まで近づいて気づいた。大学には周辺から避難してきた民間人が集まっている。学校の周囲には警察や自衛隊などの武装した治安部隊が駆けつけていた。しかし彼らは避難している市民の保護が目的で、おそらく敵性戦闘員であるオスカルへの攻撃命令は出ていないはずだ。副メイドは既に事態を把握して、そう根回ししているだろう。


 「オペ、聞こえる?」


 織衣は通信機を起動してオペレーターと通信を繋いだ。


 『織姫!? やっと取りましたね貴方!? さっきから何度もコールしてたのにどうして取らなかったんですか!?』


 開口一番怒鳴り声だ。


 「ごめん、暇がなかった」


 織衣もオペレーターから再三呼び出しがあったことに気づいていたが戦闘中はそれどころではない。下手にオペレーターと通信を繋いだままにすると集中できなくなる。


 「オペ、練馬にある豊玉大学って避難所になってる?」

 『えぇ? そうですね……はい、豊玉大の本部は都が指定している避難場所みたいですね。何かありましたか?』

 「……いや、ありがとう」


 そして、どうして穂高がわざわざ近くに大学があることを織衣に教えたのか考えた。穂高だって学校が避難場所になることぐらい頭にあったはずだ。ならばそれを知っていたと仮定して、穂高が織衣に求めていたことは何か。

 違う。穂高は周辺地域への被害がどうだこうだ考える人間ではなかった。彼は人がいないことが確認出来たら、何の躊躇いもなく建物を破壊してしまうような人間だ。つまり今、彼は──この地域一帯を破壊するつもりなのだ。


 「オペ、近くに他の避難場所はある?」

 『えっと……五百メートル程北にある小学校と、東に三百メートル程離れた場所に江古田駅が、西に桜台駅があります』

 「避難は終わってると思う?」

 『おそらくですが』

 「わかった。それさえわかればいい」


 織衣は通信を切り、展開していた蜘蛛を全て大学の周りに移動させた。そして大学の北側、穂高とオスカルが戦っている方角に向けて巨大な蜘蛛の巣を構築する。

 穂高がどれだけの威力で、どんな攻撃をするつもりか。あの紫電一閃とかいうアホみたいな斬撃と光線を放つ技だとすれば、威力を調整して東西にある駅にギリギリ当たらない、半径三百メートルぐらいの射程で放つだろう。穂高はその攻撃から避難所であるこの大学を守れと織衣に伝えたのだ。蜘蛛の巣の構築が終わると、織衣は通信機で穂高に連絡を取ろうとした。が、そういえば穂高は通信機をつける癖がなかったと思い携帯を取り出して穂高の携帯にワンコールだけ電話をかけた。それで十分だ、穂高はそれが準備完了の合図だとわかってくれるだろう。

 

 北の方角、西武池袋線の線路から眩い光が空に向かって放たれた。その途端巨大な爆発でも起きたかのような轟音と眩い光が放たれ、空に向かって突き進む無数の光線と、地を這うような斬撃がこの地域一帯に襲いかかる。その勢いで大量の瓦礫が周囲へ吹き飛ぶが、巨大で丈夫な蜘蛛の巣がそれらを受け止めた。大学からは悲鳴のような叫び声が聞こえたが、瓦礫が学校に来ないのを見ると今度はざわついていた。

 きっと穂高は帰ったら副メイドにブチ切れられるだろう。織衣はそう思いながら、穂高の元へと向かった。

 

 周囲の建物が空爆を受けたかのように崩れた中、線路の上に穂高は立っていた。体に光と闇を纏って、そして体中に花の紋章を咲かせながら。角が生えていないのを見る限り、まだ耐えられているらしいがギリギリの状態だ。

 しかし──。


 「──『感覚』」


 穂高は織衣に気づくと、そう呟いた。


 「視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、僕達が感じ取るあらゆる感覚が乱れているんだ。それは幻覚に似ているのかもしれないけど、本当にオスカルは何もしてないんだよ。

  オスカルは、僕達が感じ取る感覚を操っている」


 穂高はオスカルの能力を看破した。だが彼の目の前にはオスカルが佇んでいた。


 「Essato(正解だ)、タカトゥーリ。流石のセンスだな」


 オスカルはジャケットのポケットに手を突っ込んだまま答えた。


 「じゃあこれも、僕の間違った感覚だと信じたいですね」

 「確かめてみるか?」


 すると穂高の体に一瞬で無数の切り傷が生まれた。光剣を握っていたはずの彼の右腕は千切れ、ボトリと線路の上に落ちてしまう。


 「じゃあな、La caduta degli dei(地獄に堕ちたヒーロー)!」


 穂高の首から血が噴き出し、彼の体から頭部が離れた。頭部は線路の上を転がり、頭部を失った体はオスカルの目の前に倒れた。


 織衣は穂高の元へ駆け寄ろうとはしなかった。織衣の足は、この場から逃げ出そうとしていたのだ。


 「ようアモーレ、お前さんはどうする?」


 織衣は太刀を線路の敷石に刺して、自分の体をこの場に止めようとする。首に巻いたマフラー掴んで、心を落ち着かせようとする。


 「どうして、私には」


 きっとオスカルは敵の痛覚すら操ることが出来てしまう。オスカルはあの戦いの中で穂高にダメージを与え続けていたが、穂高はそれに気づかないまま戦っていたのだ。しかし織衣には今も傷一つない。


 「俺はあまりRagazza(女)に手を出したくのは好きじゃないんでな。そういえばお前さんジャンに口説かれたんだって? それは災難だったな、俺は生憎相手がいるから興味ないが。

  それに俺の目的はタカトゥーリを殺すことだ。他の奴がどうだろうと俺は知らない。ま、お前さんが俺を殺したいなら話は別だけどな」


 織衣は太刀を構えようとしなかった。逃げようともしなかった。逃げようとする自分を、何とかこの場所に引き留めようとする。

 織衣の鼓動が激しくなっていた。この感覚は──織衣が穂高を殺した時と似ていた。

 大丈夫。

 穂高君は死なない。

 大丈夫だ。

 穂高君は生き返る。

 大丈夫なはず。

 穂高君は何度でも生き返る。

 大丈夫だから。

 穂高君にはリーナがいる。

 大丈夫だから……。

 そう、穂高には織衣がいなくても問題ないのだから。

 これから先もきっと、穂高は織衣の前で何度でも死ぬだろう。その度リーナに生き返らせられる。一体穂高は、そのためにどれだけの代償を払っている?

 


 『どうして泣いてるの?』


 いつの間にかうつむいていた織衣の視線の先に、見覚えのある革靴が見えた。顔をあげると、織衣の前には黒いセーラー服姿で長い黒髪の少女、海風汀が微笑みながら佇んでいた。


 『な、ぎさ……』


 周囲には何も見えなかった。何も見えなくなるほど暗黒に染まった空間だった。


 『何が悲しいの?』


 汀は穏やかな口調で織衣に問いかけつつ、優しく織衣の頬に触れた。


 『私に、何が出来る?』


 織衣はそう答えた。


 『ここから私が逃げ出しても穂高君はリーナのおかげで生き返るし、私のことも責めないと思う。

  でも、穂高君は私を助けてくれたんだから、逃げてばかりじゃいられない』


 汀は『そう』と呟くと、織衣の体を抱きしめた。汀の体からは体温を感じ取れなかった。


 『大丈夫。姫ちゃんになら出来る』


 叱られるものかと織衣は覚悟していた。織衣は未熟だ。穂高の側にいるには弱すぎた。


 『だって、()()()()()()()()()()()()


 決して、汀の言葉からは怒りを感じ取れなかった。ただ、なんだろうか、このおぞましさは、この体に感じる得体の知れない恐怖は。


 『な、に……?』


 『姫ちゃんは、よーく覚えているはずでしょ?

  あの日のことを。

  貴方が、目覚めた日のことを』

 『私が、目覚めた……?』


 織衣は思い出そうとした。日付もはっきりと覚えている、()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そして、思い出そうとしたことを激しく後悔した。


 『どうしたの? 思い出せない?』

 『嫌だ』

 『嫌?』

 『お、思い出したくない!』


 織衣は汀の体を両手で突き飛ばした。

 織衣が目覚めた日。

 能力者としての始まりの日。

 新しいコートを着るのを楽しみにしていた、去年の十二月のこと。

 織衣はこの空間から逃げ出そうとしたが、どれだけ走っても真っ暗なままで、汀に手を掴まれてしまう。


 『どうして思い出したくないの?』

 『だって、だって……』


 織衣にも母親が、父親が、兄が、家族がいた。彼らの笑った顔を見ることが出来た過去のこと、もう彼らは織衣の思い出の中でしか生きていない。

 あれは、織衣が十五回目の誕生日を迎える時。


 『嫌だ!』


 兄が、両親を殺した夜のこと。


 『嫌だ嫌だ嫌だ!』


 そして、織衣が兄を殺した時────。

 

 汀は再び織衣の体を抱きしめていた。汀の体には闇が纏われている。



 『何を、するつもり……?』

 怯える織衣に、汀はニコッと微笑んで見せた。


 『姫ちゃんはよく知っているでしょ、自分のこと。上っ面な態度で生きていて楽しい?』

 『ち、ちが……!』

 『今の姫ちゃんは、本当の姫ちゃんじゃないでしょ?

  だから、私が目覚めさせてあげる』


 汀の体に纏われていた闇が、織衣の体を喰らい潰すように織衣の中へ侵食してきた。

 去年の十二月。

 札幌の街が白く染まっていた頃。

 織衣が、まだ普通の人間として生きていた頃。


 『嫌だ、嫌だぁ……!』


 何度も後悔した。

 自分が能力者になったことを。

 何度も恨んだ。

 能力という呪いの力を。


 『お願いだから、やめてよぉ……』


 泣きじゃくる織衣が汀の腕を掴んで抵抗しても、織衣を呑み込もうとする闇は止まらず、汀は織衣の頬に触れて言った。


 『よく思い出して。姫ちゃんが、奇跡を願った日。そして奇跡を授かった日。

  姫ちゃんも、奇跡を願ったんでしょ?』


 織衣の前に突然現れた青年と少女の二人組。二人は織衣の姿を見て困惑していた。

 その時織衣は──。


 『嫌だ嫌だ嫌だぁ!』


 泣き叫び、そして手足をジタバタとさせながら織衣は抵抗した。だがそんな抵抗も虚しく、やがて織衣は闇に呑み込まれていった。


 『あ……あぁ……』


 奇跡は起こる────。


 『私は……』


 ────君が望めば。


 『さぁ──鬼よ、目覚めなさい』


 悲しげな笑みを浮かべる汀の姿が闇の中に消えていった。すると辺りは暗黒の空間から一変して、雪が積もる真っ白な住宅街の景色に一変していた。

 そこは、かつて織衣が生まれ育った街、北海道は札幌の校外にある閑静な住宅街だった。

 二〇二四年、真冬の十二月。あの日、織衣は奇跡を願い、奇跡の力を手に入れた。


 

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