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ウォントビーアヒーロー  作者: 紐育静
第四章『誰もが蜘蛛を愛してる』

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4-19『汀史観』


 「やっぱりお化けじゃない!?」


 織衣が驚きながらそう言うと、彼女はノンノンと首を横に振った。


 「私は海風(うみかぜ)(なぎさ)。穂高君とは小学五年生からの付き合いよ」

 「えっと……海風さん?」

 「汀で良いよ。で、貴方は姫野織衣でしょ。姫ちゃんって呼んで良い?」

 「う、うん。私のこと知ってるの?」

 「だって、私はいつも穂高君と一緒にいるから」


 また変な奴が現れたと、織衣はうんざりしていた。昴が穂高は女運が悪いと言っていたが、確かに彼の周りには妙な人間ばかり集まっているような気がする。


 「背後霊?」

 「せめて守護霊って言ってほしいな。私は穂高君の中にいるの、一心同体ってやーつ」


 これはリーナとは違うベクトルで関わってはいけない人間だと織衣は思い始めた。しかし、海風汀もまた織衣が知らない穂高のことを知る人間のはずだ。


 「えっと、どうしてここにいるの?」


 すると汀はニヤニヤしながら織衣に言う。


 「穂高君(あのたらし野郎)のこと、好きなんでしょ?」


 本当に穂高と一心同体なら、汀は穂高の視点から織衣のことが見えていたはずだ。ならば穂高の前で不自然にしどろもどろしている織衣の姿が見えていたのだろう。


 「今は、まだ」

 「()()?」

 「……違うから」


 汀の言葉には妙な圧があった。そして織衣は汀に言い返す。


 「汀は、穂高君のことが好きなの?」

 「どうだと思う?」


 面倒くせぇ奴だと織衣は素直に思った。もしかしたら穂高と汀とリーナはそれぞれ案外似ているのかもしれないとさえ思い始める。


 「そうだなぁ……じゃあ」


 すると汀の右目に赤い光が灯された。汀が能力者であることは織衣も気づいていたが、汀は右の手首に水晶の装飾が施された黒い腕輪を装着していた。それは穂高やジャンと同じ系統の能力だ。


 「私に勝てたら、教えてあげよっかな」


 織衣も即座に能力を発動したが、この世界を包み込もうとする闇に既に呑み込まれそうになっていた。織衣の足は吸い寄せられるように闇に呑み込まれていき、やがて体全体を覆いそうになる。が、すぐに闇は引いていき、汀は笑いながら能力を解除していた。


 「冗談よ冗談。で、何だっけ。私が穂高君のことが好きなのか嫌いなのかって?」

 「う、うん」


 織衣も能力を解除し、落ち着いて体勢を戻して座り直した。汀は息をスッと吸い込み、そして口を開いた。


 「大っ嫌い!」


 たらしと言っていたのは何だったのか。あのクソガキもこんなに嫌われることもあるんだなと織衣は安心していた。


 「……殺されたから?」


 織衣が恐る恐る聞くと、汀は再びノンノンと首を横に振る。


 「自己中心的なとこ、八方美人なとこ、神経質なとこ、女々しいとこ、頑固なとこ、挙げていったらキリがない。ずっと一緒にいるのは御免被りたいわ」

 「じゃあどうして、汀は穂高君の中にいるの?」

 「さぁね……どんな理由だったら嬉しい?」


 こいつ本当に面倒くせぇなという感情が織衣の顔に出ていたのか、汀は織衣の顔を見ると腹を抱えて大笑いしていた。無邪気に笑う汀を見て、生きていてくれれば面白い友人だっただろうに、と織衣は思っていた。穂高に一泡吹かせることも出来ただろう。しかし、もう海風汀はこの世に存在しない。だが、織衣の目の前にいるのだ。汀は笑い終えると織衣に言う。


 「私も穂高君も、お互いに囚われているの。私は穂高君から離れられないし、穂高君も私から離れられない」


 織衣は以前に汀が言っていたことを思い出した。織衣も穂高から離れられない、穂高に囚われてしまったのだ、と。リーナが言っていた『引力』の話に繋げると、織衣も穂高に引き寄せられてしまったのかもしれない。あれはあくまで仮定の話だが。


 「それは、私も同じなの?」


 すると、汀はスッと手を出して織衣の右手を掴んだ。織衣は気づいた、汀の手からは体温が感じられない、人肌の温もりが存在しない。汀は織衣の手を感触を確かめるように何度も握り直すと、手を離してから言った。


 「姫ちゃんは、まだ能力者になりきれていないんでしょ?」

 「どういう意味?」

 「能力者である自分を、受け入れられていないってこと」


 汀の言葉が織衣の心に棘のように突き刺さった。少しだけ息苦しさを感じたが、織衣は平静を装った。


 「姫ちゃんは能力を発現してからどんぐらい経ってる?」

 「……十ヶ月ちょっとぐらい」

 「まだ、人間だった頃が忘れられない?」


 今も織衣は人間のはずだ。能力者も見た目はただの人間と変わらない。能力を発動していなければ簡単に死ぬこともある。織衣は能力を発現したことで能力者となってしまい、ツクヨミに加入して裏の世界で生きるようになった。しかし、これから先も織衣は人間であり続けるはずだ。


 「それとも、能力者である自分を許せない?」


 それは、自分の心を貪り食われているような感覚だった。織衣はこんな人間が嫌いだった、彼らは平気で織衣が入らせたくない心の領域を土足でズカズカと踏み荒らしてくる。


 「許してほしいんでしょ? 穂高君なら自分を許してくれるかもしれない、って。あの人は姫ちゃんと違って簡単に人を殺せるんだから。

  でも、そうじゃなかった。段々と見えてきたんでしょ? 穂高君が戦う理由が」


 織衣は次第に息が荒くなり、額からは汗が滲み出てきて、腕には鳥肌が立っていた。織衣は自分が愚かな人間だと改めて思った。

 織衣は自分が嫌いだった。能力者として生き残った、愚かな自分が。

 次第に周囲は闇に包まれていく。汀は織衣の顎を掴んで、微笑みながら言う。


 「落ち着いて。私は姫ちゃんの敵じゃない。姫ちゃんのことはそこまで好きじゃないけど、姫ちゃんが穂高君の味方なら、私も味方だから。

  姫ちゃんが望むのなら、きっと答えは見つかるはず。もしかしたら穂高君が答えをくれるかもしれないし、他の誰かかもしれない」


 織衣が望めば──そう、織衣は望んだのだ。彼を助けたいと。しかし織衣は何も出来なかった。

 だが織衣は、能力者になりたいと願ったわけではなかった。それはただの副産物のようなものだったが、奇跡の力とも呼ばれる能力は、織衣に呪いとして与えられてしまったのだ。


 「穂高君は奇跡を連鎖させることも出来るし、悲劇を連鎖させることも出来る。あの人の周りで当然なことなんて、いつも通りなんていう日常はないの。それは、穂高君がいつも奇跡を願っているから」


 穂高は今までに何度もピンチに遭遇して、その度何度も奇跡を願っただろう。しかし穂高は自分の能力を奇跡の力だと受け止めているだろうか、奇跡と呼ぶには払った代償が大き過ぎる。


 「姫ちゃんも願ったんでしょ? 望んだんでしょ? 誰かを守るための奇跡を。

  奇跡は類稀に起きる出来事だから奇跡なの。多くの人が与えられなかった奇跡の力を、姫ちゃんは持っている。姫ちゃんが望めば、また奇跡は起きるはずよ」


 そう言って汀は織衣から手を離して、椅子から立ち上がって後ろを振り返ってしまった。汀が生み出したであろう真っ暗闇の中にその姿が消えていく。


 「ま、待って……!」


 織衣はようやく声に出すことが出来た。汀は織衣の方を振り向く。


 「汀は、一体何者なの?」


 すると、汀はニコッと微笑んで答えた。


 「私は、穂高君の『闇』の能力。私はあの人が操る能力として、穂高君の中にいるの」


 微笑んでいた汀の体が一気に闇の呑み込まれ、織衣の視界も完全に暗黒に染められた。織衣がハッと気づくと、彼女は鷹取食堂の外に追い出されてしまっていた。辺りをキョロキョロと見回しても、どこにも汀の姿はない。


 ──穂高君のこと、よろしくね。


 汀の声が、シャッターが閉められた食堂の中から聞こえたような気がした。織衣はただ頷いて、すっかり暗くなってしまった街へ歩き始めていた。



 「何してたの、こんな時間まで」


 地下鉄駅の改札前には穂高がいた。時刻は既に夜の八時を過ぎようとしていた。織衣と別れた後、穂高は律儀に織衣のことを待っていてくれたらしい。


 「散歩」


 織衣が見え見えの嘘をついていることに穂高は気づいているかもしれないが、彼は追求することはなかった。


 「一緒に帰る?」

 「いい」

 「とは言っても、帰り道が一緒じゃあね」


 織衣は穂高の前をスタスタと通り過ぎて改札にICカードを通した。後ろから穂高がついてくるが気にしない。


 「もしかして、僕に同情でもしてる?」


 織衣は何も答えずにエスカレーターを降りる。ホームへ着くと、丁度数少ない電車が入線してくる頃だった。


 「どこか寄って帰る?」

 「いい」


 新宿まで一本で行くことも出来るが、もう夜も遅いしそんな気分でもない。織衣が隣に立っている穂高の方を見ると、やはり彼はいつもと変わらない様子だった。


 ──穂高君のこと、よろしくね。


 穂高の隣に、彼女の幻影が見えたような気がした。織衣は目を電車の方に戻して、誰も乗っていない車両に乗り込んだ。



 「今日は、ありがとう」


 二人は練馬で西武線に乗り換えるまで一切言葉を交わさなかったが、電車が練馬から出発した頃に織衣がようやく口を開いた。二人が乗る車両には彼ら以外誰も乗っていなかった。


 「礼には及ばないよ。姫野さんに死なれちゃリーナの思う壺だからね」


 織衣はガラガラに空いている座席に座っていたが、穂高はその近くのドアの側に佇んで、窓から外の景色を眺めていた。電車の外には住宅街やマンションの明かりが見える。


 「私と初めて出会った時、どうして私を助けてくれたの?」

 「いや、普通そうじゃない?」

 「そうじゃなくて……どうしてリーナに無理なお願いまでして私を助けようとしたの?」


 穂高は窓の外に顔を向けたまま答える。


 「僕は能力者狩りとして活動していて、人が革新協会に襲われている現場を見たこともあったんだ。でもその殆どの被害者は僕が駆けつけた時点で殺されていた。軽い怪我の人は救急車を呼んで置いて帰ってたけど。

  姫野さんは、そりゃあ酷い状態でさ。どうしてまだ生きているのかなって不思議なぐらいね。僕は、助けられる方法があるなら助けられる命を見捨てたくなかっただけだよ」


 四月や五月は革新協会によるテロも頻発していた。能力者狩りだった穂高はその現場に駆けつけて戦ったこともあっただろう、だが救えなかった命を彼は自分の責任だと思い詰めていたのかもしれない。


 「それは、リーナに自分の全てを捧げてでも?」

 「リーナは僕のことを好きでいてくれるから、僕を殺すわけじゃないし」

 「でも、だからってそれは……」


 織衣を助ける代わりに穂高が自分の身をリーナに捧げるというのは、穂高には不利過ぎる契約のように思えた。いくらなんでもそれは無茶が過ぎると織衣は思ったが、もしも織衣が穂高と同じ立場だった場合、同じ行動を取ってしまうかもしれなかった。


 「姫野さんにはわからない? 目の前で誰かが死のうとしているのに自分は何も出来ずにただの木偶の坊にしかなれないのは、一生心の痛みとして残るものだよ。それが、今まで出会ったことのない知らない人だったとしてもね」


 能力者狩りとしての経験が、穂高の自己犠牲的な精神を加速させてしまったのだ。穂高にとっては、自分の命を天秤にかけると誰の命よりも軽く見えるのだろう。それが能力者狩りとして救えなかった多くの命への償いだと穂高が言うのなら、織衣は何も言うことが出来なかった。

 電車は次の駅で停車したが、誰も織衣達が乗る車両には乗ってこないまま、再び電車は発車していた。


 「姫野さんは僕のことを危なっかしいと思ってるのかもしれないけど、僕からすれば姫野さんだって相当だよ。今日が姫野さんの命日になっていたかもしれないんだし」


 今日、あの場に穂高が仲裁として駆けつけてきた時、織衣はそれがさも当然のことのように思ってしまっていた。織衣だって警戒は怠っていなかった、敵の幹部であるリーナと一対一で話をするという状況で、戦闘になるかもしれないと覚悟だってしていた。しかし、いつものように穂高が来るものだと、織衣は潜在的に甘い考えを持ってしまっていた。


 「リーナは、未だに姫野さんのことを狙ってるよ。もしかしたら緋彗や若様のこともね。

  余程嫌いなんだろうね、自分以外の女が」


 リーナはおそらく織衣を恋敵か何かと思っているのだろう。三ヶ月程前に織衣と緋彗の元へわざわざ襲撃してきた時も、その可能性を考えてのことのように思える。


 「でも、そんな戦いばかりの生活で楽しいの?」

 織衣達は確かに能力者だが、それ以前に普通の高校生でもあり、学生としての日常も楽しく過ごしているつもりだ。しかし穂高はまだ戦いに重きを置いている、まだ能力者狩りとしての癖が抜けきれていない。きっとそれは織衣には理解できない事情かもしれないが、それではまるで穂高はただのロボットのようだ。


 「これが、今の僕の生きがいなんだ」


 そう答えた瞬間、穂高はハッと何かに気づいたようで、ジュエリーも持たずに能力を発動した。織衣は突然光と闇を体に纏った穂高に驚いたが、彼女も能力を発動して穂高と同じ方向を見る。

 しかしその時には既に、織衣達が乗っていた電車に巨大な斬撃が襲いかかっていた。


 ---


 織衣達が乗っていた車両は真っ二つになり、激しい轟音と共に八両編成の電車は線路と車輪の間に火花を散らしながら脱線して住宅地に突っ込もうとしていた。しかし織衣は車両に斬撃が当たる直前、穂高に手を引っ張られて、彼が生み出したブラックホールに共に呑み込まれた。するとそれがまるでワープホールのように作用し、織衣と穂高は線路上に生み出されたホールから弾き出されて線路の上を転がっていた。


 「そんな使い方出来るの?」


 織衣は立ち上がりながら穂高に聞く。線路上には電車の様々な部品が散らばっている。

 穂高は自分の体を光や闇そのものに変化させて、照明の光や影に擬態できることは知っていたが、まさかワープホールが作れるとは驚きだ。


 「初めてやった」


 成程、じゃあ一歩間違えれば死んでいたかもしれなかったのかと織衣は思った。一か八かでそれを考えて、それが上手くいったというのもやはり能力者狩りとしての経験の差か。

 脱線した電車は付近の住宅街に突っ込み線路に横倒しになっていた。電車になぎ倒された架線柱が次々に倒れていく。辺りの住宅街からは住民の悲鳴が聞こえた。

 これは、明らかな襲撃だった。織衣と穂高は、横倒しになった電車の上に立つ長身の男に目をやっていた。


 「Buona sera(ボナセーラ)! お前が噂のタカトゥーリか? アモーレなんて引き連れちゃってイケた男じゃねーか!

  俺はオスカル・リヴィオ・ヴェントゥーラ、シチリア生まれの二十二歳! 好きなものはDesiderio(欲望)! 嫌いなものはPazienza(我慢)! 

  今日はお前さんを殺しに来てやったぜ!」


 ジャンと比べると訛り気味でイタリア語も混ざっていたが、十分に言葉が聞き取れる。二人の前に現れた白いスーツ姿の男は短い金髪で、両耳にそれぞれ二つずつピアスを着けていた。右目に赤い光を灯し、首に着けたルビーのチョーカーに赤い光が纏われていた。よく喋る、今を楽しんでいる敵は非常に厄介だということを、織衣はリーナとの付き合いでよくわかっていた。


 「……史上最悪にツイてないわね、私達」


 溜息を吐きながら織衣は言ったが、穂高は笑っているようだった。


 「そう? 強そうな奴と戦うのは楽しいよ」


 どうやら戦いに対する価値観が全然違うようだ。穂高は両手に光剣と黒剣を生み出し、織衣も装備箱を開いて黒いコートを羽織り太刀を装備していた。しかしオスカルは何も武器を持たずにポケットに手を突っ込んでいるだけで、無邪気な笑みで車両の上に佇んでいた。


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