5-41『交叉した運命』
江坂駅を出て十五分程歩くと、新御堂筋の上にかかる、防音壁がついた高架橋の近くに辿り着いた。どうやら名神高速道路が東西方向に交差しているようで、そのさらに上には大阪メトロ御堂筋線の線路橋が南北にかかっていた。交通量が多いようで車の走行音がひっきりなしに聞こえてくる。
「穂高君には何か見えるかい?」
交差点で立ち止まると渡瀬が穂高に聞いた。穂高は辺りをキョロキョロと見回したが、道路や線路の高架橋の他にはマンションぐらいしか見当たらず、能力者が関係するような場所には見えなかった。
「いえ、何も。ここに何かあるんですか?」
「そうか……じゃあ僕が考えていたのとは少し違うかもしれないね」
渡瀬の推測では、ここで穂高に何か見える予定だったらしい。穂高は霊感もなく、少しは能力の残滓というものも見えるつもりだが、この場所に革新協会や十字会の拠点があるようにも思えなかった。
「僕の能力については説明したよね」
「『支配』、ですよね」
「うん。でも穂高君は他に何かカラクリがあると思っているよね?」
「……そうですね」
昨日、大阪港の倉庫での戦いで穂高は紋章共鳴を発動してまで渡瀬の能力を探ろうとした。それは渡瀬を倒したいというよりかは単なる能力者としての好奇心によるものだったが、結局何も推理出来ずにいた。
「前に説明したように、能力に方向性を定めると安定して能力を使えるようになるんだ。だから僕も、自分の能力にテーマをつけているんだ。それが解けたら、僕の能力のカラクリもわかるかもね」
渡瀬はサファイアの装飾が施された黒い手袋のジュエリーを右手にはめると、その手で地面に触れた。
「僕は出力を抑えるために、僕の能力が作用する範囲を限定する。まぁ支配系の基本だね。今回は半径五十メートルぐらいでいいかな」
能力が作用する範囲を限定するという支配系の能力は穂高にとって新鮮なものだった。穂高の『光』の能力は力加減しなければ光線なんて一キロ以上飛んでいくこともある。
「じゃあ少し時間旅行でもしようか」
「はい?」
「今から十年前、この場所で起きたことを一緒に見ていこう。僕に掴まってて」
「え、本当にタイムトラベルを?」
すると突然周囲の風景が目まぐるしく、まるでミキサーに混ぜられていくように色が混ざっていき、穂高達は回転する渦の中心にいた。
「な、何をしたんですか!?」
穂高は地に足がついているのかもわからないまま必死に渡瀬の腕に掴まっていたが、渡瀬は涼しい顔をしていた。
「まぁ、これも勉強だよ」
穂高の問いに対して渡瀬が答えをはぐらかしたまま、段々と空間の回転が収まっていき周囲の風景が鮮明に見えるようになっていく。場所は変わらず新御堂筋や名神高速道路が見えていたが、周囲に生えている草木が生気を持った緑色で、近くの建物に入居している店舗も変わっていた。
「二〇一五年、五月十八日。朝の九時三十二分頃だね」
「え、これが十年前の風景ですか?」
「穂高君はまだ六歳ぐらいの頃かな、小学生にもなっていないね。
さて……九時三十三分になるね。ちょっと上の方から見ていこうか」
「う、うわぁっ!?」
穂高は渡瀬に手を引っ張られて宙に浮いた。浮いている、というよりかは空中にある透明な足場に立っているような感覚だった。白昼堂々、穂高と渡瀬は空中に浮いているが周囲を行き交う人々に二人は見えていないらしい。
宙に浮くと、新御堂筋や名神高速を走る乗用車やバス、大型トラックなど多数の車がよく見えた。
「九時三十三分四十秒……よく見てて」
すると、名神高速の名古屋方面から複数の黒い物体が空中を一瞬で過ぎ去っていくのが見えた。あまりにも一瞬でそれが何なのかわからず、銃弾や砲弾か何かかと穂高は思っていたが、それが何だったのか考えようとした途端──何の前触れもなく名神高速の高架橋が突然爆発を起こして崩落したのだ。高速道路を走行していた大量の車両が巻き込まれ、新御堂筋には高架橋の下敷きになった車が何台もあった。穂高は咄嗟に能力を発動して現場に駆けつけようとしたが渡瀬に止められた。
「僕達はあくまで、十年前にこの場所で起きたことを見ているだけだよ。過去は変えられない。
さて、さっき高速道路の上を何が通り過ぎていったか、穂高君には見えたかい?」
「いえ……黒い影ぐらいしか見えませんでした」
「じゃあ少し戻そうか」
渡瀬が右手の人差し指を空に向けてクルクルと回すと、録画が巻き戻されたように風景が戻っていく。そしてゆっくりと、高速道路の上を過ぎ去っていく黒い物体を目で捉えることが出来た。
防音壁の上の僅かなスペースを器用に駆けていく二つの人影。どちらも背中に三日月が描かれた黒いコートと、三つの三日月が目と口を表すように描かれた黒い仮面を被った──ツクヨミの能力者だ。どちらも顔はよく見えないが、その小柄な体格とフードの隙間から伸びる金と銀の長い髪からどうやら女性らしいと穂高は気づいた。
「誰かわかるかい?」
手前の方を走る銀色の髪の少女。ツクヨミに所属するメンバーの中で髪を銀色に染めているのは二人しかいない。一方は姫野織衣、しかし十年前の彼女は穂高と同じく六歳、ここにいるわけがない。だとすれば残るのは──。
「……牡丹さん?」
「うん、正解。あの牡丹さんにも女子高生だった時代があっただなんて、信じられないでしょ?」
「そうですね」
十年前なら牡丹は十七歳、高校二年生ぐらいである。
そしてもう一方、向かい側の防音壁の上を走るもう一人の少女。金色の髪だが、穂高が出会ったツクヨミのメンバーには金髪の人間はいなかった。
「もう一人はどなたです?」
「わからない? 穂高君は知っているはずだよ。穂高君が出会ってきた能力者で金髪の人……リーナちゃんじゃないとすれば、他には誰がいる?」
リーナも金髪だが彼女も同様に当時六歳だ。穂高が知っている能力者、革新協会等も含めれば……思い出したくもない顔が穂高の頭をよぎった。
その顔を思い出し、そして渡瀬はその答えを信じられずに渡瀬の方を見た。まさかそんなはずが──渡瀬は穂高に微笑みながら口を開いた。
「あれはツバキさんだよ。剣城椿、牡丹さんの妹」
渡瀬のその答えを穂高はすぐに受け入れることが出来なかった。
あのツバキが牡丹の妹?
あのツバキが、元々ツクヨミにいた?
あのツバキが、牡丹と一緒にいる?
牡丹とツバキはそこまで容姿が似ているとは思えない、だがあの恐ろしい無邪気さは似ているような気がしなくもなかった。
「この時は牡丹さんが十七歳ぐらいだから、ツバキさんは十五歳ぐらいかな。昔はこうして一緒にいたんだよ」
「……ツバキがツクヨミに?」
「うん。そしてこの二人はある人物を追いかけていた……もう少し巻き戻そうか」
渡瀬が再び右手の人差し指をクルクルと回すと時間が巻き戻り、牡丹とツバキの先を駆けていた人影が穂高の目の前に現れた。それは辛うじて人影と認識できる物体で、まるでモザイクがかかっているかのようなボヤけた物体だった。
「誰かわかる?」
「いや、わかりませんが。渡瀬さんがモザイク処理を?」
「ううん、これはジャミングみたいなものだね。僕の能力でも看破出来ないみたい」
どうやら牡丹とツバキは、そのモザイクがかった人物を追いかけているようだ。渡瀬の能力によって時間が停止しているからこそ彼らの姿を目で捉えることが出来るものの、時間を元に戻せば誰かがこんな高速道路の防音壁の上を走っているとは信じられないはずだ。
「牡丹さんとツバキさんは任務でとある人物を追っているところだったんだ。普段は真っ昼間にこんなことやらないんだけどね。当時はまぁ人目を気にする暇なんかなかったんだよ」
「それって、お家騒動とか?」
「さぁね、僕がまだいなかった頃だから詳しくは知らないよ」
千代の兄、藤綱洋はツクヨミのお家騒動じみた事件に巻き込まれたと話していた。彼が過度に曲解して話した可能性もあるが、渡瀬がそれを知らないとは思えなかった。先程嘘は良くないと渡瀬は言ったばかりだが、それも誰かを守るための嘘か。
「さて、さらに時間を戻して下に降りてみよう」
時間が戻され、新御堂筋にかかる名神高速の高架橋の下に二人は降りていた。すると橋の側に中型トラックを停めて、運転席から降りて立ち去っていく中年ぐらいの男の姿が見えた。
「昔はツクヨミを狙う組織が多くてね。牡丹さん達がここを通ることを察知した敵対組織がここに爆弾を仕掛けたんだ。結構な量のね。
でも牡丹さん達が通り過ぎるのがあまりにも速すぎて、爆弾が爆発した頃にはもう牡丹さん達はいなかった。ここにいたのは……無関係の一般人ばかりだったんだ」
時間が進み、名神高速を牡丹達が一瞬で通り過ぎた後──トラックに仕掛けられていた爆弾が大爆発を起こして名神高速と御堂筋線の橋が凄まじい轟音と共に、辺り一帯が見えなくなるほどの粉塵を上げながら崩落した。巻き起こる粉塵に穂高は思わず顔を手で覆ったが、そこで起きていることがよく見えた。
「死者は十八人、負傷者は五十人以上。その死者の中には、千代のご両親もいたんだ」
宙を歩いて移動し、崩落した名神高速を挟んで向こう側の御堂筋を見ると……瓦礫に押し潰され、漏れ出たガソリンから炎が上がる車の側で、足や腕に擦り傷を負った少女が泣き叫んでいた。
「爆発に気づいた牡丹さんとツバキさんが現場に戻ってくると、牡丹さん達を待ち伏せするために待機していた敵との戦闘が起きた。相手は勿論能力者、二十人ぐらいかな。対する牡丹さんとツバキさんは二人、でも二人にとっては敵じゃなかっただろうね」
崩落した高架橋の周辺で能力者達の戦闘が始まった。敵は穂高が今までに戦ってきた白コートを羽織った集団ではなく、河童やがしゃ髑髏、ろくろ首などまるで妖怪みたいに変身してさらに刀やライフルなどの武器を持った集団で、牡丹は真面目に戦う気があるのかないのかけん玉を片手に、そしてツバキは犬や猿などの動物を召喚して戦っていた。
爆発、そして崩落から生き残ったものの目の前で繰り広げられる非現実的な戦闘を目の当たりにした生存者達も、逃げ惑い戦闘に巻き込まれて次々に死んでいく。そんな戦場の中で、泣いている幼い少女──藤綱千代にも銃口が向けられようとしていた。
「九時三十五分二十秒──千代は奇跡を手に入れた」
泣いていた少女の右目に赤い光が灯った。同時にその目を中心に、黒い花の紋章が彼女の体を覆い尽くすように咲き乱れていく。千代は牡丹が持っていたものと同じようなけん玉を片手に、そしてツバキと同じようにネコやウサギなどの動物を召喚して自分の身を守ろうとしていた。
例え目の前の出来事が映像のようなものだとしても穂高は気が気でなかった。自分の身に起きている出来事ではないのに、何故か息が苦しくなり体が震え始める。
「千代の『模倣』の能力は、あの二人の真似事から始まったんだ。それを千代の器に合うように調整して、今の“本当の偽物”が生まれた。牡丹さん達との修行でね。
千代も容量は大きい方だけど、まだ九歳の子どもが扱うには難しい力だっただろうね」
牡丹とツバキは戦闘の最中、新たな能力者の誕生に気がついたようだった。千代は能力の発現と同時に敵を三人同時に倒したが、出力を抑えきれずに花の紋章が体全体に広がっていく。花が満開になれば能力者は死に至るという、もう限界が近い。牡丹は千代の側に駆け寄り、その小さな体を抱きしめた。
「僕達……赤い光を持つ守護者は、他人の能力が発現する瞬間を察知することが出来るんだ。牡丹さんは幼い子どもが能力を発現したことに驚いて、そして能力が暴走して自壊してしまわないように必死で宥めたんだ」
暴走に近い能力者に近づくのは危険なことだ。現に今も、能力を制御できずに暴走する千代は、ゾウやワニ等の危険な動物、おもちゃの剣やエアガンを絶え間なく生み出し続けている。しかし牡丹は、そういった千代の攻撃を受けながらも泣きながら千代に何かを訴えかけていた。ツバキも敵を始末し終えると千代の元に駆け寄って、彼女の攻撃に対処していた。
「千代は能力を手に入れた。後にツクヨミの本部に引き取られて、そこで生活することになったんだ。当時高校生で事件に巻き込まれなかった千代のお兄さんは大阪に残ったけどね」
渡瀬が手をパンっと叩くと、崩れていた高架橋が一瞬で元に戻っていた。どうやら現実世界に戻ってきたようだ。相変わらず交通量が多いようで車の走行音が響いている。先程の風景が頭から離れずボーッとする穂高に、渡瀬は微笑みながら言う。
「昨日の話は聞いたよ。千代のお兄さんと喧嘩したらしいね。穂高君が喧嘩をするなんて意外だよ、そんな酷いことを言われたのかい?」
「いや……僕もカッとしちゃったので……」
「千代のお兄さんは僕達のことが大嫌いだからね。わかるだろう? この事故は、いや事件は僕達がいなければ起きなかったんだ。だからあの人は能力者全員が嫌いなんだよ」
瓦屋が穂高に能力者が嫌いかと聞いてきたのは、穂高も似た境遇だったからだろう。そもそも能力者がいなければ椛が殺されることもなかったし、四月デストラクションも起きなかったはずだ。
だが穂高は既に多くのことを知っていた。特定の誰かを恨むには多くのことを知り過ぎていたのだ。
「今日見たことは、千代には黙っておいてね。僕がただでは済まないから」
渡瀬は冗談のように言うがそれがあまり冗談に聞こえない。確かに、自分が知らない所でこういうことを勝手に教えられているのは気持ちが良いことではない。
「……あの、ツバキっていつまでツクヨミにいたんですか?」
「五年前までだよ。福岡事変で死んだんだことになってたんだけど、どうやら生きていたみたいだね。なんであんなことをしているのかは知らないけど」
穂高は過去の、ツクヨミに所属していた頃のツバキを僅かな間しか目にしていないが、今の彼女が持つような邪悪さは無かったように見えた。千代が能力者となったこの事件から今までのこの十年の間に人が変わってしまったというのか。
「この事件は、福岡事変に関係してるんですか?」
渡瀬がツクヨミに加入したのは五年前に起きた福岡事変の後の話だ。それでもこんな能力を使える渡瀬なら知っているかもしれないが、千代に聞くのが確実か。だが、どうも彼らは福岡事変で起きていた出来事を隠したがっているように見えていた。
「それについては、なんとも言えないかな。僕はまだ、君にこれを話すことが得策だと思えない」
「どうしてですか?」
「穂高君が、余計に変なことに巻き込まれるような気がしてね。穂高君の精神が錯乱して暴走されるのも困るし」
「……そうですね」
昨日、洋との口論の際に穂高は僅かに福岡事変での出来事を思い出しかけた。穂高はまだ、それを乗り越えるだけの強さを持っていない。
五年前、例えツクヨミがどんな立場で福岡事変に関わっていたとしても、今の穂高の居場所はここだ。真実から目を逸らす理由は、それだけで十分だった。
「ツバキがツクヨミにいたことは、皆知ってるんですか?」
「いや、幹部ぐらいかな。斬治郎君達も知らないと思うよ」
ツバキが牡丹の妹であると知ったら、織衣はどう思うだろうか。
織衣はツバキとの対戦経験があり、彼女の能力の凶悪さを知っている。その不必要な情報で戦いの最中に戸惑うことがあっては命取りだ。ならば隠しておく方が賢明だろうと穂高は考えた。
「……千代さんは、ツバキと仲が良かったんですか?」
「うん。牡丹さん達を実の姉のように慕っていたんだよ。まぁツバキと再会した時は容赦なくボコボコにしていたね、血も涙も無いよ」
そういえば穂高と織衣がジャンとツバキと戦った後、病院へ襲撃に来たツバキを千代は追っ払った。しかも結構容赦なく痛めつけていたなと穂高は思い出していた。あれは千代なりの再会の喜びの表現か、それとも信頼していた人間に裏切られた怒りの顕れか。
「千代も複雑だろうさ、それに実の姉である牡丹さんや、知り合いだった詠一郎さん達もね。でもまぁ、だからって手加減するような優しい人達じゃないよ、どちらともにね」
渡瀬は江坂駅の方を振り向いて歩き始めていた。穂高も渡瀬の後ろをついていこうとしたが、チラッと後ろの高架橋の方を振り向き、そこで泣き叫んでいる少女の幻影を──頭から取っ払って渡瀬の後ろを歩いていた。




