4-16『調査は苦手』
ツクヨミの高校生組が過ごす学校生活は多種多様だ。緋彗は朝から放課後までいつも側に友人達がいるし、和歌は午前中は殆ど寝ているし、穂高は斬治郎と一緒にいることが多い。九月の事件があるまで織衣は木取昴という生徒の名前すら聞いたことなかったが、彼がいつも図書室にいることだけは記憶にあった。
「木取君」
今日は委員会の仕事が無いらしいが、昴は放課後にわざわざ図書室で調べ物をしながら勉強に励んでいた。しかし織衣の突然の訪問に昴は驚いた様子で、図書室の中をキョロキョロと見回しながら小さな声で呟いた。
「な、何か? ここで出来る話なの?」
「うん、大丈夫だから」
「そ、そう?」
昴が机に広げているノートを見ると、どうやら日本史をわざわざ専門書まで取り出して予習しているらしい。多分ツクヨミの中では一番の勉強家だろう、補習組には見習って欲しいと織衣は思った。補習組になると放課後は基本直帰で、そのまま副メイドか華の指導のもとみっちり勉強を教わることになる。
織衣は昴の隣の席に座り、鞄から宿題を取り出して机の上に広げた。
「あの、姫野さん?」
「何?」
「何しに来たの?」
「……宿題だけど」
隣で当然のように宿題を始めようとする織衣に、昴は混乱しているようだった。それもそうだ、今まで織衣は一度も図書室で勉強なんてしたことがないし、自習室に入ったことすらない。そんな人間が何の脈絡も無くやって来たのは、ツクヨミの存在を知った昴からすれば驚きの連続だっただろう。
「ねぇ姫野さん。僕達って表向きは普通の学生として過ごすんでしょ?」
「うん、そうだけど?」
「姫野さんにとっては、これが普通?」
「何か問題でも?」
今までの織衣は、放課後はクラス委員長か日直としての仕事で残る時があるぐらいで、何も用事がなければそそくさと帰っていた。たまに緋彗や和歌と寄り道するぐらいである。
「僕達は今まで友達どころか知り合いでもなかったでしょ? それに別クラスで何の接点も無いんだよ。どうやってその繋がりをカバーするの?」
どうやら昴はツクヨミでの関係と学校での関係の、表と裏の使い分けをよく意識してくれているらしい。あんなことがあって色々と受け入れるのが大変だろうに、よくこうもすぐに現状を受け入れて振る舞えるものだと織衣は感心した。副メイドが昴は中々に頭の回る奴だと言っていたが、確かに納得できる。
「じゃあ、私と若様は前から友達で、若様は木取君と同じ委員会。それで、頭が良い木取君の噂を聞きつけて、私が若様の紹介で勉強を教えてもらっている、とか」
「それで構わないけど……僕が何を教えるの?」
「日本史で良いから。期末に出そうな所教えて」
前回の中間テストでは平均九十三点という好成績を叩き出している昴なら頼もしいものだ。実際、確かに昴から教えてもらうと妙に頭に入りやすかった。織衣は社会科が苦手な方で、それが得意な方の穂高に教えてもらったこともあったが彼は何を言っているのかよくわからなかった。だが昴の話はよく理解できる、相手が一体どこまで理解しているのか、どこを理解していないのか、その上でどうわかりやすく簡潔に教えればいいか調整するのが上手い。
意外な収穫を得ることは出来たが、織衣がわざわざ昴の元を訪れたのは宿題をするのが目的ではない。真の目的は別にあるが、織衣の方から中々それを言い出せないまま時が過ぎていった。
一時間程経ったところで、昴の方から場所を変えようと提案された。織衣は昴に連れられ、学校から歩いて十分程、池袋の繁華街からやや外れた場所にある小さな喫茶店を訪れていた。そこはブックカフェというもので、木材の心地よい匂いが漂うおしゃれな店内には様々なジャンルの雑誌や専門書が並んでいて、カフェスペースで客は本を手に取ってコーヒータイムを楽しめるようになっていた。織衣と昴は、他の客達から離れた入口近くの席に座った。
「ここは出灰の人があまり来ないからね。図書室よりは目立たないよ」
「よく来る場所なの?」
「ここのオーナーさんが僕のお父さんの知り合いで、紹介してもらったんだ。お菓子も美味しいところだよ」
店内にかかっている音楽も程よいボリュームで、よく街に流れている流行曲のオルゴールアレンジが流れている。昴はミルクティーを、織衣はカフェオレを注文して、それが届くと昴の方から話を切り出した。
「姫野さん、穂高君のことで何か企んでるんでしょ?」
いきなり図星を疲れてしまった織衣は、コーヒーカップを持つ手がガタガタガタッと震え思わずカフェオレが零れそうになった。
「どどど、どうしてそう思ったの?」
動揺しながら織衣が聞くと、昴はうんざりしたような表情で話し始めた。
「よくあったんだよ、こういうの……穂高君のことが気になっている人が、本人に話しかけるのが恥ずかしいからって僕に穂高君の情報を聞き出そうとするんだ。名前は何だとかどこの小学校に通ってるだとか、違う学校の子からも話しかけられたからね」
「……昔の穂高君ってそんなにモテてたの?」
「小学生って足の速さに比例してモテるものでしょ? 穂高君は足が速い方だったし、全国大会に出るようなチームのツートップを張ってたんだよ。しかもたくさん人が集まる公園のグラウンドで練習してるもんだから、色んな人に見られるんだよ。それに、小さい時は恋も多いらしいからね」
前に昴は、穂高はとことん女運が無かったという話をしていたような気がする。おそらく小学生の時も、昴はまた面倒な女がやって来たと思っていたのかもしれない。昴の表情を見ると、穂高絡みのことで相当苦労してきたのだろうとうかがえる。
「私って、そんなにわかりやすい?」
「うん。何か隠し事してるんだなってわかるよ。嘘をつくのが苦手なんじゃない?」
「そうかも、しれない……」
あまりの情けなさに頭を抱える織衣を見て、昴はクスクスと笑っていた。
「まぁ姫野さんが穂高君のことをどう思っているのかは置いといて、とにかく何か聞き出したいことがあるんでしょ?
何を聞きたいの?」
昴は織衣が突然学校で話しかけてきた時点で違和感を感じていたのだろう。しかし昴は緋彗や和歌のように意地が悪い人間ではないはずだ。少なくともこの相談事を穂高や斬治郎達に簡単にバラすような人間ではないと織衣は信じていた。
織衣はカフェオレを飲んで一息つくと、口を開いた。
「穂高君が、能力を手に入れたきっかけって知ってる?」
織衣と穂高は同じ能力者ではあるものの、能力も違えば発現のきっかけも違う。正直な話、織衣は戦うのが嫌いだ。自分からわざわざ死地へ向かうのはバカらしいと思っている。だが穂高は織衣とは真逆で、自分から死にに行こうとしているように見えた。それはきっと穂高が今まで経験してきた数々の事件が原因だろう、戦いに対するやる気の違いの理由はそれだけで十分だ。
だが、それを穂高だけに背負わせるのは可哀想だと織衣は思っていた。織衣と穂高の間には能力者としての力量に大きな溝がある、その溝を乗り越えなければ自分は穂高についていけない。穂高は、その溝を埋めるためのヒントを与えてくれるかもしれないと信じていた。だから、こうして昴を問い質そうと考えたのだった。
しかし。
「わかんない」
昴の腑抜けた答えに、織衣は思わず肩をガクッと落とした。
「僕も東京に来てからの穂高君はあまり知らないよ。そりゃ、性格はあまり変わってないけど、何があったかまでは聞いたことないし」
「穂高君から何も聞いてないの?」
「そんなの、直接聞けると思う? 僕だってそれは知りたいぐらいだよ。副メイドさんからすごく大雑把に聞いたけど……僕がわかるのは、昔の遠い思い出の中にいる穂高君だけだから」
穂高が気を許している昴相手ならもしかしたら、と織衣は期待していたが、やはり穂高は自分から話すことはないらしい。当たり前だ、織衣だって昔のことは探られたくない。自分のことは知られたくないが相手のことは知りたい、なんて我儘なのだろうと織衣は自分を情けなく思うが、織衣はそれをどうしても知りたかった。
「じゃあさ、僕から姫野さんに一つ聞いても良い?」
「どうぞ」
「姫野さんは、その……人を殺したことがあるの?」
昴は織衣がギリギリ聞き取れるようなか細い声で言った。昴は今までツクヨミとは一切関わらずに生きてきたのだ。殺し殺される世界なんて知っているわけがないし、知らない方が良かったはずだ。
「うん、ある」
織衣の答えを聞いた昴は、口に手を当てて、織衣の答えが信じられなような青ざめた表情で、喋らなくなってしまった。
普通に生きていて、目の前にいる人間が、見知った顔の人間が、人の命を奪ったことがあると答えることは滅多にないはずだ。ツクヨミに所属するメンバーは、必ずと言ってもいい程人間の命を奪った経験がある。それはツクヨミでの任務においてか、能力の発現においてかのどちらかだ。
一時して昴は一息つこうとしたのか、ミルクティーが入ったカップを握って口元まで運んだ。しかし喉を通る気がしなかったのか、飲まずにソーサーに戻してから口を開いた。
「……僕は、間近で色んな人の死を見てきたんだ。福岡でも、東京でもね。でも、僕はそんな世界とは関係ないと思ってたんだ。九月までは。
僕は……穂高君を守ろうとして、能力を発現して、そして……新君を殺しちゃったんだ」
昴は体を震わせながら話していた。
「僕は無我夢中だったんだ、その時は穂高君が大変なことになっていたから……でも我に返って、敵とはいえ僕は人を殺してしまったんだ。しかも、あんな簡単に。
でも、そうしないといけなかったんだって僕は自分に言い聞かせるしかなかった。副メイドさん達も、そう擁護してくれているから……僕はまだまだ慣れそうにないよ」
織衣は今のツクヨミの中では昴と穂高に次いで新人だが、もうこの世界に慣れてきてしまっている。特に四月デストラクション以降、簡単に人が死ぬようになってからは。ツクヨミに入るまでは、能力者になるまでは、どんな殺人事件や事故のニュースを見ても、自分が被害者になることはあり得たとしても加害者になることはあり得ないと織衣は考えていた。しかし、人は自分が死ぬまで、絶対に誰も殺さないと誓うことは出来ない。多くの人間は罪を犯す事なく何らかの形で一生を終えるはずだ。しかし自分がそうではない人間だと知ると、不思議とこの世界に慣れてしまっていた。
「穂高君は、能力者狩りとして何人もの人を殺してきたんでしょ? そんなの、僕には信じられないんだ。今の穂高君と一緒にいても、とてもそんな人には見えないんだよ」
昴はまだ、人として至極真っ当な価値観を持っている。人が大切にするべき倫理観をまだ維持できている。きっと織衣達とは違う能力の発現の仕方をしたからだ。しかし昴が能力者として戦えるようになるのは、当分先のことかもしれない。
憔悴してしまった昴を見て、織衣は落ち着かせるように言う。
「……木取君がそれぐらい信じられないなら、きっと穂高君は私達には想像つかないぐらいのことを味わって、どれだけの敵を殺しても収まりきらないような怒りを、復讐心を持っているのかもしれない」
しかし、織衣にとってはそれが求めている答えではない。それぐらいは単純な環境や育ちの違いだと言い切ることが出来る。しかし織衣が穂高を異質だと思うのは、どれだけの悲劇を味わっても戦おうとする姿勢だ。
「私だって、能力者狩りのことは信じられない。どれだけ敵を倒しても上手くいかないことはわかっていたはずなのに、むしろ悪いことばっかりだったのに、それでもどうして諦めなかったのかを私は知りたいの」
穂高は織衣達が知らない、織衣達に教えてくれない使命感で戦っているように見えた。それは決して怒りや復讐心に任せた衝動的なものではないと、間近で穂高の戦いを見ていた織衣は思ったのだ。
「それは、簡単なことなんじゃないかな」
昴はようやく口を開くと、今度は穂高のことを憐れむような目で語った。
「穂高君は、きっと皆に幸せになって欲しいんだよ。ほら、ヒーローってそういうものでしょ? 自分にとって大切な人のためにも、自分が知らない誰かのためにも、ヒーローは悪と戦わないといけないでしょ? それが上手くいったかは、僕もわからないけどね……」
穂高のことをヒーローと呼ぶのは、余程昴が彼に心酔しているからだろうとしか織衣には思えなかった。昴はきっとそう信じたいのだ。
『ヒーローになりたかったからだよ』
前に織衣は、穂高本人に直接聞いたことがあった。どうして戦うのか、と。その時の穂高の答えは、何かの冗談かと織衣は思っていた。彼の所業はヒーローがするような行いではないし、結果として穂高は何も守ることが出来なかったのだ。
穂高は今でも、ヒーローになりたいと思い続けているのか。
「木取君は、穂高君のことをヒーローだと思う?」
「うん」
昴が即答したことに織衣は驚いた。
「穂高君が転校してきたせいで、出灰の騒動が起きたのかもしれないのに?」
「あの人達は前から革新協会側だったんだよ。遅かれ早かれ、出灰は大変なことになってたかもしれないでしょ? 僕の友達だって、そうだったんだよ……僕にとっては、穂高君が僕を助けてくれた、それだけで十分なんだ。それだけで……結果なんて、後の時代の人間が好きなだけ言えることなんだから」
和光事件の被害者数を考えれば、出灰の騒動は上出来と言えただろう。革新協会側だった吾妻汐里、島原新、十川光輝、栗原勇人ら不良グループを除けば、犠牲者は体育館で殺害された男女二人と学校司書の三人だった。これを三人『だけ』と捉えたのは、その結果を上出来だと評価した副メイドぐらいだろう。
しかし穂高にとっては三人『も』犠牲者が出てしまったのかもしれない。しかも出灰の騒動は和光事件と違って、直接ツバキが介入した痕跡がなかった。この三人の死は本当に必要だったのかと、穂高はその責任を背負ってしまうかもしれない。
「姫野さんは、穂高君をヒーローだと思わないの?」
「さぁ、わからない」
「でも、穂高君が姫野さんを助けたって副メイドさんから聞いたけど」
「……それでも、わからないの」
自分を何度も助けてくれたことを確かに織衣は感謝している。どれだけ頭を下げても下げたりないぐらいだ。しかし、穂高と出会った頃の織衣はまだ彼のことを能力者狩りとして怖がっていた。今でこそ穂高の残虐的な部分が見られなくなったため大分恐怖心が和らいできたが、再びいつ穂高の能力が暴走するかわからないし、先日のように穂高は自分の首を差し出して織衣に殺されたこともあった。いくら生き返られるという保証があったとしてもその価値観は織衣に理解できないものだった。
「じゃあやっぱり、本人に聞いた方が良いかもね」
「え?」
「穂高君は、聞けば教えてくれると思うよ。きっと、聞いてきた姫野さんのことを悪く思うこともないよ。
でもさ、姫野さんが本当に怖いのは穂高君を傷付けることじゃなくて、穂高君の過去を聞いた後に、どんな言葉をかければいいかわからないからじゃない?」
昴の指摘は織衣の心にグサリと刺さった。織衣が恐れていたのは穂高の機嫌を損ねることではない。今の関係が崩れ、今以上に織衣が穂高に近づきづらくなることだ。実際に今も、織衣は穂高と変に距離を置くようになってしまっていた。ジャンとツバキと戦った後からだ。勿論、不可抗力とはいえ穂高を一度殺してしまったという罪の意識もあるが、ツバキの能力を知ったことで、和光事件で穂高の身に何が起きたのかを理解してしまったのだ。
和光事件を体験した穂高が行き着いた答えが、自ら命を捧げることだ。後でリーナに生き返らせてもらえることを考えれれば、それは彼にとっては合理的な答えだったのかもしれない。
「姫野さんは素っ気ない人だけど、良い人だってのは僕もわかるから。だから協力はしてあげるよ」
「本当に?」
「うん。舞台は僕が用意してあげたからさ。ほら」
昴は織衣の背後、カフェの外の方を見た。織衣も後ろを向くと、通りから織衣達の方を明らかに機嫌が悪そうな顔でジーッと眺めている鷹取穂高の姿があった。それを見て織衣はバッとすぐに昴の方を振り返った。昴はニコニコと笑いながら、「覚悟を決めなよ?」と言わんばかりの目で織衣を見ていた。
穂高はカフェの中に入ると、織衣と昴ば座るテーブルの前までやって来て口を開いた。
「……ははーん、僕に何かドッキリでも仕掛けようと企んでたんだね?」
どうやら穂高は昴から何も用件を伝えられずにやって来たようで、何か勘違いをしているようだった。
「ううん、違うよ。姫野さんが、穂高君に聞きたいことがあるんだって」
織衣はこのツクヨミという組織の中で昴だけは真っ当な人間でいてくれると信じていたが、もしかしたらその考えは間違っていたのかもしれないと気づいた。
穂高と昴が織衣の方を見る。あぁこんな時に、緋彗か和歌がいてくれたら。いいや二人共織衣を面白がって見ているだけに違いない。
「姫野さん」
中々口を開けずにいる織衣に対し、先に穂高が口を開いた。
「僕について何か知りたいなら、僕のことをよく知っている人に聞いた方がいいよ。その人の方がベラベラと話してくれると思うから」
そう言い残して、穂高は何も注文せずにカフェから立ち去ってしまった。
黙ったままの織衣を見て、穂高は彼女が何を聞こうとしているのか気づいたのだろう。やはり自分の口では語りたくないらしいが、穂高は織衣にヒントを与えてくれた。
「……もしかして」
穂高が消えた後、織衣はボソリと呟いた。穂高のことをよく知る人物、ツクヨミの中なら華が全て知っているはずだ。しかし華は守秘義務を大事にしているため教えてくれるはずがない。しかし、織衣はその人物のことを知っているような気がした。
「え? 思い当たる人がいるの?」
確かに、そいつなら穂高本人に聞くよりもベラベラと話してくれるかもしれない。だが、織衣を相手に語ってくれるだろうか、それが不安だし殺される可能性もある。
しかし、穂高が自分から話す気がないのなら、手がかりはそれしかなかったのだ。




