2-11『花が咲く病』
渡瀬がリーナを誘拐し、そして能力者狩りが東京湾に沈められた夜が明けたお昼過ぎ。渡瀬が食堂に入ると、右腕に包帯をグルグルに巻いた千代がブンブンとバットを振っているところだった。どうやらリハビリをしているらしい。何も室内でバットを振り回さなくてもいいだろうに。
「大分治ってきたみたいだね」
千代は戦うと右手を負傷することが多い。大体は千代が能力の力加減を考えないのが原因だ。
「はぁ? 首を持ってかれかけて死ぬかと思ったんだけど?」
怪我の心配をしてやってるのに、やはり千代はまだ不機嫌らしい。バットを振り回しているのもそのためか。
「それは大変だったね。で、どうだったんだい? 彼の能力をコピーしてみたんだろう?」
千代の能力は“本当の偽物”。相手の能力者からその力をコピーする『模倣』の創造系能力。ストックできる能力は三つまでで、使う度に能力を切り替えなければならない。
「あの能力、アタシのキャパでもちょっときつかったわ。戦いやすいっちゃ戦いやすいけどね」
千代はそう言いながら右腕に巻いていた包帯を剥がし始めた。彼女がよく右腕を持っていかれるのは、初めてコピーした能力を力加減せずに一気に放出しようとするためである。織衣の蜘蛛糸による治療技術も上がっているようで、もう完全に繋がっているぐらいには縫合できるようになったらしい。
「ちなみにどんな敵だったんだい?」
「向こうの副統帥、赤王善治って名前だった。まあまあ強そうだったけど」
赤王と聞いた渡瀬は、すぐに『赤王一振流』という刀術の流派を思い浮かべた。その界隈では有名な流派、今や武術ではなく鑑賞するための芸術という評価だ。その刀術を履修した上で能力も使えるなら、それなりの戦闘力を有しているだろう。
「リーナって奴からはちゃんと情報を聞き出せたわけ?」
またバットをブンブンと振り回しながら千代は言う。そのフォームは好きな選手を模倣しようとしているらしいが、そっちは完全にコピー出来ないらしい。
「彼女がどれだけ本当のことを言っていたかわらないからね。僕としては能力者狩り君本人に話を聞きたいんだけど」
渡瀬はリーナの話が全て真っ赤な嘘だとは思っていない。脚色づいたリーナの話を全て信じたとしても、それはそれで今の能力者狩りの状態と辻褄が合わないわけでもないのだ。和光事件という出来事が能力者狩りとして戦ってきた鷹取穂高という少年にとって大きな分岐点だったことに違いはないだろうが、その詳細を知っているのはやはり彼らしかいない。
「ねぇ、千代」
「何よ」
「彼は今、どこにいるんだい?」
面倒くさそうに千代は答える。
「治療室のベッドで寝てるわよ。勝手に外に出ちゃダメだし、まだ怪我も治りきってないんだから」
赤王善治がつけた傷と千代がつけた傷のどっちが酷かっただろう。それについてからかうと容赦なくバットで殴られそうだ。
「エリーはまだ織姫ちゃんのところにいるよね?」
「いいや、能力者狩りのとこにいたわよ。なんでか知らんけど」
「セラピーでもしてるのかな」
エリーがネコに変身できるのは、単純に『ネコ』の能力を持っているからだ。それはネコに変身できる操作系能力、ただそれだけの力だ。だがエリーの黒猫モードは、対象に精神的な癒やし効果をもたらす(※効果に個人差はある)。黒猫モードのエリーを抱くことが出来るのは、渡瀬と千代、そして織衣ぐらいである。他の人が構ってやろうとすると、もれなく爪で引っかかれる。
「彼と話してくるよ。後でちょっと呼ぶかも」
「面倒なことを起こすつもりならぶっ叩くけど」
「その埋め合わせは今度するから」
渡瀬が食堂を出ていこうとした時、千代はテーブルの上に置かれていたテレビのリモコンを手に取って電源を入れた。すると丁度情報バラエティ番組がニュース速報を伝えていたところだった。
例えどんな埋め合わせをしても千代はまずぶっ叩いてくるだろう。千代はその気になると頭より先に体が動くので手に負えなくなることがある。
それでも、渡瀬には試したいことがあった。
ツクヨミの本部にある治療室というものは簡単な処置が出来るぐらいの救急箱ぐらいしか置いていないため、ベッドの上で安静にしていることしか出来ない。余程の重症であれば提携している病院へ運ぶだけだ。
治療室は簡素な本棚とベッドが五台並べられているだけで、部屋の一番奥に能力者狩りはいた。
ただその光景は何とも奇妙なものだった。彼のベッドの横に置かれた小机の上で、黒猫が毛を逆立てて警戒している。それを能力者狩りは気まずそうな様子で見ていた。
「君は、ネコが好きかい?」
能力者狩りのベッドの側まで寄って渡瀬が問いかけると、能力者狩りは小さく微笑みながらコクリと頷いた。
「結構ネコには好かれるタイプだと思ってたんですけどね」
「残念、エリーは好き嫌いが激しいからね。君のことはまだ好きじゃないのかも」
すると黒猫エリーは姿を人間に戻して、スタスタと渡瀬の背後に隠れた。渡瀬の背後から少しだけ顔を出して、能力者狩りの様子を伺っていた。
すると能力者狩りは渡瀬と目を合わせた。彼の澱んだ瞳に渡瀬の顔が映った。
何故だ?
何故彼は、こんなに綺麗な心を持っている?
「五年前」
渡瀬がそう呟くと、一瞬だけ能力者狩りの表情が変わった。ピクリとその細い眉が反応した。
「僕は、福岡にいたよ」
渡瀬のその言葉に、能力者狩りは特に驚いたような素振りは見せなかった。ただ少なからず、彼の感情に変化はあったはずだ。
「香住ケ丘ってわかるかな? かしいかえんの近くに家があってさ。家からはアイランドシティも見えたよ」
渡瀬は能力者狩りの様子を伺った。渡瀬は能力者狩りから敵意を感じていた、おそらく得体の知れない青年を相手に警戒していたのだ。しかし今、二人の間にあった壁は少しずつ取り除かれようとしていた。
「……僕は、香椎浜のイオンの近くです」
渡瀬にはピンと来る場所だ。おそらく千早駅とアイランドシティの間に並ぶマンション群のどこかだろう。校区は違ったはずだが、二人がかつて生きていた世界は、福岡から遠く離れた東京という土地で再会することが奇跡と呼べる程に近かった。直線距離では二キロに満たないぐらいだろう。
しかしその土地は、五年前に発生した福岡事変、その戦場の中心だった。
「でも僕は、あの時のことを覚えていません」
能力者狩りの真っ直ぐな眼差しが、それが嘘ではないと伝えていた。能力者狩りはあの日、渡瀬達と出会ったことすら覚えていないだろう。精神的苦痛のためPTSDを発症し、脳が記憶を思い出させないようにするという事例は珍しくない。それが人間の然るべき防衛本能だ。
しかしそれだけれは、能力者狩りを能力者たらしめる理由には足りない、と渡瀬は考えていた。渡瀬は五年前の福岡で鷹取穂高と出会ったのだ。あの時確かに、鷹取穂高は能力者だった。
渡瀬は表情を変えずに能力者狩りに問いかけた。
「君は一体、どこまでを知ってるんだい?
君自身のことについて」
すると、能力者狩りはやっと驚いたような表情を見せた。同時に、渡瀬に向けて初めて好奇心を抱いたように見えた。渡瀬は能力者狩りが知らない、そして知りたいであろうことを知っている。能力者狩りはそれに気がついたのだ。
「行きたい場所があります」
昨夜東京湾に沈められた割には元気そうで、副メイドに許可を取れば本部から出ることも出来るだろう。
「わかった。連れて行ってあげるよ。話はそこでも出来るからね」
事は渡瀬の想定通りに進み始めようとしていた。
能力者狩りは、鷹取穂高として不完全な状態にある。
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渡瀬は能力者狩りとエリーを車に乗せていた。道中でラジオを聞いていると、神奈川の方にある大学のキャンパスで四十名ほどの犠牲者が出る大量殺人事件が発生し、警察が犯人を捜索しているという。ここ最近の革新協会が起こしたテロにしては大きいもので、おそらく副メイドが既に調査しているはずだ、犯人の目星がつけば渡瀬達に招集がかかるかもしれない。
しかし、その事件は誰も目撃しておらず、事件後に大学に立ち入った学生が初めて気づいたらしい。その『いつの間にか大勢の人が死んでいた』ということが和光事件を彷彿とさせたが、今回能力者狩りは関わっていないはずだ。目立ちたがり屋の革新協会にしては珍しいと渡瀬は思っていたが、能力者狩りはノーコメントだったし、エリーは眠っていた。
車を走らせて三十分程。渡瀬達は練馬区にある雨京高等学校の跡地を訪れていた。まだ規制線が張られたままで中に入ろうとは思えない。ほぼ無人状態の街にはセミの鳴き声が響いているだけだった。
渡瀬とエリー、能力者狩りは校門の前に並んで立ち、校庭を挟んで向こうにある校舎を眺めていた。
「僕の大学の友達に、雨京出身の人がいるんだよ。源氏物語とソース顔のイケメンが好きっていう女の子なんだけど」
「……もしかして渡瀬さん、結構良い大学通ってます?」
「さあね。一年目から留年しそうなぐらいにはやんちゃしてるよ」
四月デストラクションのこともあって諸大学は様々な特例措置をとっているが、それを持ってしてもツクヨミの任務で多忙な渡瀬は単位がまともに取れていない。一応大学に顔を出すことはあるが、今はツクヨミの任務の方が優先だ。
「何人か知り合いの先生もいたんだろうね、その子も悲しそうだったよ。僕も母校が無くなったら、人並みに悲しんだりはするのかな」
四月デストラクションでは多くの青少年も犠牲になったが、全生徒がまるごと犠牲になって閉校になったのはこの高校が初めての事例となった。
今は昼間だからこそこの場所に立っていられる。カーテンが閉められた学校の校舎は無人のまま静かにそこにあり続ける。夜になったら、もしかしたらこの学校は活動を始めるかもしれない。未練を残した霊達が学校生活を送っているのかもしれない。
能力者狩りはこの場所を前にして、一体何を思う?
「僕は」
ボソリと、先に能力者狩りが呟いた。
「この場所で起きたことを、覚えてないんです。ここに来ても思い出せません。ここで起きた事件の結果しか、知ることは出来ません」
それが、一万人もの人々をその手で殺めた殺人鬼の答えだ。覚えていない、勿論その一言で許されはしない。だが違う、和光事件はそんな単純な出来事ではなかったはずだ。和光事件で死んだ一万人もの一般人が、ただの一般人でなかったとしたら? もし敵意を持って鷹取穂高に襲いかかったら、彼は一体どうするのだろう?
「じゃあ君に、一つ教えてあげるよ」
目線を変えずに渡瀬は語り始める。
「能力者には、能力の容量があるんだ。キャパシティって奴かな、簡単に言えばこれぐらいの力加減ならこのぐらいの時間は安全に能力を使っても大丈夫だよっていう指標のようなもの。携帯やPCのバッテリーと似たようなものだよ。
この容量の大小は人それぞれで、自分の能力にあえて制限をかけたり、発動する時間を最小限に留めるのが普通なんだ。
君はこの容量が、多分だけどかなり小さい」
能力者狩りの戦闘時間はかなり短い。詠一郎や千代達が見てきた戦闘で、彼が全力で戦える時間は知れている。渡瀬は出力を調整すれば一日以上、織衣でも八時間ぐらいのところを、能力者狩りは三十分にも満たない。平均が二時間から三時間程だと言われているのだから、その活動限界はかなり早い方だ。
だが渡瀬が教えたいことはそれだけではない。さらに付け加える。
「仮にその容量からエネルギーの残量を使い切って能力を使った時、能力者はどうなると思う?
君は一番知っているはずだよ」
渡瀬が能力者狩りの方を見ると、彼は首を傾げていた。どうも知らなかったらしい、自分の体を見れば一目瞭然だったはずなのに。
「能力者は暴走する。車のオーバーヒートとか、原子炉のメルトダウンに似たものかな。きっかけは色々とあるけど、直接的な原因は容量の限界を超えて能力を使い続けることにあるんだ。
だけど、ちゃんと体は暴走する前から警告を出してくれるんだよ。能力は完全な限界に達する前に、能力者の体に花を咲かすんだ。青く光る右目から、段々と広がっていく。僕達はそれを『咲き乱れる』と表現する。
そして体全体に花が咲き乱れる、『満開』って状態になると完全な暴走だね。さらに悪化すると頭から角が生えて鬼みたいになる。それが最悪の事態かな」
能力者狩りの体に花が咲いたのは詠一郎と千代から聞いている。詠一郎の場合は暴走に至っていなかったかもしれないが、千代と戦った時は暴走していたはずだ、しかしまだその暴走は軽度だったはずだ。
能力者狩りはまだ、渡瀬達ツクヨミの前で本気を見せていない。千代達が見た彼の姿は、まだ真骨頂ではないはずだ。
「君は、慢性的にその花が咲いてしまう状態にある。君の体はすぐに警告を出してしまうんだよ、まるでアレルギーのように。君は辛うじて耐え抜いていたんだろうけど、君は能力の容量を超えながらこの三ヶ月、ずっと戦っていたんだ。その体を能力に蝕まれながらね。
その慢性的に花が咲いている限界直前の状態を、僕達は“花咲病”と呼ぶ。そして花咲病の症状はただ体に花が咲きやすいってだけじゃなくてね────能力者の能力と人格が分裂するんだ」
能力者狩りは引きつったような笑顔を見せていた。渡瀬の説明は彼の好奇心に応えることが出来たらしい。その表情は確かに嬉しそうで──ただやはり、渡瀬に対する警戒心が増しているように見えた。
「この花咲病っていうのは能力の防衛反応みたいなものなんだ。完全な暴走に陥らないように、人格が能力に干渉できないようにするっていう、すごく変わったことをやってるんだよ。
というわけで君は、能力と人格が分裂してるかもしれないんだ。この分裂ってのは多重人格みたいに精神が分裂するんじゃなくて、ドッペルゲンガーみたいに瓜二つの、もう一人の自分が綺麗に出来上がるんだよ。だからこの世界に、もう一人の鷹取穂高が存在するかもしれない。
そして能力は人格に分裂した方に使えない。だから君は鷹取穂高を形成していた人格じゃなくて、彼が持っていた能力そのもの。人格じゃない彼が過去のことを断片的にしか覚えていないのは、それが原因かもしれないよ」
そしてその推理から生まれる謎が一つ。渡瀬は体の正面を能力者狩りに向けた。
「ねぇ、君の『人格』はどこにいるんだい?」
能力者は奇跡の力を持つ。だがその力は、能力者自身のキャパシティに大きく左右されることになる。例えば緋彗の『炎』の能力の場合、キャパシティが小さければマッチに着火出来るぐらいで、大きければ街一つを焼け野原にすることが出来る。
能力の容量を超えて限界を迎えると、能力者は能力を制御できなくなり暴走状態に陥る。これもまた能力者によって振れ幅はあるが、暴走すると能力者は短時間で死に至る。
そんな事態を防ぐために能力が稀に起こす防衛反応が、『花咲病』である。暴走というのは能力者の人格面に異常が発生した時に起こりやすい。そこで能力は自らと人格を個体ごと分裂させて宿主の体が崩壊するのを防ごうとする。ただ、この状態は非常に恐ろしいことなのだ。
能力の個体が、能力者の人格、つまり能力を制御していた宿主の意思に関係なく勝手に行動することがあるからだ。
「僕は僕であるはずなのに、僕ではない気がする。そんな漠然とした疑問が、ずっと僕の中にありました」
この鷹取穂高の『能力』と思われる個体が、いつから存在していたのかが重要になる。和光事件で一万人もの人々を殺したのは、その能力の個体かもしれない。四月デストラクションの時点で彼が花咲病を起こして分裂していたなら、もしかしたら能力者狩りという一連の行為自体が能力の個体による勝手な行動という可能性もある。それは希望的観測だが。
「僕はあの日──この場所で起きたことをきっかけに、何かを失いました。でも、僕は何を失ったのか覚えていないです」
能力者狩りは右手にはめていた黒い腕輪を、水晶の装飾が施された腕輪を自分の額にかざした。彼は能力を発動し、右目に青い光を灯す。それだけで彼の顔には花の紋章が浮かび上がっていた。
そのタイムリミットはおよそ十分、いやもっと短いかもしれない。
彼は、すぐに渡瀬を仕留めるつもりだ。
「だから、教えてくれませんか」
能力者狩りは、光剣を生み出した。




