4-10『椿お姉さん』
織衣には飲み物を買いに行くと伝えていた千代だったが、小腹が空いていたため一階の売店でおにぎりかパンでも買おうかと考え、エレベーターで五階から一階まで降りて院内の売店へ向かっていた。
この病院は、東京は立川市にある至って普通の私立病院だ。だが一部の病棟はツクヨミのために貸し切られており、数日以上の治療が必要な場合はここで入院させられる。実際治療自体は本部の能力者か支部の人間が施すため、余程緊急性がない限り手術もしない。ツクヨミの事情を知っているのは一部の医師や看護師だけだ。今日診察を受けに来た人々も、入院している患者達も、この病院に能力者と戦った高校生二人がぶちこまれたことを知らないのだ。
テキトーにツナマヨ味のおにぎりと織衣達の分のお茶を買うと、千代はエレベータの方へ戻ろうとしていた。
「ちょっと、そこのお嬢さん」
その途中、待合室を歩いていると千代はグレーの背広を着た老人の男に声をかけられた。
「何か?」
「えっとね、知り合いの子の見舞いに行きたいんだけどね。外科の入院病棟ってどっちかなぁ?」
「あぁ、それならこの先にあるエレベーターで行けますよ。アタシもそっちに用があるんで一緒に行きましょうか」
「おぉありがとうねぇ。いやぁ穂高君のお見舞いにと思ったんだけど、老いぼれになると広くて迷っちゃうんだよ」
一瞬、千代は聞き間違いかと思った。確かにこの老人は穂高の名前を口にした。穂高がこの病院に入院していることを知っているのはツクヨミの関係者だけだ。少なくともこの老人はツクヨミの本部に所属している人間ではない、地方支部の人間にわざわざ穂高の見舞いに行く人間がいるとも思えなかった。
「穂高って、鷹取穂高?」
千代がそう聞くと、老人はニコニコと微笑みながら言った。
「そうだよ。私はねぇ、あの子を────」
その老人が背広のポケットに手をかけたところで、千代はすぐに右手で指鉄砲を作り、彼の顔面に向けた。
「────殺しに来たんだよ!」
そうだろうと気づいていた千代は、大して驚きもしなかった。
「“ジャッジメント”」
千代がそう唱えると、ポケットからナイフを取り出そうとしていた老人の動きがピタッと止まった。
「“ギルティ”」
千代はクイッと指鉄砲を回した。
千代が使ったのは、エリーから借りた能力“黒白”だ。その能力の特性は『反転』で、エリーは殆どの場合自分に対して作用する力を跳ね返す等受動的に能力を使う。それは相手の攻撃を跳ね返すのが目的だ、エリーは自分から攻撃を仕掛けることはない。しかし千代は自分から攻撃を仕掛けて反転させるという真逆の使い方をする。もしもこの老人が白、無罪なら千代に攻撃が返ってくる、しかし黒、有罪なら老人が石化し爆散する。千代にもリスクがある使い方だが、この老人が黒だという確信があった。
しかし、老人は石化はしたものの爆散はしなかった。ただ千代の前で石像のように固まってしまっただけだ。
「グレー……?」
この老人は、確かに穂高の命を狙っていたツクヨミの敵、つまり完全に黒のはずだった。だから“黒白”も作用しているのだが、判決は途中で止まってしまっている。
千代はポケットから携帯を取り出し電話をかけた。
「あー、アタシよアタシ。ちょっとヤバいかも」
自分から電話をかけて、一言だけ、何があったのかどこにいるのかも伝えずに千代は一方的に電話を切った。問題ない、相手は一で十を理解できる人間だ。
石化はするが爆発はしない。つまり、黒寄りではあるが完全な黒ではなくグレー。革新協会、もしくは十字会の手先が穂高の殺害を目的としていたなら黒と判定されるはずだ。しかし彼は白寄り、つまり無関係であるはずの一般人でもあるのだ。
千代は、この老人自身ではなく他者、しかも能力者によって操られているだけの人形だと気づいた。
「流石ね、ちーちゃん」
千代は後ろを振り返った。病院のエントランスから、赤い軍服の上に白いコートを羽織り、右目にハート型の眼帯をつけた金髪の女が歩いてきていた。そんな異質な存在に、待合室にいる他の客も、受付の事務員も誰も驚きやしない。いや、彼らも既に操られてしまっているのだ。
「アンタは……!」
人間の体を思い通りに操る、もしくは人間の意思を操ることが出来る能力は効力や方法は様々だがいくつか存在する。千代はその術者に心当たりがあったが、千代が知る彼女は五年前に福岡で死んだはずだった。
だが、こうして千代の前に再び現れたのだ。
「久しぶり~元気してた? 色々噂は聞いてるよ──」
千代は革ジャンのポケットからトパーズの宝石で装飾された小さな黒い剣のジュエリーを取り出し、その刃の部分を額に当てた。そして彼女の話も聞かないまま飛びかかり指鉄砲を向けた。
「“ジャッジメント”」
そして、鉄砲をクイッと回した。
「“串刺し”」
すると女の体の内側から、その体を突き破るように無数の棘が生み出されていた。女の体中から大量の血が流れ出ていたものの、効果が切れて棘が折れると、女は血を流しながらも平気そうに口を開いた。
「物騒な能力つかうじゃーん、それは誰の──」
しかし千代は全く耳を貸さず、今度は女の頭をガシッと掴んで、近くの壁、それも角の部分に思いっきり叩きつけた。何度も何度も叩きつけ、どれだけ女の鼻が曲がろうが顔の骨が変形しようが知ったこっちゃなかった。真っ白だった病院の壁が赤く染まり、とうとう角が砕けてしまったところで、千代は女の頭を掴んだまま言った。
「てっきりポックリ逝ったのかと思ってたよ、椿お姉さん」
椿、その名前を千代は五年ぶりに口に出した。
「アオ兄が生きていると知って、もしかしたらって思ってたんだよね。もしも椿お姉さんが生きていたなら、色々と辻褄が合うし」
革新協会統帥の鷲花蒼雪同様に、椿もかつてはツクヨミに在籍していた能力者だった。幼い頃からツクヨミで生活していた千代にとっては姉のような存在だった。五年前に福岡で死んだことになっていたが、こうして最悪な再会をしたのだ。
「アンタもアタシのことをよく知ってるかもしんないけど、アタシもアンタのことはよく知ってるから、よく手合わせさせてもらったからね。殺し合いにしてはイーブンな条件でしょ」
椿の能力は『生命』だ。その使い方は様々だが、椿は自分の右目を見た生物を、自分の意のままに操ることが出来る。相手が能力者なら効きにくいこともあるが、一般人はまず抗えない。椿の術中に嵌まれば自分も傀儡となってしまうが、その能力への対抗手段は簡単だ。椿の目を見なければいいだけである。
「ねぇ、今はどんだけの身代わりがいんの?」
そして椿は、自分が殺害した生物を、その命を自分の身代わりにすることが出来る。椿が一度死ぬようなダメージを受けると、ストックしていた生物の命一つ分が消えることになる。ストックが多ければ多いほど、椿自身が殺めた生物が多ければ多いほど、椿はより死ににくくなる。
「百万ぐらい」
千代の背後から声がした。その瞬間、千代は右手で掴んでいた椿の、いや椿だった抜け殻を突き放して即座に後ろを振り返り、指鉄砲を向けた。
「“ジャッジメント”」
時が止まったかのように、二人は向かい合って静止した。椿の眼帯は外され、赤い光を放つ右目が顕になっていた。しかし今は、“黒白”の能力で千代に対しては無効化されている。“ジャッジメント”は、相手へ向けるための、あるいは自分へ向けられたあらゆる力を反転させるための準備段階だ、その対象と効果を選ぶのである。そのため今は、椿と目を合わせても問題ない。
「便利な力ね、『反転』の類かしら?」
椿の推測は当たっている、やはり千代より手練だ。流石牡丹達と共に厳しい世界を生きてきただけはある。
能力はその効果が相手に看破されると効力が大きく減衰してしまう。だから能力者同士の戦いでは、いかに相手の能力を推測するか、そしていかにして自分の能力がバレないようにするか考えなければならない。
「アタシらを殺しに来たの? ま、どんな用でもぶっ殺すけど」
五年ぶりの再会だというのに冷静に殺意をぶつけ続ける千代に対し、椿は両手をバンザイさせて、笑いながら言った。
「いやいや、私は穂高君達にちょっかい出しにいこうかな~って考えてただけだよ。そしたらちーちゃんがいたからさ、驚かしちゃおうって思ったわけ。
でも残念だな~少しぐらい喜んでくれたって良いのにさ。あんなに私を姉のように慕ってくれていたのに、私のおさがりだって着てるのに気づくやいなや殺しに来るだなんてな~」
勿論千代も動揺していなかったわけではない。しかし、蒼雪が生きていることを知り、もしかしたら椿達も生きているのではないかと考えていたためそこまで驚くことはなかった。何より千代は椿の能力をよく知っていた。彼女を相手に迷っていてはまともに戦えない。
「アンタはどんな顔して牡丹さんに会うつもりなの?」
勿論、牡丹や詠一郎も椿のことを知っている。彼らも椿が生きている可能性は考えているだろう。そして、この女が敵であることを知ればまっさきに潰さなければならないと考えるはずだ。
しかし、椿が口を開いて言葉を発する前に、階段の方から足音と声が聞こえた。
「千代さん!」
千代達の方へ走ってきたのは、五階から駆けつけてきたであろう織衣と穂高だった。二人はそれぞれ手袋と腕輪を装着し、能力を発動していたが──あと二人、この現場に駆けつけていた。
「“リバース”」
千代は椿に向けていた指鉄砲をクイッと回し、保留していた椿のパワーを全て反転させていた。すると椿は激しい爆発で吹き飛ばされたかのような勢いで待合室からエントランスの方へ飛んでいく。そしてその先には、彼らが佇んでいた。
「“紋章共鳴”」
鶴咲渡瀬。先程の千代の一言だけの電話でこの状況を理解し、エリーも連れて病院へ駆けつけてきたのだ。
「“絶対王政”」
手に黒い太刀を生み出した渡瀬の隣で、エリーが椿に対し指鉄砲を向けていた。
「“ジャッジメント”」
椿の体が止まる。椿は渡瀬に気づくと、引きつった笑みを浮かべていた。
「あれーこんなところで会うだなんて思ってなかったよ渡瀬君」
「そうですね、椿さん」
エリーの能力で椿の動きが止められている間に、千代は駆けつけてきた穂高の方を向いて叫んだ。
「貸せ!」
その一言で穂高は理解しただろう、穂高の能力を貸せと。
「はい!」
穂高も千代の能力を知っている。千代の方へ走ってきた穂高が千代の方へ手を伸ばし、千代はバシィンと無駄に強く叩いた。
「サンキュー!」
穂高から『光』の能力を借りてストックに入れた千代は、光に憑依して椿達の方へ飛んだ。そのタイミングで、椿の動きを止めていたエリーがクイッと指鉄砲を回した。
「“リバース”」
再び椿が吹き飛んだと同時に、光剣を握った千代と黒い太刀を持った渡瀬が二方向から椿に襲いかかった。
椿はそんな簡単に死ぬとは思えない。しかしリーナのように絶対に死なないというわけではなく死ににくいというだけだ。椿が蓄えてきた命のストックを全て破壊すれば椿自身の命も無くなる。千代と渡瀬は、今放つことが出来る最大限の火力を、膨大な量の椿の命のストックどころか、彼女自身を破壊するために渾身の力で叩き込んだ────。
千代と渡瀬がお互いに勢いよく弾き飛ばされる程、その威力と衝撃は凄まじいものだった。どれだけ丈夫に作られた建物でもひとたまりがない程だったが、渡瀬の能力のおかげか多少は揺れたものの亀裂等はなかった。
千代と渡瀬が現場を確認すると椿はいなくなっていた。血痕も残っていない。椿にはテレポート能力が無いはずだ。つまり、いくらか命のストックを削ることは出来たが、完全には破壊できなかったということだろう。千代は舌打ちしながら、側に駆け寄ってきた渡瀬に言う。
「逃げられたわね。どんぐらい削れたと思う?」
渡瀬は既に能力を解除していた。椿に操られていたはずの人々は、何事も無かったかのように日常に戻っていく。
「ざっと百万ぐらいかな。多く見積もったつもりだったんだけど」
今、千代と渡瀬は百万人、大都市が崩壊してもおかしくない程の威力の攻撃を出したというわけだ。その割合の多くは渡瀬が占めていただろうが。渡瀬の計測が正しければ、椿のストックはもうほぼ無くなっているはずだ。
「アイツは百万ぐらいって言ってたわ。多分殆どHPがない」
「じゃあもう少しだったかな。でもやり過ぎるとこの病院が耐えられなかったかもしれない」
「仕方ないわね……患者達はアンタが戻したの?」
「いや、多分術者本人が現場から離れすぎたからじゃないかな。多分有効範囲に限界があるはずだよ」
千代と渡瀬が話していると、穂高と織衣、そしてエリーが二人の元に歩いてきた。すると渡瀬が穂高に声をかける。
「やぁ、もう起きた頃かと思ったよ」
「そういやアンタ、いつの間に起きたの?」
「ついさっきです」
死の淵を彷徨っていた、というよりは最早一度死んだ人間と言う割には、穂高は元気そうに見えた。多分死慣れているのだろう。千代や渡瀬さえ経験したことのないものを穂高は何度も経験している、不思議なものだ。
「えっと、ツバキはどうなったの?」
困惑した表情で織衣が千代と渡瀬に聞く。彼女からしてみれば、千代と渡瀬は随分と思い切ったことをしたように見えただろう。何も事前に打ち合わせをしていた訳では無いが、椿のことは二人共知っていた。渡瀬は全力で突っ込んできそうな千代を見て、その意図を汲み取ってくれただけだ。
渡瀬は相変わらずニコニコと気持ち悪い笑顔を向けながら口を開いた。
「椿は貯めていたストックが削られただけで、まだ生きているとは思うよ。でも、結構削ったと思うから一時は大人しくなるんじゃないかな」
椿はその命のストックが無くても牡丹と渡り合えるぐらいには十分に強いが、そのストックがあったからあれだけ強気に出てきたのだろう。再びストックが貯まるまでは、千代達の前に姿を現さないはずだ。
「もしかしてタカも今日で退院できんの? どっか悪いとこある?」
「無いですよ」
どう見ても穂高の左頬はビンタされたような赤い手形が出来ているが、何もなかった、というよりかはもう解決したらしい。
「じゃあ渡瀬、退院祝いに何か奢れ」
「はいはい、じゃあ回転寿司にでも行こうか」
入院だとか退院に面倒な手続きは必要ない。そもそもツクヨミ関係者が入院したとしても、この病院には一切記録が残らないのだ。穂高も私服に着替えると、千代達は渡瀬が運転する車に乗って回転寿司屋へと向かった。




