5-38『札幌からの電話』
結局穂高は千代の兄、藤綱洋との騒動もあってあおさぎで夕食をまともに食べられなかったが、希がわざわざお好み焼きを作って持ってきてくれたのでそれを夕食にした。しかしすっかり食欲がなくなってしまったため予想以上に時間をかけて食すことになり、食べ終わる頃には大分冷えてしまっていた。本部に残る斬治郎や昴から連絡が来ており、本場の粉ものはどうだとかどんな修行を受けているかとか聞かれたが、意外と楽しいもんだよと手短に返していた。
あおさぎは繁盛しているようで、外からは店に出入りする客達の声がよく聞こえた。穂高は部屋で一人、パソコンでサッカーの試合を見ていたが、修行の一環として能力で光と闇の二匹のネコを出現させていた。ネコは一応形になっているが、そもそも長時間保つことが出来るのか試してみないとわからない。こんな場所で全力で能力を使うわけにはいかないため、まず日常生活の中でもネコを出しておくことでその感覚に慣れようとした。何より良い癒やしにもなる。
年末のこの時期になるとJリーグはシーズンオフを迎えるが、イギリスのプレミアリーグやフランスのリーグ・アンはまだまだシーズン中だし十二月にも試合がある。しかしそれらの全ての試合に見を通そうとしても到底時間は足りないため、他国のリーグは試合結果だけでも目を通すようにしている。そして明日からは高校サッカー選手権も開幕するのだ、目が離せない。
リーグ・アンの試合を見ていると、穂高の携帯に着信が入った。ふと時計を見るともう夜中の十一時を過ぎている。渡瀬や斬治郎達からかと思って携帯の画面を見ると、知らない番号からの電話だった。
穂高が持っている携帯はツクヨミが用意してくれたものだが、ツクヨミとは関係ない出灰の友人達やリーナの連絡先も登録されている。しかし知らない番号から電話がかかってきたのは初めてのことだった。穂高は警戒しつつ、瓦屋や希からかもしれないと考えながら電話に出た。
『夜分遅くにこんばんは。君が鷹取穂高?』
電話口から聞こえてきたのは落ち着いた雰囲気の少女の声だった。穂高が知っている人物の声ではない。
「……どちら様ですか?」
穂高の名前を知っているのならツクヨミの関係者か、穂高の昔の知り合いか、学校の友人か、もしくは革新協会や十字会の関係者の可能性もあった。穂高が警戒していると、電話の向こうの少女はフフフと笑いながら言った。
『私は織田里緒。姫野織衣の親友だよ』
それは、穂高が全く想像していなかった相手からの電話だった。
「姫野さんの?」
『そう。上から読んでも下から読んでもおりたりお。あ、ツクヨミのことは勿論知っているよ』
どうやらツクヨミの関係者であるらしいが、穂高が知っている織衣の友人は緋彗や和歌ぐらいだ。出灰の友人とも考えられず、織衣がまだツクヨミに入る前、札幌の友人かもしれない。
「それを、僕はどう信用すればいい?」
しかし、これは革新協会や十字会の罠ということも十分にあり得た。特にリーナやツバキは悪趣味なことが大好きだ、ちょっとした悪戯感覚で無関係の人間を巻き込んで騒動を起こしたがる。
織田里緒という少女はふうんと考えてから、何かを閃いたのかパンと何かを叩く音が聞こえてきて彼女は答えた。
『織姫って、右目の下に泣きぼくろがあるだろう?』
「……そういえばありますね」
『右の胸にもあるんだ』
一瞬穂高は想像しかけてから首をブンブンと振って雑念を払おうとした。よし、ネコも二匹とも元気にしていると確認して心を落ち着かせた。織田里緒は今の穂高が見えているわけがないが、フフフと電話口の向こうから笑い声が聞こえてきた。
『想像したかい?』
「切っても良いんだけど?」
『すまないすまない、ちょっとしたお遊びじゃないか』
「それで、本当にあるの?」
『気になるなら自分の目で確かめれば良いじゃないか』
中々癖が強そうな少女だが、織衣の親友というのが妙に納得できる。見知らぬ人間におちょくられ無性に腹が立っていた穂高だったが、面白そうな人間だと興味も持っていた。
『君は、どうすれば私を信用してくれる?』
「姫野さんの趣味とか」
『映画鑑賞と美術だね。織姫はメジャーなものもマイナーなものも映画なら何でも見るよ。それに織姫は絵を描くのも見るのも大好きだね。自分の世界に入り込むのが好きなのかもしれないね』
織田里緒が何者かはよくわからないが、まぁ織衣の友人というのは本当なのだろうと思って穂高は彼女を信用することにした。
「姫野さんの親友の君が、僕に何か聞きたいことでも?」
『そう。色々と聞きたいことがあってね。君の目から見て、織姫はどう見える?』
「クール、と言うにはクールさが足りてない、素っ気ない女子かなぁ」
『うーんそんなものだろうねぇ』
織衣は人付き合いが下手というか、自分からそれを拒んでいるように見えた。あれは織衣自身がそう意識しているから、おそらくツクヨミの能力者であるという素性を隠そうとし過ぎているが故に、そんな雰囲気を醸し出しているのだろうと穂高は考えていた。穂高はそんなことも気にせずに織衣にちょっかいを出しているが。
出灰では氷の女王とかいう異名で呼ばれることもある織衣だ。何でも多くの男子が果敢に告白に挑んでも冷たくあしらわれたから、らしい。なんでそんな奴がクラス委員長なんてやってるんだと穂高は思っているが、一応皆から真面目だとは思われているらしい。確かに織衣は学校ではあまり他人と関わらないが成績も良いし、与えられた仕事は責任を持ってこなしている。
学校ではあまり我を出さないようにしている織衣だが、時折緋彗や和歌と一緒にいる時でも、何故か暗い表情をしていることがある。口数があまり多くない織衣は、必死に何かを隠そうとしているのだろう……おそらく、札幌での出来事を。
『昔の織姫はやんちゃで泣き虫で、いつも皆に迷惑ばかりかけていた』
「想像つかないね」
『まぁ子どもの時の話だからね。でも中学に上がった織姫は、それはそれは人気者だったよ、特に思春期でお盛んな男子にはね。一体誰が織姫を射止めるのか、私も楽しみにしていた』
「誰か射止めたの?」
『うーん、織姫も織姫で夢見る乙女だったのさ。どの男子も織姫の理想の彦星には程遠かったっということさ』
「想像つかないね」
織衣は緋彗や和歌に比べれば現実主義者に見える。もしかしたら出灰でも告白を断り続けているのは、本当に織衣が求めている相手と出会えていないからかもしれない。
『でも、もうあの時の織姫はいなくなったんだ。一度死んだようなものだからね』
「どういう意味?」
『札幌での出来事が織姫を変えてしまったのさ……きっと君が見ている織姫の姿は虚像のようなものだよ』
今日、織衣は飛行機で北海道へ戻っている。自らの故郷でありながら、思い出したくもない過去と向き合わなければならない土地へ。
オスカルと戦った時に見た、謎の夢の記憶が穂高の頭をよぎる。あれが織衣の、能力者としての始まりだったのだ。
『君は、織姫の側にいることが苦だとは思わない?』
「そう思ったことはないけど」
織衣はそう感じているように見えるが。
『なら、君が織姫の側にいてあげてほしい』
「どうして僕に?」
『君の話をする織姫が、とても楽しそうに見えるからね。さながら恋する乙女のように』
「想像つかないね」
楽しそうに穂高の話をする織衣の姿よりも、そもそも織衣が楽しそうにしている様子というものが穂高には想像付かないのだ。何しろ穂高は、織衣が笑った顔ですら滅多に見たことがないのだから。
『君はどうなんだい? あのお姫様のことが好きだったりしないのかい?』
「いや、特には」
『へぇ、本当に? あんなに可愛いお姫様にときめかないなんて、もしかして相当女運が悪かったとか?』
確かに穂高の側にはリーナというゾンビ乙女がついて離れないが、彼女の話を持ち出すと里緒が興味を持ちそうだったため話すのは控えた。
「君と話していると、どうしても知人の顔が頭をよぎって嫌になってくる」
里緒の物言いはどことなく渡瀬に似ているのだ。この二人が出会うと気が合いそうで恐ろしい。
『あぁ、その人はもしかしたら私も会ったことがある人かもしれないなぁ』
穂高は織田里緒という少女の人となりは知らないが、親友の織衣のことを思ってわざわざ電話をかけてきたのだ。あの織衣にもそれだけの友人がいるのだと思うと不思議と安心していた。
『では、また機会があったら君に電話するよ。織姫にバレると怒られそうだから』
「え? どうして怒られるの?」
『だって織姫に内緒で携帯を見て君の連絡先を探して、織姫が眠りについた後にこうして電話をかけているからね』
だとすれば、この電話が織衣にバレたら穂高も怒られる可能性がある。頭が回る上に行動力もある人間程恐ろしいものはいない。
「……気をつけて。僕だって姫野さんが本気で怒ったのを見たことないし見たくないんだから」
『フフ、これも意外と良いスリルだよ。それじゃ』
電話は切れた。もしも織衣から電話がかかってきたら無視でもしてしまおうか、そんなことを考えながら穂高は今も机の上で横になっている二匹のネコを撫でて試合観戦に戻っていた。




