二人の能力者
「痛い?」
「いや、痛いけど?」
汀に背中の銃槍を包帯で縛られながら穂高は答えた。おそらく殆どの日本人が生涯に一度も味わうことが無いであろう銃撃を受けた穂高に汀は心配そうに手当てをしてくれているが、包帯を縛る力に容赦がなさ過ぎる。
「あ、動かないで汀ちゃん」
「ごめんごめん」
「いっだぁ!? 包帯を引っ張るなぁ!」
そんな汀の額や頬に消毒液をつけ、ガーゼや絆創膏をペタペタと椛が貼り付ける。穂高達三人は血生臭い食堂の店内から移動し、鷹取家のリビングで傷の応急処置をしていた。停電しているのか電気が点かないため、非常用のランプで部屋を照らしながら、救急箱に入っていた応急処置のためのパンフレットを見ていたが、やはり銃弾が体内に残っている場合の対処法は載っていないようだ。
「ねぇ、その目と体はどうしたの? その光って何?」
力強く包帯を縛りながら汀が聞く。穂高は水分を補給して一息つこうとするも、喉に何か通る度に左肩に激痛が走るため堪ったものじゃない。
「さぁ、僕も全然わからないよ」
応急処置を終えて上着を羽織りながら答える穂高の体には、白い光が纏わりついていた。鏡で確認すると穂高の右目には赤い光が灯っていて、確かに右目の視界が仄かに赤く染まって見える。体中に力がみなぎるような感覚はあるが、同時に頭痛もある。しかし他に何か違和感があるわけでもなく、自分の体に何が起きているのか、穂高自身もさっぱりわからないのだ。
「でもお兄ちゃん、ビーム出してたでしょ?」
「ビーム?」
「そう。穂高君の手からいきなりビームみたいなのが出て、そしたらあの人の胸に当たって……」
確かに穂高はあの男を倒してしまった。敵とはいえ命を奪ってしまった。その自覚がなかっただけに、穂高は自分が恐ろしくなった。彼女らが言うようにもう一度ビームを出そうとしても、どうやってビームを出せばいいかわからない。
「これは僕にもわからないよ。もしかしたら夢でも見たんじゃないの?」
穂高は夢を見ていた感覚だったが、その夢の内容も気味が悪いため二人に話さずにいた。
「じゃあ、アイツはどうやって倒したの?」
「え? 汀がバキッとやってボコったんじゃないの?」
「それが出来たら苦労しなかったわよ」
穂高は自分の右手を見た。この体に纏わりつく光は何なのか。この世界でそんな話を聞いたことがないゆえに、突然何かの力を授かっていたとしても未だに半信半疑だし、夢だとしか思えない。夢なら早く覚めて欲しいとも思う。
「その腕輪……そんなのつけてたっけ?」
穂高の右腕には黒い腕輪がついていた。おそらく穂高が不思議な力を手に入れたと同時に装着されたものだ。金属製らしい黒い腕輪には輝く透明な、水晶のような宝石がついていた。腕輪の装飾は何かの紋様を表しているようだったが何とも歪で、呪われているのかと思ってしまうほど不気味な形に思えた。
「もしかしたら、これがビームを出したのかな。外した方が良い?」
「いや、お兄ちゃんにそれがあったから助かったかもしれないじゃん? 外しちゃダメだと思うよ」
「そうよ、また変な奴に出会ったら穂高君がビーム出したら良いんだから」
「僕が一番怪我してるのに……」
幸いにも汀の怪我は軽く、椛に怪我はなかったが、かなり憔悴している様子だった。無理もない、その理由は穂高も一緒だ。
「なら、もう少し休む? 流石に無理をし過ぎるのは良くないって」
「いや、僕は大丈夫だよ。椛は?」
「私も大丈夫……だと、思う」
椛の返答はとても大丈夫そうに思えなかった。彼女の心中を察して、場の空気が一段と重くなった。
穂高達が食堂で見たものは劇物だった。見るには準備がいる、いや準備をしていたとしても常人には耐え難い光景だった。穂高も未だに現実を受け入れられたわけではない。こんな悲劇を受け入れろだなんて無理がある。それも、あんな無惨な姿を、酷い死に様を突きつけられるだなんて。
それだけに穂高が抱いた怒りと憎悪は、表面上は落ち着いているように見えても、とても大きなものだった。
「大丈夫だよ、椛。僕が、いるから」
光を纏った右手で、穂高は椛の背中を擦った。何も大丈夫なわけがない。自分の体に起きている異常、いや、この世界に起きている異常は一体いつ正常に戻るのだろうか。どこかのタイミングで、いや今すぐにでもハッとベッドの上で飛び起きて、あぁ、夢で良かったと心の底からホッとしたい。
そんなことを、穂高は夢に思い描いていた。
「ここから逃げるにしても、外は危なすぎると思うわ。だけど、今すぐ東京から逃げろって言ってるみたい」
穂高達は今東京で何が起きているかラジオで確認しようとしたが、どの周波数に合わせても何も聞こえないか、聞こえても途切れ途切れの音声が聞こえるだけだった。スマホの通知も確認するがどこも情報が錯綜しているようで、ニュース速報も三十分程前の四時四十分頃に、福岡市内に旅客機が突入したという通知を最後に途絶えてしまっていた。
だが、穂高達が今いる東京という街が、謎の組織による攻撃を受けているのは確かなようだった。それも、常識では考えられないような、不思議な力を操る白い連中によって。
「とにかく、朝霞の方に逃げてみる? ここも安全地帯とは思えないし」
「もしかしたら、私の父さんと会えるかもしれない。多分、民間人の避難誘導とかしてると思うし」
「よし、早く逃げよう。こんなところ、もうたくさんだ」
一刻も早く、この現実から逃げ出したかった。早く安心できる場所へ逃れたかった。
生を捨てればすぐに逃げ出せるだろう。だが穂高には椛がいる。こんなにも不幸を味わったのなら、こんな不幸を忘れるぐらい、また椛を幸せにするしかない。穂高はその一心で体中の痛みに耐えながら、外へ駆け出した。
この世界が非常に危険な状態であることを知らせるサイレンは、未だに街中に鳴り響いていた。さらに様々な緊急車両のサイレン、上空を飛び交うヘリやジェット機、そして大きな爆発音が滞りなく穂高達の耳に入る。
周辺はゴーストタウンかのように人気がなくなっていた。既に逃げ出したのか、もしかしたらもう奴らに殺されてしまったのかもしれない。最早ただの事件、テロという言葉の範疇にある光景ではない。
この場所は戦場だ。殺すか死ぬか、そんな選択を強いられる環境だ。
「北の方に逃げよう。朝霞に自衛隊の大きな基地もあるはずだし、途中で警察とか消防の人が助けてくれるかもしれない」
明かりが消えた街は不気味で、鳴り響くサイレンは街の鳴き声のようだった。放置された車の間を走り抜け、点々と転がる人の死体を避け、いつもは賑やかな公園の脇を通り過ぎても、誰一人として人を見かけない。
穂高達は逃げる以外の術を知らなかったはずだった。しかし今、穂高は不思議な力を手に入れた可能性がある。まるでそれが天啓かとも、神からの試練かとも言うように、穂高に再び試練が訪れた。
「また会ったな」
戦う──そんな選択肢もあるかもしれない。いや、その選択を強いられた。
聞き覚えのある声が、通りを走っていた穂高達の耳に入る。先程、食堂へ逃げる前に出くわした、体中に金属を貼り付けた男だ。やはり太陽の仮面と白いコートを身に着けて、穂高達の進路を阻むように佇んでいた。右目の部分には青い光が灯っていて、その体には金属製の部品や銃火器、鉄板などが大量に貼り付いている。
「私が……!」
「無茶だよ」
この変な男に立ち向かおうとした汀を、穂高は慌てて止めた。確かに汀は強いかもしれない。少なくとも穂高よりは武術というものを心得ている。だが果たして、この男は柔術で勝てる相手だろうか? この状況でこの白いコートを着た仮面の男を、体中に金属を貼り付けているだけのただの変人だと認識して良いものか。
もしかしたら、今の自分なら戦えるかもしれない。それは、備わった力を自在に使いこなせればの話だ。おそらく向こうの方が圧倒的に上手だろう。
「へぇ、お前は能力者だったのか?」
男のその発言に、穂高は首を傾げていた。
「能力者……?」
サイコキネシスだとかテレポートだろうか、そんなオカルティックな話だろうか。それこそ、目の前の男はオカルト好きなただの変人かもしれない。
だが、今の穂高には『能力者』という常軌を逸した存在が目の前に、いや自分自身にあった。大雑把に超能力者と解釈すれば、今の自分に何らかの超能力が備わったのかもしれないと理解できた。自分がその一人なのだと、穂高の体に起きている異常が、体に纏わりつく光が伝えているのだ。
「僕は、能力者……?」
そんな力が、この世界に存在するのか?
どうして今、その力を手に入れた?
それを深く考えることは出来なかった。ただ今は、この男、いやテロリストを相手にどう対処するかを考えなければならない。
だが困ったことに、穂高は自分に備わった力の使い方がわからない。
「今の話、わかる?」
汀の問いかけに、穂高は首を横に振った。椛もよくわからないという顔だ。数々の死体を目にしていなければ、この男のことを磁石男と呼んで笑うことが出来ただろうに。
「わからないのなら、お前達に見せてやろう!」
男の体から波動のようなものが放たれた瞬間、どこからか飛んできた鉄骨や鉄パイプが男の体に次々と貼り付いていく。
「じ、磁石……?」
「一体何なの?」
男が力を解放していく中、車のエンジン音が通りの向こうから急速に向かってくることに穂高は気がついた。それが一両の装甲車であると気づいたのは、その装甲車が磁石男に勢いよく追突し、そのまま近くの壁に突き飛ばした時だった。
「……え?」
身構えていた穂高は驚いて腑抜けた声を出してしまう。
「ひ、轢かれたの?」
予想外の展開に汀も椛も困惑しているようだった。
「捕らえろ!」
急停止した装甲車の中から、ぞろぞろと武装した自衛隊員達が降りてきて、突き飛ばされた磁石男の方へと向かう。その中の一人が、穂高達の元へ駆け寄ってきた。
「大丈夫ですか!?」
慌てた様子で若い隊員が穂高達に声をかけてきた。やっと見つけたまともそうな人間に、穂高達は安心して助けを求めた。
「あの、どこに逃げればいいですか」
「我々が朝霞基地まで運びます。朝霞は死守しているのでそこまで行けば──」
が、隊員の言葉を遮るように、バリン、ガキンと不快な金属音が辺りに響いた。音がした方を見ると、瓦礫の中からあの磁石男がゆっくりと立ち上がるのが見えた。
「伏せてください!」
突然穂高達は頭を押さえられて地面に伏せさせられた。撃て、という掛け声と共に銃声が響き、穂高は椛の体を庇うように抱きしめて目を瞑った。
が、銃撃音がすぐに消えると、穂高の体に生暖かい液体がかかった。恐る恐る目を開けると、穂高達を庇ったのか、目の前にいた隊員の頭にライフルが突き刺さっていた。大量の血を噴き出しながら、パタリと隊員は道路に倒れてしまう。
「無駄な足掻きだったな! ただの人間風情が敵うとでも思ったか!」
余裕そうに語る男の周りには、ついさっきまでは隊員だったであろう死体が転がっていた。男の体に貼り付いていた鉄板は鋭利な刃物のように変形していて、白かったコートも赤く染まっていた。
「どうして……!」
椛は自分の目を手で覆っていた。あまりにも目の前で人が死に過ぎた。そんな穂高達に向かって、大きな鉄骨が飛んできていた。
「来るなっ!」
そう叫んだ穂高は精一杯の力で、腕輪を装着している右手を突き出してビームを放ってみようとする。
が、ビームなんて非現実的なものが出るわけがない。どれだけ力を込めても、その力を使えない。
「無駄だぁ!」
穂高の目の前まで迫っていた鉄骨は急に軌道を変えて、穂高の頭を横から殴るように勢いよく衝突した。
「い゛っ……!」
「お兄ちゃん!」
頭を押さえて地面に倒れた穂高の元に椛が駆け寄る。頭部に強い衝撃を受けた穂高に、さらに鉄板が勢いよくぶつかろうとしていた。が、その隙に汀が磁石男との距離を詰めていた。
「喰らえぇ!」
汀はまず足技で磁石男の体勢を崩した。その男の腕を掴み、一瞬で間合いに入る。汀は一気にクルンッと己の体を回転させ、鮮やかな背負投を食らわせてみせた。
「すご……」
穂高の側にいた椛も思わずそう呟いていた。その光景を見ていた穂高も、柔術って実戦に役立つんだなと初めて知った。
だがしかし、その攻撃に効果はなかったらしい。
「この程度で、俺を倒せると思ったか?」
思いっきり地面に叩きつけられたものの、磁石男はすぐに体勢を戻して、自分の体に貼り付いていた鉄パイプを右手にとった。
一方の汀は、突然地面に倒れていた。磁石男に殴られたわけでも蹴られたわけでもないのに、まるで地面に引き寄せられたかのように。
「な、何これ……!?」
汀の体には、小さな金属片が貼り付き始めていた。それは、まるで汀という磁石に引き寄せられているようだった。
磁石人間。そんな人間が実際に存在するとは思えないが、今はそんな常識に気を取られている場合ではない。今目の前で起きている非常識と戦わないといけないのだ。
「さぁ苦しむと良い!」
高笑いしながら、男は鉄パイプで汀を殴ろうとする。そんな汀を、椛が再び身を挺して守ろうとしていた。身を投げだしたところで、椛には何も出来ないはずだ。そんなこと、椛自身もわかっているはずなのに──ただ穂高達は、もう誰も目の前で失いたくなかったのだ。
奇跡が、奇跡がまた起きてくれないかと必死に藻掻いても、穂高は何も出来なかった。頭部を鉄骨で殴られ朦朧とする穂高は、そのまま意識を失った。
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「お兄ちゃん、起きて」
今にも泣きそうな椛の声が、穂高の耳に入る。ぼやけた穂高の視界の中に、椛と、そして汀の姿が映っていた。
「穂高君、大丈夫?」
心配そうな声で汀は穂高に語りかける。段々と鮮明になっていく意識の中で、その光景に穂高は疑問を抱いていた。
何かがおかしい。いや、何もかもおかしいのだ。
「奴、は……?」
消えた磁石男。
「倒した」
汀の視線の先で、腹部を潰された磁石男が倒れていた。
「……え?」
「何だか、倒しちゃったの」
汀の体には、穂高とは対照的に黒く禍々しい、闇のような黒煙が纏わりついていた。
「私、何だかおかしくなっちゃったみたい」
この現実に戸惑う様子を見せながら、穂高に引きつった笑顔を見せる汀の右目にも、赤い光が灯されていた。