3-19『勇敢な弱虫』
出灰は昨夜の事件の騒動がまだ収まっていない可能性があるということで臨時休校となった。昴が捕まっている間に革新協会というテロ組織の能力者達が大勢押しかけてきたらしいが、ツクヨミによって撃退された。幸いにも昨夜の騒動で民間人に死者は出ず、十数人の軽傷者が出るに留まった。
学校が休みになったということで、暇になった昴は一連の悲劇を悲しむ間もなくツクヨミから呼び出された。指定された場所まで向かうと、そこには何の変哲もない十階建てのオフィスビルがあった。ビルは首都高が側を走る通りに面していて、周囲も高層マンションが建っているぐらいで、何か隠された組織が存在するとは思えなかった。
オフィスビルの案内板を見ると、どうやらここは大手企業の子会社である貿易商社のビルらしい。しかし窓は全てブラインドが閉められていて人気も感じない。
「君が木取君かい?」
「へぇっ!?」
突然声をかけられて昴が驚くと、隣には黒いスーツ姿の茶髪で爽やかな青年が立っていた。さらにその隣には昔流行ったようなゴスロリファッションの幼気な少女が無表情で佇んでいる。
「あの、どちら様でしょうか……?」
「僕は鶴咲渡瀬、十九歳。隣の天使はエリー、十四歳だよ」
「て、天使……? エンジェル?」
「そう、僕達の勝利の女神さ」
「ヴィ、ヴィーナス……?」
一体穂高達が所属するツクヨミという組織にはどんな人がいるんだろうと昴は不安に思っていたが、いきなり変な人間に絡まれて不安はさらに大きくなっていた。
「あの、僕が呼び出された場所ってここで合ってるんですか?」
「合ってるよ? 僕が出迎え役さ」
「こ、ここが本当に?」
「フフ、そうだね……確かに普通の人は入りづらいかもね」
昴は渡瀬という青年に連れられてビルの中に入った。ビルの中も案外普通の作りで、所々に観葉植物が置かれている。後ろからはエリーという少女が昴を見張るようについてきていた。エリーという名前だが、多分この少女は日本人だ。
「ここら辺の区画にはね、人の認識を狂わせる術が施されているんだ」
「ど、どういうことですか?」
「君もまさか、こんな所に秘密結社の本拠が置かれているだなんて思わなかったでしょ? このビルの前を通りがかる人はそう思うんだよ。カラーバス効果とかカクテルパーティ効果みたいに、自分に関係がなければ興味もないからね。この区画に建っているマンションもそうだよ、ただのマンションなんて誰も気にしないからね」
「だから、こんな繁華街に近い所に本部を置いてるんですか?」
「いいや、ツクヨミがここに移ってきたのは戦前の話だよ。その頃から池袋は大きな街だっただろうけど、巣鴨プリズンのすぐ側だったからね」
現在のサンシャインシティは巣鴨プリズンの跡地に建てられたものだ。すぐ側に多くの人が集まるようなスポットを作られると秘密結社も困るものだろうと昴は思っていた。だったら移転すればいい話だが。
「この場所は部外者以外に見つけられないようになってるんだよ。勿論君は許可されてるから入れるけどね。例えツクヨミの本部が池袋にあると知っていても、誰もこの場所は探せないんだ。誰もここがその場所だとは気づかない……人間の知覚に干渉する不思議な能力だよ」
ツクヨミという組織があからさまに怪しい山奥に拠点を置いていたり、逆にどでかい高層ビルに拠点を置いていたりしないのは極力目立たないようにするためだろう。だったら消防点検とかどうするのだろうと昴は疑問に思っていたが、渡瀬の後ろを歩いていると異様な部屋を見つけて昴は立ち止まった。
「あの、このドア何ですか?」
清潔なビルの中に突然、異様に落書きの多い二つのドアが並んでいた。字体を見る限り一人が書いたものではないようで、数十人程がこの二つのドア周辺に落書きをしたらしい。
「あぁそこはトイレだよ」
「と、トイレ? この落書きは?」
「そこにはね、自分の裏社会での通り名を書き残すっていう慣習があるんだよ。誰が始めたのかわからないけどね」
どうしてトイレに、と昴は思ったが、この多くの落書きが数々の能力者達が生きてきた証だと思えば貴重なものかもしれないと気づいた。しかしやはり、わざわざトイレに残さなくてもと思った。
「ここってコードネームがあるんですか?」
「うーん、例えば裏稼業で有名になりたいならそっち用の通り名を作るぐらいかな。僕達は普通に本名で呼び合うし、たまに任務で使うぐらいだよ」
そういえば前に副メイドが言っていたが、ツクヨミは秘密組織と名乗っているのにコードネームが必要ない。それは漫画や小説の読みすぎかもしれないが、今更変えるつもりはない、という確固たる意思を感じた。
「そしてあっちの方に見えるのが食堂だよ。この後は君の歓迎会だね」
「え、歓迎会ですか?」
「うん、パーティだよ。でも先に事務所で用事を済ませてからだね」
廊下の奥の部屋からは明かりが差し込んでいたが、トイレの向かい側の部屋に昴は通された。
昴は息を呑んだ。部屋の中には客人用のソファや書類やファイルが並べられた棚、ホワイトボードやプロジェクターが置かれていて、数台のデスクの上には高そうなデスクトップPCが置かれ書類が山積みになっていた。確かにこの部屋は事務所らしい場所だが、昴が驚いたのは部屋の中に立っていた先客達だった。昴は渡瀬に部屋の中央へ通されたが、全員の視線が怖い、風格がある。
「あれ? 牡丹さんはまだ来てないんですか?」
部屋の中には黒いスーツを着た男女数名がいた。何とも言えぬ恐怖から昴は思わず出口の方を見たが、エリーという少女がドアをバタンと閉めて出ていっていた。
「今副メイドが連絡しに行ってる」
窓の側に立つ、この中では年長っぽい短髪の男が言う。年長と言っても見た目は三十代手前ぐらいで副メイドよりは若く見えた。
昴はツクヨミに入るための面接があると聞いて来たのだが、これが噂に聞く圧迫面接というものかと緊張していた。だが部屋の中を見回すと、部屋の隅に知っている人物が立っていた。
「ちーっす鶴の雛」
「あ、千代さん」
いつもは赤い革ジャンを羽織っていてラフな格好の千代が正装……なのかは知らないが黒いスーツを身に纏っていた。彼女の側には同じく黒スーツ姿の海道北斗が立っていた。
「鶴の雛……あぁそういうことか。フフ、面白いね」
「結局名前なんだっけ? 鳳?」
「木取です」
「あぁごめん、人の名前覚えんの苦手だから」
あの苦離紅茶狩惨堕荒騎士という巨大な連合を率いているのに、と昴は思ったが逆に知人が多すぎて誰が誰だかわからなくなっているのかもしれない。
「あの、僕は面接って聞いてきたんですけど……」
すると「あっ」と女の声が聞こえた。見ると、この事務所にいる面子の中で唯一椅子に座っていた女性が立ち上がった。
「牡丹ちゃんがまだ来てないけど、先に済ませちゃおうか」
部屋の中央に立つ昴の元へ歩いてきたのは、雪のように白く輝く髪の上品な雰囲気の女だった。千代とは違って彼女はスカートスタイルのOLスーツを着ていて、ここにいる面子の中では一番物腰が柔らかそうな人物だった。
「そうね、じゃあ私の目をしっかり見て」
「え」
すると昴は彼女に顔をガシッと掴まれた。一瞬殺されるのかと思った昴だったが、彼女は顔をヌッと近づけてきて昴の目を凝視していた。昴は思わず目を瞑ってしまったが、すぐに昴の顔は離されていた。
「はい、終わり」
「へ?」
「もう十分、貴方のことはわかったわ」
「……はい?」
「好きな食べ物はエクレア、嫌いな食べ物は油っこいもの。よくわかるわ、私も油っこいラーメン食べられないもの」
昴は彼女と今日初めて出会ったし、穂高や他のツクヨミのメンバーに好物の話なんて一切したことがない。なのに彼女は昴が何も言っていないのにもかかわらず食べ物の好みを言い当てたのだ。
「じゃあ自己紹介といこうかしら。私は葛根華、能力は“独り身の選球眼”、その目を見ただけで貴方のことぜーんぶわかっちゃったから」
「へ?」
「貴方の出身地から趣味に好きなタイプ、大まかな経歴から性的指向までぜーんぶわかっちゃうの」
「……はい?」
どうやらこの葛根華という女の能力は相手の目を見るだけで、相手のことを全て知りつくすことが出来てしまうらしい。
「怖がらなくても良いわ、私はこう見えても口は堅いから」
華は昴の目の前に立っていたが、昴は彼女から目線を逸らした。彼女が言うことが本当ならもう無駄だが気味が悪かった。
「あー、お前の気持ちはよく分かる」
年長らしい男が言う。
「この女、敵に回すのはやべぇってな」
どうやら華はこの組織内でも恐れられている存在らしい。
昴が華の存在に恐れていると、事務所のドアが開いた。うんざりしたような表情で入ってきたのは副メイドだった。
「よー副メイド。牡丹は何て言ってた?」
「新幹線に乗り遅れたらしい」
副メイドはハァと溜息を吐いていた。
「あの、その牡丹って人はどんな人なんですか?」
「あ、私達のボスよ」
華は笑顔でそう答えていたが、まさかボスが遅れてくるとは昴も思っていなかった。しかしこの部屋にいる他の面々が特に動じていないのを見るに、しょっちゅうあることらしい。
「牡丹さんって東北行ってたんですっけ?」
「今日は山形から帰ってくる予定だった」
「じゃー少なくとも一時間ぐらいは遅れるってことか。どうするよこれ、せっかく幹部が殆ど集まってるってのにアイツがいないと締まらないぞ」
流石に昴も、一時間もこんな空間にはいたくなかった。しかも集まっているのはこの組織の幹部だという、まさか千代も幹部だとは思っていなかった。面子を見るに皆若いように見えるのに。
「それじゃあせっかくなんだし、皆自己紹介しない?」
「それで一時間潰す気か」
「じゃあまずは新人の子から、はい」
昴は華に背中をバンと押されたが、昴は驚いていた。
「え、僕の加入ってもう決まってるんですか?」
「決まってるけど?」
「その牡丹って人が決めるんじゃないんですか?」
「私の面接っていう段階で殆ど決まってるようなものだから。それじゃあ自己紹介よろしく」
秘密能力者組織ツクヨミの面接とはなんだろうと、一体どんなことをさせられるのだろうとドキドキしていた昴だったが、どうやらそんな心配はいらなかったらしい。やはり普通ではないのだ、この世界では。
「えっと、僕は木取昴です。これからお世話になります……他に何か付け加えます?」
「出身地とか」
「あ、出身は山口の下関で、育ちは福岡です」
「あの穂高君と知り合いだったんだよね、色んな話を聞きたいよ」
「……そんなに穂高君って有名人なんですか? この世界では」
「そりゃあアイツは元能力者狩りなんだし、協会に名指しで狙われるような奴よ」
彼らは昴が知らない穂高の一面を知っているし、逆に昴は彼らが知らない穂高の一面も知っている。これは色々聞かれそうだし、まだまだ勉強が必要だなと昴は思っていた。
「じゃあ私はもう済ませたから、次は詠ちゃんね」
「え、俺?」
「詠ちゃんからぐるっと周りましょ」
事務所の入口から正面に立つ年長らしい男から自己紹介が始まった。
「俺は榊詠一郎、今年で二十七。出身は宮城だ。年の差はあるかもしれないが気は遣わなくてもいい」
「私達の財布だから」
「ま、そんなところだ」
「はは……」
それで良いのかと昴は思ったが、確かに気さくそうな男だった。
「じゃあ改めて、僕は鶴咲渡瀬。出身は福岡県福岡市、香住ケ丘って場所わかるかな?」
「かしいかえんの近くですか?」
「そうそう。その近くに実家があるんだ」
「僕は香椎浜の方ですけど、ど近所じゃないですか……」
まさかこんな所でそんな近所に住んでいた人間と出会うことになるとは思わなかったが、福岡事変の件もあるため深くは触れないようにした。
「あーじゃあアタシも改めて、藤綱千代。出身は大阪。ま、よろしく」
「千代の関西人っぽい所を見たいなら怒らせらたらいいよ」
「あぁ?」
「こんな感じにね」
そういえば渡瀬と千代は同じ十九歳で同い年のはずだ、冗談を言い合えるぐらいには仲が良いのだろう。確かに千代は訛りも関西人っぽくないが、わざわざ怒らせたくはない。
『海道北斗、十九歳。出身は東京都品川。よろしく』
千代の側に立っている北斗は、喋らずにわざわざフリップにそう書いて自己紹介していた。結局のところ男なのか女なのかもよくわからない人だ。
「俺は春住深山、今年で三十二だ。出身は熊本。皆には副メイドと呼ばれている、お前も副メイドと呼ぶといい。
本当は俺達のボスともう一人幹部がいるんだが、一方は新幹線に乗り遅れ、もう一方は飛行機のチケットが取れなかったから来れない」
幹部は全員で八人だ。一人は飛行機のチケットを取れず、さらにボスが新幹線に乗り遅れているのは大丈夫なのかと昴は不安に思った。
「じゃ、私は剣城牡丹。出身は横浜。畏怖と尊敬の念を込めて『牡丹様』って呼ぶこと」
「ん?」
「は?」
「え?」
この場にはツクヨミの幹部六人が集まっていて、その六人の自己紹介は終わっていたはずだ。なら、今自己紹介したのは誰だ?
全員が同じ方を向いた。そして昴は確かに聞いていた、彼女は自らを剣城牡丹と名乗った。
「いんじゃねぇか!」
昴の正面、華と副メイドの間に、銀髪で黒いコートを羽織った女が笑顔で手を振って立っていた。
「牡丹、お前まさか“かくれんぼ”してたのか!?」
「いや、新幹線に乗り遅れちゃったのはホント。だから直で来たの」
「あらー牡丹ちゃん久しぶりー山形のお土産は?」
「明日ぐらいに宅配便で届くから」
剣城牡丹の登場で急に事務所が騒がしくなった。新幹線に乗り遅れたからといって、他の交通手段でそんなに早く着けるのか、ヘリでも使ったのかそれともツクヨミのボスたる彼女の能力か。
ともかくツクヨミのボスは、昴が思っていたよりもずっと……おかしそうな人だった。
「じゃあ改めて、私がこのツクヨミのボス、剣城牡丹よ。二十七歳。畏怖と尊敬の念を込めて『牡丹様』と呼びなさい」
「あー、誰も呼んでないから無視していいぞ」
「スイッチでも良いくらいだからな」
畏怖も尊敬もクソもない。しかし牡丹は気にしていない様子で笑っていた。
「私はツクヨミのボスとして、木取昴、貴方の加入を歓迎するわ」
「そんなスッと決まるものなんですか? 僕、運動音痴ですよ?」
「別にこの組織に入ったからといって、皆が皆危険な任務に就くわけじゃないわ。それに、これから鍛えていけばいいだけの話よ、貴方はまだ若いんだから」
すると牡丹は昴の正面へと近づいてきた。その風格に気圧されそうになって昴は後退りしそうになったが、何とか踏ん張っていた。
身長は千代より少し大きいぐらい、姫野織衣と同じくらいか。なのにその存在感が際立っていた。
「奇跡は起こる、君が望めば」
牡丹が昴の目の前で左手をグッと握り、そしてパッと開くと、その手に赤い牡丹の花が咲いた。
「それが私達のモットー、能力者達の掟。貴方は穂高君を助けるために奇跡を願い、その力を授かった。
奇跡は起こる、でも奇跡は滅多に起こらない。だから類稀なる出来事と呼ばれるの。貴方は奇跡を掴んだ、だから今度は貴方が他の誰かに奇跡を与えてあげなさい。
ようこそ、勇敢な弱虫さん」
昴は牡丹と握手を交わした。
勇敢な弱虫。酷い言われようだが、そんな通り名も悪くないなと昴は思っていた。




