4-8『死の価値』
──さぁ、僕を殺すんだ。
嫌だ。嫌だ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
彼女の意思に逆らって、体は勝手に動いていた。まるで誰かに糸で操られているかのように、体は彼を殺したい衝動にかられていた。
──これが、報いなんだよ。
どうして、どうしてどうして、彼は殺される時に笑っていられる?
どうして笑ってこの世に別れを告げることが出来る?
どうしてそんな簡単に、織衣の目の前から消えようとする────。
「はぁっ、はぁっ……!」
織衣は飛び起きた。悪夢でも見ていたのか、心臓の鼓動は激しく息が荒い。寝汗でビショビショの布団は自分の部屋の感触ではなく、この空間が何なのかを確認する。見たところ織衣は病院の個室で寝かされているらしい。側にはテレビや棚が置かれていて、窓からは月光が差し込んでいた。病院服も汗でビショビショで不快感を感じた。
記憶を整理して、どうして自分がここにいるのか織衣は考える。覚えているのは──彼と共に行動していて、十字会のボスと出会い、そしてツバキという女と出会い、体を操られ──。
「私が、穂高君を」
彼の首を、織衣はその手で、その手に持った太刀で斬ったのだ。首から血を噴き出しながら倒れる彼の姿が、織衣の頭に何度も何度もフラッシュバックした。
「い、嫌……!」
手が、肩が、体が急に激しく震え始めた。ダメだ、この痛みに耐えることが出来ない。
「ひ、ひぃっ──」
織衣は口を大きく開けて叫ぼうとした。何が何だかわからない、だが叫びでもしないと気が狂ってしまいそうだった。
「“ジャッジメント”」
だが織衣の口は、一人の少女がピタッと人差し指を当てることで塞がれた。ベッドで横になる織衣の膝の上に座っていたのは、黒ロリファッションの幼気な少女、エリーだった。右目に青い光を灯し、指鉄砲をクルッと回す。
「“ロック”」
エリーがそう唱えると、不思議と織衣の心が落ち着いた。息はまだ荒かったが、落ち着きを取り戻そうとしていた。
「え、エリー……?」
「こんばんは、おりーん。病院で騒いじゃダメだよ」
「う、うん」
エリーは小さな体で織衣の体をギュッと抱きしめた。織衣もエリーを抱きしめ、彼女の頭を撫でた。強く抱きしめていないと、また心がおかしくなってしまいそうだった。
「織姫ちゃん」
「ひゃああああああっ!?」
「そんな驚かなくても」
ベッドの上で軽く飛び上がる程驚いた織衣は、慌てて声がした方を向いた。ベッドの側で笑顔で佇んでいたのは、黒スーツ姿の鶴咲渡瀬だった。
「い、いつからそこに?」
「織姫ちゃんが目覚める前から、ここにいたけど」
「そ、そうなの……?」
そもそもベッドの上にいたエリーの存在にすら織衣は気づいていなかったのだ。それほど織衣の心は揺れ動いていたのだろう。どうしてか、渡瀬とエリーの二人と一緒にいると織衣は安心出来た。それはやはり、彼ら二人がこのツクヨミという組織で初めて出会った人間だったからか。
渡瀬はベッドの側にあった小さな冷蔵庫からボトルを取り出すと、コップに水を注いで織衣に渡した。織衣はコップに口をつけたが、今は飲み物すら喉を通らない。
「大変だったね」
チラッと織衣は椅子に腰掛けた渡瀬の表情を伺っていた。今も織衣が頭を撫でるエリーは置いといて、果たして渡瀬はどこまで知っている? あの現場は見ていないはずだ、あの場所で何があったのか全てを把握しているわけではないだろう。なのに彼は、全てを見通しているかのような笑顔でそう言ったのだ。相変わらずその糸目は不気味なのに、彼がただの優しそうな好青年に見えるのは何の魔力だろう。
「……渡瀬さん、私は」
開いた織衣の口を、またエリーが人差し指でグイッと止めた。
「無理に言わなくてもいいよ、今は。多くを語る必要は無いさ」
織衣は再びコップを持ち口をつけた。ようやく水が喉を通り、体に潤いが戻るような感覚だった。心臓の鼓動も収まってきて、織衣は冷静を取り戻しつつあった。
「穂高君は、どこに?」
織衣が寝ていた病室は個室だ。おそらくツクヨミと提携している病院の入院病棟だろう、織衣が来たのは初めてだ。
織衣の記憶から考えられる限り、穂高が無事なはずがない。それが夢であってほしいとどれだけ願っても、織衣の手に残るあの感触が、彼の首を斬った感覚が、それが真実だと伝えていた。
「今、現実を見る勇気があるかい?」
渡瀬は表情を変えずに織衣に問うた。織衣は黙って頷いた。
「わかった。穂高君は隣の部屋にいるよ」
織衣はエリーをベッドから下ろし、彼女と手を繋いで部屋を出る。深夜の病院の廊下はいつ怪奇現象が起きてもおかしくなさそうなほど不気味で、隣の部屋に行くことでさえ勇気が必要だった。先を進む渡瀬がガラガラと病室の扉を開けると、個室のベッドに穂高は寝かされていた。織衣とは違い、穂高は様々な機械にチューブで繋がれていた。
「穂高、君?」
ベッドの側に近づいて穂高に問いかけても、彼は目を閉じたままだった。
「織姫ちゃん」
隣から渡瀬が織衣に問いかける。声色はいつもと変わらない。
「穂高君は、ほぼほぼ死んでいるんだ。今は呼吸器に繋いでいるから心臓が動いているだけで意識はないし、もう目を覚まさないんじゃないかな」
渡瀬の言葉を聞いて、織衣は膝から崩れ落ちた。夢だったら良かったのに、これまでの事全てが夢だったらどれだけ幸せだっただろう。震える織衣の右手を、エリーが力強く握りしめていた。
「大量出血によるショック死だね。まぁ頸動脈を綺麗に斬られていたからね、どれだけ早く処置をしても助からない状態だったよ」
織衣の目の前にあるのは死体だ。今までに多くの死体を見てきたはずだった、だが織衣には、目の前にあるそれが死体には見えなかった。そこにいるのは穂高のはずだった。織衣をからかうことが好きなクソガキだった。織衣を何度も助けてきた能力者狩りだった。
「これも、因果ってことだよ」
平気そうな、この状況を軽く受け止めているような口調の渡瀬に織衣は思わず掴みかかっていた。渡瀬の両手の袖を掴んで何かを言おうとしたが、織衣は何も言えなかった。ただ歯を食いしばり、こらえようとした涙が止まらなくて、ただただ涙が溢れ続け、織衣は再び膝から崩れ落ちていた。そんな織衣の側に寄って、エリーが彼女の頭を優しく撫でていた。
「そんな、なんで、どうして……!」
柄にもなく人前でこんなに泣いてしまうなんて思わなかった。こんなにも──この少年の死が自分の感情を激しく動かすなんて。
「あぁ、あぁ……!」
こらえようとしているのに、必死に止めようとしているのに、一度溢れ出したものが止まらない。
「織姫ちゃん」
微かに渡瀬の声が織衣の耳に入る。
「僕達はこれまでも、そしてこれからもたくさんの人を殺していくんだよ。その過程で仲間を失うこともあるかもしれない。身近な人を失って初めて、僕達は誰かを失う痛みを知る。過ちを犯せば犯すほど、その痛みが広がっていくんだよ。それはやがて、この世界を巡り巡って復讐として自分に返ってくるんだ」
そんな論説、今の織衣には無意味だった。ただ織衣はエリーに抱きしめられながら泣き喚くだけだ。
「誰かが死んだ時に悲しむことが、涙を流すことが出来るのは、その痛みを感じることが出来るからだよ。
それを感じ取れる内は、まだ人という括りの中にいるんだ。身近な人が、大切な人が死んで悲しいのは当たり前なんだ。何も感じない、気にしないことは確かに強い証かもしれないけど、大切なものを失っても気づけなくなるんだよ。
織衣ちゃん達には、ずっと大事にしていてほしい」
どうして、自分の感情がこんなにも揺さぶられているのか、織衣自身もわかっていなかった。穂高が命の恩人だったから? 命の恩人を自らの手で殺めてしまったから? 穂高と出会ってからそれ程長い年月が経っていたわけでもない。だが確かに穂高と過ごした時間は長かったかもしれない、嫌気が差すほど濃密だったかもしれない。穂高と一緒にいると何かとへそで茶を沸かす羽目になったが、こうして彼を失った時初めて、自分にとっての彼の価値を織衣は知った。
「でもね、織姫ちゃん」
渡瀬の声色が変わった。織衣がふと渡瀬の方を見ると、彼は死体を目の前にしてニコニコと笑っていた。
「彼はここで終わりじゃないんだよ」
「え?」
「ほら、穂高君のことが好きで好きでしょうがない女の子がいたじゃないか」
渡瀬はニコニコと微笑みながら病室の窓の外へ目をやった。その視線の先を辿ると、病室の窓の外に白いセーラー服姿の少女がいた。壁をよじ登ってガラガラと窓を開け、彼女は「よっこいしょーいち」と病室に降り立った。金色の髪と碧い瞳が月光に照らされて輝いていた。
「どもども~お久しぶりですね~」
リーナ・ヴァリアント。未だに穂高に付き纏う革新協会の幹部であり、熱烈なストーカー。彼女の能力は『再生』だ。
「おわー穂高君ったらまた無理しちゃって~」
こんな状態にある穂高を見てもリーナに動揺は見られず、むしろこれがいつもの日常であるかのように受け止め、穂高が眠るベッドの側まで近寄った。
「むー、このチューブとか邪魔なんで外しちゃいましょうか」
穂高の体に刺さっていた点滴やチューブをリーナは乱暴に外していく。織衣は口をパクパクさせながら大丈夫なのかと渡瀬を見るが、彼は笑っているだけだ。エリーも黙って見ている。
「人工呼吸器なんて穂高君には必要ないですよね~どっこいしょういちっと」
穂高の心臓を動かしていた人工呼吸器もリーナは取り外していた。そしてベッドの上に乗り、穂高の体の上にまたがった。
「ではでは~失礼しま~す」
するとリーナは、穂高の唇と自分の唇を合わせていた。
「え?」
「ふむ」
「おー」
目の前でリーナが穂高に堂々とキスしたことに対し、三人の反応は異なっていた。織衣はただ口をあんぐりと開けて驚き、渡瀬はリーナの能力に関心しているようで、エリーはすげーという風に感想を述べていた。
口づけを終えるとリーナはベッドから降り、織衣達の前に立った。
「これで穂高君は大丈夫ですよ~私の手にかかれば天国からも地獄からも呼び戻しますから~明日ぐらいには目覚めると思いますよ~」
これが彼女がゾンビ乙女たる所以か。こうなることを見越して渡瀬は敵であるリーナを呼んだのだろう。いや、もしかしたらリーナ側から渡瀬に接触があったのかもしれない。敵とはいえ利用できるものは利用した方がいい。穂高を愛しているというリーナなら喜んで請け負うだろう、ますます不思議な関係だ。
「ちなみに、穂高君を生き返らせるために口づけは必要なのかい?」
「え~王子様はお姫様のキスで目覚めるものじゃないですか~」
きっと穂高とリーナがまともな恋愛関係にあれば感動できるシーンだったかもしれないが、彼らは一応敵同士だ。お互いにお互いを想う気持ちは違うが、お互いを利用する理由はある。
リーナは織衣の方を見ると、ブッと噴き出して笑い始めていた。
「プププ~そんなに泣きはらしちゃってどうしちゃったんですか~別にお礼なんていりませんよ~いつものことなので~」
相変わらず腹が立つ物言いだが、今はいちいち怒る気にもなれなかった。やはり彼女と反りが合うことは絶対にないと織衣は確信した。
「貴方が、穂高君みたいにならなければいいですね」
リーナはそう言い残して、病室の窓から外へ飛び降りてしまった。
「きっと、穂高君はこうなることがわかっていたんだろうね」
リーナがいなくなってから渡瀬はそう呟いていた。
「穂高君は能力者狩りとして何度も死んできた。だけど、その度何度もリーナちゃんに助けられた。今までずっとそれを繰り返してきたから、今回こうやって穂高君は自分から首を差し出したんだ。
そんなこと、お互いに余程の信頼関係がないと出来ないだろうけどね」
考えれば考えるほど、穂高とリーナの関係は不思議なものだ。しかしリーナは、同じ組織で穂高と活動している織衣よりも彼と深い信頼関係を築いている。
人工呼吸器を無理矢理外された穂高だったが、今は自分で呼吸をしていた。あれだけで生き返るというのも不思議というか最早神秘的だが、織衣は一安心して病室に戻った。まだ心にモヤモヤ感はあったが、再びベッドに横になる。枕元には黒猫に変身したエリーが眠っていた。
今度は悪い夢を見ないようにと祈りながら、織衣は眠りにつこうとした。
しかし、織衣はふと疑問に思った。
どうして渡瀬は、穂高が自ら織衣に首を差し出したことを知っていたのだろう?




