3-13『落城寸前』
朝、いつも通りの時間に起きて制服に着替え、トーストを食べて歯を磨き、家を出て最寄り駅まで歩いて電車に乗り、池袋で降りて出灰へ向かう。朝のHRが始まると委員長の島原新が出席を取り、あだ名が委員長の吾妻汐里が日直というコンビだった。大して面白くもない授業を受けているとあっという間に昼になった。
昼、グラウンド近くのベンチに腰掛けてパンを食べていると、通りがかった新に声をかけられ一緒に昼食を食べる。昴が殺人現場を目撃したという噂は広まっているため、励ましにでも来てくれたのだろう。昴の目には新以外に、遠くで口論している穂高と織衣の姿も映っていた。
中庭の掃除を終えて午後の授業も終わると、HRの終わりは新に締められる。図書委員の仕事で津島和歌と当番を勤めた昴は、いつも自習室にいる汐里の訪問に驚いていた。
委員会の仕事が終わると、朝とは逆方向に通学路を進むだけだった。
久々に何気ない一日を過ごせたと昴は思った。だが昴の学校生活は色濃いものだ。それが青春らしい、友人達との楽しい日々だったら文句はない。現実は常に死と隣合わせにあるような命がけの日々だった。
昴の日常には再び穂高が加わったが、光輝は消えてしまった。光輝の行方はツクヨミも掴めていないようで、昴も連絡が取れていない。学校では体調不良による欠席となっていて、汐里がやけに心配していた。
そんな日々が三日程続いた後、現実を忘れかけていた昴に再び絶望を味合わせるように事件は起きた。副メイドに呼ばれた昴は、千代に送られてツクヨミの支部らしい秋葉原のビルに再び足を運んでいた。
「これは、お前か穂高に対する警告だろう」
今朝、頭部を失った男女の死体を教頭が出灰の体育館で発見した。すぐに警察が捜査に入り、学校は臨時休校となった。死亡していた二人は、昴とは全く面識のない、出灰とも関係のない成人した男女だった。
「……僕の、せいで」
昴は体を震わせていた。改めて自分の命が狙われているのかもしれないと実感する。ツクヨミの護衛がいるとはいえ、自分のせいでさらに被害が出るのかもしれないと昴は思い詰めていた。
「お前が気に病むことじゃない。これは、お前もこうなるぞという脅迫の意味だろう。俺も現場を見てきたが、あれは能力者の仕業だろう。
問題は、事件が学校の中で発生したことだ。お前の命を狙う連中が学校内に潜んでいる可能性が高い」
少なくとも穂高達は出灰に通っているが、昴とは別のクラスだ。昴のクラスにツクヨミのメンバーらしき人物はいないし、見た目じゃわからない。
「最近になって、自分に近づいてきた人間に心当たりはないか?」
「それこそ穂高君達ぐらいです」
「そんなものだろうな。あまり学校生活で気を張っていてもしょうがないが、少なくとも元能力者狩りがあの学校にいることは協会にバレているんだろう。俺達は任務以外で身分の偽装なんてしないし、コードネームもあまり使わないからな」
「どうしてなんですか?」
「あの連中が出てくる前までは、使う必要が無かったからだ」
しかし穂高の顔が協会に割れてしまっている以上、どちらにしろ居場所を知られるのは時間の問題だったはずだ。協会が存在する限り安心して学校生活を送れない穂高も可哀想だと昴は思った。
「ただ、どうして協会がこんなに回りくどい手段をとっているのかは謎だ。学校内に足がつくのを嫌がっているとすれば、教師や生徒の中に潜んでいる可能性も高い。全員調べようにも調べるのに時間がかかる。
常に誰かに見晴らせるようにはしておくから、余計な心配はするな」
「……はい」
帰りは副メイドが運転するセダンに送られ、家に帰り着くと昴は家の窓のカーテンを全て閉めた。戸締まりがされているかもしっかり確認した。
外から聞こえるバイクのエンジン音が気になってカーテンを少しだけ開いて外を覗くと、側の道路をバイクが走っているのが見えた。バイクを運転している千代の姿を確認し、昴はホッと安心してカーテンを閉めた。
出灰での事件は、若いカップルの無理心中という風に片付けられたことを昴はニュースで知る。こうして真実を隠して、ツクヨミは陰で生き続けてきたのだろうと昴は思っていた。
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意外なことに、氷の女王こと姫野織衣が昴に接触してきたのは翌日のことだった。
織衣が氷の女王と呼ばれるのはクールな雰囲気を醸し出して男子生徒には冷たく接するからだが、それがツクヨミの一員であるからと考えれば少し納得できていた。あまり目立たないようにしているのだろう、その容姿はかなり目立つ方だが。
織衣は見た目は良いが男子に対する人当たりは悪い、というのが専らな噂だ。しかし前に穂高と二人で話しているのを見た限り、その姿は偽りなのかもしれないと昴は考えていた。
「木取君」
放課後、人気のない購買の外の自販機前で、カフェオレを飲みながら織衣は言った。昴はその横で紅茶のペットボトルを持って壁にもたれかかっていた。
「あの人と一緒にいて楽しかった?」
どういう意図を持った質問なのか昴にはわからなかった。余程穂高のことを変な人間だと思っているのかもしれない。
「それ、僕も姫野さんに対して思うよ?」
「私は、珍しい動物の生態を観察してる気分」
まさかの仲間を珍獣呼ばわりだ。昴も思わず苦笑いを浮かべる。
「それって楽しいの?」
「おかげで忙しない毎日を送れるから」
「……楽しいの?」
「私は楽しくない」
心底面倒臭そうに織衣は言う。彼らはツクヨミの寮で共同生活を送っているようだが、能力者としての彼らの姿も昴は気になっていた。
織衣はカフェオレを飲み干すと紙パックをゴミ箱にポイッと捨てて口を開く。
「だからこそ、私は木取君に聞きたいの。昔のあの人がどんな人間だったのか」
「本人から聞かないの?」
「怖いから」
つまり織衣は、穂高自身に穂高の過去を聞くことは悪いと気づいているはずだ。穂高本人も織衣達に話していないのだろう、ならば昴も話したくはなかったが、それはそれで織衣から逃げられそうにもないため、支障のない程度に話すことにした。
「一言で言えば、明朗快活なサッカー少年って感じかな。小学生から高校生になっても変わらないって人はあまりいないと思うけど」
「明朗快活って言葉、穂高君からはとっても遠い場所にあると思う」
「うーん、昔は友達も多かったし人懐っこかったと思うよ。昔は今ほどドライじゃなかったし。でも、雰囲気はあまり変わんないじゃないかな」
普段の学校生活において、穂高は斬治郎とぐらいしか関わっていないように見えた。勿論他の生徒達と話しているのも見かけるが、やはりツクヨミの方針上、そこまで親睦を深める気は無いようだ。
「じゃあ、木取君は海風汀って人は知ってる?」
「うみかぜ、なぎさ……? いや、聞いたことないよ」
「多分、穂高君の知り合いのはずなんだけど」
「じゃあ東京に来てからの友達なんじゃないかな。もしその人が穂高君の彼女とかだったら気をつけた方がいいよ」
「どうして?」
「だって穂高君、女運がすごく悪かったんだもん。穂高君を好きになる人って大概ろくでもない人ばっかりだったよ」
織衣が隣で頭を抱えて深刻そうな表情をしていることに昴は気づいてギョッとする。それ程参った様子なのは織衣も多少は穂高に気があるのか、だとすれば悪いことをしてしまったと思う。織衣はそんな変な人間には見えない……いや、一年中首にマフラーを巻いているのは変な人間か。もしくは、そういう人物に心当たりがあるのかもしれない。
まだ小学生だった頃の穂高はサッカーをしている姿がかっこよかったからか、それなりにモテる方の人間だった。しかし彼に寄っていく女は大体どこか頭のネジが吹き飛んでいた。昴は彼から多くの悩みを聞かされたが、一番昴が参ったのは担任の女教師が自分の靴を舐めている姿を目撃したという話を聞かされた時だった。おかげでそれ以来穂高は女教師を怖がっていたし、自分に近づいてきた女子をまず昴に調査させるという回りくどいことまでするようになっていた。
しかし今の穂高が織衣と仲良くやっているのを見ると、今は案外気にしていないのかもしれない。そのトラウマを克服していることを昴は願った。
落ち込んでいた織衣はやっと顔を上げ、自分の頬を両手でパンパンと叩いていた。また昴から穂高の思い出を聞く覚悟が出来たらしい。
「その女運の悪さって、あの人の妹も当てはまる?」
「あぁ椛ちゃんのこと? いや、あの子は普通に良い子だったよ。ピアノがホントに上手くて、何より元気で可愛かったからね。穂高君とはあまり仲が良くなさそうだったけど」
「そうなの?」
「最近はどうだったのか知らないけど、喧嘩ばかりしてたよ。あの二人、お互いに重度の頑固者だから。まぁ、喧嘩する程仲が良いって言ったりするし、兄妹ってあんなものかもしれないけど」
似た者同士と言えばそうなのだろう、同族嫌悪と言うのかもしれない。そういえば椛の男運も悪かったなと昴は思い出す。椛に近づく男子は全員穂高が追い払っていた、「僕にサッカーで勝ったら認めてやる」と無茶苦茶なことを言って。
「その鷹取椛って子が殺されたことは知ってる?」
「うん……最近になって知ったよ」
思い出すだけでも昴でさえ怒りがこみ上げてくる。しかし、椛を殺害したのはあの恐ろしきマフィア、十字会だという。昴一人で戦える相手ではない。最近は彼らも日本で勢力を伸ばしているというのだから恐ろしい。
「和光事件も知ってるのよね?」
「副メイドさんから聞いたよ」
「じゃあ、あの人が本当に一万人もの人を殺したと思う?」
昴は思わず織衣の方を向いた。昴には何が何だかわからず、黙ったまま織衣の目を見ていた。その真剣な眼差しに押し負けそうになる。
「……それは、どういうこと?」
「あぁ、知らないのね。和光事件で、あの人は色んな人を殺したの。皆が敵に操られて、あの人に襲いかかって……仕方なく、ね」
「そんな……そんなこと、信じられないよ」
「でも、痕跡からしてあの人が手をかけたことは確実なの」
昴にはショックが大きいだろうと判断して、副メイドはあえてこのことを昴に伝えなかったのだろう。知っているのと知っていないのとでは、穂高に対する見方が大きく変わってしまう。
「仮に革新協会だけに限っても、あの人は三ヶ月間で数百人も能力者を始末してる。そこら辺の殺人鬼と比べても桁違い」
昴には織衣の話は信じ難いものだった。いや、都市伝説で語られていた能力者狩りの本来の姿だと考えれば、あり得なくもない。あり得なくもないのが能力者狩りなのだ。
「あ、あの人は何も無差別に殺してたわけじゃなくて……皆、敵に操られちゃってたんだから……今の穂高君を見ても信じられないし」
織衣の言葉の歯切れが悪くなる。何も昴は穂高を嫌っているわけではない。何よりも気になるのは、怒りがこみ上げてくるのは、そう穂高に仕向けてきた敵の方だ。
「どうして、穂高君にそんなことを?」
「協会も自分達の仲間を穂高君に惨殺されてる。その弔い合戦だって……私の先輩は言ってた」
だとしてもその追い詰め方は残酷だ。きっと彼らは穂高が自分達のように苦しむ姿を見たかったのだろう。それを因果応報という言葉で片付けるのは難しい。
穂高の行いは、決して良しとされることではない。それは良しとされてはいけないのだ。巷に広がっていた噂の中で能力者狩りが必ずしもヒーロー扱いされなかったのはそういう側面もあったからだ。
だが、それを革新協会が諫めるのは絶対に間違っている。
「副メイドさんが木取君にツクヨミのことを説明したのは、ここで第二の和光事件が起きる可能性があるからだと思う。協会はここに穂高君がいることを知ってるから」
「対抗策はないの?」
「この学校に手を出しても無駄だってことを向こうに知らしめる、って副メイドさん達は言ってた」
この学校を襲撃するメリットよりデメリットの方が大きければ、わざわざリスクを犯す必要はない。そんな理論らしい。しかし革新協会というテロ組織がそんな損得勘定で動いているとは昴には思えなかった。
「でももう、協会は警告してきてる。いや、多分予告」
「予告?」
「準備が整い次第、木取君は殺されるんじゃない?」
サラッとなんてことを言うんだと昴は思った。
しかし、信じたくはないが昴もわかっていることだ。刻一刻と、その時は近づいている。
「でも、そんなことはさせない」
ふと聞こえた男子の声に驚いて、昴と織衣は声がした方を向いた。そこには、鷹取穂高が自販機にもたれかかりながら紙パックの牛乳を飲んでいた。いつからそこにいたのかわからない、その場所に来ていたなら見えていたはずなのに、全然気づくことが出来なかった。
「ダメだよ姫野さん、一般人を脅しちゃ」
「現実を思い知らせてあげただけ」
「へぇ、じゃあさらに残酷な現実を教えてあげるよ。さっき体育倉庫で人の死体を見つけた」
その残酷な現実に動揺を隠せない昴に対し、隣に立つ織衣は特に反応を示さなかった。学校の中で人が死んでいるというのはかなり異常な事態のはずなのに。
「本当に? 何も騒ぎは起きてないけど?」
相変わらずクールな女子を装う織衣は冷静に穂高に聞いていた。まだ昴はアワアワと自分の身の危険を感じて怯えているだけだ。
ガタガタと体を震わせる昴に対し、穂高はそれを面白がっているのか安心させたいのか、微笑みながら言った。
「すぐに副メイドさんが処理してくれたよ。ちなみに殺されていたのは司書の糸井先生、木取君はよく知ってるんじゃない?」
「……図書委員の仕事をしている時によく会ってるよ」
「そういうことだよ。敵は着々と君のことを追い詰めてきてる」
協会は外堀を埋めに来た。いや、もう本丸寸前だ。
「糸井先生はまだ戦える方の人だったよ。でも負けたってことは、それなりに強い人間がいるんだろうね、この学校の中に」
校内で二度も起きた殺人事件。そして自分の迫る生命の危機に昴は頭を抱える。
「どうして、どうしてこんなことを……」
殺されているのは、昴と革新協会との諍いには無関係の人間ばかりだ。彼らはことごとく無実の人々を襲い、昴を精神的に追い詰めて苦しめている。これが奴らのやり方なのか、あまりにも惨い。
「奴らは楽しいんだよ。追い詰められた人間の顔を見てるのが」
穂高は儚げにそう呟いていた。




