5-46『ツクヨミ、札幌支部からす堂』
一年ぶりに札幌で迎える朝は、冬場の寒さに弱い織衣も驚く程清々しいものだった。ベッドから起き上がりカーテンを開けると、カラマツやスギの葉に積もった雪が朝日に照らされていた。
やはり織田家の客人用の寝具が高級だからだろうか。いつもなら鳴り響く目覚ましを嫌々止めて、何度も二度寝しようかと迷うところだ。ツクヨミ本部の寮にあるものも安物ではないが、この寝付きの良さを実感すると高級なものを買い揃えたくもなる。
身支度を整えていると、自分が持ってきた荷物の中に白い箱が見えた。中に入っているのは青いリボンのバレッタだ……あのピカピカ光るヘンテコ人間からの貰い物だが、結局バレッタを着けた姿を彼には見せていない。見せる前に大阪に行ってしまった奴が悪い。
どうして荷物の中にこれが入っているのか織衣自身不思議に思っていたが、織衣は鏡を見ながら自分の髪をセットして、朝食を取るためダイニングへと向かった。
「男でも出来たのかい?」
青いリボンを着けた織衣を見た里緒が最初に放った一言がそれだ。腹が立った織衣は里緒の頭をコツンと軽く突いていた。里緒の母親は朝早くから仕事で不在で、パンやスクランブルエッグなどの朝食は里緒が用意してくれていた。織衣は席に座りカフェオレを一口飲んでから口を開いた。
「気分転換だから」
「自分で買ったのかい?」
「ううん、貰い物」
「成程ね、よく似合っていると思うよ。髪を銀色に染めているのを見た時は織姫も都会の絵の具に染まってしまったのかと思ったけれど、こう見るとお人形さんみたいだねぇ」
そういえば札幌にいた頃の自分は黒髪だったしもう少し長めにしていたなと、織衣は自分の髪に触れながら思い返していた。
「織姫はどうして髪を銀色に染めたんだい?」
「うーん……尊敬している人が、銀に染めてたからかな」
「例のピカピカ光る人?」
「ううん、あの人は黒髪だから。ちょっと白髪が入ってるけど」
髪を染める人の多くは大体金髪か茶髪を選ぶだろう、東京でもよく見かける。同じツクヨミの中にいる緋彗や千代だって赤を入れているし、和歌は気分によって良く変えるが今は淡いクリーム色だ。里緒も茶髪だが染めているわけではなく地毛である。
織衣はメッシュやハイライトではなく全体を銀に染めているため良くも悪くも目立つ容姿をしていた。札幌といた頃とは随分と印象が違うように見えるはず。しかし空港で織衣を出迎えた里緒はすぐに気づいていたし、彼女の容姿に大して驚いている様子もなかった。
「……“出来る限り美しく見せなさい、恋は盲目なんて誰が言ったのかしら?”」
朝食のパンをつまみながら里緒はドヤ顔で呟いた。
「メイ・ウエスト?」
「そうだね、前に織姫が教えてくれた言葉だよ。織姫はどう思う?」
「さぁね」
昔の織衣は映画の作中や俳優の名言を、里緒は文学作品や作家の名言をお互いに教え合うbotのようになっていたが、よく覚えているものだと織衣は感心していた。織衣がパンにいちごジャムを塗っていると里緒が話を続ける。
「“いつも笑顔の子が一番美しい”」
「……オードリー・ヘップバーン」
「うん、ローマの休日はいつ見ても良いものだね。どう? 織姫は愛嬌を振りまいているかい?」
「私がそんな風に見える?」
「うーん、昔の織姫は結構振りまいていたと記憶しているけどね」
それは子どもの時の話だ。今の織衣だって愛嬌を振りまかないように意識しているわけではない。ただ誰にでも普通に接しているつもりだが、それが皆には冷たく見えているようだ。おかげで氷の女王とかいう不名誉なあだ名までつけられるし、初対面のツバキに「友達いんの?」とも煽られる。
「私はどうだい? いつも笑っているつもりだけど」
「里緒は笑ってるというかニヤついてる」
「それは残念」
里緒もそうだが、確かに緋彗や和歌達は織衣よりも笑っているように思えた。織衣だって勿論面白いものを面白いと思うぐらいの気持ちはあるが、その時に顔が笑っているかは意識したことがない。緋彗や和歌に次いで一緒にいる機会が多い穂高も、織衣の笑顔なんて見たことがないと前に言っていた。しかしかといって急に愛想が良くなるのもおかしな話だろう。あのクソガキが調子に乗るようなことをするのも癪である。
織衣は気心知れた里緒との距離感が心地よかったのだ、だが、これに甘えてばかりはいられないとも思い始めていた。
朝食を食べ終えると、織衣は里緒と共にコートを羽織って外へ出かけた。今日は里緒が所属しているというツクヨミの札幌支部へ案内してくれるそうで、バスに乗って白い街を進み札幌駅の隣である桑園駅へと向かった。桑園駅は札幌の中心部に近く駅の周囲には市立病院や商業施設、マンション等が林立しており、織衣は里緒に連れられて駅から少し離れた住宅街を歩いていた。
「支部って何人ぐらいいるの?」
今日も札幌はサラサラとした雪が振っており、織衣は白い息を吐きながら里緒に聞いた。
「支部に所属してるのは三十人ぐらいだね。北海道全体なら百人弱ぐらい、籍は置いてないけど協力者って感じの人はもっといるらしいね。中学生から御年百歳になるご老人までいる愉快な場所だよ」
「……ただの憩いの場だべや」
「うん、違いないね。東京と違って北海道は平和だから」
住宅街の中を進んで路地の角を曲がろうとすると、突然織衣の耳に男の怒号が聞こえてきた。
「こんなバッタもんばかり売りつける気かぁ!」
何事かと思って角を曲がると、路地の先にある三階建てのビルの入口から青いジャンパーを着た中年ぐらいの男が怒り心頭という様子で体をワナワナと震わせながら飛び出てきた。
「うっせーわてめぇの目が腐ってるだけじゃろーが!」
今度は女の怒号が聞こえてきたかと思えば、建物の中から竹刀を片手に持った赤いジャージ姿の、白髪交じりの女が怒鳴りながら下駄の音を響かせながら出てきた。
「俺の知り合いには目利きの良い奴がいるんだ、今度そいつを連れてきてその商売をぶっ潰してやる!」
「おうおうやってみろやそん時は二度とてめぇの目が開けなくなるようにしてやるからのぉ!」
中年の男はビルの前に止めてあった自転車に乗ると、怒りながら路地の向こうへと不機嫌そうに走り去ってしまった。走り去っていく男に向けて、赤いジャージの女は竹刀をぶん回しながらまだ喚いているところであった。
「あそこが札幌支部だよ」
「え、あれが? 近づきたくないよ?」
「大丈夫さ、よくあることだから」
「ますます近づきたくないんだけど?」
あんな口論をよく繰り広げている怪しい店、しかも竹刀を片手に持って商売をしているような女の元に織衣は向かいたくなかったが、里緒に手を引っ張られて渋々札幌支部へと向かった。
「あ? 誰だてめぇ……って織田の里緒か」
竹刀を持った女は近づいてきた織衣達を一瞬睨みつけたが、里緒がいることに気がつくと表情を緩めていた。赤いジャージを着た女は織衣達よりも年上のはずだが、何歳ぐらいかはわかりにくかった。顔立ちは若いが髪はボサボサで白髪交じり、三十代前半から五十代後半ぐらいか。中々ジャージ姿で下駄を履いている人間は見かけない。
「おはようございます、一ノ瀬さん」
「そん子がよく言ってた友達か?」
「あ、姫野織衣です……」
「うん、話は里緒からよく聞いてる。私はこの札幌支部の支部一ノ瀬薫、長いことここで働かせてもらってるよ。まぁ外は寒いべ、早く上がり」
ついさっき激しい口論を繰り広げていた女とは同一人物とは思えない優しげな雰囲気で、織衣は恐る恐る薫と握手を交わした後、札幌支部の建物の中に通された。
ツクヨミの札幌支部は表向きは『からす堂』という骨董品屋で、建物の中には古そうな壺や絵画だけではなくヴィンテージものの家具や楽器も所狭しと煩雑に並べられていた。殆ど足場のない店内を進むと、薫はカウンターの前に椅子を二つ出して織衣と里緒はそれに腰掛けた。薫は奥の部屋から二人に温かい緑茶と茶菓子を持ってきてカウンターに座る。相変わらず竹刀を持ったままである。
「去年の話は本部から聞いてる。私もこき使われたからね。
んで、お前さんはあの時札幌で何が起きていたかを知ってんのかい?」
「何か、能力が街中にばら撒かれたっていうぐらいにしか……」
去年のクリスマス、札幌では能力を発現したものの制御できずに犠牲となった能力者が百人程出ている。それは札幌周辺で小泉悠遠著の『キロク』を流通させていたグループによる実験という風に織衣は聞かされていた。四月デストラクション後、革新協会という能力者のテロ組織が活動を始めるようになると、織衣はそれと札幌での事件は関係しているのか渡瀬達に尋ね、無関係ではないだろうと教えられていた。
「おい里緒、アレを持ってきな」
「わかりました」
里緒は立ち上がって店の奥にある物置らしき部屋へと向かう。里緒の姿が見えなくなったのを確認すると、薫は小声で織衣に呟いた。
「お前さん、織田の里緒に弱味でも握られてるのか?」
「え? どうして?」
「いや……あまりこういうことは言いたくないんだが、あの織田の里緒が心の友と言っている人間だから絶対まともじゃないと思ってた。お前さんは能力者にしては大人しそうに見える」
「里緒はあぁ見えて可愛いところもありますよ?」
「そうか? まぁお前さんが言うのならそうなのかもしれんが……アイツのことは大事にしてやってくれ。アイツに必要なのは、良き理解者だろうからな」
里緒は良くも悪くも正直な人間だ。中学の頃も国語のテストの問題がどうだこうだと国語教師にダメ出ししているような中々に生意気な生徒だった。国語教師がそのダメ出しすらも受け入れられるほどの器の人間だったなら里緒が学校をサボるようなこともなかっただろうが、その真っ直ぐさは高校でも変わらないのだろう。
一時すると里緒は二冊の本を手に持って戻ってきた。里緒が持ってきたのは黒い装丁で赤い帯がついた『キロク』だった。
「これのことは覚えているだろう、織姫」
「お兄ちゃんと里緒が持っていたやつ?」
「そう。能力者だったら読めるらしいんだけどどう?」
織衣は里緒からキロクを一冊、若干手を震わせながら受け取った。そして最初のページ、前書きを開く。
一年前に触ったものでも、織衣は内容を鮮明に覚えていた。そこには『奇跡は起こる、君が望めば』としか書かれていない、殆ど空白のページがあるはずだった。
『この世界の奇跡となる君へ』
しかし今の織衣には、前書きにびっしりと文章が書かれているのが見えた。それは暗号のように訳のわからない文字列ではなく、しっかりとした日本語の文となっていた。
「やはり、読めるんだね?」
里緒にそう聞かれて織衣はコクリと頷いた。薫は里緒の分のキロクを持ってページをパラパラを捲っていたが、訝しげな表情で溜息を吐いて織衣に言う。
「このキロクっていうのはね、能力者にしか読めないような細工がされてるんだよ。私ら一般人には前書きのくっさい一文しか読めないし、他の文は暗号みたいな滅茶苦茶な文字にしか見えないのさ」
織衣の隣で里緒もうんと頷いていた。この不思議な本が流通していたのは、この本を解読することが出来る人間、つまり能力者を探すためだったのかもしれない。
「去年の騒動は、ある組織が行った大規模な実験っていう風に本部の連中は言っていた。このキロクを売り捌いていた組織は世界が滅ぶかもしれないと学生達の不安を煽って仲間を増やしていったらしい。バカを捕まえるのは簡単だが、頭の良い連中も潜在的な恐怖を突けば簡単に引っかかる。お前の兄貴、姫野絃成もその組織に誑かされたんだろう」
「でも、私の兄がどうやって能力者になったのかわからないんです」
「去年のクリスマス、まるでサンタからのプレゼントのように空から札幌に五寸釘がばら撒かれたんだ」
「五寸釘が?」
すると薫はカウンターの引き出しを開けてゴソゴソと中を漁ると、一本の五寸釘を取り出して織衣と里緒に見せた。
「これは普通の五寸釘だが、ツクヨミはこれを人形か何かにぶっ刺して、神社とか寺に集まる能力のエネルギーが暴走しないように封印しているらしい。一定量のエネルギーが溜まると、その釘は一般人が触ると、いや最早近づくだけでその瞬間に能力が暴走して死んじまうぐらいの呪物になる。そんなもんが街にばら撒かれてみろ、そこら中で能力者が生まれては死んでいっちまう」
「じゃあ私の兄も、それで能力を?」
「お前の兄貴はクリスマスの前から能力者だったはずだ。多分連中に唆されて実験に参加して、この釘の気に当てられて能力を発現したんだろう。まぁそれで普通に能力者になれたんだから、一応それだけの器はあったのさ。
能力者を意図的に作り出すことは難しい。それをどうにか作れるように出来ないか、それがキロクを売り捌いていた組織の実験さ。この世界を救うという宗教じみた目標のもとに集った学生達に能力を発現させたのも、街に物騒なものをクリスマスプレゼントのようにばら撒いたのも、人工的に能力者を生み出せないか実験しようとしていたからさ」
意図的に能力者を生み出すのは難しいと渡瀬達は言っていた。しかし革新協会はフラワーという能力を持つ改造人間の開発に成功している。去年の札幌での騒動の真相を知ると、やはり無関係ではないと織衣は思った。札幌での騒動はその前兆だったのだ。
織衣の横で薫の話を聞いていた里緒は緑茶を啜って一息ついた後、口を開いた。
「実はちょっと前に、本部から去年の騒動の首謀者がわかったかもしれないって連絡が来たのさ。
『ツバキ』っていう人らしいんだけど、織衣は知っているのかい?」
織衣はその名を聞いて一瞬耳を疑ったが──不思議と納得もしていた。ツバキという敵の存在を知っていれば、札幌での騒動の意味もわかってくる。
「……うん、知ってる。和光事件を起こした人でもあるから」
「え、和光事件も?」
「東京でも実験をしてたのか?」
「いや……それとは関係がないと思う」
ツバキは能力で他人を操る事が出来る。ならばわざわざ学生達に声をかけて集めなくても、その能力で操ることが出来てしまうはずだ。もしも織衣の兄、絃成もツバキに操られていたのなら両親を殺したことも納得がいく……信じたくはないが。
和光事件の経緯を聞いて、織衣は穂高のことを可哀想に思うこともあった。だが織衣も、ツバキの狂気の能力による被害者だったのだ。
「ツバキは革新協会の幹部らしいな、札幌での騒動はその前身組織が起こしたと考えていい。噂に聞く改造人間とやらも、そういう実験を踏まえて作り出したんだろうな。
それが去年の騒動の顛末さ」
札幌の騒動の真相を聞いた織衣は、今更家族をそんな目に遭わせたツバキ達に対して特別恨みを抱いたり怒りを覚えたりもしなかった。未だに過去を乗り越えたとは言えない、若干早まった織衣の心臓の鼓動が緊張を伝えていた。
ただ、穂高と同じ場所に立てるような気がしたのだ。同じ能力者と言えど、織衣と穂高の間には能力者として目指しているものに大きな差があっただろう。穂高には倒したい敵が次から次へと生まれてくるだろうが、織衣は自分と戦い続けていたのだ。
しかし、穂高と共通の目標が出来た。ツバキという敵はただ強いだけではない、その思想が危険だ。織衣は初めてツバキと出会って戦い、その狂気の恐ろしさを知った。彼女の行為で不幸になるのは自分達だけで十分なはずだった。
織衣は未だ去年の出来事を乗り越えたとは言えない。若干早まる織衣の心臓の鼓動がそれを伝えている。だがそれと同時に、これで少しは彼のことを理解できるかもしれない、と織衣は感じていた。




