4-6『上位互換達』
呆然としていた。
遅れて、織衣は吐き気をもよおした。胃の中にあるものを全て吐き出しそうになって口を押さえた。意識が遠のくようにフラついたが、近くの信号機の支柱にもたれかかり何とか立っていた。
織衣は頭が真っ白になった。目の前で何が起きたのかわからなかった。もう一度考えて思い出そうとすると、さらに吐き気が酷くなる。どうして、どうして同じ人間の死だったはずなのに、今の光景がこれ程耐え難いのか?
「あーあ、仕留めそこねちゃった」
人気のない交差点の真ん中に、白いコートを羽織った女が現れた。彼女は白いコートの下に赤い軍服のようなものを着ていて、右目にはハート型の眼帯を着けていた。髪色はキラキラした金色でやけに目立ち、特徴づいた格好をしていた。
「おーっとぉ、そこのボーゼンとしちゃってる貴方。どうだった?」
「な、何が?」
「今の感想」
今の一連の出来事はこの女の仕業か。眼帯が着けられている女の右目には、ジャン達と同じく赤い光が灯されていた。
織衣は口を押さえたまま黙っていた。口を開くと胃の内容物を吐き出しそうになるからだ。そんな織衣に対し、眼帯の女は溜息を吐いて言う。
「えー、何も感想ナッシング? 何だかリアクション面白くないなぁ、貴方友達いる?」
織衣はイラッとした。私にも友達ぐらいいる、と。いや、よくよく考えれば友達と呼べるのは同じ組織にいる緋彗と和歌ぐらいだが。
「あの能力者狩り君がご執心だと噂に聞いてたから来てみたけど、本当にただの噂だったのかなぁ~」
ベラベラと眼帯の女は独り言を喋っていた。戦いの意思があるのかわからない。だが彼女は革新協会のトレードマークである、太陽の紋章が描かれた白いコートを羽織っている。
「……私に用? 貴方は何者?」
「あれ~聞いたこと無いの~? 私、能力者狩り君の天敵のつもりなんだけどなぁ。
もしかして貴方、能力者狩り君に嫌われてる?」
「……多分、それはない」
穂高とは特別親しいというわけではないが、ツクヨミの任務で一緒に組むパートナーではある。確かに穂高の織衣に対する距離感はやけに近いように思えるが、仮にそれが恋心によるものだとすればお断り願いたいところだ。いや、織衣が鈍感というだけで緋彗や斬治郎が織衣の知らない所で恋バナで盛り上がっているかもしれない。その場面を想像すると、やはりイラッとした。
織衣の返答を聞くと、眼帯の女は残念そうに言う。
「へー。じゃあ別に良いや。私はかーえろ」
眼帯の女はクルッと回って織衣に背を向けた。だが、既にこの場には重武装の治安部隊が駆けつけて織衣達を包囲していた。
そして、織衣だけに銃口を向けていた。
「でも、貴方をタダで帰すとは言ってないから」
眼帯の女がチラッと織衣の方を向いて微笑むと、織衣に向かって一斉に銃弾が放たれた。
「だから、何だって言うの」
治安部隊は瞬時に無力化された。織衣が張った巨大な蜘蛛の巣によって一網打尽となった。銃弾もちゃんと対策さえ出来れば怖くはない。
織衣もただボーッと突っ立っていたわけではなかった。眼帯の女がベラベラと話している間に、着々と自分の陣地を作っていたのだ。
「へー、結構やるじゃーん」
そう言うと眼帯の女はタンッと飛び跳ね、常人とは思えない跳躍力でそのまま織衣へ蹴りかかってきた。側転でそれを避けると、織衣はバッと眼帯の女の方を向いた。伸びてきた彼女の右腕を掴むと、織衣はそのまま勢いよく引っ張り、その体重を利用してクルッと回って彼女の首に回し蹴りを食らわせた。
よろめいた眼帯の女の腕に、周囲に展開させていた蜘蛛に糸を張らせて縛らせた。グルッと女の腕を捻じ曲げ、今度は足にも糸を巻き付けた。足を引っ張って女を転ばせると、織衣は太刀を持って彼女に近づき、思いっきり振りかぶった。
「いただきぃ」
そう言ったのは眼帯の女の方だった。どこにそんな力があったのか。地面にうつ伏せになって蜘蛛糸で縛られていた女は、関節でも外したのか無理矢理体勢を変えて、織衣の方を向いて右目の眼帯を取った。
女の瞳は赤かった。その瞳の奥に無限に広がるように見える世界、果てしなく続く深淵に織衣は引きずり込まれそうになる。
「な……に……?」
心を、頭を、体中を、滅茶苦茶にかき混ぜられるような感覚。何かがその領域を侵していく。それは波のように幾度となく織衣に襲いかかり、彼女の心の奥深くまで到達しようとした──。
「があぁっ!?」
だが織衣が我に帰ると、なぜか眼帯の女の方がダメージを受けていたようだった。織衣は目眩に襲われて尻もちをついてしまったが、眼帯の女はゼェゼェと息を切らしながら右目を押さえていた。
「貴方も何か飼ってるのね? 流石あの子とタッグを組んでるだけのことはあるみたいね……」
すると眼帯の女の右手から剣のような、細長い物体が構築されていく。その素材は紙粘土のように乾燥してヒビが入り、剣と呼ぶにはあまりにも歪な形で、刃物ではなく鈍器に近い武器のようだ。そんな剣を舌で舐めながら女は口を開く。
「私の名前はツバキ。協会の副統帥って感じ。貴方も能力者狩りも、私の手で崩壊させてあげる」
織衣は立ち上がって太刀を構えた。呼吸を落ち着かせながら、そのまま一歩、また一歩と後ろへと引いていた。この……このツバキという女から漂う圧に織衣は押し負けそうになっていた。散々酷いものを見せられて具合が悪くなっているのもあるが、目の前にいるのはツバキ一人のはずなのに、一人しか見えていないはずなのに、数百、数千、数万人もの敵を相手にしているような気分だった。
目の前にいる化物は、一体何者だ?
柄を握って織衣は集中しようとする。織衣は長期戦に耐えるだけの持久力は持ち合わせているが、自分の能力の引き出しが全てバレると不利に成りかねない。ツバキの能力は、その剣を見ても石だとか鉱物を操っているわけではなさそうだ。それにツバキという女は牡丹や詠一郎、渡瀬、そしてジャン達と同じように右目に赤い光を灯している。
ツバキが着けているジュエリーは織衣と同じラピスラズリの宝石で装飾された黒い手袋だ。織衣が持つ『蜘蛛』の能力の上位互換だとすれば……『虫』か。さらにその上となると『生物』か。だとすればツバキが持つあの歪な剣は何なのか。織衣と同じ操作系のはずなのに見た目ではわかりにくい。
どうやらツバキは穂高のことを知っているようだが、穂高本人からツバキという女の話は聞いたことがなかった。
織衣が持つ太刀には、人間の目では捉えられない程細く、しかし耐久力のある蜘蛛糸が数百本も絡まっている。そのためこれだけ長くて重い太刀でも、織衣が軽く振るうだけで蜘蛛糸が太刀を引っ張り、遠心力と組み合わせて大きな威力を持つようになる。
「貴方には──」
織衣は決心して一気に踏み込んだ。太刀が遠心力と蜘蛛糸に振り回され、蓄えた威力をそのまま鈍器のようにツバキに叩きつけようとする。
その状況で、ツバキは歪な剣を縦に構えただけだった。
「──私達を斬ることが出来るかしら?」
その瞬間、織衣は動きを止めた。太刀の刃がツバキに到達する直前、刃を返して無理矢理蜘蛛糸で引っ張り、一気に身を引いて攻撃を止めた。
心臓の鼓動が速くなっていた。今、織衣の本能がツバキへの攻撃を止めさせた。カウンターか? ツバキは、攻撃を受けてこそ発揮される能力を持っているかもしれない。
「へぇ、思い留まっちゃうのね。残念」
歪な剣が、何やら蠢いているように見えた。見れば見るほど、無機質でボロボロに見えたそれが、段々気味悪く見えてくる。
「でも、貴方は逃げられないのよ!」
ツバキが剣を織衣に向けた。すると剣は織衣に襲いかかってくるように伸びてきた。織衣は太刀を構えて防ごうとするが、なんと伸びてきた刃は織衣の太刀を手で掴むように握った。慌てて蜘蛛糸で引っ張って太刀を引き剥がそうとするも、その間にツバキが織衣に近づいてきていた。その手には、もう一本の歪な剣が握られていた。
ツバキが持つ剣は、やはり刃物ではない。刃物というには醜い塊に過ぎなかった。しかし鈍器としては十分なもので、それが織衣の額に衝突した瞬間、強い衝撃が波のように押し寄せてきた。
「くぅ……!?」
織衣は骨が割れたように痛む頭を押さえて、そのまま倒れてしまっていた。
「ほおら、痛いでしょ?」
額に受けた衝撃が、目に、脳に、体全体に響いていく。あまりの痛みに地面をのたうち回る織衣の髪をツバキが掴み、無理矢理起こされて目を合わせられる。
ツバキの右目が、赤く光っていた。
「さぁ、この痛みに耐えられるかしら?」
ツバキの瞳に、織衣は引きずり込まれていく。先程は弾き返せたらしいそれに、織衣は逆らうことが出来なくなっていた。
「さぁ──乱せ乱せ乱せ乱せ!
貴方があの子を殺すのよ! この世界に儚く散っていった多くの『生命』のように!」
織衣はツバキに髪を離され、地面に膝をついて、そのままバタリと地面に倒れた。
「うーんどうしよーかなー。そうね、このままやっちゃってみるかー」
ツバキのそんな声が聞こえると同時に、微かに視界が光に包まれた。それは今までに何度も見させられた、目が眩むほどに輝く彼の光だった。
「姫野さん! そいつの相手はしちゃいけない!」
光と闇を体に纏った穂高がツバキに斬りかかる。歪な剣が少し欠けるが、またすぐに修復されている。
「あちゃー、もう来ちゃったか。貴方にはあの子が救えるかしら?」
穂高は地面に倒れている織衣の方に目をやった。その顔には疲労が見えた。
「……姫野さん?」
織衣はフラフラと、足をよろめかせながら立ち上がった。地面に捨てられていた太刀を拾ってもう一度握りしめ、その手から大量の蜘蛛を生み出す。
「……そうか、そういうことか」
穂高が織衣の方に気を取られている内に、ツバキはどこかへ消えてしまっていた。この場に残っているのは織衣と穂高だけだ。穂高は織衣の方に近づき、ふらつく織衣の体を支えようとするが──織衣は自分に近づいた穂高に急に襲いかかり、彼の首に思いっきり噛みついた。
「がぁっ!?」
すぐに穂高に力強く押されて織衣は距離を離された。穂高は噛まれた左肩を押さえながら、まだ能力を解除しようとしない。
「そうだね。君も……君も、ツバキの術にかかったんだね」
和光事件において穂高が戦った一万人もの人々は、噂によると敵の能力者に操られて彼に襲いかかったらしい。事件の首謀者がツバキという女ならば、事の辻褄が合ってしまう。
今の織衣の視界に映る、鷹取穂高という少年は敵だ。捕食対象だ。好きにして良いプレゼントだ。それが術者であるツバキの命令だ。そこにどんな理由があろうとも、穂高がどんな人間なのかも関係ない、織衣は穂高を殺さなければならない、殺したくて殺したくて、食べたくて食べたくてしょうがない。
織衣は太刀を構え、穂高の首を狙った────。




