4-13『牡丹と千代』
ツクヨミという組織は裏の世界で暗躍しているという面もあって、世界中から様々な依頼が舞い込んでくる。平常時だと要人の暗殺依頼が割合の半分を占め、紛争や内乱における交渉人、要人護衛、暴動鎮圧、敵地に潜入しての情報収集など難易度の高い任務が多く、それらの量が膨大な数であるため前金と報酬の高さで切り捨てられていく。五年前のツクヨミなら切り捨てなど必要なく十分に仕事を捌けていたが、半分以上の構成員が死亡するという事件を受けて牡丹達も多忙になっていた。
革新協会の登場で、ツクヨミの人員不足はさらに深刻化した。まだ実戦経験の少ない織衣達も任務に駆り出す始末である。千代も高校生の頃から任務に参加していたものの、革新協会のように能力者だけが相手という仕事が多かったわけではない。特に牡丹と詠一郎、渡瀬の三人は彼らにしか出来ない重要な仕事が一定数存在し、今は彼らでギリギリ回せている状態だと言う。以前から牡丹と詠一郎は多忙だったとはいえ、週に一回程度は本部に帰ってこれるぐらいの暇はあったのだ。しかし今は月に一度会うことすら難しくなってしまっていた。
そんな事情を理解しながらも、千代は牡丹に連絡を取り直接会って話をしようとした。忙しい身であるはずの牡丹は時間と場所を指定して、千代と話し合いの場を設けてくれていた。
少し肌寒く感じる十月の夜、千代はお台場の公園で東京湾に映る東京の夜景を眺めていた。時刻は夜中の十二時、こんな時間に待ち合わせというのも不思議な気分だ。
「はい、私は誰でしょう?」
公園の柵にもたれかかっていた千代は、突然背後から両目を手で覆われた。
「こんなことする人は、一人しか知らないから」
千代は目を覆っていた手を掴んで手繰り寄せると、そのまま一本背負いで背後に立っていた人間を海に突き落とした。バシャアンと水飛沫が上がり、千代はしてやったりと爽快な気分だったが、油断する千代の目の人影が映った。海の中から飛び出てきたそれは、柵の向こうから千代の腕を掴み、そのまま海へ引きずり込もうとする。
「うひゃあっ!?」
千代も夜の東京湾に落とされてしまい、プハッと顔を水面に上げた。海水の冷たさが体に染みる。
「はい、私の勝ちー」
千代の前には、千代に海に落とされ、そして千代を海に引きずり込んだ張本人、剣城牡丹の姿があった。牡丹は銀色の髪を濡らしながら勝ち誇ったような笑顔でVサインを千代に向けていた。
「何で」
「だってびっくりしたでしょ?」
「してない」
「じゃあ海に沈めてあげようか?」
「あー……それは勘弁」
千代は牡丹と共に公園の岸を登った。千代が着ていた服も牡丹がいつものように着ている黒コートもビショビショだ。千代はいつも牡丹と出会うとじゃれ合いという名のちょっかいを出されるため、今日は何か仕返ししてやろうと考えたのだったが、千代以上に負けず嫌いである牡丹がやられたままというわけがなかった。
「あーあ、すっかり寒くなっちゃったわね。体を温めるためにいっちょ戦っちゃう?」
「いや、今日はそういうのじゃないから」
「うーんそれは残念」
人員が多かった頃のツクヨミでは、敵味方という区別関係なく依頼を受けていたという関係から任務中に敵同士としてツクヨミの面子とばったり出会うということが多々あった(ツクヨミではこれをダブルブッキングと言う)。千代も高校生の頃に一度だけ、任務中に敵として牡丹と出会ったことがある。ツクヨミ内のルールではもし任務中に敵として出会った場合、相手が降参するまで殺し合いをしなければならないが、千代は牡丹に対して何も出来ないまま遊ばれるだけ遊ばれて降参するしかなかった。
「さて、今日は何の用? わざわざ私を海に突き落としに来たの?」
牡丹は公園に生えているヤシの木にもたれ掛かり、千代はその正面に立って牡丹と目を合わせて口を開いた。
「椿お姉さんのこと」
彼女の名前を口に出しても、牡丹に動揺した様子は見られなかった。優しく千代に微笑みながら彼女の話を聞いている。
「牡丹さんは知ってたの? あの人が生きてるって」
すると牡丹は首を横に振る。
「可能性だけは頭にあったわ。鷲花君が生きていると知り、そして和光事件の経緯を聞いて、もしかしたらとは思ってた。あれだけの大人数を一度に動かせるのは椿ぐらいしかいないもの。でも、私には信じられなかった」
「でもアタシの前に現れた。しかも、わざわざアイツを狙ってよ?」
「うん、渡瀬君から話は聞いたわ。確かにあの子は、力を抑えるために眼帯を着けていたわね。面白い見た目だった」
椿は自分の『生命』の能力を制御するために右目の視界を封じ、相手の意識を乗っ取る時のみ眼帯を外すという使い方をしていた。彼女らの能力は確かに千代達とは比べ物にならない程に強力だが、その分制御が難しい、それをいかに上手く自分の器に合わせて使えるかが鍵になる。
椿の生存を知っている牡丹に動揺は見られない。いつもの余裕そうな、多くの人間を虜にする柔らかな笑みを千代に向けていた。
「……椿さんは、いや、皆五年前に死んだはずじゃなかったの?」
五年前、福岡での出来事を千代は本部でテレビ中継を通して目撃した。本部を預かっていた詠一郎達が政府や関係機関との連絡のため慌ただしく動いていた光景は今でも思い出される。
「私もそう思ってた。何人かの死体は確認できなかったけど、彼らが死んだのは確実だったはずなの」
「どうして?」
「私は能力者の誕生と消失が感知できるの。鷲花君達は大濠公園で消えちゃったのよ。綺麗さっぱりね」
結局あの戦いに参加したツクヨミの面子六十人の中で生き残ったのは、牡丹を含めても二人のみ。それに牡丹も無傷というわけではなかった。しかも牡丹は自分が死んでしまった場合に備えて詠一郎を本部に残してツクヨミを任せようとしていた、それ程の覚悟が必要な戦いだったのだ。勿論鷲花蒼雪や椿達もツクヨミ側としてあの戦いに参加し、そして散っていったはずだった。
「五年前の事、まだタカに言ってないの? いつ説明すんの?」
穂高は福岡事変に一般人として巻き込まれている。渡瀬も一応被害者だが、彼はその時点からツクヨミの存在は知っている人間だった。
「それは穂高君が、自分の過去を受け入れられるだけの余裕を持てるようになってからの話ね。彼が五年前のことをうろ覚えなのは、多分彼の能力が抑えているのよ、暴走しないようにね。穂高君にとっては福岡で経験したことも、そしてあの事件の真実を知ることも辛いはずよ。穂高君の状態が不安定になるとまた暴走しかねない、何度も暴走されても困っちゃうわ」
穂高は今も能力者として非常に不安定な状態にある。能力者狩りとしての活動は穂高の体に大きな負担をかけていた。今はツクヨミの任務に参加するようにはなったが、本当なら今も静養が必要なぐらいである。
「千代、貴方が混乱するのはよくわかる。しかもこういう形では尚更ね。でも私は嬉しいと思っているのよ、こういう形でもね」
「……嬉しい? あんなトチ狂った連中を率いているのに?」
「こんな世界で生きていると、同類の人間がとても恋しくなっちゃうのよ。特に身内はね。私達は私達でしか共有できない隠し事があるし、同じ能力者としての苦労も楽しさも知っている。私は子どもの頃から不良だったから、そんなことを思っちゃうのかもね」
牡丹は自分の学生時代を不良だったと言うが千代程ではない……いや千代はヤンキーだとよく勘違いされるが学校には普通に通っていたし、あの変な連中を率いているというだけで普通の学校生活を送っているつもりだった。
千代は牡丹の高校時代も知っている、千代がツクヨミに加入した時点で牡丹は高校二年生だった。牡丹はまともに高校に通わずいつもどこかで遊び呆けていた。周囲もそれに頭を悩ませていたが、それが子どもだった牡丹に出来る最大限の反抗だったらしい。
「でも、私達はあの二人を殺さないといけない」
牡丹の口からそれが発せられたことに千代は驚いた。
「あの二人を説得してツクヨミの戻した所で、誰も納得できないはずよ。特に穂高君はね」
「じゃあ、誰がの二人を倒せるの?」
「鷲花君はまだしも、椿は倒せない相手じゃない。私や千代だと分が悪いけど、そうね……椿が能力を知っていなさそうな渡瀬君辺りが適任じゃないかしら」
能力者同士の戦いにおいて、相手に自分の能力の仕組みが知られてしまうと効果が弱まってしまう(これを看破だとか曝露と言う)。そのため昔からツクヨミに所属していた牡丹や詠一郎、千代達では面倒な戦いになる。しかし福岡事変の後にツクヨミに加入した渡瀬なら椿が相手でも有利に戦えるはずだ、しかも渡瀬の能力は割と長い付き合いになる千代でさえよくわかっていないし気持ち悪いと思っている。
だが、千代はもっと適任者がいると思っていた。
「タカじゃダメなの?」
鷹取穂高、彼は和光事件で椿と戦っている。そして彼は椿に対して強い恨みを持っているはずだ。その任を受ければ渡瀬よりもやる気を出せるはずだ。穂高の能力は目で見てわかりやすいものとはいえ、彼も椿の能力は知っているため条件はイーブンだ。
しかし、牡丹は首を横に振っていた。
「無理ね、彼には椿を倒せない。弄ばれるだけよ」
「じゃあ渡瀬が椿さんを倒して、タカが納得すると思う?」
「ううん、私だって思わないわ。穂高君は確かに織衣ちゃん達よりかは強いかもしれないけど、渡瀬君達には及ばない。千代ちゃんが相手でも精々五分五分ってところじゃないかしら」
能力者狩りとして経験を積んできた穂高は、おそらくだが同じ高校一年生だった頃の千代や渡瀬以上の実力を持っている。だが、あくまで同い年だった頃の千代達と比較しての話だ。穂高は能力者としては大分恵まれた種類の能力を持っているが、敵わない相手は数多くいる。
酷な話だと千代は思った。千代は穂高のことを特別可哀想だとは思っていないものの、彼の苦しみを労ってやりたいとは思っていた。
「でもね、私は彼に復讐の機会は与えたいの」
牡丹は優しげな笑みを浮かべていた。牡丹は牡丹で変な人間だが、このツクヨミという変わり者ばかりが集まる組織を率いる立場というだけあって、同じ能力者である仲間のことを第一に考えているのだ。
「そのためには穂高君が成長する必要がある。今よりも何十倍もね。それにどれだけの時間がかかるかわからない、来年再来年、五年も十年も先の話かもしれない。その間に彼らによって多くの犠牲者が出るかもしれない、だから私達は犠牲になる人達を極力減らす必要がある。それはとても非効率的なことかもしれないけど、それで浮かばれる魂もあるはずよ」
「アイツに修行でもさせるの?」
「穂高君の弱点はとても多いのよ、彼は能力に恵まれているだけで他のものに恵まれていない。椿を倒すのはまだまだ難しいかもしれないけど、ジャンには勝てるかもしれないわ。ジャンも能力には恵まれているみたいだけど、穂高君と比べると多分実戦経験がかなり少ない、まだ能力の制御すら難しいはずよ。だから、私達の最初の標的は十字会なのよ」
前の幹部の会合でも牡丹はそう言っていた。十字会総帥のジョバンニ・ロマーノ・クローチェが能力者かもしれないという情報は以前からあったが、どれだけ能力が強力でも戦闘経験が少ないと見られていた。能力の扱いというものは一日二日で身につくような簡単なものではない、穂高は戦闘での勝負勘は身についているようだが能力の扱いはまだまだだ。穂高の実力を引き上げるのは、教育役である千代や渡瀬の仕事である。
「十字会は単なるマフィアじゃないわ。ジャン自体は私や詠一郎が相手すれば簡単に倒せるかもしれないけど、ジャンがいなくなったからといって十字会が崩壊するわけじゃない。世界中の拠点で活動する数十万人もの構成員の後始末もしないといけないし、何より厄介なのはロッソケントゥリアとかいう彼らの私兵部隊よ。ジャンの首を狙うのは、十字会という組織が完全に崩壊する寸前になってからの話」
十字会も十分巨大な組織だが、ジャンが死亡して散り散りになったとしてもジャンの代わりに十字会を率いる人間が現れるかもしれないし、もしかしたら革新協会が彼らの受け皿となる可能性もある。それに日本だけではなく海外の拠点まで潰さなければならない。海外にもツクヨミに協力してくれる能力者組織は存在するが、彼らは日本での騒動を他人事のように思っているようだ。
「まぁ、それは私が椿を殺したくないだけかもしれないけどね」
尚も牡丹は千代に微笑みながら言った。その表情はどこか儚くもあった。
「とつおいつ鷲花君や椿達のことを考えても、私にとっては懐かしい思い出にしかならないの。言ったでしょ? この世界で生きていると、身近な人間が特別に思えてくるって。それは敵方に回った鷲花君や椿達も例外じゃないのよ。
千代はどう? 鷲花君達とやり合える?」
牡丹は能力者として長く生きてきた人間だが、アンドロイドのような渡瀬と比べると余っ程人間味のある人間だ。だから千代は、昔から牡丹のことを頼って生きてきたのかもしれない。
牡丹も苦しんでいるのだ。かつての仲間達が敵に回ってしまったことを。そこにどんな内実があろうとも、彼らの行いは許されない。
「私は、あの人達が許せない」
千代も彼らを兄や姉のように慕っていた。しかし、自分が強くなければ穂高達に顔が立たないと、彼らに無駄な負担をかけてしまうと考えていた。
牡丹は千代の答えを聞くと、「そう」と呟いてから千代の方へ歩み寄ってきて、そして千代の体を抱きしめていた。
「ごめんなさい、私はまだ弱い。過去のことなんて振り切れることだと思っていたのに、逃げることが出来なかった。ちーちゃんだってそうでしょ? 貴方にとっても鷲花君や椿は特別な存在だった、親を失って子どもの頃からこの組織で生きてきた貴方にとっては、五年前に死んだ皆のことが家族同然だった。
それでも強くなろうとしてくれている、でも無理はしないでほしい。私にとってはちーちゃんも特別なんだから」
千代は自分を抱きしめる牡丹の体をそっと離した。
「……あまりその呼び方はしないで」
あと先程海に落ちたため、グショグショの服のまま抱きつかれても不快だった。
「え~ダメ? 可愛いと思うんだけど。ほら、皆の前では言わないようにするから」
「……まぁそれなら」
渋々千代が承諾すると、牡丹は喜んでいる様子だった。渡瀬も時々ふざけて千代のことをちーちゃんと呼んでくる時があるが、その時は躊躇いなく手を出す。
「それにしても、『タカ』って懐かしい響きね。確かに彼もタカなのね」
千代は穂高のことをタカと呼んでいた。それは千代にとっては慣れ親しんだあだ名である。
「そういえば、穂高君や昴君はタカちゃんのことを知らないのね。織姫ちゃんがギリギリ知っているぐらいかしら」
「……わざわざ説明することじゃないし」
「そうかもしれないわね。でもいずれ、その説明も必要になる時が来るわ。いつか穂高君も疑問に思うことが来るはずよ。もし穂高君に聞かれたら、ちーちゃんは説明できる?」
「さぁ」
千代がかつてタカと呼んでいた人間はもうこの世にいない。蒼雪や椿のように生きている可能性も無い。その死を千代は間近で見たからだ。
「大丈夫、今のタカちゃんは理解ある子よ、きっと色んな経験をしてきただろうから。彼は誰かのために行動することが出来る……それがあの子の弱点でもあるんだけどね」
ふと、牡丹のコートのポケットから携帯の着信音が鳴り響いた。牡丹はポケットに手を突っ込んで携帯を取り出して電話に出る。どうやら海に落ちても平気な端末のようだ。
「はーい私メリーさん。今お台場にいるの」
メリーさんは電話に出る方ではなく電話をかける方のはずだ。
「うんうん、わかった。じゃあ今から行くわ」
牡丹は電話を切ると、千代に向かって微笑んでから口を開いた。
「ごめん、もう時間みたい。詠一郎が日光でヤバいのと出会っちゃったみたいだから行ってくるわ」
「え? 革新協会とか?」
「ううん、違うわ。でも厄介な相手なの。また会いましょう、ちーちゃん」
「うん、気をつけてね」
千代が別れを告げると、牡丹はその場からフッと一瞬で消えてしまった。牡丹の“かくれんぼ”だ。こうなってしまうと牡丹が能力を解除しない限り、彼女の姿を見つけるのはほぼ不可能だ。
短い時間だったが十分に話が出来て千代は満足していた。海水でビショビショの服を軽く絞り、駐車場に停めていたバイクの元へと向かう。バイクに跨ってエンジンをかけると、池袋へ向かって走り出していた。




