5-30『彼の中に眠るもの』
気を失ってしまったのか、地面に倒れかけた穂高の体を、長い黒髪で黒いセーラー服を着た少女が支えていた。真冬の夜には寒そうな格好の彼女は、その婀娜めく容姿を持ちながら渡瀬を警戒しているような面持ちで口を開いた。
「誰から私のことを聞いたの?」
穂高は渡瀬に自分の過去を殆ど語ったことはない。彼が自ずから話すこともなければ誰かに聞かれることもなかったからだ、およそ一名を除いては。
東京に来てからの穂高の事情を把握しているのは華や牡丹ぐらいだろう。渡瀬はリーナから彼女の脚色がふんだんに加えられた話を聞いたこともあるが、彼が一体どれだけのものを失ってきたのかは彼自身しか知り得ないことだ。
ただ、渡瀬は五年前に福岡で鷹取穂高と出会っていた。鶴咲渡瀬十四歳、鷹取穂高十一歳──お互いに福岡で壮絶な事件に巻き込まれたのだ。
「僕は、『光』の穂高君を知っていたんだよ」
五年前、あの絶望的な戦火の中で出会った鷹取穂高という少年は、あの時から『光』の能力者だった。それは渡瀬の夢でも思い違いでもない、穂高は渡瀬の前に顕現した奇跡だった。
「だから、もう一方の『闇』の能力は福岡でじゃなくて、四月以降に手に入れたんじゃないかなと思っていたんだ」
穂高は光と闇の能力をそれぞれ別の能力として捉えている。両方を一度に手に入れたのなら他の捉え方もあっただろうが、渡瀬には穂高の闇の能力は負の側面が顕れた姿のようにも見えていたし、まるで穂高とは別人のようにも見えていた。
「多分、穂高君は四月デストラクションで大切な人を失って……勿論穂高君のことを引き取った叔父夫婦もお亡くなりになっている。でも穂高君が、能力者狩り時代に見せていたあの残虐で非道な執念の源はそれだけじゃないと思ってね。もしかしたら他にもお友達とか──穂高君が好きだった人を失ったんじゃないかなと僕は興味を持って、穂高君が通っていた学校の名簿を調べてみたんだよ。小学校から中学校、高校までね」
能力者は皆、生まれながらにして能力者ではなく元々はただの人間だ。例え遺伝的な発現だったとしても、全て後天的なもので発現の原因は多岐に渡るが、何かを犠牲にしたことは共通している。
「すると、小中高と穂高君と同じ学校に通っていた同級生が二人いたんだ。一方は四月を生き延びていた男の子だったけど、こっちは和光事件で殺害されている。
もう片方は四月に亡くなっていたんだ──その子の名前は、海風汀。僕は目の前にいる少女の名前がそうなんじゃないかなって思っているけれど」
渡瀬の目の前にいる、気を失った穂高の体を支えている黒髪の少女はもうこの世の人間ではないはずだ。幻か、穂高が自らの能力で生み出した産物か、いや彼の能力そのものなのか。
「でも、実際に穂高君と海風汀という子に親交があるのかを知る手立てはなかったんだ。穂高君に直接聞くのも悪いと思ってね。卒業アルバムを見ても、二人が仲良さそうにしている写真も見当たらなかったから」
穂高や汀本人からの証言を得られないという制限の中だと、交友関係の情報源は非常に限られていた。残された写真などからある程度の交友関係は見えてくるが、実際彼らがどれだけの仲だったかを知る必要があった。が、幸運にも穂高達を写した記録は多く残されていたのだ。
「何か繋がりがないか調べていると、穂高君を引き取った里親、彼のお父さんの弟に当たる人だね。その人と海風汀の父親が、かつて自衛官として同じ教育隊に配属されていたんだよね。さらに調べてみると、二人は高校から大学まで同級生で、同じサッカー部で全国大会に出ていたこともわかったんだ」
穂高の叔父は五年前に自衛隊を退職して食堂を営んでいたが、海風汀の父親は四月当時も練馬駐屯地に勤めており、こちらも四月に亡くなっていた。さらに海風汀の母親は、彼女を産んですぐに病で亡くなっていた。
「もしかしたら家族ぐるみの付き合いがあったんじゃないかと調べてみると、海風汀が中学生の時に出場した柔道の大会、その様子を写した写真に海風汀と……穂高君の妹、鷹取椛が収められていたんだ」
その写真には穂高こそ写っていなかったものの、二人の繋がりは目に見えるものになった。血縁関係でもなければ柔道を習っているわけでもないのにわざわざ応援に行くということは、それだけ親密な関係にあったという証拠のはずだ。
「さらに鷹取椛について調べていると、彼女が出場したピアノコンクールを写した写真に、海風汀と穂高君が写っていた。これで二人がお互いのことを知らないはずがない、っていう風に僕は結論付けた。もしかしたら二人は四月に同じ場所にいて、海風汀が死んだことで穂高君は闇の能力を発現したんじゃないかなと、そんな風に僕は仮説を立てた。
ま、穂高君が君のことをどのぐらい大切に思っていたかは知らないけどね」
渡瀬の推理を聞いていた海風汀は段々と渡瀬に対する警戒心を薄めていたようだったが、むしろこれだけ自分達のことを探っていた渡瀬を余計に怪しんでいるようにも見えた。
「でもわざわざ穂高君と一緒にいるってことは、君は穂高君の事が相当大好きなのかな?」
二人が恋人同士だったのかは渡瀬が知るところではない。しかし穂高がそれだけ彼女のことを大切に思っていたなら彼の能力者狩りとしての活動も動機も納得がいかないことはなかった、彼が姫野織衣という少女に固執する原因も説明できないこともない。
「まるで、警察みたいね」
渡瀬が笑顔を向けると、ようやく汀は口を開き、笑いながらそう言った。
「僕はその見習いみたいなものだからね。それで、君が穂高君に付き纏っている理由は?」
「私は穂高君の『守護能力』なの。だから当然でしょ?」
守護能力──それは能力者に力を貸すために宿主に憑依している能力者の思念体、と考えられている。非現実的な力を操る能力者界隈でもその存在は随分とスピリチュアルだが、こうして守護能力が形として現れるのは非常に珍しい。しかし能力者が皆守護能力を持っているというわけではなく、守護能力を手に入れる方法も守護能力になる方法も限られている。
ただ、守護能力になれるのは能力者だけだ。つまり海風汀も能力者であり──穂高が本来発現していなかった『闇』の能力の持ち主だったのである。
「確かにそんなものだろうと僕も考えていたよ。穂高君は能力に恵まれているけど、能力者としての器には恵まれていない。それをカバーしているのが守護能力だと考えれば、君は能力者として相当恵まれていたのかもしれないね。君がもうこの世に生きる存在ではないことが残念だよ」
穂高は今の段階でも十分に優れた能力者とも言えるが、彼の弱点は多く存在する。むしろ彼に襲いかかる数々の運命に対して、彼は抗うだけの体を持つことが許されなかったのだ。彼がツクヨミの接触を受けないまま能力者狩りを続けていたら、今頃はもうこの世に存在していなかったかもしれない。
その穂高の弱さを守護能力である彼女がカバーしている。所謂守護霊のように宿主である穂高を守る役目を果たしているように見えるが──渡瀬は彼女が穂高に余計な重荷を課しているように思えていた。守護能力は、宿主である能力者を守護する存在とも限らないからである。
「でも君は、故意に穂高君を操っていないかい?」
「……どういう意味?」
「穂高君の能力は、本人が気づいていない作用がたくさんあるんだよ。例えば穂高君の能力は『光』と『闇』であると同時に、正反対の二つの能力を持ってしまったことによって『正』と『負』の側面も持ち合わせている。花咲病で分裂した時の彼を見ればそう捉えることが出来るからね。
君は穂高君の『闇』の能力そのものであり、そして『負』の側面そのものでもある。能力者狩りとしての穂高君は、もしかして君が操っていたんじゃないのかい?」
渡瀬の考えでは、穂高の能力は『光』と『闇』という単純なものではない。あくまで穂高がそう捉えているだけで、それらの能力が無意識に様々な作用を持って周囲の人間に影響を及ぼしてしまっている。それは、彼の守護能力として憑依している汀も例外ではない。
「私は、穂高君に必要な時に力を貸してあげているだけ。穂高君が暴走しないように」
「じゃあ、穂高君の能力が暴走している時は君が操っている?」
「違う、私が制御しているの。穂高君のために」
「和光事件の時も?」
「私が助けなかったら、もうあの時点で穂高君は死んでいたの。だからわざわざ分裂もさせた」
「これから先も、己の願望のために穂高君に手を汚させる気かい?」
「それを穂高君が望んでいるから」
「それが新たな悲劇を生んでしまうとしても?」
穂高のため、と自分の行いを正当化しようとする汀、それを諌めようとする渡瀬が問答を繰り返していると、とうとう汀の堪忍袋の緒が切れたのか、彼女は右目に赤い光を灯し能力を発動した──が、渡瀬は汀に近づいて彼女の右腕を掴んで制止した。汀の右の手首には、水晶の装飾が施された黒い腕輪が着けられていた。
「……何? 私に説教をするためにわざわざ呼び出したの?」
「まさか、僕は偉そうに説教する人は嫌いだよ。本当は穂高君と戦いたかったんだけど、まぁ君と語り合うのも悪くないね」
汀の表情は険しいものになっていた、明らかに敵意を露わにしている。しかし尚も渡瀬はニコニコと微笑んでいた。
「僕は君のことも知っているよ、汀ちゃん。僕達は会ったことがあるはずだよ」
「どこで? いつ?」
「覚えていないのかい? 僕と初めて出会った時、君は僕のことを黒幕っぽいって言ってたよ」
汀の険しい表情が、今度は不思議そうな、神妙そうな面持ちへと変わっていく。渡瀬は汀の腕を離したが、暴れだしそうな気配はもう無くなっていた。汀は戸惑ったような表情のまま口を開いた。
「……どうして貴方がそれを知っているの? まさか、もう死んでいる?」
「いや? 僕は立派に生きているつもりだよ」
「じゃあどうして」
「君は僕の能力を知っているはずだよ。僕の能力は『支配』──そして、僕が司るのはこの世界の歴史でもある」
汀は能力を解除していた。ようやく彼女は渡瀬が敵ではないと判断したようだ。
「僕は君達の味方だよ。勿論この世界の味方であり、この世界の未来のために忠実な下僕でもある。
でも、穂高君の体をあまり好き勝手使うのはやめてほしいかな。穂高君は君が持っていないものを持っているかもしれないけれど、穂高君は君が持っているものを持っていないんだ。今の穂高君には耐えられない。
大丈夫だよ、穂高君が耐えられるように僕が鍛えるからさ」
穂高の能力としての技量はまだまだ荒削りだ。彼の技量は能力者狩りとしての経験で培われてきたものだけで、セオリーに合っているものではなかった。
「穂高君は、本当に生きられる?」
不安げな表情で言う汀に、渡瀬は笑顔で言った。
「大丈夫だよ。奇跡は起きるさ、絶対に。君がそう願ったように」




