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ウォントビーアヒーロー  作者: 紐育静
第四章『誰もが蜘蛛を愛してる』

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4-1『ジョバンニ・ロマーノ・クローチェ』



 秋葉原駅の電気街改札を抜けて南へ歩くと、大きなゲームセンターが見える。休日ということもあって人通りは多く、人々の表情も明るくなったように思えた。

 最近は目立った事件が減ったということもあり、世間の緊張感も薄れつつある。未だに街中には警察や自衛隊の装甲車両が巡回し、アサルトライフルやサブマシンガンを携行した機動隊員が目を光らせているが、彼らもテロを待ち望んでいるわけではない。しかしもしも事が起きてしまえば、駅前を歩く人々が一瞬で全滅しかねないのだから気は抜けないだろう。

 五年前から世界情勢は目まぐるしく変化した。世界的な大恐慌は言うも愚か、福岡事変で求心力を失った米中露に変わって主導権を握ろうとした欧州各国も政情不安が続いている。日本を襲った未曾有の大規模テロに構っている暇もない。

 革新協会は世界に変化を強いた。勿論変化を望まない人間もいる、それまで歩んできた日常を突然少数の人間によって恣意的に変えられるのは気持ちのいいものではない。テロや物価高はいくらでも誰かに責任転嫁出来るが、いずれ人々は革新協会と、いや能力者と向き合わなければならなくなる時が来る。

 その時、ツクヨミはどうするのだろう?


 「君が『アオ』、かな?」


 アオと呼ばれた男が壁にもたれかかって考え事をしていると、突然目の前を通りがかった青年に声をかけられた。アオに声をかけたのは、黒いサングラスを掛けた金髪の外国人だ。着ている服は全て海外の高級ブランドのもののようで、それをよくそんなスタイリッシュに着こなすものだと彼は思う。


 「やぁ。思ったより早いじゃないか」

 「外国人が全員時間間隔に疎いと思っているのかい? ちゃんと日本製の腕時計を着けてダイヤ通りに動く電車で来たんだから。しかし本当は車で来たかったんだけど、日本車はまだまだ高級感が足りないね」

 「ドイツ車を乗り回すイタリア人が言うことじゃないだろう」


 ハハハ、と金髪の青年は軽く笑いながら、弾いていた青いスーツケースの上に腰掛けてからアオに言う。


 「にしても君の格好は……」

 「あぁこれか? これが日本の伝統衣装だよ」


 アオは着物がよく見えるように両手を広げて見せた。紺色の着物にブーツを履いて、袖の下には財布と携帯のみ。長い髪も相まって注目の的だろう。


 「僕でも分かるぞ、それが随分と場違いだってことが。イベントがあるわけでもないんだろ?」

 「そうだね、普段着として着る人は少ないだろうさ。でも落ち着くんだよ、意外とね」

 「そ、そうか……僕は今日、こんな変わった格好の男と歩かないといけないのか……」


 スーツケースを引いている金髪の外国人と、着物を着た日本人。二人が並んで歩くと、日本に観光に来た海外の知り合いを案内してやっている、という風に見えるだろう。今日の目的はまさしくそうだ、この青年のお忍びのお出かけに付き合ってやるのである。早速出発しようと青年がスーツケースから立ち上がった時、アオは彼に問いかけた。


 「ところで、君のことは何と呼べばいい?」

 「あぁ、ジャンで構わないよ」

 「にしても、随分と日本語が上手なことで」

 「あぁ、こう見えても僕は勉強家だからね。日常会話ぐらいなら支障ないはずさ」


 自分が先導して秋葉原観光を、とアオは考えていたが、初めての土地のはずなのにジャンがアオを先導して秋葉原の街を歩く。ジャンはアオをカードショップやアニメショップに連れていき、様々なグッズを見て「これは会場限定のグッズだ!」だとか「これは期間限定盤!?」だとか興奮を抑えきれずに次々にカートの中に入れていき、購入した品がスーツケースに収まりきらず仕方なくホテルへ郵送する羽目になっていた。ダンボール数箱程のCDやBD、フィギュア等を買い漁ってようやく満足したジャンは、電車で東京駅に向かい皇居周辺を散策。初めて日本式城郭を目にしたジャンは、自分の日程に姫路城や熊本城の観光を組み入れていた。警備員達にチラチラと見られていた気がしたが、気のせいだとアオは信じていたかった。

 腹が減ったとジャンが申したためアオが和食料理店を紹介しようとすると、「ギュードンを食べてみたいね」とジャンが言ったため近くの牛丼店へ。不慣れな箸を使って特盛の牛丼を満足そうに口へかき込むジャンを見ながら、コイツは日本に旅行しに来ただけなのか?とアオは定食を食べながら考えていた。

 昼食後、今度は地下鉄で東京タワーへ。なぜスカイツリーに行かないのかとアオが問うと、「歴史を感じるんだ」とジャンは言って目を輝かせながら展望台から東京のスカイランを眺めて満足そうにしていた。「これをいつしか自分のものにしたいね」ととんでもないことを言いながら。

 再び地下鉄に乗って今度は明治神宮へ。長い参道を歩いて二人は参拝する。ジャンに何をお願いしたのかと問うと、「色んなものを見たい」と随分とアバウトなことを神に願ったらしい。ついでにおみくじを引くと、ジャンは見事大凶を引いていた。意味をアオが説明すると「これも大当たりさ」と特に気にしていない様子だった。ちなみにアオは大吉だった。

 原宿から二人は電車で横浜へ。どうしてタクシーや送迎の車を使わないのかとアオが問うと、「日本の優れた文化じゃないか」とジャンは日本の鉄道を好んでいるだけのようだった。せっかくなのでと二人はガラガラに空いていたグリーン車に乗り込んだ。


 「君は日本を楽しんでいるようだね」


 隣の窓際の席に座って市街地を眺めるジャンにアオは言った。


 「前々から来てみたいと思っていたからね。

  ところでアオ、新幹線というものはどれだけ早いんだい?」

 「この電車の二倍以上、いや三倍はあるかも」

 「ユーロスターとどっちがクール?」

 「さぁ、私はあまり詳しくないからわからない」


 ジャンはかなり濃密なスケジュールで動いているはずだ、日頃からヨーロッパ中を飛び回って多忙な毎日を送っている。傍から見れば、ジャンという青年は休暇で日本に来ただけの観光客だろう。


 「どうしてジャンは、日本に来るのがそんなに楽しみだったんだ?」


 ジャンはペットボトルの緑茶を一口飲んだ。渋い顔をしているのを見ると、まだ日本茶には慣れていないらしい。


 「アジアはヨーロッパと全然文化が違うんだ。せいぜいガンダーラがギリギリのラインぐらいかな、インディアは僕達の祖と言っても過言ではないからね。それに同じアジアと言っても中東と東アジアだけでも文字も宗教も違うじゃないか。

  僕は自分の目で、この世界の全てを知り尽くしたいんだよ」

 「へぇ、それは大した勉強家だね」


 ジャンは欧州全ての国を制覇したという。しかも各地の名所旧跡まで足を運ぶのだというのだから生粋の旅行家なのだろう。生まれた環境が違えばバックパッカーにでもなっていたかもしれない。


 「僕が日本に来たのは単なるビジネスのためじゃないんだよ。僕自身がこの地に足を踏み入れてこの目で実際に見ることでわかることもあるんだ」

 「わざわざ身の危険を冒すリスクを考えてまで?」

 「ふむ。ならばこうしよう、アオ。僕と君の席の間、ここに一本のラインを引く」


 ジャンはペットボトルを持って彼とアオの席の間に線を引くように動かした。


 「さて、僕らを分けるこのラインは、どういうディビジョンに分かれていると思う?」

 「国籍かな」

 「じゃあ、どうしてイタリアと日本で分ける必要がある?」

 「フィレンツェやヴェネツィアを日本のものに出来るなら嬉しいものだけどね」

 「フフ、僕達が日本をまるごと貰いたいぐらいだね。しかしイタリアと日本を分けるものはなんだろう? 肌の色? 髪の色? 目の色? 言葉? 食文化? 宗教? 民族主義? 単なる行政手続き上の問題?」


 日本から遠く離れたイタリアとの繋がりを探すのは難しい。歴史上幾つかの関わりがあったものの、同じ国になったわけでもなければ一方が他方の民族の祖先というわけでもない。そもそも今のイタリアが今の形に統一されたのも、長い歴史の中で見れば最近の方だ。


 「僕らはほんの些細な違いで簡単にラインを作るのさ。アオにはヨーロッパの人間は殆ど同じに見えるだろう? 僕らだってアジアの人間は殆ど一緒さ、せいぜいアラボやインドシナが分かるぐらいだね。

  でも僕らはここにラインを引く。世界地図がそういうものだと知っているからね、現代ではそう簡単に変わるわけでもない。

  じゃあそのラインは誰が引いたんだい? 今の政治家? 昔の皇帝? まさか自分自身というわけでもあるまい。それが歴史だからという理由で僕らは納得するのさ、この細かく分けられた世界地図に」

 「何が言いたい?」

 「僕はこのラインを失くしたいのさ。このラインを、国家間のしがらみをなくそうという試みはいくつもあった。だけど上手くいかない、それは何故か? 

  何故なら隣人との境にもこのラインがあるからだよ。本当に仲が良いならラインはいらないからね。国家間の争いは遠い世界の話じゃない、身近な人間関係にもあるんだよ」


 ジャンはアオと仲良くなりたい、と言っているわけではなさそうだ。そんな回りくどいことを言うような人間には見えないし、単なる例え話だろう。


 「僕は中小国が乱立するヨーロッパを統一したい。いずれは世界までも、ね。僕が今していることはその準備だよ。

  僕は世界の全てを知りたい、どんな地域でどんな人間がどんな神を信じどんな食物を食べどんな家で寝てどんな本を読みどんな夢を見るのか、その全てを自分の目で見てみたい。その全てを自分で理解することで、ようやく支配は成り立つんだよ」


 ようやく、ジャンのもう一つの顔が出てきた。彼はただの観光客ではない。


 「彼を知り、己を知れば百戦殆うからず、か。まさかイタリア人が孫子を引き合いに出すとはね。

  つまり、支配する人間達に対して理解を深めることで、支配者としてコントロール出来ると?」

 「そう。相手が何を喜ぶのか、何を恐れるのかを支配者は知る必要がある。民にムチを打ちたいのなら、彼らが喜ぶアメを与えるだけで簡単に民は踊らされるものだよ、何が問題なのかも忘れてね。

  僕らに必要なのは強さだよ。強者が弱者を支配する、これは至って当たり前のことだろう? 強者が弱者を気遣うことは出来る、だけど弱者が強者を従えるのはおかしい話だとは思わないか?

  それが、僕らが目指す帝国(インペリウム)だよ」


 電車は横浜に到着しようとしていた。周りには降りる準備をする乗客もいる。アオとジャンは荷物を持って電車を降り、横浜駅のホームに降り立った。


 「なぁアオ、横浜にも回転寿司はあるのかい?」


 駅の改札を通りながらジャンは言った。


 「どこにでもあるさ。グルグルとレーンが回る寿司屋に行きたいのか?」

 「うん、やっぱり本場のスシも食べてみたいものだね」


 ジャンなら銀座の高級寿司屋に行くことも可能なはずなのに、妙に庶民的というか風格がない。傍から見れば初めての日本の観光に浮かれているだけの観光客なのだが──駅の外に出ると一気に周囲の空気が変貌する。駅前に停まっていた数台のパトカーからスーツ姿の男達が降りてくると、アオとジャンの前に立ちはだかり、有無を言わさず銃口を向けてきた。その光景に周囲の人々は、逃げる者が大半だったが中には携帯を構えて記録に残している者もいた。


 「十字会総帥、ジョバンニ・ロマーノだな」


 警官にそう問われると、ジャンはフッと笑ってみせた。ジャンはかけていたサングラスを外し、碧色の瞳をさらけ出した。


 「そうだよ」


 ジャンは無邪気な笑みを浮かべていた。今もずっと大量の銃口を向けられているというのに。


 「僕はジョバンニ・ロマーノ・クローチェ。誇り高き我らがファミリーの総帥(インペラートル)だよ。君達は僕のことをよく知っているんだろう?

  やれやれ、僕はただ日本の素晴らしい文化を楽しもうとしているだけなのに、こんな待遇は悲しいものだなぁ」

 「貴方には偽造パスポートで入国した公文書偽造の容疑がかかっている」


 きっとそれだけではない。本来なら本国イタリアへ強制送還されるところだが、十字会が日本で起こした様々な事件の罪を被せるつもりだろう。イタリアへ身柄を引き渡すはずがない、本国へ送ってもすぐに釈放されるだけだからだ。


 「あーあ、明日は夢の国にでも行こうかと思っていたのに残念だなぁ。

  でも、僕がそうすんなり掴まると思っているのかい?」


 警官達に向かってジャンが歩きだす。武器も構えずに、ジャンは笑ってその集団の中へ入った。


 「動くんじゃない!」


 警官の制止にもジャンは構わず、自分の右腕の袖をめくった。彼の右手には水晶が埋め込まれた黒い腕輪がはめられていて、彼がそれを額にかざすと赤い光を放った。

 ジャンの右目に赤い光が灯る。そしてジャンが右手を警官達に向けると、地面から無数の光り輝く刃が生み出され、彼らの体を貫いていた。


 「この調子じゃ泊まっているホテルは使えないんじゃないか。我々の隠れ家に来るか?」


 休日の横浜の街は一気に阿鼻叫喚に包まれ、訓練されたかのように人々があっという間に消えていく。そんな中、ジャンは死体達の前で笑顔で言う。


 「問題ないさ、警察が皆僕を追ってくるわけじゃない。彼らは勇気があった、その勇敢さは称えなければならない」


 一部は既に買収済み、というよりも脅迫済みということだろう。


 「他の連中が出てくる可能性もあるが?」

 「その時は是非相手をしてあげようじゃないか。決闘というのも良いからね。

  なあに、君達の手を借りるまでもない」


 すると、通りの向こうから黒いリムジンがやって来る。おそらく防弾仕様の装甲車だろう。こんな騒動の中で悠々と走ってくるとは何と呑気なことだろう。リムジンはジャンの前で停車し、ドライバーが降りてドアを開ける。


 「アオも乗っていくかい?」

 「いいや、私は自分で帰るさ」

 「うーん、観光案内はこれで終わりか。じゃ、また用事が出来たら呼んであげるよ。明日は池袋にでも行こうかと思うんだ」


 世界中から追われ狙われている身だというのに呑気な人間だ。だが彼らを妨害するものはない、一部の人間……いや能力者達を除けば。


 「じゃあ、これからもより良いビジネスを頼むよ、アオ」


 ドアが閉まると、リムジンは颯爽と走り去っていった。ジャンに付き添っていた革新協会統帥、鷲花蒼雪はただ一人、無人となった横浜駅の前に取り残されて溜息を吐いていた。

 革新協会がイタリア系マフィアの十字会と手を組んだのは、フラワーの生産に必要な原料を調達してもらうためだ。革新協会はその対価として様々な商品を用意したり、この日本へ斡旋したりもした。

 十字会は日本で十分に勢力を伸ばした。もう、革新協会の手助けなんていらない程に。


 

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