2-2『赤王善治』
「おーいヨッシー、今日の飲み会来るのー?」
ヨッシーこと赤王善治が鞄の中に入っているはずのワイヤレスイヤホンを探している時、友人の立野という女子が声をかけてきた。今夜、五、六人の男女で飲みに行くことは善治も友人から聞いている。
「いや、今日は他用がある。また今度にしておく」
「え~じゃあ今度はカラオケね? ヨッシー歌上手いんでしょ~?」
「行けたら行く」
行きたくないわけではないのだが、善治は友人の誘いを断る事が多い。付き合いが悪いと思われてもしょうがないだろう。たまにはうつつを抜かしたいと善治も思うが、今日は本当に外せない用事があったし、何度連れて行かれてもそういった雰囲気の場が落ち着かなかった。
『死』と隣合わせの世界が、とても遠くにあるように感じてしまうからだ。
蒸し暑い外から逃げて学内のコンビニでジュースを買っていると、善治は村上という友人と鉢合わせた。彼らは夏の暑い日差しに照らされながら、大学の最寄り駅まで駄弁りながら帰っていた。
「いやー、こんなご時世だとバイトも大変だよ」
「儲からないのか?」
「そーそ。雇う側の目も厳しくなってるから狭き門をくぐるのも大変だぜ。俺はまだ何とかやらせてもらってるけど、飲食系は結構クビになってるらしいな」
「そうか。首が吹き飛んだりしないようにな」
「それ、どっちの意味で言ってんの……?」
善治が通う大学はそこそこ名の知れた私立大学だが、やはり苦学生も多い。五年前から続く不景気にさらに四月の事件が追い打ちをかけ、世界的に経済は苦しい状況にある。虐殺と呼べるテロによる一方的な殺人に加えて苦境による自殺、最近某大手企業の創業者一家が無理心中を図ったように、恐ろしいほど簡単に人が死ぬようになった。
隣のお気楽な大学生を見ていると、そんな世界も遠い所にあると感じてしまう。現に、大学に近い駅前の繁華街は事件前の賑わいを取り戻しつつある。夜に客が集まる飲み屋街はまだ厳しいだろうが、こうして人が段々と戻ってきたのは、そうした事件が多くなりすぎたが故の慣れかもしれない。それでも、以前は学生街と知られていたこの地域もシャッター街が目立つようになった。
「そういや結局ヨシはバイトしないの? いうてもう三年だけど」
「俺なんかが接客できると思うか?」
「自分で言うか。メガネ外してコンタクトにするだけでも印象は変わるんじゃね?」
「メガネを取ったら俺のアイデンティティがなくなるだろ。このままが良い」
黒髪を若干赤く染めたのも伊達メガネをかけているのも、自分に特徴を入れるためだ。個性の強い集団の中で生きていると、どうしても自分の存在が霞んでしまいかねない。
「大体、ヨシの家はお金持ちだしなぁ。何だっけ……レッドキ○グ一刀両断?」
「赤王一振流だ。ついでに俺をぶった切るんじゃない」
善治の実家は、数百年前に赤王一振流という剣術の流派を立ち上げた歴史ある名家だった。室町時代から江戸時代にかけて大名家に師範し、善治は開祖から二十八代目にあたる。かつては立派な武術の一つだったが、刀など必要のない現在は芸術として鑑賞されるだけのものに変わり果てていた。
「その一振流って、例のテロリストもズバーンって出来ないの?」
「銃の方が強い」
「武家の人間がそれを言っちゃ終わりだろ。
あーあ、俺も一躍ヒーローみたいになってみたいけどなぁー。警察とか自衛隊ですら勝てないんだから無理だよなぁ」
勝てないわけではない。数はまだ少ないが、治安部隊が戦闘で能力者に勝った事例はある。それは機密保持のために秘匿されているだけで、彼らもやられっぱなしというわけでもない。
「ヨシはあの都市伝説知ってるか? あのテロリスト達を殺し回ってる殺人鬼の噂」
「あぁ、知っているが」
「かっけぇよなー、正義のヒーローっていうか、ダークヒーローって言うの?
すげー残虐っていう噂もあるけど、倒してくれるだけありがてぇもんだよ」
能力者狩りの噂は、東京を中心に若い世代に広く知れ渡っている。それが赤王にとっては不思議なことだった。結局それらは都市伝説に過ぎない噂話だが、どうしてこんな噂の流布が許される? あの組織は、それが表沙汰になるのを嫌うはずなのに。
「あんな連中を倒せたら確かにヒーローかもな。お前も一躍有名人だ」
「いやいや無理だってそんなの。精々現場近くの目撃者としてインタビュー受けるぐらい──」
あの日を生き延びて数ヶ月も経てば、今の環境にも自然と慣れていくものだ。彼らの事件に遭遇しなければ、いや遭遇していてもこの世界で何が起きているのかを理解するのは難しい。
日常を破壊するかのように、現実は残酷にもやって来る。
「おい、ヨシ……な、何なんだよ、あれ」
駅前で騒ぎが起きていた。群衆の視線の先を見ると、バス停の上空に乗客を乗せた路線バスがふわふわと浮いていた。
「逃げるぞ」
「え、おい!」
善治は村上の腕をガシッと掴み、駅とは反対方向へ一目散に駆け出した。後方からは耳をつんざくような金属音と共に人々の悲鳴が聞こえてきた。
何も聞こえない。
何も見えない。
何も見たくない。
「おい、また例の連中か!?」
「知るか。こういう時は逃げるに限る」
「バスが浮いてたぞ!?」
「だから何だ。浮いてたら落ちてくるかもしれない。飛んでくるかもしれない。だから逃げる」
「その思考回路訳わかんねーよ!」
駅前での騒ぎを聞きつけたのか、治安部隊を乗せた装甲車が駅前へと猛スピードで走っていく。迅速な対応だ、敵とはいえその即応体制には惚れ惚れする。それもこの三ヶ月の間、度重なる有事で鍛えられた結果だろう。
だが、未然にそれを防ぐことが出来ない。助けられたかもしれない命を救うことが出来ない。そんな現実は、今も彼らを苦しめているのだ。
数分も走ると、警察が人々に事件が起きたことをパトカーで知らせ回っていた。おそらく事態はもう沈静化しているはずだ。だが鉄道は運転を見合わせてしまうかもしれないと戻ることは諦めていた。
善治は汗だくの体をタオルで拭きながら、隣でスポーツドリンクを飲む友人に語りかけた。
「災難だな。今日はタクシーで途中まで送ってやる」
「お、良いの? 俺んち中央林間の方だけど」
「あぁ、俺も遠出する用事があるからな。町田辺りで降ろしてやる」
「サンキュー、今度飯でも奢るわ。でもホント、こんなの勘弁してほしいな……」
通りがかったタクシーを拾って二人は涼しい空間に入った。現場から離れていくと、またいつもの平和な日常風景が広がっていた。
スーツ姿の汗だくのサラリーマンがいて、ベビーカーを押しながら買い物をしている家族がいて、歩道を元気に走る小学生がいる。ピザを乗せたバイクが走り、学生達を乗せたバスが走り、多くの乗客を乗せた電車が走る。
そんな場所に彼らは現れる。彼らの日常なんて関係なしに、それらを一瞬で破壊してしまう。それは一瞬の迷いでも若気の至りでも何でもなく、彼らにとってはただの遊びだ。弱い者いじめだ。弱者をいたぶることでしか快楽を得られない哀れな人間達だ。
自分もそうなのだろうか、と善治は考える。
今、自分が乗っているタクシーの運転手を殺すことは善治にとって簡単なことだ。強盗だって容易い。
だが当然逮捕されることだろう。然るべき罰を受ける事になる。警察内部にも協力者はいるが、面倒事を増やすのは善治の仕事も増えるため面倒なことだ。
そういったデメリットに対するメリットがない。ああいう下っ端の快楽殺人鬼共にはそんなことを考える知能すらないだろう。彼らにとっては、自分の思い通りに人を殺せるだけで、それが最大のメリットとなってしまうのだから。
善治にとっても、死は損得勘定でしかない。
ただ、なんだろう。
この抑えきれない破壊衝動はなんだろう。
どうして、どうして──自分はこんなに弱者を嫌うのだろう。
村上を町田駅の前で降ろしてから数時間、人気のない峠道で善治はタクシーを降りた。運転手には不思議そうな顔をされたが、「親戚の家に用がある」と理由をつけ、鬱蒼とした木々の間からタクシーを見送った。
勿論、こんな辺鄙な山奥には何の用もない。航空写真で見ても建物一つ無い一帯だ。善治はポケットから黒い手袋を取り出し右手にはめると、そのまま額にかざした。
赤王の右目に青い光が灯されると同時に、その背中には大きな白い翼が生えた。
統帥の別荘へ直接行くことは好ましいことではない。ハッカーがいくつものプロバイダを経由するように、善治も念のため偽装工作を施している。
善治は翼を羽ばたかせると、そのまま統帥の別荘へと飛び立った。
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「謹慎の気分はどうだ、リーナ」
鞄の中から白いコートを取り出し、善治はそれに袖を通してオンとオフを切り替える。当のリーナは、統帥から与えられたフカフカのベッドに寝転び、足でバタバタと布団を叩きながらパソコンを眺めてネットサーフィンに勤しんでいる。前に「穂高君の極秘ファイルがあるんですよ~」と秘蔵の画像フォルダを見せられたことは記憶に新しい。
「微妙ですねー」
その声色は、リーナにしては珍しくとても不機嫌そうに聞こえた。ネットサーフィンやアニメ鑑賞、それに加えて人をいたぶることと人にいたぶられることをを趣味とする彼女に暇な時間などないが、やはり例の禁断症状が出てくるのだろう。統帥の処罰の効果は絶大だ。
「そんなに能力者狩りのことが恋しいか」
四月の頃には、彼が暴れていたら寝ていても駆けつける程だった。だが次第に三日に一度、二日に一度、しまいには一日中べったりしていることもあった。どれだけ実らない恋だと知っていようとも、彼女は平気で彼女面しているのである。
「そりゃー愛する人には会いたいに決まってるじゃないですか~いくら画像フォルダにたくさん穂高君がいたとしても~やっぱり本人ではないので~」
善治は能力者狩りに同情する。だが彼の意図は読めない。最早リーナとの関係には諦めも見えるが、達観しているようにも見えるからわからない。リーナの存在を巧みに利用しているようにも見えていた。
「お前は奴にうつつを抜かし過ぎた。今回はその罰だと思え。
統帥も、当初は一ヶ月の予定していたそうだが一週間にまで縮めたんだからな」
むしろ一ヶ月も彼女がいなくなるような事態になれば協会の活動にも支障が出てきてしまう。そして我慢に耐えきれなくなった彼女が何をしでかすかもわからない。それは一週間という期間ですら危険だった。
「それはそれで~例の計画は順調なんですか~?」
パソコンでアニメ鑑賞をしながらリーナは言う。
「あぁ、お前の部下は優秀だな。能力者狩りの活動が控えめになったから、十字会の方も少しは動くのが簡単になったらしい。それでもまだ時間はかかりそうだがな」
「そうですか~私が聞きたいのはそっちじゃないんですがねぇー」
やはりそうかと善治は思う。ちょっとからかったつもりだったが、やはりリーナは十字会に興味がない、いや嫌っている。能力者狩りの控えめになったと言っても、それは以前との比較でしかなく、またいつ彼がやって来るかわからない恐怖は彼らに十分に植え付けられている。
善治は部屋の窓際まで行き、青々しい山々を眺めながら言った。
「正直、鷹取穂高はどうなるかわからない。統帥でさえ苦心しているようだからな」
能力者狩りは統帥によって生かされている存在だ。リーナのおかげで死ぬことも許されない。
殺すには惜しい、だからこそ能力者狩りの存在を利用した計画を統帥は考えているらしい。しかしその計画が何たるかを善治は知らない。聞いたこともないが、それがどんな内容であろうと構わないと、善治はただ統帥を信じて付き従っているだけの忠犬に過ぎなかった。それでも良いと善治が思っていたのは、その強さをその身で感じ取ったからだ。理由はそれだけで十分だ。
「今の穂高君はどうなんですー?」
「今は大人しく見えるが、いずれ化けの皮が剥がれるだろう」
能力者狩りは奇妙な存在だ、数ある能力者達の中でも。革新協会にとっては良い実験材料でもある。彼にとってその波乱万丈な人生は濃厚なものだろうが、全てを文字で表してしまえば、彼の十五、六年間などたった数行の出来事でしかない。
「でもでも~まだ穂高君は殺されそうなんですけどどうするんですかー?」
まだ殺す必要はない、と統帥は直接的に彼の始末を命令したことはない。そもそも量産型に過ぎないフラワーが相手に出来る能力者ではないが、彼らにだって仲間はいる。共に笑い、共に泣いた友人達が協会にいる。そんな存在をあんな無惨に殺されてしまえば、能力者狩りに対して恨みを抱くのも当然だろう。
だから、あんな事件が起きてしまったのだ。
「俺も粛清の件については統帥に進言した。だが放っておけとのことだ」
「え~それは穂高君親衛隊の私もしっくりきませんねー全部私に任せてもらってもいいのに~」
「お前に任せた結果どうなった?」
「それを言われたら何も言い返せませんねぇ……」
この数ヶ月で、リーナの恋路にも変化が見られた。善治はそれにさほど興味はないが、気持ち悪いほどにリーナの心境は変化しているように見えた。
「あれを救える奴が、あの組織にいるかはわからんな」
例の組織、ツクヨミは能力者狩りである鷹取穂高を引き入れることに成功した。それは彼らも望んでいたことだっただろうし、表面上は革新協会によって苦しめられていた彼を救ったように見える。
しかし彼らは気づいているはずだ。これが革新協会による罠のようなものだと。いや、協会としては罠を仕掛けるつもりではなかったが、結果的に彼らが面倒事に巻き込まれるのは確定事項だ。
革新協会は鷹取穂高を制御することが出来なかった。彼はまだ、厳重な檻の中に閉じ込められたままだった。




