3-23『そのマフラーの裏に』
任務から本部へ帰還すると、織衣は入口で穂高達と別れて一人食堂へと向かう。小腹が空いたがこんな時間に食事を摂るのは危険な行為だ。我慢して飲み物だけ口に入れようと足を運んだ次第だ。
「ニャー」
食堂の扉を開けると、テーブルの上で黒猫が織衣を迎えていた。ツクヨミに入ったばかりのころはエリーがネコに変身するということに理解が追いつかなくなってしまったが、今となっては人間が動物に変身することに対して何の疑問も抱かなくなった。
黒猫エリーはテーブルを降りて織衣の方へ近づき、織衣は彼女を胸に抱いた。ゴロゴロと心地よさそうに喉を鳴らしながら、黒猫エリーは織衣の腕に抱かれながら眠りにつこうとしていた。
「やぁ、織姫ちゃん」
席に座って渡瀬はココアを飲んでいた。織衣は彼の前の席に座った。
「どうだったかい、穂高君の様子は」
保護者として高校生組を世話するのは副メイドや華の仕事だが、能力者として成長させるのは渡瀬や千代達の仕事だ。渡瀬は穂高の情報を、パートナーとして彼とよく組んでいる織衣から聞き出している。
「特に、何も変わったところはないよ」
昴と出会い、記憶の一部を取り戻したことで何か変化が見られるかと思ったが穂高は変わらない……今まで他人行儀だった昴と親しく話すようになったことぐらいか。根はあんな子どもらしい、相手をからかうことが大好きなだけのクソガキだ。
「織姫ちゃんは何だか、納得いってないみたいだね。表情が曇ってるよ」
頬杖をついてそう語る渡瀬に対し、織衣は自分の頬に触れて確かめる。そんな顔に感情を出したつもりはないが、この鶴咲渡瀬という男は華のような能力があるわけでもないはずなのに相手の心理を突いてくるようなことを言うから恐ろしい。
「まだまだ好奇心が抑えられないって感じだね。聞きたいことがあれば本人に聞いてみるのも良いんじゃない?」
「怖いんだもん」
「大丈夫だよ。穂高君は嫌なことを聞かれてもすぐに手が出る人間じゃないだろうから。少なくとも織姫ちゃん達には」
渡瀬はすぐに手が出る人間を見てきたからわかるのだろう。
「知りたいことがあるなら、側で見ているだけじゃなくて直接口に出すのも場合によっては必要なことだよ。その方が伝わることもある。
僕なら遠慮なく聞いちゃうよ。織姫ちゃんはどうして髪を銀色に染めてるんだい?」
「教えない」
「ほら、秘密があるなら教えないって穂高君も言うだろうから」
まんまと渡瀬の話術に踊らされる織衣は、穂高との会話を思い出す。どうしてか、雰囲気は全然違うのに穂高と織衣は妙に似ている部分がある。
「じゃあ、渡瀬さんは穂高君に直接聞ける?」
「そりゃあ、人には言えない秘密は一つや二つぐらいあるだろうさ。聞かないことがいいことだって勿論あるはずだよ。でも黙ったままだと相手は気づかない」
「渡瀬さんも穂高君に聞きたいことがあるの?」
「色々ね。でもまずは……そうだね、自分の身の内を話さないと心は開いてくれないかもね。それは取引だよ、相手に聞きたいことがあるなら自分も同じことを聞かれる覚悟をしておかないとね。
僕は五年前のことを聞いてみたいんだけど、穂高君は僕のことを全然思い出してくれないみたいなんだよね。僕は中学生の頃からそんなに顔立ちは変わっていないはずなんだけどね」
噂によれば、というか渡瀬本人から直接聞いた話だが、どうやら渡瀬は五年前に福岡で穂高と出会っているらしい。しかし穂高は昴のことを思い出しても渡瀬のこと、いや福岡事変での出来事を覚えていない。まだそれは記憶の奥底にしまって置かなければならない程に、辛い出来事だったのだろう。
「ねぇ、渡瀬さんは穂高君と何があったの?」
渡瀬はニコニコと微笑んでいるだけですぐには答えない。どうやらそれは話したくないことだったのか、いいやあの日のことは思い出したくないだろう。しかし渡瀬は微笑みながら言う。
「織姫ちゃんは『流星』を知ってる?」
「……穂高君のこと?」
「うん。誰から聞いたんだい?」
「ネットで」
ネットで穂高の名前を検索するとトップに表示されるのが、とある福岡のサッカークラブを取材したスポーツ紙の記事だ。全国大会でチームを優勝に導いたツートップの少年に注目しており、一方が彗星、もう一方が流星という異名をつけられていた。当時の写真を見ると、確かに穂高らしき少年に面影はあったが少女のようで織衣は驚いた。どうして穂高の名前を検索したのかは内緒だ。
「あの日、福岡に流星が見えたんだ」
「流れ星が?」
「そう。燃え盛る炎で赤く染まった福岡の空に、一筋の光が走ったのさ」
流れ星、それは彗星や小惑星が地球に接近した時、それから分裂した小さな天体が地球に降り注いで、それらが強い光を放って散っていくものだ。
その姿は確かに穂高のようだった。闇の中で強い光を放ちながらも、彼は消えてしまいそうな雰囲気がある。
「時が経てば……織姫ちゃんもあの日のことを知ると思うよ。穂高君が教えてくれるかはわからないけどね。でも、その好奇心は大事にした方が良いよ。
織姫ちゃんのためにも、ね」
自分のためにも、か。
「私には、わからない」
織衣は席を立ち上がり、結局何も胃に入れずに黒猫エリーを抱いたまま食堂を出た。そのまま寮の自室へと戻る。
織衣の自室の内装は至ってシンプル、元々用意されていた内装から殆ど変えていない。棚や机の上に置かれている可愛らしい小物は緋彗達からプレゼントされたもので、ベッドの上もエリーがいつの間にかお気に入りのクッションを置いているぐらいだった。
黒猫エリーをベッドの上に寝かし、織衣は共同の浴場まで向かう。ツクヨミの寮にある浴場は一度に十人ぐらいは入れそうな程広いが、織衣は一度も誰かと入浴したことはなかった。緋彗や和歌達とは時間をずらして入っている。
織衣は脱衣所で、まずは首に巻いていたマフラーを取った。織衣が誰とも風呂に入らない理由はそれだ。いつも隠している首に大きな痣のように色濃く刻まれた傷跡を見られたくなかったからだ。
一人で入りたいとはいえ、こんな夜中に一人で入浴するのも怖かったため、織衣は少しだけ能力を発動して蜘蛛を生み出して鏡に貼り付けてシャワーを浴びていた。
目を瞑るのが怖い。暗闇に、脳裏に浮かぶ自分の姿が怖い。今は何か情報を頭に入れ続けないと落ち着かない。自分の世界に入った途端、何かに引きずり込まれそうになる。
織衣はシャワーを終えると、部屋に戻って寝間着に着替えた。ベッドの上で寝かせていた黒猫エリーは、シャワーを浴びている間に人間の姿に戻っていた。織衣は髪を乾かそうと椅子に座り、そして白いマフラーを机の側に掛けていた。
どうしていつもマフラーを巻いているの、と織衣はよく聞かれる。その度織衣は秘密だと答える。理由を知っているのは華とエリーぐらいだ。渡瀬や牡丹には直接言ったことはないが知っているだろう。
織衣は鏡を見ながら自分の首、その刻まれた傷跡に触れた。わざわざ秘密にすることでもないかもしれないが、見られたくはなかった。緋彗達にもこの傷跡を晒したことはない。自分の過去を詮索されたくないからだ。
だがもしかしたら、穂高は知っているかもしれない。七月に能力者狩りだった穂高が織衣を助けた時に見られた可能性が高い。しかし穂高は気を遣っているのか話題に出したことはない。
矛盾している。織衣は穂高の過去を知りたがっているのに、織衣は自分の過去を教えない。情報には対価が必要だ、織衣が穂高の秘密を知った時、同時に穂高も織衣の秘密を知らなければ不平等だ。
織衣は髪を乾かし終えると、軽く髪の手入れをする。少し銀色が落ちてきているため、近々カラーリングが必要だと思いながら、織衣は鏡をジッと見た。
鏡よ鏡。
世界で一番怖いのは誰?
大丈夫、私は怖くない。
織衣はベッドに倒れた。眠っているエリーを抱き寄せて、抱き枕代わりにする。人の温かさを体全体で感じ取れる。今はその温もりがなければ気が狂ってしまいそうだった。
思い出したくない。きっとこの気持ちは、彼が感じているものと一緒かもしれない。
穂高は、織衣が追い求めているものの答えを知っている。彼の生き方がその答えになると織衣は考えていた。織衣と穂高の能力者としての生き方は全く異なるものだ、だから織衣は穂高と一緒に行動して一挙手一投足を観察する。
──ねぇ、穂高君
織衣はエリーの頭を撫でながら、ボソリと呟いた。
──どうして、貴方は戦うの?
織衣は、ゆっくりと目を閉じた。
第三章終わりです。




