3-9『昴の勇気』
体育祭の翌日は振替休日だった。翌日の火曜日は勿論学校だが、昴は欠席していた。
昔は病弱だったが今の昴は割と健康で、高校に入ってからはまだ体調を崩して休んだことはなかった。ズル休みをしたかったというわけではないが、昴が学校に連絡を入れると担任も事情を察したのか理由については深く触れてこなかった。
昴の頭からは、まだあの凄惨な光景が離れない。おそらく学校でも噂になっていることだろう。二学期に入ってから、いや鷹取穂高が転校してきてから、昴の世界はあまりにも目まぐるしく急変していった。
どうやって気を紛らわそうか、延々とアイスココアをスプーンでかき混ぜながら昴は自分の部屋で考え込んでいた。何となく数学のテキストを開いたが、今はそんな問題を解けるほど集中できる状態ではない。テレビを見ても例のテロ組織に関するニュースが流れていたためすぐに切った。気分が沈んだ時は散歩に出かけることもあったが、今は一人で外を出歩く気にはなれなかった。
昴は机の上に置かれた二つの写真立てを手に取った。一方は鷹取穂高と鷹取椛らと写った写真。これは小学四年の時に穂高が所属していたサッカークラブが全国大会で優勝した時に撮ったものだ。もう一方は十川光輝と写った写真。これは中学二年の時に京都へ修学旅行へ行った時に金閣寺で撮ったものだった。
今、この二人はお互いを敵にして戦っているのだろう。そのどちらかを選ぶことが昴には出来なかった。どんな過去があろうとも、二人共見捨てることなんて出来ない。忘れられるのなら忘れてしまいたい、穂高なんて過去の人間で良かったはずだ。向こうが覚えていないのなら諦めてしまった方が良かった。十川光輝も悪事に手を染めた、彼は自分を暴行した少年グループと血の繋がった両親を惨殺した。それは、姉を失ったショックからだと説明できて良いはずがない。
だが穂高も光輝も昴にとっては大切な友達だった。昴は写真立てを抱きしめながら、溢れる涙を止められなかった。
誰かに相談するべきか。教師にカウンセラーも勧められたが、今の昴を取り巻く状況を話すわけにもいかない。
結局昴は事件現場で気絶した後、鯖折りの本郷に救急車を呼ばれて病院で目覚めたが、警察からは特に何も聞かれなかった。それは穂高かもしくは、栗原達を殺したかもしれない光輝が事を隠したからかもしれない。いや、本当に光輝が殺したのか。昴自身が得られる情報だとどうしても光輝が犯人のように思えたが、もしかしたら穂高達がそう見せるために偽装している可能性もある。
いいや、こんなことを一人で悩んでいてもしょうがないと昴は携帯を取り出した。再び、彼女に電話をかける。
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昴の家の最寄り駅、多くのバスが発着するロータリーで昴は彼女を待っていた。すると、燃え上がる炎のような柄の赤い革ジャンを着た彼女は、真っ赤なビッグスクーターに乗って颯爽と登場した。厳つい見た目の割には意外と音が大人しめだ。
昴の目の前でバイクを止め、彼女はバイクに跨ったままフルフェイスヘルメットを取る。赤に染められた髪がフワッと風になびく。
「年上の女を呼び出すなんて、結構度胸あんのね」
藤綱千代はニッと微笑んで、からかうように昴に言う。彼女は昴より背が低いはずなのに、どうしてかその姿はとても大きく見える。その何も恐れないような堂々とした佇まいと表情によるものか。
「えっと、平日に急に呼び出してすみません……」
「良いのよ別に。んで、アタシに何か用?」
缶ジュースを取り出して千代は飲み始めた。昴は電話で詳しい要件を伝えていない、というよりも伝えようとする前に「とりあえず行くわ」と最寄り駅だけ聞かれて電話を切られたのだ。
「その、何というか」
いざ千代を目の前にすると、どう言い出せばいいのかと昴は悩んでしまう。頼れる人は千代ぐらいしかいない、『能力者』という存在についても彼女は無関係ではないはずだった。だがそれを人通りの多い場所で話すのは危険だと判断した。しかしどこか個室があるような店に誘えるような勇気は昴にない。
オドオドして中々話し出さない昴には、千代は別のフルフェイスヘルメットを取り出して、それを突然昴に投げ渡した。お手玉をしながら昴は何とかヘルメットを受け取った。
「えっと、これは……?」
「アタシ、難しい話されてもあまり理解できないから。どっか行きたいとこある?」
「いや、特には」
「そ。じゃあとりあえず乗りな」
「え、このバイクにですか?」
ビッグスクーターの後ろを千代がポンポンと叩く。
「大丈夫よ、アタシはこう見えても運転は荒い方じゃないから。高校の時からずっとバイク乗ってるし。ほら、さっさと乗りな」
言われるがまま昴は千代の後ろに乗った。バイクに乗るのは初めてだ、ライダー用のグローブも渡されてグラブバーなどのレクチャーを受けてバーをしっかりと掴む。
これがタンデムという奴か、しかも相手は女性だ。傍から見ればカップルみたいだと昴はドキドキしていたが、千代はそれを何とも思っていないようでバイクのエンジンをかけ、バイクは走り出した。
環八通りから新青梅街道へ、高速道路を避けて一般道でバイクは西へと進んでいた。確かに千代の運転は意外と大人しいもので、昴は初めてバイクに乗ったが安心して後ろから周囲の景色を見渡していた。
こうやってバイクを乗り回すのも悪くはないな、と昴は考える。電車やバスの車掌から眺める景色とはまた違うものだ。どちらかといえば昴はインドア派だったが、実際に体験してみると中々に爽快感があって良いものだと思えた。
前でバイクを運転している千代も機嫌が良いのか、時折鼻歌が耳に入った。こんな近距離に異性を乗っけることに何も抵抗はないらしい。そもそもそういう類として見られていないのだろう。
藤綱千代。伝説の変人集団、苦離紅茶狩惨堕荒騎士連合の元リーダー。公式HPなんてあるはずもないが、その数多に渡る武勇伝のような噂はネット上でもちらほらと見かけられた。その実態は謎に包まれているが、たった一年で全国の暴走族を服従させた、もしくは壊滅させたのはどうやら本当らしい。集まっているのはあんなに変な連中なのに。
確かな情報ではないが、そんな組織のトップである千代なら信用に足る人間に違いない。あんなに大勢の個性的な集団を統率するだけの求心力もある。千代なら何か解決してくれるかもしれないと昴は頼ったのだ。
一般道を走って一時間ほど、途中でコンビニに寄って飲み物を買いつつバイクは東京と埼玉の境界線を越えた。都会の喧騒から離れた森の中に入ると、木々が生い茂る湖畔の公園の駐車場で停車した。
昴は千代と共にバイクを降りると、千代についていって公園の遊歩道へと向かった。
テレビや雑誌でも見たことのある湖だが、昴は実際にこうして足を運んだことはなかった。木々をさざめかせる風、その風紋を乱すように鳥の群れが湖上を進んでいた。公園には家族連れやペットの散歩をしている人も多く、のどかな光景が広がっていた。
「ここにはよく来られるんですか?」
昴は千代の隣を歩こうとしたが、気恥ずかしくなって少しだけ後ろを歩いていた。
「私は色んなとこに行くわよ。関東の名所なら学生時代に制覇したようなもんだし。
で、どんな話を聞かせてくれるわけ?」
元々は千代に相談しようとして呼び出したわけだが、ツーリングの途中でどうやって話をしようか昴は全く考えていなかった。それ程にバイクでの短い旅は心地よいものだった。
「あの、何かすいません……」
歩き始めて早々に何故か謝った昴に、千代は呆れ顔だった。
「わざわざ謝るためにアタシを呼んだの?」
「いや、まさかこんなところに連れてきてくれるとは思ってなくて」
「別に良いのよそんなこと。アタシはバイクに乗ってる時間が好きなだけだから」
やはり千代は相談相手として信頼できる、と昴は思った。昴は千代が連合の元リーダーということ以外、今は大学生なのか社会人なのかも知らないが、その性格は親しみやすかった。
「何か相談事でもあるんでしょ。神社での件?」
「は、はい。実は……」
昴は千代と遊歩道を歩きながら、体育祭の後に起きた事件だけでなく、十川光輝や鷹取穂高について、そして昴が推理できている範囲で『能力者』という存在について説明していた。かつて親友だった鷹取穂高と五年ぶりに再会したこと、しかし昴のことを覚えていないこと、彼が不思議な特殊能力を持っているかもしれないということ。親しかった十川光輝が不良グループに絡まれていたこと、彼は例のテロ組織に所属する能力者かもしれないこと、自分の両親や不良グループを殺害したかもしれないこと。そして、昴の親友だった二人がお互いに敵として戦っているということ。
昴の話は公園を何周もするほど長くなってしまったが、千代は昴の話に相槌を打ちながらずっと聞いていて、昴の話が終わると立ち止まり、湖畔の柵にもたれかかって口を開いた。
「アンタはどうして、ソイツらのことを警察に突き出さなかったの?」
それぞれの現場の第一発見者である(ということにさせられている)昴は何かと疑いの目を向けられることもあるが、そもそも先に現場にいた光輝や穂高について話せば簡単な話だった。しかしまだ、昴はそれを誰にも明かしていなかった。
「信じたくなかったんです」
それが全てだった。全てが嘘ならどれだけ楽なことか。しかし千代は続ける。
「ソイツらを放っとけば、さらに犠牲者が増えるかもしれないのよ?」
選択を強いられた。自分の親友二人か、見知らぬ多くの人々の命か。
昴は多くの人のためになることが善であると考えていた。しかし今の昴の行動はそれと逆行している。光輝は両親と栗原達不良グループ全員を殺害したと思われる。次は誰がターゲットになるのか、まだ事件は終わりそうにない。
昴は拳を握りしめながら口を開いた。
「あの二人が、そんなことをするわけ──」
しかし、昴の言葉は千代に遮られた。
「アンタの知っている二人と、今の二人が全く一緒だと思うわけ?」
昴は千代の言葉に言い返すことが出来なかった。千代の言葉に反論できなかったこと、それに反論できる程二人のことを知ることが出来なかった自分を情けなく思った。
十川光輝は六月末の和光事件で姉を失った。それから確実に異変が起きていた。大丈夫だという光輝に昴は深入りすることが出来ないまま、光輝は昴が知らないところへ行ってしまった。
鷹取穂高は未曾有の事件に巻き込まれ妹も殺された。彼の身に何が起きたかを詳しく知ることなんて出来ない、昴のことを知らない本人に聞くわけにもいかないからだ。
二人共、昴の知らない所で大切なものを失い、大きな変化を、難しい選択を強いられた。その変化をまだ、昴は受け入れきれていない。
千代は昴の両肩をがっしりと掴んで目を合わせた。千代の瞳は、今まで見てきた誰のものよりも力強かった。
「アンタは、今の親友と昔の親友の、そのどちらかを選ぶことが出来る?」
昴は答えられなかった。ただただ、千代の真っ直ぐな瞳に体を震わせるだけだった。そんな昴を見て千代は溜息を吐いて、昴の肩から手を離した。
「二人のことはもう忘れることね。常人が抱えるには、事が大きすぎるのよ」
「でも」
「デモでもストライキでもないのよ。実際にアンタの頭はパンクしてるでしょ? これはアンタが首を突っ込める問題じゃないんだから、少し冷静に──」
「僕は!」
今度は昴が千代の両肩を掴んだ。
「二人のことが、大切なんです」
そう語る昴に、千代は目を丸くして驚いているようだった。昴は慌てて千代から手を離した。自分の行動に昴でさえ驚いていた。
千代は先程買った清涼飲料水のペットボトルの蓋を開けながら、再び溜息を吐いていた。
「後悔するんじゃないわよ。アンタは、呪われた世界に足を踏み入れようとしてるんだから」
千代は一気に清涼飲料水を飲み干していた。結構前に買ったはずなのに、何故かそのペットボトルが少しだけ凍りついているように見えた。
「千代さんは、どこまで知っているんですか?」
呪われた世界、という表現は昴も納得がいった。能力者という存在を知ってしまった以上、昴はもうそこから逃げ出すことが出来ない。昴だって、最初から首を突っ込もうとしていたわけでもなかった。偶然、自分の親友二人が当事者として関わっていただけなのだ。しかも敵同士として。
「うんにゃ、アタシは所詮ガヤの人間よ。難しいこと考えるの大っ嫌いだから」
まだ夏を忘れられない日差しが容赦なく照りつける中、千代の視線は駐車場の方から歩いてきた若い男女三人組の方にあった。昴もつられてつい彼らの方を見たが、三人組がそれぞれ持っていた鞄に手をかけた時、千代の目が変わる。
「下がりな!」
昴は千代に蹴飛ばされて地面に尻もちをついてしまう。突然蹴飛ばされたことに驚きつつ昴が見上げると、昴達に近づいてきた三人組は鞄から拳銃を取り出していた。しかし千代はそれよりも早く黒い手袋を、青い宝石の装飾が施された手袋を右手にはめていた。
「確かこんな感じだったはず!」
千代は凍りついた空のペットボトルを三人組に向けて思いっきりぶん投げた。それが三人組の真ん中に着弾した途端、彼らは拳銃を構える前に一瞬で氷漬けにされてしまう。千代は右手で鉄砲の形を作ると三人組に向けた。
「弾けな」
指で鉄砲をバーンと撃つふりをしただけで、凍らされた三人組は粉々に弾け散っていた。地面に転がったのは氷の破片だけで、日差しに照らされて一瞬で溶けてしまっていた。
「千代、さん……?」
何が起きたのか、昴が理解するのにそう時間はかからなかった。あの三人組は昴達を拳銃で狙っていた。千代が撃退してくれたが、突然あの三人を氷漬けにして粉砕してしまった。昴の目の前で、明らかに常人離れした技を使ったのだ。
千代は昴の方を向く。彼女の右目には青い光が灯されている。
そう、千代も能力者だった。
「今すぐこっから逃げるわよ。アンタ、命狙われてるんじゃない?」
「ぼ、僕が!? 一体どうして」
「知らないわよ。ほら、早く立ちな」
千代は昴に考える暇も与えずに手を引っ張り上げて立ち上がらせた。昴は混乱しながらも千代と共に遊歩道を走ってバイクが停められていた駐車場へと向かう。千代は走りながら携帯を取り出し、誰かに電話をかけているようだった。
「あぁ副メイドさん? 今すぐ圏央道か関越道止められる? 例の件でちょっと暴れるかもしんない」
そのまま駐車場に着くと、昴は千代からすぐにヘルメットとグローブを貰ってバイクに跨った。
「しっかり掴まりな」
千代は後ろに乗る昴の腕を自分の腰へと回させた。それに思わず昴は驚いて手を離そうとしたが、千代に力付くで押さえつけさせられた。
「いや、そんなこと」
「じゃないと振り落とすから」
「え、えぇ?」
昴は両手で千代の腰をしっかりと掴んだ。思いの外千代の体は小さく感じたが、その背中から感じる頼もしさは段違いだった。
バイクは猛スピードで走り出し、森の中を駆け抜ける。その運転の荒々しさは、往路とは別人のようだった。




