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ウォントビーアヒーロー  作者: 紐育静
第一章『機械仕掛けの子鬼』

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1-12『狂う門出』



 まだ蒸し暑さが残る黄昏時の池袋を車は走る。東口は未だに四月から復旧工事が行われていたり、西口は再開発工事が行われていたりと交通整理がされていた。

 車を運転するのは副メイド。織衣は緋彗と共にセダンの後部座席に座っていた。車が首都高に入ると、副メイドは一気にトップギアに切り替える。特に急ぐ理由もないだろうに、彼は他の車の追従を許さない。


 「能力者狩りが、正式にツクヨミに加入する」


 予定調和と言うべきか、すんなりと能力者狩りの加入は決定された。彼がずっと曖昧な立場にいるよりは、味方であった方が安心できる。


 「何だか、意外とあっさり決まったね」


 緋彗は織衣の右隣でちゅうちゅうと紙パックのコーヒー牛乳を飲んでいた。


 「奴が行動を始めてからもう三ヶ月も経つ。話が通じることは通じるが、しばらくは様子見だ。お前達との能力の相性も見ながら、追々考えるとしよう。

  で、これから奴と会いに行くわけだが」

 「そうだったの!?」


 緋彗が声を荒らげて驚く。車を出す前に副メイドはこれから能力者狩りを迎えに行くと言っていたのに、何を聞いていたのだか。


 「緋彗。迎えに行くって言ってたでしょ?」

 「あ、そういえばそんな話だったっけ? 夏休みの予定しか考えてなかったよ」


 てへへ、と緋彗は笑ってみせる。その笑顔を見て、彼女が生きていて良かったと織衣は実感する。能力者狩りとリーナは良くも悪くも大切な存在の価値について再認識させてくれた。


 「結局、昨日のあの仮面を被った人は何だったの?」

 「革新協会でよく『統帥』と呼ばれているリーダー格の人間らしい。牡丹と詠一郎が揃ってかくれんぼしているから、またこそこそと調査でもしているんだろう」


 ツクヨミのボス、牡丹にとってかくれんぼというものは日常だ。いつもどこにいるかわからないし、突然目の前に現れたりと神出鬼没だ。


 「でも、詠さんが勝てない相手だったの?」

 「初見では不可能と言っていた。今日の本題はそこじゃない」

 「能力者狩りのことー? 結局どんな感じの人なの?」

 「覚悟はしておけ」

 「うぎゃー」


 なんて緊張感のなさだろう、大げさにリアクションを取っている割には緋彗はあまり嫌そうではなかった。それに一体何の覚悟が必要なのかと織衣は思う。

 緋彗も元々能力者狩りに興味を抱いていたが、リーナの襲撃から助けられて以来、ますます好印象を抱いているのだろう。一方で織衣は、確かに彼には感謝してもしきれないぐらいだが、やはり心のどこかにしこりが、恐怖心を煽るような様々な記憶が蘇る。能力者狩りは各地で、それはそれは酷い殺人現場を作り出してきた殺人鬼だ。織衣の中には、織衣を助けてくれた能力者狩りと、能力者を狩り続ける能力者狩りの二人が存在していた。昨夜詠一郎とリーナが戦う傍ら、港の入り口で彼がボーッと佇んでいた時は自分から声をかけることすらなかった。意外と間抜けっぽい所もあるんだなぁと思っていたら、今度は豹変して革新協会の統帥と戦い始める始末だ。メリハリがあるというか情緒不安定だ。


 「まぁ普段はまともな人間だから、そんな怖がることはないだろう」

 「それ、普段じゃない時はまともじゃないってことじゃない?」

 「そうとも言えるな。あのリーナという小娘を一応は無力化出来るのが証明されたから、ウチに入るための足枷が無くなったんだろう。あんなのにひっついてこられたら、こっちもたまったものじゃない」


 能力者狩りが当初ツクヨミの加入を躊躇っていたのは、リーナというストーカーの存在が原因だった。彼女が付き纏っている状態ではツクヨミに迷惑がかかると、一応こちらを気遣ってくれていたらしい。結局は革新協会総帥にリーナは助け出されたが、リーナはツクヨミに簡単に手出しが出来ない状態にはなった。

 未だに能力者狩りとリーナの関係性には疑問が残るが、それを直接本人に聞くのも難しい話だった。


 「だがしかし、あいつは──」


 何かを言いかけた副メイドだったが、彼は前方の道路を凝視すると段々とスピードを緩め始めていた。それは首都高を降りて環八通りを進み、光が丘の街を目指している道中だった。


 「どうしたの、副メイドさん?」


 織衣も副メイドの視線の先を追う。その先には、高架橋の壁の上に佇む、白いコート姿の人影があった。

 それを見た織衣と緋彗はすぐにジュエリーを取り出して額にかざし能力を発動する。セダンが道路の端に急ブレーキをかけて停車すると、二人はすぐに車外に飛び出した。が、織衣達が革新協会の能力者を再び確認しようとした時には、彼に襲いかかる少年の姿があった。


 「……能力者狩り!?」


 あっという間に人影は消えてしまった。副メイドも運転席から顔を出して外の様子を伺っていた。


 「降りたのか?」

 「わからない、まだ近くにいると思う」

 「わかった。まずは光が丘に向かうぞ」


 織衣達を乗せたセダンは当初の目的通り光が丘の街へと入った。都営大江戸線の光が丘駅周辺まで辿り着くと、辺りは一気に人気が無くなってしまう。光が丘周辺には大きなマンションが連なっているが、今は誰も住んでいるようには見えない。

 先月末、一万人以上の死者を出した『和光事件』。この光が丘周辺一帯もその被害に遭った地域だ。所々にまだ規制線が張られていて、この曰く付きの土地に近づきたがる人間はそういないはずだ。車通りのない道路にセダンを停め、織衣達は外に出る。辺りはただ暑苦しいセミの鳴き声が響いているだけだ。

 待ち合わせ場所だったというショッピングモールの跡地に能力者狩りの姿はなかった。おそらく先程襲撃した革新協会の能力者とどこかで戦っているのだろう。


 「織衣、上の方から探してくれ」

 「うん」

 「緋彗は俺と地上を行く」

 「いやー、ほんと織姫ちゃんの能力って便利だよねぇ」


 便利か、と言われるとそうとも言い切れない。まず人前で基本使ってはいけないという制約があるからだ。緋彗の場合は、使う場所さえ考えれば『炎』の能力自体は日常生活においても有用だ。織衣の能力は日常生活において、他人を驚かせることぐらいしか出来ない。

 

 二十階以上もあるマンションの屋上まで糸を伝って登り、織衣は光が丘の街並みを眺める。遠くの方から電車の走行音やサイレンの音が聞こえるほどに光が丘の街は静かだ。

 織衣の能力は、ただ蜘蛛糸を操るだけではない。自分の手から生み出した蜘蛛を操り、蜘蛛達の視界を監視カメラ代わりに織衣と共有することも出来た。織衣は無数の蜘蛛を辺りへ散りばめて能力者狩りを探す。光が丘公園の東の方で道路に血痕が残っているのを見つけると、織衣はすぐに現場へ急行した。

 おそらく能力者狩りにやられたであろう能力者の血痕を辿ってみると、とある学校の前を通りがかった。公園に連なる運動場の横にあった学校の校門には、『雨京高等学校』と校名が刻まれていた。入り口には規制線が張られていて、中には誰もいない。ただ織衣が気になったのは、不自然に土が盛り上がった校庭だった。


 「ここには誰もいないよ」


 通りの向こうの方から、能力者狩り──鷹取穂高が歩いてきた。高校の制服であろう白シャツ姿で、全身に赤い返り血を浴びて。


 「僕以外、皆死んだからね」


 校門前で足を止め、彼は雨京高校の校庭を見る。その横顔はどこか儚げで、ついさっき人を殺めてきたような人間には見えなかった。


 「それは、和光事件で?」

 「うん。ここで一万人ぐらいがね」

 「和光っていう名前なのにこの場所で?」

 「事件の被害者が理研の研究員だとか、和光市の方の施設に勤める人が多かったからじゃないかな」


 成程、と織衣は頷いた。この校庭の不自然な盛り上がりは、その日この場所で殺された人々の血痕を隠すためだろう。事件前まで和光市周辺には理化学研究所など重要な施設が集まっていたが、事件以降は殆どが移転したか閉鎖に追い込まれている。

 織衣は穂高の方に目をやった。やはり、彼との距離が掴めない。今、その手を伸ばせば簡単に届きそうなほど近くにいるはずなのに──どうして、彼に届かないのだろう?


 「革新協会を、恨んでいるの?」


 それは無駄な質問だっただろう。この三ヶ月間の能力者狩りの活動を見れば、彼が革新協会を恨んでいるというのは明白な事実だ。その惨たらしい現場を見れば一目瞭然である。

 それでも織衣がそんな質問をしたのは、隣に佇んでいる少年がそんな人間には見えなかったからだった。


 「さあね」


 彼は目線を変えずに答えた。


 「今は、生活習慣の中の一つなんだよ。奴らと戦うことが」


 彼は孤独だった。織衣のように組織に所属している人間とは違う。たった一人で、革新協会という巨大なテロ組織と戦っているのだ。

 一体、どうして?


 「どうして、貴方は戦うの?」


 それは織衣が一番能力者狩りに聞きたかった質問だった。セミの鳴き声が辺りに響く中、穂高は目線を青空に向けて、微笑んでみせた。


 「ヒーローに、なりたかったからだよ」


 “俺は、ヒーローになりたかっただけなのに──”

 誰かの言葉が、穂高の言葉と共に織衣の頭に響いた。果たして彼は何者だ? 彼は一体、何を知っていた?

 思い出してはいけない。あの時のことは、絶対に思い出してはいけないのだ。


 「誰だって憧れるものだよ。ヒーローってのは」


 違う。彼はヒーローではない。少なくともヒーローは民を怯えさせてはいけない。だから彼はヒーローではないはずなのに、どうして、どうして彼は織衣に笑ってみせるのだろう?



 「流石だな」


 副メイドの声でハッとした織衣は、声がした方を振り向いた。そこには副メイドと緋彗の姿があった。


 「予定が狂いましたね」


 元々穂高を迎えに行く予定だったが、まさか革新協会の能力者と出くわすとは。だがタイミングが悪かった、そこには能力者狩りがいた。


 「さっきの奴は、例のフラワーという個体なのか?」


 副メイドがそう聞くと穂高は光が丘公園の中へ駆けていった。容赦ない太陽の日差しから逃れるため、織衣達も彼についていく。公園の中へ入ると、穂高は血だらけの、様々な機器がついたベルトのようなものを手に持っていた。


 「これがフラワーの発動機です」


 血まみれのベルトを穂高は副メイドに渡した。そのベルトには端末のようなものが装着されていて、まるでどこぞのバッタのような仮面を被ったバイク乗りがつけていそうな代物だった。


 「きれいな状態だな。こっちでもいくつか回収はしていたが」

 「何かわかったんですか?」

 「これを預けていた研究所が爆発四散してな。研究員もろとも全て消え去った」


 それが、和光事件の際の出来事であると織衣は知らなかった。だが今の副メイドの発言で、織衣の中で点と点が線で繋がったような気がしたが、いやまさかと織衣は小さく首を横に振っていた。わざわざ研究所を壊滅させるためだけに、大勢の一般市民まで巻き込む必要は無いはずだ。


 「これの処理はこちらでやっておく。さて、本題に入るわけだが」

 「この状況で本題に入りますか?」


 穂高の言う事はごもっともだと織衣は思う。今日は穂高にとって、いや織衣達にとっても節目となる日のはずだった。ツクヨミに正式加入となった穂高が本部の寮へ引っ越すため、こうして迎えに来たのだから。

 そんな節目の一日は、またしても狂わされることになる。



 「未だに、信じられないご様子ですね」


 織衣達の背後から突然聞こえたため振り返ると、現代社会にはミスチックな紺色の着物姿で、見覚えのある太陽の仮面を被った長い黒髪の男が佇んでいた。


 「何者だ?」


 そう言いながら副メイドはスッとスーツジャケットの中から拳銃を取り出す。相手が何者かわからないのに、あまりにも敵意があり過ぎる。

 そんな副メイドに対し、仮面の男はカツカツとブーツの靴音を鳴らしながら織衣達の方へ歩み寄っていた。


 「……革新協会の統帥です」


 副メイドの問いに答えたのは穂高だった。仮面の男、統帥は立ち止まる。

 仮面の男は、先日リーナを助けに横浜港に駆けつけてきた人間と同じだろう。いまいち確証が持てないのは、やはりこの男から敵意を感じ取れないことである。敵であるはずなのに、こちらと戦おうとする気配が一切感じられないのだ。


 「へぇ、例の組織の統帥がわざわざお出ましか。お前も大概大物だな」

 「副メイドさん、銃を下ろしてください。今、あの人に戦闘の意思はありません」

 「どうしてそう思う?」

 「奴らが白いコートを着ていない時はオフです。今戦った所で、勝てる相手ではありません」


 副メイドのことを副メイドと呼ぶ穂高も新鮮で意外なものだったが、何よりも織衣が驚いたのは穂高の反応だ。


 「ねぇ織姫ちゃん、あの人誰?」

 「昨日の夜、詠さんが敵前逃亡した相手」


 昨夜、能力者狩りは確かにあの仮面の男と戦っていた。詠一郎の言うことを聞く気配もなく、獣のようにがむしゃらに突撃していたはずだ。なのに今どうして、そんな相手を目の前にして、こんな冷静な対応をしているのか織衣は不思議で不思議でしょうがなかった。


 「そう解釈していいのか、統帥さんよ」

 「えぇ。私はただ、彼の新たなスタートを見送りに来ただけですよ」


 副メイドは銃を下ろした。今ここは、能力者狩りを迎えに来た織衣達と、彼を見送りに来た革新協会統帥がいるという奇妙な状況にあった。


 「こいつの人生を狂わせたのはお前達だろう」

 「確かにそうかもしれないが、彼に新たな人生を与えるのも貴方達の役目でしょう」

 「意味がわからないな。どうして俺達が、革新協会が生み出した殺戮兵器の世話を請け負わないといけない? 俺達は慈善団体じゃない。

  お前達にとってこいつは一体何なんだ?」


 お互いに刃を交えようとしているわけではないはずだ。なのにどうして、言葉を交わしているだけなのにこんな一触即発の雰囲気になっているのか。しかも、あの能力者狩りを巡って。


 「ねぇ織姫ちゃん。副メイドさん達は何の話してるの?」

 「緋彗は黙ってて」

 「あ、うん」


 緋彗にこの状況を説明するよりも、織衣はこれから起きるかもしれない事態を理解しようとした。当事者であるはずの能力者狩り、鷹取穂高は呑気に欠伸をしているが。

 仮面の男、革新協会統帥はそんな穂高をチラッと見てから口を開く。


 「彼は……そう、我々を乗せたトロッコと形容しましょうか。行き先の分からない、今にも脱線しそうなトロッコです。ですが、確実に我々の命運を握っている」

 「お前達、革新協会の?」

 「えぇ。今は辛うじてレールの上を走っているのでしょう。貴方達と、そこの少女が組み立てた、今にも崩れそうなレールの上をね」


 そう言って統帥は織衣の方を向いた。副メイドも緋彗も織衣の方を見るが、織衣はブンブンと首を横に振った。織衣にそんな自覚はさらさらない。

 統帥の言葉は冗談というわけではないはずだ。だが、例え織衣がレールを偶然作っていたとしても、今は後ろから彼の背中を眺めているだけなのだ。


 「じゃあお前達を乗っけたトロッコ、こいつが死んだら、お前達はどうするつもりだったんだ?」

 「替えを作るだけでしょう」

 「俺が今、こいつを殺したら?」


 副メイドは能力者狩りがすぐ隣にいるといういのに、平気でそんなことを言い放った。

 大した度胸だ。革新協会のトップと、それを相手に戦う殺人鬼と同じ空間にいながら、よくそんな口を叩けるものだ。一種の殺害予告を受けた穂高はバッと副メイドの方を向いて「本当ですか!?」と言わんばかりの驚いた表情をしている。緋彗は今の状況に動じずにいるが、彼女はただこの状況を理解できていないだけかもしれない。


 「言ったでしょう。替えを作る、と」

 「何のために?」

 「私の夢のためです」


 昨夜、統帥は自身の野望を「世界を滅ぼすこと」と言っていた。ならば、穂高がその鍵を握ってしまっているのなら、ここでいなくなってしまった方が良いのでは?

 革新協会が穂高を生かしている理由はわからない。世界を滅ぼすために、彼は必要ないはずなのに。


 「ますます意味がわからんな。お前達の行動に一貫性があるとは思えない」

 「理解していただかなくても結構。

  我々は、我々の道を往く」


 統帥は微笑むと、その右目に赤い光が灯された。とうとう戦うのかと思って織衣達が身構える前に、彼の姿は消えてしまっていた。瞬間移動の類の能力だろうか、彼の姿はもう確認することは出来なかった。

 


 「頭が痛いな」

 「本当に、そう」


 副メイドの言葉に織衣も賛同する。緋彗の表情を見るに、彼女は未だにこの状況を理解していないらしい。話の中心だったはずの穂高は空を見上げている。


 「ねぇ副メイドさん。革新協会は、一体何をしようとしているの?」


 今までに何度も、織衣はそんな質問を彼らに投げかけた。あの日、四月以降の革新協会の活動は、平和から逃げ続けていた日本を混乱に陥れた。そして統帥の話を聞いた今でも、やはりその真意は掴めない。


 「知るか。向こうなりの正義を振りかざしているだけだろう」


 それは、今までに織衣が聞かされてきた答えを一緒だった。それはそうだろうと織衣は思うが、革新協会にとっての穂高の立ち位置が、ますます謎になるだけだった。


 「それより、早く本部に行きましょうよ。お腹が空きました」


 こんな状況で穂高が気の抜けることを言う。


 「私もお腹空いた~」


 恐怖という感情を失っているのかもしれない穂高と、ただ単に能天気なだけの緋彗の意見が一致する。


 「身支度は済んだか?」

 「はい。必要なものは業者に頼みました」

 「そうか。一旦本部に寄ってから、支部の方で飯を食おう」


 今日は早速穂高の歓迎会が開催される予定だ。ツクヨミの構成員の殆どが出払っているため、随分と寂しいものになるだろう……いや、同世代の連中は喜ぶことだろう。

 光が丘駅の近くに停められたセダンまで向かい、織衣と緋彗は先程と同じ後部座席、穂高は助手席に乗り込んだ。すぐに車は出発し、誰も通らない交差点の信号で待たされる。


 「あ、そうだ。お礼言ってなかったね。この前は助けてくれてありがとー」


 後部座席から緋彗が穂高に話しかける。穂高は未だに血を浴びた白シャツを着ているが着替えるつもりはないのだろうか。対向車のドライバーが気絶してしまいそうだ。


 「この前のことならもういいよ。僕は無理矢理、ボタンだったかスイッチだったか、あの女の人に差し向けられただけなんだから」

 「え? あのままだと私達死んでたかもしれないのに?」

 「そうなんだ」

 「ドライ過ぎない?」


 穂高のあまりにも冷たい反応に困惑する緋彗を見て、織衣は少し笑っていた。もしかしたら、今この場に織衣や緋彗がいなかったとしても、彼はどうとも思わないのかもしれない。


 「こいつらの監督責任を持つ俺からも、感謝の意を述べておく」


 信号待ちをしながら副メイドが言う。


 「随分と形式的な礼ですね」

 「これでお前のこれまでの所業を表向きは不問にしてやるんだから、こっちも感謝されたいぐらいだがな。その処理は死ぬほど苦労するんだからな」

 「不問に出来るもんなの?」

 「隠しておけば問題ない」

 「えぇ……」


 多くの未解決事件が迷宮入りになることだろう。いや、そもそも事件すらなかったことにされるかもしれない。警察からすれば、革新協会の連中が消えていくことはありがたいことだっただろうが。


 「ただ、前の牡丹との約束は守ってもらうぞ」

 「約束って何?」

 「能力者狩りには勝手に戦うことを控えてもらう。この組織に入ったからにはな」


 副メイドのその言葉を聞いて、織衣と緋彗は思わずお互いに顔を見合っていた。


 「それって……」

 「能力者狩りじゃなくなるってこと?」


 車が発進しても鷹取穂高は黙って窓の外を眺めているだけだった。

 今日この日から、鷹取穂高は秘密能力者組織ツクヨミの一員となる。そして、同時に能力者狩りではなくなる。

 その意味が、どうして牡丹がわざわざそんな約束をさせたのか、織衣には理解できなかった。ただの気休めか、倫理観の問題ぐらいしか考えられない。

 その理由を、織衣はまだ知る由もなかった。



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