5-40『消えた面影』
今日、渡瀬とは吹田市の方にある江坂という駅で九時頃に待ち合わせの予定だ。それまで時間があったため、穂高は下宿している部屋から下に降りてビルの二階にある大阪支部の事務所を訪れていた。
大阪支部の事務所は、一般企業の事務所のように多数のデスクや書類棚に来客用のソファ等が置かれていて、秋葉原にある副メイドの畳敷きの支部よりかは事務所らしい体裁を保っている。ここも秋葉原のようによくわからない資料が山積みにされていてとっ散らかっているが。
「おぉおはよーさん。今日は一段と冷えるらしいで、ごっつ寒くてたまらんわ」
支部長である瓦屋は一番奥にあるデスクに座って大量の資料と格闘しているところだった。穂高は床に置かれている大量の段ボール箱を避けながら瓦屋が座るデスクの前まで向かい、そして頭を下げた。
「昨日はご迷惑をおかけしてすいませんでした、瓦屋さん」
結局昨日のあおさぎでの騒動以来、穂高は瓦屋達と顔を合わせていなかった。昨日、千代の兄である洋との口論で店に迷惑をかけたことは穂高も自覚していた。
「そんなん気にせんでえぇよ。そういうときもあるもんやろ」
瓦屋は「顔を上げてな」と穂高に言うと持っていた資料を机にドン、と置いて瓦穂高の方を向いた。
「あれぐらいじゃ大阪人の口喧嘩に敵わんで、酒の入ったお客さんなら尚更な」
「……ありがとうございます」
「ええよええよ、俺も一応『店長』という立場があるさかい、注意はしとかんといけなかったからな」
店長という言葉を強調するあたり、どうも彼らはあおさぎの店長という立場にプライドがあるらしい。
「まぁあまり洋君のことは悪く思わんでやってくれや。あの子は能力者が嫌いなんや、能力者に人生を滅茶苦茶にされたようなもんやからな。まぁだからってあの子を許せとまでは言わんよ、あの子自身の態度にも難があるからな」
「洋さんの話は本当なんですか? その……ツクヨミの諍いに巻き込まれたってのは」
「うん、十年ぐらい前の話やな。新御堂筋にかかっとる名神高速の橋が崩れたんや。表向きは点検ミスってことにされたけどな。千代ちゃんは東京の本部に引き取られて、洋君は大阪支部の方で引き取ることになった」
「どうして別々に?」
「千代ちゃんは能力を持っとったけど、洋君はそうじゃなかったんや。一緒に東京の方に住まわせるって案もあったけど、洋君がそれを嫌がってなぁ。もうその頃から二人は犬猿の仲やった。千代ちゃんは大阪に来ても洋君とは顔を合わさんからな」
穂高は能力を手に入れたが、妹である椛は能力を発現することはなかった。もしも椛が今も生きていて、穂高がツクヨミに加入していたらどうなっていたのだろうと彼は考えた。椛は汀さえ助けられなかった穂高を責めることはなかったが、自分が死んだ今は何を思っているのか、その答えは聞きたくなかった。
「そういや……タカちゃんは福岡の出身なんか?」
「はい。生まれも育ちも福岡です」
「そうなんか……じゃあ五年前も福岡におった?」
「はい」
「そうか……」
多くを語らずとも、五年前の福岡事変を体験して今この場所にツクヨミの能力者として存在していることで、瓦屋は穂高の身に起きたおおよそのことを推察できただろう。その表情が一気に暗くなる。
「ご両親はその時に?」
「はい」
「そこでツクヨミに引き取られたんか? いやそれやと能力者狩りの辻褄が合わんな……」
「東京にいた叔父さんに引き取られたんです」
「そういうことやったんか。じゃあその叔父さんは四月に、妹さんは六月にってことなんか?」
「はい」
瓦屋は暗い表情で頭を抱えていた。穂高と洋は境遇も環境も違ったとはいえ、その二人も反りが合わないことを理解したはずだ。穂高も家族や友人を助けられなかった自分の未熟さも、能力者に人生を滅茶苦茶にされた洋の言い分も理解しているつもりだ。しかし千代のことを悪人のように言うのが許せなかったのだ。
「自分は、能力者を恨まんのか?」
「いえ、僕が嫌いなのは革新協会と十字会なので」
「五年前のことにツクヨミが関わっていたとしても?」
穂高も薄々気づいていることではあった。四月以降、能力者狩りとして活動するようになってから何度も考えたのだ、福岡事変と能力者の関係について。あの事件にツクヨミが関わっていないわけがない、だとすれば穂高の人生は何度も能力者達に狂わされたことになる。革新協会にも十字会にも、ツクヨミにも。
「今は、ここの方が居心地が良いんです」
穂高は小さく笑ってそう答えた。穂高には五年前の記憶がない。いや、思い出そうとしなかったのだ。しかし昨日、洋と口論する中で僅かにその記憶が蘇ってしまったのだ。
例え五年前、あの福岡事変をツクヨミが引き起こしていたとしても、穂高は牡丹達に逆らうことは出来ない。それにツクヨミがあんなことを起こす理由も穂高にはさっぱりわからなかった。それを推理するだけの材料を、穂高は何も持ち合わせていなかったからだ。
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御堂筋線に乗って穂高は江坂駅に到着していた。待ち合わせ予定の九時前だ。しかし改札を出てすぐの券売機の近くで、黒スーツの上にブラウンのコートを羽織った渡瀬が佇んでいた。
「やぁ、おはよう穂高君」
いつも一緒にいるはずのエリーの姿はなく、渡瀬が穂高に笑顔を向けているだけだ。
「おはようございます。エリーはどこに?」
「あぁ、ちょっとおつかいに行ってもらっててね。まずは僕と二人で行こうか」
穂高は渡瀬の後ろをついていき駅から道路に降りると、北の方向へ歩き始めていた。周囲にはオフィスビルや様々なチェーン店が入居するテナントビルが並んでいたりと人通りが多い地区だが、東京に比べると警戒にあたる警察官や自衛隊をあまり見かけない。昔は当たり前だったはずのその光景が新鮮に思えるような場所だった。
「今日の午前中も座学がメインかな。昼からは戦うことになるかもしれないけど」
「そういえば、革新協会と十字会の拠点って絞り込めてるんですか?」
「ううん、全然」
「……年明けまでに間に合うんですか?」
予定では三が日終わりで東京へ帰ることになっているが、既に十二月二十八日、そう考えると既に一週間を切ってしまっている。渡瀬が言う目標、大阪にあると思われる謎の拠点を潰すための時間はあまりにも短いように思えた。
「探そうと思えば、意外と簡単に見つかるかもしれないよ」
随分と楽観的だ。穂高の修行という名目さえ無ければ渡瀬一人でも解決できてしまいそうな問題ではあるが、修行にしてはまだ手ぬるいと穂高は感じていた。
「でも、急いだ方が良いんじゃないですか? もしかしたら予定より早く拠点が完成しているかも知れませんし」
「よく食べてよく寝ること、それが大前提だよ。能力者狩りだった頃の穂高君は、それが抜け落ちていたんじゃない?」
確かにツクヨミに入る前の、能力者狩りだった頃の穂高は毎日のように睡眠時間を削り、まともに食事も取らずに夜の街を放浪していた。ツクヨミに入ってからは幾分か規則正しい生活を送れている。
「それが僕の修行になるんですか?」
すると渡瀬は足を止めて穂高の方を向くと、穂高の左手首を掴んで穂高の顔の前まで持ってきた。穂高の左手には包帯が巻かれていて血が滲んでいた。
「じゃあ、この包帯は何なんだい?」
それは今朝、浴室で穂高が自分の光剣で突き刺した傷だ。渡瀬を相手に嘘をつくのは無駄だと思っていたが、穂高は咄嗟にそれを隠そうとした。
「……軽く怪我をしただけです」
穂高がそう答えると、渡瀬はさらに穂高の左手首を力強く握った。
「僕に嘘をつくんじゃない」
いつもの渡瀬からは考えられない程の強い語気に、穂高は思わずビクッとしてしまう。
「心理学者マズローのピラミッドを習ったことがある? 人間が持つ欲求を五段階のピラミッドで表したものだよ。その一番下、基礎となる人間の本質的な欲求は食欲、睡眠欲、性欲等の生理的欲求、それらは生命を維持するために必要なこと。
能力者も同じだよ、人間と変わらない。容量が限界を迎えて能力を使うためのエネルギーが渇望すると能力者は本能的にエネルギーの源を求める、じゃないと暴走状態に陥るからね。それは人によって求めるものが変わるけど、穂高君のそれは彼女が欲しいだとか結婚したいだとか、そういうものとは全くの別物だよ」
穂高の能力の容量は小さく、少し戦うだけですぐにエネルギーが無くなってしまう。それでも無理をすれば戦えたため四月からずっと穂高は戦ってきたが、その代償も大きかった。渡瀬達の話を聞いていると、どうして自分はこんなに能力者に向いていないのだろうと穂高は自分の素質の無さを嘆いていた。
「僕達がどうして穂高君に能力者狩りをやめさせたかわかるかい?
まず一つは体を休めてもらうこと。穂高君の能力は確実に穂高君の体を蝕んでいる、それだと何度暴走されるかもわからないし穂高君の寿命を縮めることにもなってしまうからね。
次に、僕達に仲間意識を持ってもらうこと、君は何かと一人で行動しがちだからね。穂高君は無意識かもしれないけど、それが誰かに迷惑をかけているかもしれないということは心に留めていてほしい。
そして、そのやり場のない感情への対処法を学んでもらうこと。穂高君がツクヨミに入ってから大体半年ぐらいかな、正直僕達は穂高君がこんなに持つとは思ってなかったよ。穂高君を能力者狩りとう行為に走らせた憎悪、怨念、そして好奇心。穂高君はそれを上手く制御していたみたいだけど、いつかは自分に向き合わないといけない時が来るんだよ。
どうして穂高君は能力者狩りをやめることが出来たんだい?」
渡瀬は穂高の左手首を離して笑顔で問いかける。
ツクヨミに入ってからの穂高は、華や副メイドから与えられた任務でぐらいしか戦うことはなくなった。街中で偶然能力者と出くわしたり、オスカルのように向こうから襲撃されることもあったが、能力者狩りだった頃と比べれば穏やかな毎日を送っていた。
それを渡瀬や織衣達は意外だと思うだろう。きっと彼らには、能力者狩りは復讐に燃えた殺人鬼のように見えていたはずだ。しかし穂高は、能力者狩りをやめる理由があるのならそれで良かったのだ。
「僕には見えなかった希望が……」
車の走行音が響く中、穂高はボソリと呟いた。
「見えるようになった気がするんです」
四月デストラクション後、穂高は自分に備わった能力という力を調査するために革新協会を探っていた。何度も死にそうになりながらも、能力の扱い方を敵を尋問して聞いて次第に自分の能力の扱いにも慣れるようになった。その過程でリーナの協力は必須だった、彼女はどうしてか敵であるはずの穂高に惚れ、暇さえあれば穂高を襲撃して殺してくるが生き返らせてもくれるため、穂高は死を恐れることなく戦うことが出来ていた。
その行動理念に憎悪や私怨がなかったとは言い切れない。ただ穂高は自分を守るため、椛を守るために戦っていたつもりだった。誰かを守るため、助けるためと言うなら聞こえは良い。しかし椛を失った時から、穂高は殆ど目的を失ってしまっていたのだ。
「希望は良いものだよ」
渡瀬は穂高と目を合わせて、その糸目を見開いて言った。
「僕達の希望を、未来を奪っていく人達はどこにでもいる、それは革新協会じゃなくても、そこら辺で短絡的な思考を巡らせている人だってそうさ。あの人達には他人の未来を奪ったという罪の意識は無いんだから。
ツクヨミは能力者達の希望でもあるんだよ。僕達に制限ある自由を与えて、人間としても能力者としても生きていけるように夢を与える。僕達が、この世界の敵にならないようにね」
能力者狩りだった頃の穂高には、その裏を隠さなければならないというストレスも重荷となっていた。能力者狩りとしての穂高を知っているのは椛ぐらいしかいなかったのだ。急に学校をサボったり寝坊で遅刻したり授業中に寝たりと随分と素行が悪くなっていた穂高だったが、彼はその理由付けをするのも下手だった。周囲の友人達は四月デストラクションがきっかけでグレたのだと勘違いしてくれていたが。
今も数は多くないが、能力者としての穂高を知っている、認めてくれる人がいる。
「穂高君は自分の負の感情に後ろめたさを持っているかもしれない、でもその感情は忘れないでほしい。その感情が能力の原動力にもなるんだよ。心、技、体。基本的なことだけどこれをバランスよく鍛えるのは苦労するものだよ、特に失敗ばかり経験しているとね。
でも、それを乗り越えないといけないのが人生だよ。例え能力者じゃなかったとしても、ね」
渡瀬は笑顔でそう言って再び歩き始めようとしていたが、ふと足を止めて再び穂高に言った。
「あと、僕は嘘がそんなに嫌いじゃないけれど自分を守るための嘘は良くないよ。正直者でありたいなら別だけど、嘘は誰かを守るためにつくこと。つまらない嘘でエリーや僕を幻滅させないでおくれよ? 千代から鉄拳制裁を受ける羽目になるからね」
「……肝に銘じます」
渡瀬は冗談のようにそう言っていたが──やはり本当に怖いのはキレた千代ではなく渡瀬だなと穂高は思っていた。




