3-14『宣戦布告』
やけに早い目覚めだった。朝の四時頃、いつもより外は薄暗い。七時過ぎの電車に乗れば十分に出灰に間に合うのだが、落ち着きを取り戻せない昴は、朝食に手を付けること無く早めに家を出た。
まだ不快な暑さが残る九月末、朝方は随分と涼しく通学路に人はまばらだ。この中にツクヨミの関係者はいるのだろうか。昴が住むマンションの近辺も巡回しているらしいが、千代ぐらいしか知っている人物は見かけたことがない。こんな時間から本当にいるのかも不安になってしまう。
昴を狙う機会はいつでもあるはずだ。いくらツクヨミの人間が護衛しているといっても、走行する電車を外から狙える能力者がいたら一網打尽だろう。
だが彼らにとって、それは数字の問題ではないのかもしれない。穂高が言うように、革新協会という連中は本当に昴が苦しむのを見て楽しんでいるだけだとも考えられる。余程趣味の悪い連中らしい。
部活動が盛んな出灰には、朝の七時頃でも既に体育館やグラウンドに部活動生の姿があった。だが生徒玄関に人気はなく、職員室前で教頭に挨拶しただけだった。
「あら、おはよう木取君」
一年二組の教室では、吾妻汐里がカーテンの隙間からグラウンドを眺めていた。教室には彼女しかいない。
「おはよう……早いんだね、委員長」
「いつもこのくらいよ。家が近いし」
「じゃあ寝坊しても大丈夫なんじゃない?」
「騒がしいから嫌なのよ」
ハァと溜息を吐きながら汐里は言った。優等生の汐里にも、彼女なりの悩みがあるのだろう。
「それよりピヨちゃんはどうなの? 顔色が優れないみたいだけど」
「え? ま、まぁそうかもね……」
今の昴を取り巻く状況の中では空元気を装うのも難しかった。割り切ってしまえば演技のように振る舞うことだって出来るだろう、しかし昴にそんな強さはなかった。自分だけではなく身の回りの人間の死が絡むのだから、早く問題を解決しなければならないのに。
「あ、もしかして糸井先生の件? 図書委員だったからね」
「まぁ、それもあるかな……」
精神的な疲れからかテキトーに受け答えしつつ昴は教材等を準備し終え、鞄を棚に入れる。昨日、体育倉庫で革新協会に殺されたと思われる学校司書、糸井という女性は自宅で病により急死したことになっていた。混乱を避けるためにツクヨミがそう処理をしたのだろう、根回しが早い。
「ねぇ、委員長」
沈黙を嫌って、昴は汐里に話しかけた。
「他の人が嫌がるようなことをするのは好き?」
昴がそう聞くと、汐里はハハハと噴き出すようにお腹を抱えて笑って答える。
「何それ? 私がそういう風に見える?」
「多少は」
「ないない。こんな世の中、そんな人はたくさんいるかもしれないけど、表立ってそう振る舞う人は少ないでしょ?
あ、でも好きな人の困った顔を見るのは良いかもね」
つまり、穂高は彼のことを好いている誰かから嫌がらせを受けている可能性がある、と昴は推理した。色恋沙汰で人が死ぬなんて迷惑過ぎる話だが、痴情のもつれで人が死ぬことは多い。
「む、木取と吾妻嬢か」
汐里、昴に続いて教室に入ってきたのは、メガネを掛けた少年島原新だった。彼は汐里をチラッと見て、不思議そうな面持ちで口を開く。
「ん? 今日は珍しく早いな、吾妻嬢」
「え?」
どういうことかと疑問を投げかけるように昴が汐里の方を見ると、彼女は昴から顔を背けてグラウンドの方を見ていた。
「委員長、いつも早く来るんじゃないの?」
「吾妻嬢は遅い方だ。群衆に紛れて『私、早く来てますけど~』という風に振る舞っているだけだ」
「委員長……」
昴は哀れむような目で汐里を見た。
「……別に良いじゃん。早く来るのって優等生っぽいでしょ」
「賢い人間は意味もなく暇を持て余さない」
あだ名が委員長の汐里、そして本物の委員長の新。やはり本物の方が上手だったか。汐里も委員長というあだ名で呼ばれるほど真面目で皆を引っ張るリーダーシップを兼ね備えているのは確かだ。そもそもクラス委員長ってそんな重要な役職か?
「でも、新君も早いんだね」
「俺にはちゃんとした用事がある。そこのエセ委員長とは違って」
「だーもう! 新! どれだけ私をからかうつもりよー!」
堪忍袋の緒が切れたらしい汐里に追いかけられて、新は颯爽と教室から去っていった。彼を追いかけていった汐里の姿もなくなり、昴は一人教室に取り残されていた。仲が良いことだと昴は思いながら、センチメンタルな面持ちでグラウンドを眺めていた。
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「スバ君大丈夫ー?」
「うん……」
カウンターの隣で自前の漫画を読みながら和歌が言う。彼女はツクヨミ側の人間か、自分の命を狙っている革新協会の人間か、それとも何も知らないただの一般生徒か。この図書室に和歌だけがいるのなら彼女がツクヨミの人間として昴を見張っているという可能性もあったが、今は汐里と新が図書室で調べ物をしていたし、他にもチラホラと数人の生徒がいた。
この空間にいる彼らは、それぞれどんな立場だろう? 今までそんなこと、一度も考えたことがなかった。副メイドの話を信じるなら、少なくともこの空間に一人は見張り役がいるはずだ。とても戦えるとは思えないあどけない少女、津島和歌? 真面目でしっかり者の委員長(あだ名)、吾妻汐里? 無関係を装っているが実は味方というパターンかもしれない委員長(本物)、島原新?
仮に誰がどんな立場にあろうと、昴がここにいる限り皆に危険が及ぶ。例え誰かが革新協会の能力者だったとしても、やはり知り合いが死ぬのは心が痛む。出来れば平和的な解決法を望みたいが、そんな未来は見つけられそうにない。
貸出記録を見ているふりをしながら、昴はそんなことを考えていた。自分の頭で推理しようにも、やはり一見すると彼らが敵なのか味方なのか、そもそも能力者なのかどうかも判別がつかなかった。
「スバくーん?」
「……ん、え? 僕のこと呼んだ?」
「何か悩み事ー?」
「う、うんまぁ……最近眠れなくてさ、色々あって」
最近寝不足気味なのは確かだ。かといってこの眠り姫のように堂々と授業中に寝るようなことはしないが。
「まーイトティーいなくなっちゃったからねー……」
そう語る和歌は、あまりその死を悲しんでいるようには見えなかった。あまり思い入れが無いのだろうか、まぁ確かに和歌はそこまで精力的に委員会活動に取り組んでいるわけでもないし、糸井先生と特別仲が良かったようにも感じなかった。図書室前に置かれた献花台にいくつか花を添えていく生徒も多いが、今日の図書室もいつも通りの時間が過ぎていた。
「木取、この本を借りたいんだが」
時間ギリギリまで図書室で調べ物をしていたらしい新と汐里は、分厚い図鑑を借りにカウンターに来ていた。汐里は先に出ていき、新から本を受け取った昴は貸出手続きを取るわけだが、その本の裏に一枚のメモが添えられていたことに気がついた。
図鑑を新に渡して彼が去った後、昴は和歌に隠れてこっそりとそのメモを見た。
『気をつけろ。奴らがいる。
今日は早く帰った方が良い』
昴は平静を装いながら、委員会の仕事が終わるとすぐに荷物をまとめ、和歌とろくに言葉も交わさずにそそくさと図書室を出た。辺りをキョロキョロと見回しながら用心深く移動する昴は、さぞかし挙動不審に、まるで悪事を働こうとしているように見えるだろう。
誰かに尾行されている、そんな気配も感じるが後ろを見ても誰もいない。恐怖心の煽りを受けて、ありもしない存在を感じ取っているだけかもしれない。
下駄箱までの道のりがとても遠く感じられた。いつもなら階段を降りていくだけなのに、体がガタガタと震えて力が入らない。何度もつまづきそうになりながら、昴は階段を慎重に降りる。
昴は警告を受けたのだ。姿の見えない『奴ら』に怯えながら、昴は人気のない下駄箱まで到着していた。
「だ、誰か……」
下駄箱の裏から、微かに女子生徒の声が聞こえた。昴は慌てて下駄箱の裏に回った。
「い、委員長!?」
先に帰っていたはずの汐里が、左腕や脇腹から血を流し、悶ながら倒れていた。どうやら刃物のようなもので刺されたらしい傷跡がついていた。
「ピ、ピヨちゃん?」
「大丈夫!? 何があったの!?」
「く、黒い人達が突然……」
汐里の出血は酷く、すぐに処置が必要だと昴は考えた。何か傷口を塞ぐものが欲しかったが、生憎昴は持ち合わせていなかった。
「今すぐ助けを呼んでくるよ。先生達に──」
救急車と応急処置と、警察と、そして穂高達が必要だ──そう考えた昴が職員室の方へ駆け出そうとした瞬間、彼は背後からいきなり腕を引っ張られ、くるんと後ろを向かされた。そこにいたのは血を流して倒れていたはずの汐里だ。彼女は笑顔を浮かべながら昴の腕を掴んでいた。
「ひっ……!?」
思わず叫びそうになった昴だったが、その口を手で塞がれて体を引っ張られた。汐里の目が狙っていたのは、昴の首だった。
「やっと捕まえた」
その途端、昴は汐里に首を深く噛まれていた。激痛と恐怖から昴はもがこうとするも地面に押し倒され、血を吸われ続けた。そして鈍器で殴られたような衝撃が頭部を襲い、昴は気を失ってしまった。
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織衣が妙な気配に対して敏感になったのは、あの元能力者狩りと一緒に色んな任務に行かされたからかもしれない。敵がどこに何人いるだとか、そんな化物じみた感覚は備わっていないが、何か良からぬ物がこの学校にいると織衣は察知していた。
穂高も何か感じているかもしれないと合流しようとするも、昴を追っていたはずの穂高が見当たらない。下駄箱の方に向かっても誰もいなかったため、先に帰ってしまったのかと織衣は思っていた。
「ねぇ、姫野さん」
下駄箱から教室に戻ろうとした時、織衣は声をかけられた。見ると、下駄箱の陰から一年二組のクラス委員長……ではなかった、一年二組の吾妻汐里という女子生徒がいた。織衣は汐里とあまり話したことはないが、真面目で人当たりも良く、皆から信頼されている優等生だと聞いている。織衣と違って。
「何か?」
織衣の受け答えがあまりにも冷たいからか、汐里は思わずブフッと噴き出すように笑っていた。
「鷹取君とは上手くやってるの?」
「は?」
思わず手が出そうになった織衣だったが、必死でクールさを保とうとした。
「どうしてそう思ったの?」
「だって、あの氷の女王が男子と仲良くしている姿が珍しいから」
織衣自身、氷の女王というあだ名は知っているがそのあだ名は気に入っていない。しかしそのおかげであまり交友関係が広くなくても、あの氷の女王だからと目立たなくて済むようになった。しかし穂高がこの学校に転校してきてからは彼と学校で話す機会が増えてしまっていた。
「ねぇ、恋は盲目って言うでしょ?
でも、恋は決闘とも言う」
「何が言いたいの?」
「うーん……本当に仕留めたいのなら、先に仕掛けないと負けちゃうかもしれないねって感じかな」
織衣の背中を押してくれているのか、いいやそんなお節介は迷惑だ。仮にそれが彼女なりの宣戦布告なら、それは彼女の勘違いだ。
「……ご忠告どうも」
いきなり穂高の事を話題にして何なんだコイツはと織衣は思って教室に戻ろうとしたが、汐里は一気に織衣の側に近寄って顔を近づけた。
「あの人を誰が仕留めちゃうか、わからないよ?」
フフフと笑いながら汐里は織衣から離れ、手を振って去っていった。
……昴が言っていた事を織衣は思い出した。穂高は変な女に好かれやすいと。思い当たる節はある、特に革新協会のゾンビ乙女。あの吾妻汐里という女子も穂高のことを好いているのなら、あの穂高というクソガキも大したモテ男だと織衣は思った。穂高と汐里の間には接点も無いはずなのに。
ただ、織衣は気になった。
汐里の体から、微かに血の臭いがしたからだ。
無人の一年一組の教室に戻ると、織衣は鞄を持って穂高に連絡を取ろうとした。だがふと外から悲鳴が聞こえたような気がした。慌てて校庭の方を見たが、校庭にいた部活動生達も何事かと学校の外の様子を伺っているようだった。
「おい、姫野!」
廊下から教室に走って来たのは同じ一組の立花斬治郎だった。
「なぁ、穂高の奴どこに行った? 木取もいない」
「電話も繋がらない?」
「あぁ、穂高に電話しても繋がらないんだ」
織衣はすぐに携帯で穂高に連絡を取ろうとした。だが穂高に繋がらない。電源は入っているようだが応答がないのだ。
穂高が勝手にどこかへ行ってしまうことはよくあった。織衣達に連絡するよりも先に勝手に行動してしまうのだ。彼曰く、自分の能力なら誰よりもすぐに駆けつけられるからだと言うが、そう豪語する割には何一つ解決していない。穂高の命を狙っているかもしれない連中もいるのにお気楽で呑気なものだ。ツクヨミの任務中なら通信機で連絡を取ることも出来るが、穂高がわざわざそっちを使っているとも考えられなかった。
「穂高君が襲撃されてる可能性は?」
「あいつが負けると思うか? 能力者が十人ぐらい束になっても秒で倒せるだろ、あの化物さんは」
「じゃあ、渡瀬さんが十人いたら?」
「地獄絵図だろうなぁ……」
量産型鶴咲渡瀬が十人もいる光景、そしてそれらを相手にしなければならない状況、まさしく地獄だと織衣も考える。気味が悪い。しかし、今の彼が強大な敵を相手にしている可能性もあった。
「どうする? 副メイドさんに連絡するか?」
「うん。私は緋彗達を確認してくるから──」
織衣が動こうとした瞬間、織衣の携帯に着信が入った。電話をかけてきたのは副メイドだった。
『そこに全員いるか』
「ううん、穂高君と木取君がいない」
『まずいな……今、出灰の周囲で革新協会が暴れている』
先程の悲鳴はそれによるものか。再び校庭の方を見ると、教師達が部活動生達の元へ向かって何か話しているようだった。おそらく彼らは副メイドから既に連絡を受け、生徒達を避難させようとしているのだろう。
『今、千代と北斗が出灰からの脱出ルートを確保している。生徒や教師陣は避難できるが、お前達は穂高と木取昴を探せ。既に捕まっている可能性がある』
「探すってどこを?」
『校内を探してくれ。外は渡瀬達に探させる。
後の情報はオペレーターを通してくれ、立川はもう準備している』
副メイドからの電話が切れた。彼の声からは焦りを感じられた、とうとう始まってしまったのだと織衣は覚悟した。
「どうする? 索敵なら姫野で十分だろ。俺は外から協会の連中が来ないか見張ってればいいか?」
「うん……そうだね。緋彗と一緒に回ってきて」
「そういやあいつも帰ってこないな……」
すると突然学校のチャイムが鳴り響いた。それは生徒達へ避難を呼びかけるものかと思いきや、スピーカーからは陽気な少女の声が聞こえた。
『もしもーし。貴方達が探している人は図書室にいまーす』
マイクの感度が悪いのか聞き取りにくいが、その声は先程織衣とすれ違った吾妻汐里の声に聞こえた。
『さて、彼らを倒して図書室まで辿り着けるかなー?』
プツッと放送が途切れると、織衣はジュエリーを装着して能力を発動し、装備箱を開けて黒いコートと太刀を装備していた。斬治郎はポケットから手の平サイズの小さな黒い剣を取り出し、能力を発動する。彼は腰に二本の刀を装備した。
「……何だよこれ、俺達への挑戦状ってか。もしかして穂高の奴、負けたのか?」
「信じたくない」
「まぁ穂高が負けるなら俺達が敵いっこないからな」
織衣は太刀を、斬治郎は両手に二本の刀を持って構えた。図書室はこの一年校舎三階の隅にある。穂高と昴を捕まえたらしい協会の能力者は、わざわざ自分から居場所を告げるほど勝負に自信があるらしい。罠があることも十分に考えられるが、わざわざ向こうから言わなくてもいいことだ。
「うぎゃああー!」
聞き覚えのある少女の、悲鳴に似た叫び声が廊下の方から聞こえてきた。何事かと廊下の方を見ると、長い赤髪の少女、京緋彗が息を切らしながらドタドタと教室に入ってきた。彼女も能力を発動していたようで、生み出した炎が灯りになっていた。
「トイレの中入ってたら急にドアをドンドンドンって叩かれたの! そしたらドアがバーンって開いて変な形ののっぺらぼうみたいなヤバいのが『ボワアアア』って言いながら襲ってきたから消し炭にしちゃったよどうしよう!?」
「感想がバカっぽいぞ緋彗」
「怖かったんだからしょうがないじゃん! 個室なんだから尚更!」
「立ちションでも怖いわそんなの」
そりゃトイレだから、と織衣は思う。どうやら図書室に籠もる敵だけではなく、他にも学校内に潜んでいたらしい。
「俺達帰れっかな。遺書でも書くか?」
「だいじょーぶだって、千代ちゃん先輩達が来てくれるでしょ」
だが今は出灰の周辺でも協会が暴れている。いくら千代達とはいえすぐには学校まで来れないはずだ。それまでは織衣達がここを死守し、穂高と昴を見つけなければならない。
「穂高君達が生きていることを祈るしかない」
「あいつがそう簡単に死ぬかよ」
「確かに」
「……同感」
織衣達が想定していた、最も最悪の事態。それは和光事件に似た、いやそれ以上の凄惨な事件に発展することだ。
和光事件の当事者である穂高はあまり事件について語りたがらないが、大まかな流れは渡瀬や副メイドから織衣達も聞いている。和光事件では一万人もの人々を操った能力者がいるらしいが、もしその能力者がこの場所に現れ、織衣達を穂高と同じような状況下に置いたら──そんな未来を予想して、織衣は首をブンブンと横に振った。
これ以上、穂高が苦しむ姿を見たくない。




